最後の砦

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今日は朝ロードワーク、夕方までバイト、その後ジムへ行き全部で18R練習をする。
その内3Rのミット打ちを行うが、応用の長いコンビネーションが難しかった。肺の調子はいい。
 
今月も終わり、今月は18日間ロードワークを行い(トータルで160キロ走り)、14日間ジムへ行く。
ジムへ通う回数は減ってしまったが、だんだん暑くなって来ているので汗をかくし、体重も増え過ぎず60~62キロをキープしている。
 
今までの人生を振り返ると、勉強や水泳や野球や旅行会社などは中途半端で投げ出してしまったし、
少なからず過ちもしてしまったが、
33歳になると、男の意地にかけても続けたいと思うものは簡単には諦めたくない。
 
旅、写真、ボクシング、自分の中では最後の砦だと感じる。
年を重ねていくと、たとえ好きなものでもそれを続けていくのはそれなりの根気と覚悟みたいなものがいる。
好きなことで食べていくのは難しいが、それがやりがいや生きがいだと思うし、
夢や希望や理想は生かせてもらう限りは幕末の志士じゃないが、同じ様な気持ちで今の時代でも捨てない方がいい。
 
ボクシングも一時は肉体的に苦しい時もあったが、今はそれを乗り越えて来ている。
何でも続けるものだと思う。2年前に完治しても、やはりどこかで爆弾を抱えている様で不安は完全には消えないが、
もっとトレーニングを持続することで自信やもっと完全復活したと思える様になる。体力もだいぶ付いて来たと信じている。
 
その時は肺の病気だったとしても、普通の人なら激しいボクシングはそこで諦めてしまうが、
やはりかなり悔しいと思う。一生自分を弱い人間だと思ってしまうのが怖い。
そこを乗り越えれば必ず自信になる。
 
自分の肉体のどこかで駄目な所が出て来たら、最初は薬や医者のお世話になっても、
その後ただ待つだけじゃなくて、逆に鍛えた方がいい。
子供の頃足にひびが入ったこともあったが、ギブスして治して、
怪我や病気をした後は、思う以上にもっと強く逞しくなっている。
高校の野球部でも子供の頃のひびの影響なんてこれっぽっちもなかったし、怪我はしたことはなかった。
 
アジアの旅でも最初はお腹を壊したりするが、旅を続けて行く内に自然と逞しくなって来る。
 
肺などの呼吸器系統も同じだと思うし、
ボクシングを通してますます弱い所は逆に鍛えろ、鍛えろまでいかなくてもいいから負荷を与えろということを学んでいる。
自分の肉体のことは疎かになりがちだが、とても奥が深い。
後、意外なのは、高学歴の人でボクシングをやっている人もけっこういる。
トレーニングは肉体や精神が全てだから、勉強や仕事が出来る人でもそこが一番満足出来ない所だし、出来なければ悔しいし、
老いや病にはどんなに頭が良くても勝てないから、ボクシングをやる理由だと思う。
 
何事にも油断は禁物だが、今週は天気が良さそうなので、
肺や心臓や足腰を鍛えるという意味でもロードワークは続けたいと思う。
 
旅や写真へと続く、最後の砦、夢や希望や理想を追い求めるという意味でも、
ボクシングは続けて体力や精神や瞬発力を維持させて、自分なりに出来る限りの努力はしたい。

プライドや自信

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今日は朝ロードワーク、夕方までバイト、その後ジムへ行き全部で18R練習をする。
その内3Rマスボクシングを行う。
今更言うまでもないが、相手がいるともっと難しい。奥が深すぎる。
呼吸が上がるほどの速いミット打ちもかなりしんどいが、攻撃だけ防御だけならまだましだ。
ボクシングはその兼ね合いが非常に難しい。
踏み込んで打てば、その分相手のパンチが出て来る。
出処を上手く合わせられたりする、かと言って攻めなければポイントを稼げないし、勝てない。
タイミング、ポジショニング、距離感、実戦の経験を積むには、後10年はいると思う。
よく考えれば、同じ様なことは、写真を撮ることにも似ている。
だいたいジャブの腕が伸び切った所が、広角レンズで焦点が合う所だろう。
あまりに近すぎたらピントが合わないし、戦場の様な所だったら致命傷にもなりかねない。
遠かったら、写真に説得力が欠けたりする。
特にボクシングの基本のジャブが、シャッターを押すリズムに近い。
日本では写真をほとんど撮っていないが、
一見無駄でも、写真的にもいい練習になっていると信じている。
 
