写真界のゴッホになりたい

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お笑い番組も、お笑い芸人も好きである。(自分とは無縁だが)美味しいレストランを紹介する番組ならいいが、大食いの番組だけはやめて欲しい。心が苦しくなる。

お笑い芸人さんは、つくづく大変だと思う。時に裸の様に自分をさらけ出し、家族のエピソードを話し、自分を売り込まないといけない。特に若手なら、その道だけでは食っていけない。

その道がお笑いという芸であるか、写真であるかで、写真家と似ている部分もある。真逆のドキュメンタリーでも、その道に真面目に取り組んでいる点など類似点は意外にある。

写真家は、放浪人であり、ニートであり、フリーターであり、ボクサーであり、マラソンランナーであり、出来ない営業マンであり、破産寸前の社長であり、物乞人であり、哲学者であり、現代のサムライであり、臆病な人間である。

何てゴッホは強い人間なのかと感心する。

自分の耳を切ったり、自殺することが決して強いとは思いたくもないが、死んでもなお強烈に、今を生きる人々の脳裏に焼き付いている。電車に乗っていて、ゴッホの自画像を見ることが最近多いが、ゴッホそのものが浮き上がって見えて来る。それだけ絵が力強い。死んでもなお生命感を感じる。

作者が生きている時に売れることが芸術家にとっては一番だ、死んでから売れても報われない。死んだらそれで終わりだ。

それでも、死んでからゴッホの様になれれば、永遠にこの世に埋もれるよりかは断然ましとも思えて来る。天国で笑っている気もする。

インドを長く旅を続けると、自我がもっと生まれる。

学生の頃の自分や、東南アジアを旅していただけでは、生まれない。客引きも、商売人も、写真を撮る何もかもが、全体的に強い。日本に戻って来てすぐだと、自分をコントロールするのに苦労する。インドは行った人にしか分からないが、最初はあれだけ嫌だと思っても、何年も続ける度に、空白が空き過ぎるとまた行きたくなる。多様性に溢れているとも言える。

「自我に目覚めよ、自我を恥じよ」

生粋の日本人だから、日本で生き続けて行くには、自我のバランスやコントロールが必要だ。

ゴッホの様な結末は無念過ぎるが、写真界のゴッホの様にはなりたい。

それぐらい強くなりたいものである。

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写真家の寿命

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インドから戻って来て、久しぶりにサッカーの日本代表戦を見た。また一段と若くなっている。プロスポーツ選手は本当に酷だと思う。35歳まで現役でいられたらかなりいい方だし、常に第一線で活躍できるとは限らない。急に解雇されたり、チームを渡り歩いてかろうじて現役を保っている人もいる。いつかは現役を退いて、指導者の道か、マスメディアの道か、店を経営するかなど、第二の道を選択しないといけない。

写真家に置き換えてみると、まだまだ恵まれている。自分の作品だけでは食べていけないが、その気になれば、一生現役でいられる。直接的な体力の過酷さもスポーツ選手よりは軽減される。

60歳からが本当の勝負だが(それまで生きられるとは限らないが)、35歳を過ぎてからが一番大変になる。30代後半、40代、50代で、いかに自分の作品を撮り続けられるかが1つのターニングポイントであり、最近はそればかり考えている。幾ら写真と関係していても、自分の作品にはならないただのカメラマンとしての仕事だけだと、60歳からを考えると、ちょっと厳しいかなと思えて来る。理想は写真家とカメラマンのバランスだが、理想に答えてくれるほど社会は甘くない。

自分なら長期のアジア、そしてその先の世界の旅を一生続けられるかだが、長期の撮影旅から戻って普通に社会復帰できるほどますます社会は容易ではない。

良き理解者が必要だし、雑誌に掲載されるのだって不況になればなるほど、前回採用されたからでは見向きもされないことも多いし、知り合い以上のコネが必要な場合もある。

そんな不況の中でも家族の繋がりが一番大切である。いかに家族単位で凌げるかがポイントだと思う。不況になればなるほど、会社や上司は裏切るかもしれないが、知り合いは大丈夫だと信じたいし、家族なら血が繋がっているしもっと裏切ることはない。アジアの旅に出ても、家族の繋がりにとても感動することが多かった。何よりも自分自身を一番信じないといけない。

