犬と少年(2003/カンボジア・シェムリアップ)

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2003年約100日間のタイ・カンボジア・ベトナム・ラオスの旅で出会った少年。

世界遺産となっているカンボジアのアンコールワット遺跡群の1つが通り上にある。

特に指示をしたわけでもなく、少年の一瞬の仕草であり、反射的にシャッターを切った。

心温まる瞬間だった。

by MUTO KOJI

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少年サドゥー(2007/インド・プシュカル) 

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2007年約2ヶ月のインド旅で出会ったサドゥーの格好をした少年。プシュカル祭りと重なる時期でもあった。

力強い目と表情が印象的だった。

 by  MUTO KOJI

訳分からん

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いつも使っているホットメールから直通のブログが半年後使えなくなるとのこと。

自動的に移行できるものに説明通りしたら、訳分からなくなった。

今までの写真も表示されなくなったし、今の所非情に使い勝手が悪い。

それでも撮影旅に出たらホットメールは役に立つので、とりあえずこのまま使いたいと思う。まずは旅先の無事を親や知り合いの方が知ってくれればいい。

良くなったが、なかなかのどの痛みが取れない。すぐには病院へは行かない。

戻ってからの数ヶ月がかなり大変だ。態勢を整えるのに苦労する。実家が地方だと、現像やプリント代が空家賃に消えていく。もっとフットワークを軽くしたいが、重い足枷を嵌めている様だ。

出版会社や編集者は忙しく、出会いたい時に出会えず、運やタイミングも関係して来る。必ずしもいい方向に行くとは限らないし、一人暮らしだと何かしらすぐに働かないといけない。そして、時間がなくなって行く悪循環になる。

もっとダイレクトに真面目に旅や写真に取り組みたいと言う欲が出てくる。

東京に出て来て14年になるが、もっと理想の高い旅や写真を続けるには、

今まで撮り貯めて来たフィルム・写真関係以外を捨てて、人生の全リセット

をする必要があるかもしれない。

創造は破壊から生まれる。

まずは生き続けて行けば希望が見えて来るという信念の元、

前へ進みたい。

土に還れ

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東京を歩いていると確かに歩きやすく買い物もスムーズだし生活もし易いのに
写真のことを考えるとスナップ的には撮るものがない。写真の面白さに欠ける。
1つは土の路上が極端に少ないことだ、隅々まできっちり舗装されている。
アジア圏では日本まで隅々とまでは行かなくて、所々で土が見えたり、
インドに至っては昔ながらの土や砂利道も多い。
歩く際には障害物走の様に凸凹しているが、雨が降れば水溜りが出来て
味わい深くなったり、
時間や被写体によっては昔にタイムスリップした様な幻想に陥る時もある。
 
今回のインドでは病気らしい病気はしなかったのに、
東京に戻って来てのどが少し痛くなった。寒暖の差もあると思うし、
5度目のインドと言っても目に見えぬ緊張感はあったと思うから、
日本に着いて気が緩んだり油断もしたと思う。
インドでは多宗教の為、政治的事件に巻き込まれたり、
旅行者がいる所はどこでもテロの恐怖があるし、ヒマラヤ一帯が
北インドにはあるので自然の過酷さもあるし(何もなければ桃源郷になるが、
いったん自然の牙が剥くと人はどうにもならない時がある)、
急速に発展しているとは言えまだまだ貧富の差は激しく、
ホテル・交通・インフラ・あらゆるレベルがお世辞にも日本の様な
レベルには到達はしていない。
後は言葉の壁があり、どこかでもっと神経を使ったりしている。
時に心地いいが、時にとてつもなく孤独や不安に陥る時がある。
日本に戻って来て波の様に日本語の情報が五感に飛び込ん来て、
安心感と、もっと先の戸惑いも生まれる。
 
市販の風邪薬を呑んだら体調の方は良くなりつつある。
 
やはりインドの撮影旅は手強い。
きれいな服装で行っても撮りにくい写真は多くなるから、
ほとんど日本で捨てるような物を身に付けている。
良くてバックパッカーだが、一歩間違えればホームレスだ。
元からいい運動靴は履いて行かなかったが、
2度爪先が破れ現地の路上の職人さんに縫ってもらった。
(インドには傘直しや刃物とぎやこの手の路上の職人は多い、
日本の感覚だと捨てるレベルでもまた直して使っていく、
真のエコロジーだとさえ思う)
インド行きで何度も使用している眼鏡がもっと埃まみれになり、
レンズは傷付き塗装は剥がれ、もっと傷んだ。
イスラムの街では髭を伸ばし、仏教の街では
丸坊主にした。
結局便利さもあって2回現地の床屋で丸坊主にした。
 