ボクサーでも、どんなスポーツ選手でも、写真家や他の芸術家や、他の様々な何かしらで表現する者にとっても、
なくてはならないものは、技術以上に精神的なもので、プライドや自信だ。
 
そのプライドや自信はなかなか安定しないもので、常に河の流れのようにたえず動いている。
浮き沈みが激しい。
 
年を重ねていくと、痛みや恐怖やきつさや汚さや貧しさや不安定にもっと臆病になって来る。
もっと世間体を気にしたり、もっと守りに入って行くに違いない。
 
写真家でも、不景気もあるし、なかなか写真で発表出来る場がますます少なくなって来ている。
写真家は写真(作品)で社会と繋がったり、それが自信に繋がったりするから、
写真作品=自分の投影と考えると、発表できないと、プライドや自信が極度に失われることが、
ずっと続くということになる。
 
大部分の空白や充電期間に何をやっているかと考えれば、プライドや自信を取り戻す作業も
必要になって来る。なければ、ずっとフェードアウトしてしまう。
 
今の時代のアルバイトや一般的な仕事は、自分の顔がもっと見えないしプライドがもっと削られる、
ボクシングで、きついけれどプライドや自信を取り戻せる。
練習の後は、実に晴れ晴れする。
 
ボクシングは自分や社会への抵抗と繋がりだ。
楽をしたければ、全く動かないで寝ていればいいだけの話しだし、
重力や空気に抵抗してシャドーしたり、自分の過去を振り払ったり現状に悩んだり、興味がない人から見れば別にもがいていると見られていたとしても、
いろんなものから抵抗していることは間違いない。
 
ただ言えることは、自分や社会の可能性を信じている。

トレーニング

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今日はバイトは休みだったので、
朝11キロ走り、懸垂を普通に30回、左右交互にあごを持って行き20回、逆手に持ち25回、最後に普通に戻し15回行う。
インターバルを2分それぞれ置いて乳酸が溜まる限界までやる。最後の方はほぼ無理に近い。
 
夕方ジムへ行き、全部で19R練習をする。その内3Rマスボクシングを行うが、最後の1Rの途中にコンタクトレンズが
当たった瞬間にぽろりと落ちる。今一番欲しいものは視力だろう、つくづく目が悪いと準備がめんどくさかったり、
良ければもっと思いっきりやれるのにと思ってしまう。
写真家にとっては目と足は命の次に必要なものだと思うから、
ボクシングにおいてフルコンタクトができないのも、どれもこれも結果オーライと
受け入れるしかない。お金もないのに下手にレーシック手術を受けて将来変な病気になるのも、
たとえ良くなってガンガンスパーリングができても打ち所が悪くなって目の怪我になるのも
ちょっとリスクがあり過ぎる。
 
年齢だとすでにプロにはなれないし、
トレーニングや生きがいの1つとして、写真家としてはこのぐらいがちょうどいいと思う。
ボクシングでもっと欲が出すぎると、本業としたい写真家としてただでさえ回っていないのに、
もっといっぱいいっぱいになるに違いない。
ボクシングと一時ならいいが、一生離れたくないのは今の所確かだ。
 
ブログというものは、興味があることしか書けないし、だいたいみんな同じ様なことを書いてしまうが、
もし10年先ぐらいにでもまだ残っていたならあの頃何をしていたのかを振り返るのも興味深いと思うし、
くどいし、他者から見たらウンザリすると思うが、
トレーニングの内容を記したいと思う。

かっこいい生き方

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今日はバイトの後、ジムへ行き、全部で18R練習をする。
いろいろと忙しかったので、中5日空いた。
久しぶりにボクシングの動きをすると、ストレス発散になったり、
きついけれど、生きがいを感じる。
 
バイトだけだと自分の顔が見えないし、写真だけに籠もってしまうと
下手したら鬱になると思う。パワースポットと言うか、もう1つの
趣味も持った方がいいし、できれば体を動かすものがいい。
 
ひょっとしたらボクシングと出会っていなかったら、
もっと早く旅や写真を辞めていたか、もしくは体を壊して止めていたかもしれない。
かなり不安定だが一応ここまで続けられているのも、人生や写真で思う様に上手く行かなくても、トレーニングをして気や
肉体を取り戻したり、自分を見つめられているからだと思っている。
 
