インドから戻って来て数ヶ月は、神経がそのまま張り詰める時がある。東京の社会のいい所と同時に嫌な所も見えて来てしまう。

元から一度その道のレールを外れた人間には日本社会は厳しい面を持っているが・・・。欧米社会は詳しくは分からないが、様々な経験がマイナスとなったりする。

不況は身近な野菜の高騰でも、派遣業者の現状を見ても、出版業界でも、ますます厳しくなっている。写真家や、長期の旅行者だけでも、恐らく帰国子女の様な人間にも、いったん外の世界に出たら、ますます生きにくい世の中になりつつある。

上に立つ人間の政治家を見れば明らかだが、人の弱い所に付け込んで、さらに弱い人を見つけて、お互いを潰し合っている。人というのは、どこかで弱者を省いたり、目の敵にしたり、自分を優位に立たせる性質があるが、特にここ数年は顕著である。

「何故、全員が幸せになろうとする社会を作ろうとしないのか?」

政治家なら本来、自分の身を削ってでも、時代に生きる様な器のでかい人がいるべきなのだが、何だか自分の身を守ってばかりいる。顔や表情にそれが出ている。

生きにくく思うのは、法律や規則で社会全体が雁字搦めになっている点もだ。何だか社会全体が一見正統的に見える規則を張り詰めているが、結局は、会社が会社自身の首を、社長なら社長自身の首を、社員なら社員自身の首を自分で絞めている。その下で働く、契約社員、派遣社員、パート、アルバイトは、さらに足枷も嵌められている。

直感的にも、何だか日本の社会全体に余裕がない。大きい結果なんてすぐに出るもんじゃない。ノルマだとか、売り上げだとか、目先の利益だとか、大きい結果をあまりにも早く求め過ぎている。本来なら、大きい結果はいうに及ばず小さい結果よりもまずは過程が大事なはずだ。いい写真を撮ること1つにしても、1,2週間じゃすぐ撮れない、最低数ヶ月はいるし、地を這う様な旅をしないといけない。行くまでの準備期間で1年以上はいるし、いい写真を撮って何とか小さい結果は得たとしても、すぐに大きい結果なんて訪れない。それでも、満足行くまでに、過程や小さい結果を何年も続けないといけない。小さい結果だけでは、お金なんて稼げない。死んでから報われるかもしれないし、大きい結果なんて死んでも来ないかもしれない。過程と小さい結果の積み重ねが大事なのは言うまでもない。

自殺者が年々増えているが、後10年後には、今の社会を修正しないと自殺者10万人になりえる。効率性や利便性や経済を多少犠牲にしても、もっと多様性のある社会にしていけばいいのに、数年前から今向かおうとする将来のゴールはもっと大きく外れている。今のままだと弱肉強食社会になり、思想が偏ると共産主義になってしまうが、理想かもしれないがもっと中立的でバランスのいい社会になるゴールがあるはずだ。

働く人はおろか、生きている日本人の顔が見えなくなっている。芸能人だけ顔が見えて、一般の人は見えにくい。いつでも話せる携帯や、いつでも送れるメールが浸透したものの、なかなか緑のボタンなんて押したくない感覚だ。急がしそうで電話を掛けにくい、遠慮してしまう。会社1つにしてもそうだし、社会全体が余裕がない気がする。都会の孤島であり、世界の辺境を旅していてもあまり変わらない。辺境を旅していた方が、生きている実感が沸く。

芸能人でもたとえ一部は顔が見えたとしても、苦労している人は山ほどいる。韓国でも、日本でも、芸能関係者の自殺があまりにも多い。テレビでは一見明るく見えたゴールデンタイムのお笑い芸人でも、朝の看板アナウンサーでも、言えないだけで、恐らく心の闇を抱えたりする。目に見えないプレッシャーがかなりきついと思う。社会全体がお互いに首を絞め合っていることがさらに思い浮かぶし、旅行会社でもカメラマンでも一見華やかな職業だが、実はかなり地味な職業ではあるが、もっと子供に夢を与えられるテレビを舞台にする表現者なのに、訳分からんと率直に思えて来る。それだけでも社会の見えない爪痕は大きい。

社会の荒波を乗り越えるには、まずは迷ってもいいから自分自身を強く持つのと、家族の絆をあらためて理解することだ。共働きで子供がいる家庭でも、精神的にも経済的にも、おじいちゃん、おばあちゃんの存在はかなり大きい。いなかったら、その家族が経済的破綻、人生破綻に追い込まれることだってある。

自分は一人身だが、まず結婚さえもこのままだと出来ないと思う。一生できない覚悟がないと、この食えない職業は続けていけない。まあ、いいんだけれどね。結婚したり、子供がいると、もっと守りに入ることは確かだし、ある意味自由があると思えばいい。仮に旅先で死んでも、一人なら悲しませなくてすむ。武士の様に死ねる。

理解できる人なんてまずいないだろうし、結婚も何でも運も絡んで来る。お金と異性と芸術家なら大衆の支持や結果は、追いかければ追いかけるほど逃げて行く。

60歳までもがいてもがいて、その時一人身だったり、悟ったり、社会に最後の見切りを付けたら、出家するのも悪くない。日本で居心地が悪かったら、タイやラダックなどのアジアの国でもいい。写真家はたとえ落ち込んでも最後まで続ける覚悟だが、そういう心のエアポケットはいる。

自分の撮った写真が、自分の子供だと思えばいい。自分の仮の子供を食わせていけないのに、結婚なんてできるわけがない。もししとったら、自分がびっくりする。

写真って言ったって、年々古いフィルム原版に黴が生えるのは自然の原理だし、良く持ってもポジフィルムなら200年が限度だろう。どこまで色が出るのか、たぶん今の研究者でも分からないだろう。朽ち果てていくのは、当たり前だが、見ていて苦しくなる時がある。

デジタルでも、怖いのは、最後のクリックをしたら、全てが良く分からない3次元の闇に葬り去られることだ。もし3ヶ月の撮影旅に出て、誤作動で全てをなくしたら、自殺もんだと思う。将来、パソコンのウイルスや、ネット社会の戦争みたいなもので、全てのデータが消える可能性はゼロとは言い切れない。自宅が火事になって全焼するのもありえるが、物としてフィルムが見える形で残しておいた方が安心は出来る。

今日は、雨の後、約8キロ走り、懸垂20回、10、20の3種類行い、気休めでシャドーをしたりする。

まずは肉体的にも精神的にも自分が強くならないといけない。まだまだ弱い。

日本に戻って来ても、アルコールはもちろんジュース類は全く飲まないで、牛乳、緑茶、白湯、白湯の後の水しか飲んでない。食べ物も、毎日フライパンで作れる鍋みたいなものと白米、納豆、ヨーグルト、バナナ、ただ微妙に鍋の中身が変わったりするだけだ。野菜だと、今が安いカボチャばかりで、ほうれん草は高くなった、小松菜ばかりだ。それでも、色の濃い栄養のある野菜を選んでいるし、腹に入れば一緒だろ。原理的には、最低限の栄養は取っている、インドにいる時よりもカロリーは高いはず、東京は交通網が発達していて移動の消費カロリーは少ないし。

「贅沢は敵である」写真家であり続けるには変わらない。

もちろん家にいる時は好んで飲まないが、アルコールでも何でも店で出されたものは飲んだり食べたりする。

一部のインド人は徹底しているから、ある意味すごいと思う。

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