60歳以上まで生きられて、ずっと写真も撮り続けられれば、時代が必要としているとも言えるし、道半ばで世の中から去ったとしても、それはそういう運命と言うまでだ。死んだら本人にとっては何も残らない。

そういう覚悟はいる。

それを踏まえて、自分なりに良く考え、努力はしたい。まずは自分が出来ることから続けることだ。

まずは東京の生活を見切る。見切るか、生活を続けるかは今は分からないが、ある期間を持って見切りたいと思っている。ズルズルはいかない。見切った時の行動力と爆発力はある。ある1つの信念を持って、それに向かう行動力は人一倍あると思う。

今週は5日間ロードワークをして、一日の距離は約4キロと短いが、積もればハーフを走った距離に相当する。

来週から徐々に距離を上げていきたい。

自分の理想に近づけるには、まずはマラソンランナーの体力と粘る力がもっといる。

写真家は、ただ写真を撮り続けるだけが仕事ではなく、様々な経験が必要だ。

写真家寿命が、そのまま人生寿命となれる様に頑張りたいものだ。

写真界の現状

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12年間毎年の様に数ヶ月アジアを旅して来たが、学んだことは、日本を俯瞰的に少し冷静な視点で見られることだ。

今の写真界の現状は、ますます厳しくなっている。出版界も不況だし、休刊や廃刊ももっと出て来るに違いない。

少なくとも後10年間は厳しいままだと思っている。

それだったら、半年アジアのどこかの国に滞在したり、それを10年間続けてもっと籠もった方がいいという気もして来る。写真家はまず定期的に撮り続けて写真を撮り貯めなくては話にならない。それによってお金を稼げるなんて運が良過ぎる話だ。まずは自分が満足いくまで撮り続けることだ。

なかなか理想には程遠く、一人暮らしだと、まず半年なんて旅に出られない。自分の魅力は行動力と、はまった時の爆発力だ。東京にい続けると、かなり厳しいと思えて来る。

今までの写真家を見ても、60歳からが勝負だと思う。40代、50代も厳しい。そこまでどこの場所にいても、諦めずに続けていられるかだ。写真を撮っていない期間が短ければ短いほどいい。老いや病は避けて通れないし、海外の撮影旅を続ければ事故などの死亡率も上がる。もう引けない自分がいる気がするし、最近は孤独の恐怖が減っている。どこの辺境でも精神的には行ける。

写真家はボクサーに近いと思っているが、だんだんマラソンランナーに近いと思えて来た。42.195キロという自分の写真家人生をゴールが死とすれば、それに向かって辞めるのを恐れず、道を自分のペースで走ればいい。

いろんなことが厳しいが、まずはロードワークはずっと続けたいと思っている。まだストレッチも含めて全体で1時間ほどのトレーニングしかしていないが、将来的にはマラソンを走りきるぐらいの持久力もつけたい。

そこから全ての希望が生まれると信じる。

なぜ、宮崎の知事や、オバマ大統領の物真似をする人が、しぶとく活躍していたり、一時期消えても復活するかと言えば、マラソンをしているか、もしくはそれ相応のトレーニングをしているかだ。

そういう人は、理想である。

トレーニングを再開

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インドの撮影旅から戻って約1週間。病院で処方された風邪薬(それでも5種類)を3日間呑んだらだいぶ良くなった。抗生物質を呑んで、体内にあったインドでの悪い菌をすっきりさせた気がする。

1週間運動をしなければ目に見えない疲れもだいぶ取れた感じもする。治る手前から少しずつ鍛えることで免疫力が付くので、今日の夕方からトレーニングを始めた。

まずは今の自分の体力・筋力を(少し息が上がる程度まで負荷を与えて)知ることだ。懸垂は一度に出きる回数が30→23に減った、走るのは約10キロ→約4キロに減った。懸垂、ランニングでも旅に出ている時に使う筋肉と全く違う。重い荷物を運んでいるだけあって意外に落ちていなかった。旅に出る前のトレーニングによる体力・筋肉貯金が何らかの役には立っている。

全盛期の10キロ走っても、脈拍1分間MAX120回はあまり超えなかったと記憶している。それが今回のインド・レーの標高3500m地域を旅した時だ。王宮右横のもっと崖の上にあるTSEMOゴンパに朝2日間連続で登った。急なくねくね道で恐らく数百メートルぐらい上がり3800前後か。2日目の朝、天気がすごく良くてなるべく早く頂上からの写真を撮りたい為に、少し離れた宿から早足で行き登った。登った直後の脈拍が15秒で約40回、1分間で約160回になった。(一応測った、その後120とだんだん少なくなったが)