一生作品だけで食べていくなんて今の世の中ほとんど不可能に近いと思うし、
気長に待つことも時には必要だと思う。徳川家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
は3人の武将の中では一番好きだし、そういう心境は大切だと思う。
 
できればと言うか意地でもボクシングはできる所まで自分のペースでもいいから、
一生続けたい。剣術にも興味があるが、まだまだ武器を持たないボクシングでさえも満足がいってない、
思う様に動けなくて悔しかったりする、やればやるほど奥深い。
 
もうほとんどドロップアウトした生き方をしている。
今の時代、特に正社員でなければならないとか、流行の職業に就いたり、お金はある程度欲しいけれどお金持ちにならなきゃいけないとか、
それはその人の性格であったり、何を生きがいとするかであって、大多数に合わせる必要はない。
無理をし過ぎて、心身ともに疲れ果てて自殺をしたり、コントロールが利かなくなって法に反して人に危害を加えるよりも遥かにましだと思う。
それぞれの人の生き方というものがある。
日本人が正解だと思っている常識は、いったん世界へ出れば全く通用しないことだってあるし、
知識や世間体や名声なんて通用しないことだってあるし、例えばインドへ行くとまずまっすぐに歩けない。
まっすぐに歩こうと思ったらオートリキシャや牛に轢かれるだけだ。残っているのはまずは自分の肉体と精神と、
後は五感や本能や知恵みたいなものだけだ。新聞で学んだ知識よりも、ボクシングで学んだ本能や知恵の方が
役に立つ。下手したら、生きるか死ぬかの世界だってある。
フリーの写真家だったら、格闘技を続けた方がいい。
 
別に一生安定した生活を送らなくてもいいから、(体を壊したらその時は一時でも安定した生活をしたいが)
かっこいい生き方をしたい。
 
病気や怪我も1つの経験や勲章だと思わないと、
一生写真家ではやっていけない気がする。
 

古写真の魅力

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東京都写真美術館へ行って「侍と私」を見に行く。
今は強い写真に惹かれているので、それしか見なかった。
その後、図書館へ行っていろいろと読む。
 
写真は時間には勝てない。時の流れほど説得力が出るものはない。
ありとあらゆる写真が出尽くした中で、どんなに斬新な発想でも、今の時代のどんなに優秀な写真家でも、
古写真・古写真を撮った写真家(大先輩に当たる?)に勝るものはいない。
幕末の写真に思わず見入ってしまう。
130年~140年ぐらいに撮られたものを見ていると、自分の無力感さえ感じてしまう。
それでも写真は歴史が浅いのだから、絵画や千年単位で古い壁画と比較すると、
写真の存在さえも考えてしまう。
見直すことで、少しでも未来の道へのきっかけになればと思っている。
昔の日本や原点の写真を見た方が、役に立つ。
木村伊兵衛や土門拳もこの人達には敵わない。
 
上野彦馬・その弟子の内田九一、下岡蓮杖、Fベアト、スティルフリード、ナダ-ル、
いずれも魅力的な写真を撮っている写真家だ。作者不詳でも時間を閉じ込めているから
いい写真は多い。
 
坂本龍馬の写真で有名な上野彦馬だが、個人的には、昔の桂小五郎の座って剣に手を置いている写真、
昔の高杉晋作の髷を結って剣道着を着て竹刀を手に置いている写真の方がかっこいい。武士の威厳が出ている。
 
恐らく幕末を経て明治になって少し落ち着いた頃の木戸孝允(昔の桂小五郎)、高杉晋作の写真は、
どこか不安気で気が抜けている。革命の時の、貧しいこと、若いこと、無名であることや、
洋服よりも日本の本来の姿の方が生き生きとしている。
 
内田九一は明治天皇を撮った人だが、32歳で肺結核で亡くなっている。もし、自分が同じ時代に生まれていたら、
現代の様に良く効く薬もなかっただろうし、同じ歳で亡くなっていたかと思うと、とても感情移入してしまう。
 
下岡蓮杖の晩年の写真はまるで哲学者やインドで良く見るサドゥーの様だ、アジアの奥へ行けば見られる顔だが、
今の日本ではまずいないお年寄りの顔。写真家は撮るものや撮り続けることで顔が被写体に似てくるのかもしれない。
憧れが、作者に乗り移って来るかの様だ。リングを捨てれば、現役でなくなれば、のほほんとなるし、
今の写真家も少しは当てはまる。
 