医学的には完治したものの、
風邪気味になると、「結核が再発したか?」
と恐れてしまう。菌の病気は侮れなく、倦怠感や
精神的な上げ下げ、精神的にも入り込んでくる。
一生、これとは付き合っていかないといけない。
時代の病気であり、昔なら沖田総司や高杉晋作や正岡子規が
亡くなっている。
北方謙三さんや、最近ではお笑い芸人の人、知り合いの写真家さんや、
その友人もそうだし、たぶん今の時代でもカミングアウトしなかっただけで
意外にもっと多いと思う。
有名なお笑い芸人の岡村隆史さんも(学生の頃から好きな芸人さんの一人だが)、
インドにいて無期限の休養のことを知ったが、病名は明らかにされていないらしく、
煙草を吸ってたら肺癌などか、案外、何でも頑張ろうとする姿勢や、
人に対してけっこう神経を使っているあたりや、体格・頬のこけ方を
見ていると、結核の気もする。インドにも行っていたらしいから、
インドには患者さんは多いと思う。
岡村さんと高杉晋作の体型はそっくりだ。
人気もあるし、ひどければ飛沫感染の可能性もあるから、
影響力も大きいし、病名は隠す必要も出てくるだろう。
推測です。
 
ただ知って欲しいのは今の医学なら間違いなく半年以上日本の薬を呑めば
ほぼ完治する。それを待っている感もする。
 
僕の場合は、会社員やジャーナリストなら隠すが、写真家としてなら別に隠さない。
 
2007年にインドの撮影旅から戻って、東京の派遣の肉体労働を続けていたらそうなった。
2003年にカンボジアのゴミの山など、2004年に雨季のカンボジア・パキスタン・バングラデシュ、
2005年にインド、2006年もインドと立て続けに行ったことも肺に負担をかけていた原因だとも思う。
本当に丈夫な人や、ある意味無神経な人なら罹らなかったと思うし、
その意味では自分は神経が研ぎ澄まされていると思えばいいし、
一時でも罹った事によって弱さも知ったし、一生レッテルやトラウマになるかもしれないが、
生死の非情さや諦観、生の喜びなどをますます感じる様になった。
写真家としては、決してマイナスではない。
子供の頃から病気一つしなかったのに、やはりインドは手強い。
 
そして、未来だ。2009年にバングラデシュに写真を撮りに行った。
今回、徐々に滞在撮影期間を元に戻して約80日間行ったり、
レーという標高3500レベルの地域を旅した。
これは、旅人として桃源郷と言われていた所や、洪水の現場に行きたいというのもあったし、
一度肺の病気に罹った者が、高い所で酸素が薄くなる所で
どれだけ肉体と精神が持つかの自分の中での試しでもあった。
インドだと誘拐の心配は少なくなるし(それでもあるが)、
レーだと旅先のバランスがいい。
今回は通常の高山病だけで、変な咳も再発しなかったし、
慣れてからは普通だった。
これで将来もっと本格的にトレッキングや、村に入り込んだり、
2004年に行ってずっと気になっているパキスタンや
遥か未来のアフガニスタンへの選択肢も生まれる。
世界情勢もあるし、厳格なイスラムの国は日本人(他宗教・他の国)が
行くとタイミングや運によっては誘拐の可能性も高くなる。
最悪の牢屋に長期間入れられた時を仮想しても、
どれだけ自分の肉体やメンタルの強さやサバイバル能力などがあるかどうかも
生と死の分け目を決めることにもなりうる。
 
大袈裟だが、いったん自分の弱さを知ると、
ますます慎重になる。
 
何でもコツコツと前へ進めばいい。
いきなり高い山へは登れない。

戻ってからの贅沢

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今日は、早速ポジフィルムの現像を出しに店へ行った。以前に働いていて、その後もお世話になっていたシグマラボは
もうとっくになくなっている。まとまったフィルムを出しに行くと懐かしく思う。
 