標高3000メートル以上の地域は侮れないと思った。少し経ち、現地の働く男が背中に重たそうな袋を背負って軽快に登って来る姿を見た時は、尊敬と同時に自分の力不足をますます感じた。

関東平野とヒマラヤ地域は全く違う。いかに自分が恵まれているか実感した。自然とは偉大でもある。気休めかもしれないが、日本に戻ったら、なるべく早くトレーニングを再開し様と胸に誓った。将来、本格的なトレッキングをする可能性もありえる。

写真を撮る段階ではスポーツの様にアウトドアだが、日本に戻ってまとめるとなるとインドアになる。トレーニングをすることで、バランスも保てる。体を動かすことでリフレッシュにもなる。

インドアばかりだと気が塞ぐし、走ったりすることで動物的な感や本能的なものも目覚めたりする。

旅に出ている間に休部していたボクシングジム通いはまだ再開していない。

金銭的なこともあるし、徐々にロードワークを伸ばして行って、もっと落ち着いたら

再開したい。格闘技トレーニングはまだまだ未練があるし、なくてはならない。

6年も続ければ単なる遊びじゃないし、少なくとも本人は本気だ。

プロではないしあまり深追いしないで、頑張りたい。

ずっと続ければ、写真家としてもプラスになる。

まずは体が資本

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インド帰国後、のどが痛くなり市販の薬を呑んだものの、なかなか引かなかった。

20代なら気合いで直していたのだが、一度結核をやった者なら分かると思うが、たとえ1%の再発の確率でも見えない怖さがある。それにインドは移動や滞在だけでなく、いろんな病原菌でもなかなか手強い。

今日、病院へ行きレントゲンなどを撮ってもらった。肺は大丈夫だったし、のどが炎症を起こしているぐらい。抗生物質を呑んだらもっと良くなった。市販の薬とは違う。写真家もボクサーと同じ様に体が資本だし、戻ってからは特に体の検査・メンテナンスは大切だと実感する。

よく考えてみれば、もっと焦ってすぐに肉体労働を始めて結核に罹ってしまった昔と同じ流れだったのかもしれない。のどが痛くなっても、誰にも相談せずに我慢し続けて肉体労働を続けて無理がたたって肺まで侵されてしまった。一人だけだったら、たぶん死ぬ直前まで続けていた。

自分なりにできる所まで頑張って、その結果が悪い方向に流れどうしようもない事態になったとしても、誰かがそっと助けてくれるものだ。病気はその目安の一つだし人にはそれぞれ限界があるし、家族や知り合いはとても大切なものだ。一人だけでは生きていけない。良くなったら、また頑張ればいい。

実家から米などが送られて来た。大変有り難い。誰かの支えがなければ、写真家なんて職業は一生続けてはいけない。年も重ねれば、気持ちが前に行っても、体はもちろん、結果が付いていかないこともある。波は激しい。

今日は、今回のインドで撮って来たポジフィルムを引き取りに行った。僕の中では、現像したフィルムをいつも使っているファイルに整理して初めて今回の撮影旅が完成したことになる。命の次に大切なものでもある。

空家賃と、現像代で、お金がなくなった、来月の家賃が心配である。

プリントもしないといけないし、まとめるまでの試行錯誤も苦労する。

それでも、まずは体が資本だし、その気になればまた肉体労働にも戻れる。

「写真家は食えねど爪楊枝」とある所まで引かない心意気が自分にも欲しい。

犬と少年(2003/カンボジア・シェムリアップ)

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2003年約100日間のタイ・カンボジア・ベトナム・ラオスの旅で出会った少年。

世界遺産となっているカンボジアのアンコールワット遺跡群の1つが通り上にある。

特に指示をしたわけでもなく、少年の一瞬の仕草であり、反射的にシャッターを切った。

心温まる瞬間だった。

by MUTO KOJI

少年サドゥー(2007/インド・プシュカル) 

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2007年約2ヶ月のインド旅で出会ったサドゥーの格好をした少年。プシュカル祭りと重なる時期でもあった。

力強い目と表情が印象的だった。

 by  MUTO KOJI

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