何で武士みたいな人に惹かれるのかと思ったら、昔の甲冑、鎧、兜、紋付袴などが
今でいう民族衣装そのものだ。昔の日本の民族衣装は素直にいいし、かっこいい。
日本人の体型にも合っている。
兜なんか、見方を変えれば、少数民族のアカ族の衣装と似ている。
その国の民族衣装は素晴らしいと思う。
 
僕が旅をしているのは、理想の人物を探しているとも言える。
 
昔の日本を今のアジアに置き換えて旅をしている部分もある。
日本の古写真でも100年以上経って価値が出てくるのだから、
これからもずっとアジアを撮り続け、仮に保存状態が良かったとしても、2110年頃になるという
途方もない計算が出て来る。間違いなく俺はいない。
 
旅をしていたり、撮る瞬間に生きがいも感じているから、
遥か未来のことは考えてもしょうがない。
 
死んだら、この世の終わりであることは間違いなさそうだ。

清里レセプションに参加

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今日は2009年度清里ヤングポートフォリオのレセプションに参加をして来た。
2年ぶりで5回目になる。
早めに行ってその時の展示内容をチェックして今の所全て参加している。
 
久しぶりだったが、いつもの事ながらいい刺激になるし、励みになる。
写真家はほぼ個人活動なので、撮っているものは違えど志は似ている他の写真家さんの
話を聞くと勉強になる。どうしても自分に籠もりがちになる中、新鮮な空気を取り入れられる。
 
改めて清里の存在は有り難いと思う。写真という分身の1つが清里フォトアートミュージアムに半永久的に
収蔵されているのはとても心強い。何とか写真家を一生続ける覚悟だが、信じればあの時の作品は2,30年後に生きて来ると思う。
仮にこの先旅先で不幸があったとしても、分身はいい場所でいい状態で眠っている、
いい意味でも悪い意味でも世の中は何が起こるかはっきりと分からないから、
生きていても早死にしてもどちらでもあの時の閉じ込めた情熱は生きて来る。
あの時の時間は決して無駄ではない、そう信じればいい。
 
35歳まではもう2年しかないし、年々競争が激しくなっている様に思うが、
迷ったら道を信じればいい。
 
いつも反省するが、文章にするとまだ分かりやすくなるが、
表舞台に立ったり、人前でしゃべると、どうもしどろもどろになっていた気がする。
やはり営業は向いていない。不向きも長所になる場合もあるし、
清里はプロボクサーで言ったらその時のスポンサーであると思うし、
たとえ上手く話せられなくても、参加し、不器用でも感謝の意を示すことに
意義があると思う、そう思う様にしている。
 
バングラデシュの写真家の作品の多くを見られたことも収穫だった。
アプローチの仕方はそれぞれ微妙に違っていても、大きく区切れば、
素人から見ればそんなに大差はないと思う。
 
後は、いかに続けて続けることで個性を見出したり、
差別化を計ることだと思う。
 
写真家が浮き上がってくることが理想だ、分かっているが、非常に難しい事だ。
頑張ろう。そう思えただけでも貴重な時間と空間だった。

2010年ワールドカップ

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もうすぐでワールドカップなのに、今回はいまいち盛り上がりに欠けている。
 
開催国が南アフリカなのが、1つの原因だと思う。
 
でも、本当にサッカーが好きだったら、多少危険な場所でも行くと思う。
テレビのコメンテーターでも日韓やドイツではあれほど語っていたのに、
南アフリカと聞いた途端に今回は見に行くのを辞退している人もいる。
何か納得できない。
 
今回の代表選考もいまいち。
松井の変わりに、小野伸二を入れて欲しかった。サッカーの天才は小野しかいない。
ゲームを組み立てる中村、本田、小野の3人だと相性があまり良くないから、小野は省かれたと思う。
どうせ勝てないなら、見ていて楽しい小野の方がいい。稲本・小野は相性もいいし、何かやってくれそうな気がするのだが。
 
今野は地味だがいぶし銀でいい選手だと思う。今回で期待したいのは、大久保。
何かやってくれそうな気がする。それにしても、大久保にボクシングをやらせたら、世界ランカーぐらいまで行くと思う。
瞬発力と、精神面がずば抜けているし、タフな選手だ。
 
アジアの中でも、日本が入っているリーグが一番強敵。オランダは言うまでもなく、デンマーク・カメルーンもかなり強い。
 
優勝はアルゼンチン、2位ブラジル 3位オランダ、ダークホースがメキシコと予想したい。
ブラジルはロナウジーニョが選考に洩れて残念だが、ブラジルの選手層の厚さと底力と本番の強さはすごい。
メッシかC・ロナウドの大会になると思うが、ポルトガルはブラジルと一緒のリーグなのが悲運だと思う。