なくなってからはビックカメラに変えている。値段と現像の質と場所などを考えると、悪くはない。
今度は1本あたり130円ほど上がっていて、痛いがしょうがない。全ての商品と比較しても、
かなりの値上がり率だと思う。シグマラボがなくなったのも分かるし、それだけ需要がますます少なくなって、
デジタルに流れている。現像する所がある限り、まだしぶとくフィルムで続ける。
一眼デジタルカメラを試しに見てみたが、やはりまだ重すぎる。後ろの確認用の画面も
目障りだし、余分なものが多過ぎる。
商売用のカメラなら送信のスピードやパソコンに載せる際の質で妥協するが、
長期の旅に持っていくカメラではない。自分が求めている被写体だと、
持っている時点で被写体が逃げていくイメージがある。
長期の旅と言うのは、情報を削っていく作業であり、デジタルやパソコンを持っていると、
そこら辺もぶれたり、たぶん落ち着かない。
今は、満足できる自分にとっての最高のフィルム原版を撮り貯めていくことしか
考えていない。
 
夕方、銭湯へ行った。2ヶ月以上の撮影旅だと、飛行機が成田へ無事に着陸する瞬間と、
現像フィルムを店へ出しに行った後(引き取る時には少し冷めている)は妙に達成感がある。
そして湯船に久しぶりに入る瞬間は最高の贅沢である。
これがあるから、旅も写真も辞められない。
 
体重計に乗ったら、57キロまで落ちていた。最後のデリーでは自分なりに贅沢したし、
機内食もカロリーが高く、60キロには戻っていると思っていたら、もっと減っていた。
これだと、今回のインドでは移動の後、旅行者用のレストランのない地方の街、レーなどの
標高の高い地域ではどこかで55キロまで落ちていた可能性もある。
大きな病気もなかったし、やはり日本で続けているボクシングトレーニングと、
だんだんと学んでいるウエイトコントロールは役に立っている。
自分の身長だと、フライ級レベルの50キロ近くまで落しても
理論的には大丈夫な計算である。
 
久しぶりの日本食は、日本米とうどんだけでも美味い。インドに日本の様な
うどんの麺はない。普通にスーパーで買っても、麺にこしがある。
インドでも麺ばかりの食事だったが、ちれぢれの細麺か、チベットレストランでも
名古屋のきしめんをかなり太くしたものを無造作に切ったテンタクぐらいだ。
どちらも日本のうどんの様なこしはない。
 
菓子もパンも飲み物も肉の種類も天国の様に多くなったのに、
脂ののった肉は買う気もしない。ささみぐらいがちょうどいい。
 
日本に戻ると、インドと日本の価値があまり変わらないものは、
肉と魚、トイレットペーパー(紙)と、インドから見た外国製のお菓子である。
魚は北インドには高級レストランしかなく、ジャンムーでフィッシュフライの屋台を1つ見かけたが、
マナリーでも魚がいそうな川が流れているのに釣りをしたり、魚を食べる習慣がない。
 
肉は、インドのレストランでノンべジを頼むだけで数十円以上UPするし、
チキンやマトンでも少ししか入っていないことも多い。豚肉・ソーセージ・ハムはほぼなく、牛肉は
ごく一部しかない。
トイレットペーパーは1ロール単位で売っているが、
紙質は悪いのに1ロール約30円~100円はする。日本の方がお得だ。
インドでは流通や、習慣も含めて、肉や紙は贅沢である。
 
インドで250円(インドだと約120RS)のすきやの牛丼があったら速攻で食べると思う。
120RSだと、普通のスパゲティー類(インドではパスタだけでも貴重)か、チキンやきそば+サラダ、タンドリーチキンのハーフぐらいだ。
不思議と日本に戻ると、あまり食べたくもない。
 
初めて知ったが、建築家の安藤忠雄さんは元プロボクサーであり、
4年間アジア、アフリカ、ヨーロッパなどを放浪した経験があるらしい。
戦績を調べたら驚いた、23戦していて、13勝もしている。
今の時代で言ったら、立派なA級ボクサーで、運と実力によってはランカー入りの
クラスだと思う。顔からは全く想像できなかった。
絶対にその頃の経験は、建築家に役に立っているはずである。
ボクシングは体力や瞬発力と、旅は感覚や発想などである。
恐らく遅咲きの人であり、70歳に近いから、
若い頃の鍛えた肉体貯金はあったのだろう。
偉大な人は、経験も豊富だ。
 
もちろん自分は安藤さんにはそっくりなれない。
でも、旅や写真でも、ボクシングやトレーニングでも、何十年も諦めずに続ければ
希望はあるはずだ。
 
60歳からが勝負である。
その為に、今は遠回りでも、信じたことは続けたい。
 

東京へ帰国

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今日の午前中に成田に着き、先程東京の自宅に着いた。
インドへはBGがなくなった今、2007年に引き続き、今回もAI。
帰りは1時間40分遅れだったが、初めて乗った1999年の時よりもだいぶましになっている。
その時は、荷物の扉が壊れていて開いたし、離発着の振動はもっと大きかった気がする。
スチュワーデスの接客は最悪の方だっただろう。
 
今回の遅れは想定内だし、BGに比べたら遥かにましだ。
日本上空は天気が良くなかったが、そんなに揺れていない。
然も今回はパーソナルテレビが各座席に付いていてチャンネルもイヤホンも
グレードアップしているし、座席の間隔も若干広い。
日本往復の便数も増えている。
帰りから既にT3の新しい空港に国際離発着便が
移転されていたし、メトロもだんだんとエリアを伸ばして建設中である。
インドは、未だに貧富の差が激しすぎるが、
そこだけを見ても、経済発展は著しい。
 
自分の中の感覚であるが、その時代にその場所の通りを歩いて
どれだけの物乞いの人がいて、その中でどのくらいの子供が働いていて、
その表情はどれくらい深刻かで、その国の経済レベルが掴めたりする。
専門的・統計学的には難しいが、そんなに外れていないとも思っている。
ハルドワール・バラナシを中心にヒンドゥー教徒の聖地は多いが、
仏教・シーク・イスラムなどの各寺院の前などにも物乞いを生業としている
人達は見られる。以前よりもしつこく食い下がったり・群がる感じではなくて、
ただその場所に待っていたり・鉄の容器に入っているお金も
羽振りが良かったりする。
 
1999年の時は、ニューデリーの駅へ行くだけでもザザッと
何人もの物乞人が一斉に集まって来たり、表情もかなり切羽詰る感じだった。
恐怖を感じたりもしたものだ。騙して来る人達も多かったし、
だんだんと規則正しくと言うか無茶振りもなくなったし、
空港からのプリペイドタクシーもチェックしたりもしている。
 
さすがにインドだけあって未だに騙す騙される悪いケースも見られるし、
完全世界平和を考えるなら、物乞いはなくなっていない。
 
いろいろと考えていくと、非常に泥沼にはまって行く。
 
インドから戻ってすぐは、インドと東京の人の温度差や時間の流れを感じてしまう。
どちらが良いとか悪いとかではなくて(どちらも好きで嫌いである)、
インドから東京に戻ってからの情報量にすぐに追いついていこうとすると、
自分の身を削る危うさもある。人には不向きもある。
 
やることがあり過ぎて、コツコツと前へ進まないといけない。
一人の力には限界がある、が、その力をできるだけ信じるのも悪くない。
旅も写真も続けていくと、なるべくアルバイトなど遠回りをしないで
もっと直接向き合って行きたいとも思えて来る。生きている時間は限られている。
全てを削ったら、生きるか死ぬかである。理想はそうだが、現実は厳しい。
 
まだ遥か先は考えていない。写真だけが全てではないし、
たかが写真であるし、されど写真でもあるが。
まずはボクシングのトレーニングなどを再開して社会と闘って行ける(もちろん直接戦うという意味ではない)肉体と精神に
しないといけないし、理想は兵士やサイボーグの様に逞しく強くならないといけない。
老いや病とも闘っていかないといけない。
 
絵や文章を書いたり、全く方向を転換したロッククライミングや登山というのも
悪くない。でも、最終的には、写真はなくてはならない。狭い視点ではなくて、
もっと広い視点で何かを少しずつでもいいからやりたいものである。
 
インドからの撮影旅はその人次第でボクサーの試合と一緒である。
戻ったら、休養期間、潜伏期間(写真のまとめ期間など)がいる。
一人だと通常のサイクルに戻すまでに体を壊しそうになるぐらい(一度壊したけれど)
焦りそうにもなる。
 
ホームレスになるか、写真家であり続けるか、それぐらいの気概がないといけないのだろう、
自分の中の慎重さや臆病さが上がって来て、旅先ではだいぶ助かることも多いが、
写真家としては年齢もあり守りに入ったりもする。難しい所だ。
 
まずは、今回の撮影旅も無事に戻って来たし(戻って来てしまったし)、旅や写真の神様に感謝したい。
運が悪ければ旅先で死ぬこともある。特に今回は雨季のインドの手強さを見せ付けられた。
先の先のことを読むと、やばい頭がパンクしそうになる。
 
シンプルに言えることは、今の世の中何が正しいとははっきりと分からないし、「まずは生きてればいい。」
「生きとりゃええ(名古屋弁)」

時間

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もう気付いたら今日でインドは最後の日。
明日の朝には東京に戻っている予定である。
 
34歳になってもっと時間が経つのが早い
気がする。
 
時間は大切だし、
自分なりに頑張りたいと思う。

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