発表する場

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今日は朝10キロ走り、懸垂32、20、24の3セット、夕方までバイト、その後ジムへ行き全部で19R練習をする。
懸垂も地道に続けていたら、一度に30回は出来るようになった。地味な持久筋が付いている様だ。
ボディービルと違い見せる筋肉ではないので、服を着たらかなり着痩せするが、数年前よりも締まった気がする。
年も年もなので、ちょっと油断したらすぐ太るので、気をつけないといけない。
ボクシングのシャドーやサンドバックだけでも、頑張れば余分な肉を削ぎ落としていると思う。
ボクシングトレーニング様々だと思う。
 
先程テレビで内山さんの世界防衛戦を見た。
叩き付ける感じの強烈な右フックは素晴らしかったと思う。階級は違うし、内山さんはオーソドックスなスタイルだが、
長谷川さんみたいに力強い選手だ。まだ30歳だし、これからも防衛を期待できると思う。
長谷川さんは前回残念ながら負けてしまったが、西岡さんと言い、今回の内山さんと言い、いぶし銀と言うか、
地道な選手は強い。
 
何で世界の頂点に立って防衛をしているのに、スポーツ番組でも一瞬だし、特集のドキュメンタリーではボクサーは少ないし、
こんなに世間全般の評価が低いのかが納得できない。
 
プロボクサーの試合では、闘う本人が自分のチケットを売ったりする。それこそまとまったお金がなければ、どこかで借りるかで
買っている人もいると思うし、それだけでも人生を賭けているし、人生の一大イベントだと思う。
プロ野球とかと1試合の重みが違う。プロライセンスを取っても、1年間に一度も試合を出来ない人もいる。
インタビューでも、「もっと強くなりたいから」、とても潔い生き方だと思うし、下手な政治家よりも人間的に深いと思う。
顔が物語っている。
 
プロボクサーの1試合が、写真家の発表する場に似ている。そうすると、入場は無料の所が多いが、
写真家の個展により近くなる。
ボクサーは筋肉や技術を貯めているが、写真家は写真を撮り貯めている。
どちらも本格的に取り組もうと思ったら、自己投資がいるし(ボクサーなら毎日プロテインを飲んだり、筋トレのジムと掛け持ちしたり、
写真家ならそこそこの性能のいいカメラはいるし、個展をしようと思ったらかなりかかる)、
いろいろと大変だ。
 
時代が大きく変わらなければ、地道な活動だと思うが、
そういうのも潔いし、有りだと思うし、芸術と言うか本当の表現なのだと思う。
自分のやりたいこと、表現したいことに、悩みながらまっすぐに進むこと。
 
1年に1度でも長期の旅に出るということも、試合なのかもしれない。

個人商店

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今週は朝4日走って、夕方3日ジムへ行く。以前よりもジムに通うペースは落ちたが、バイトのコマも増えたので、
体と精神のバランスを保つのにはちょうどいい。今のままで5,6日通おうと思ったら、体を壊すと思う。その分走りたいと思う。
今日は銭湯へ行って1時間ぐらいゆっくりする。
田舎の温泉へ行くことがあったら、2,3時間は粘れると思う。
 
幾つも気がかりなニュースがある。
●平和だと思われていたタイがまた緊迫しつつあり、場合によっては市街戦になる可能性もあるとのこと
●以前にアフガンで誘拐された日本人ジャーナリストの消息が気になる
 
そして、身近なニュースだが、今住んでいる街は10年経っているが、ずっと存在していた写真屋さんが
6月で閉店してしまうとのこと。利用したことはあまりなかったが、
場所は違えど作業は似ているので、気になっていた。よく続いているなあと思っていた。
その写真屋は個人商店なので閉店ということは倒産と同じだ。
 
ネットで見かけたが、横浜の写真館の閉店が相次いでいると言う。
デジタルの波に付いていけなくなったと言う。
 
写真関係でも、チェーン化したり、展開を速くしていかないと、世の中に太刀打ちできなく、
どんどん味わい深い個人商店が潰れていくのが残念でならない。
 
今はあまり詳しいことは書けないが、今やっているバイトもフィルムの現像・プリントはだいぶ減って来ていて、
デジタルプリントがほとんど。それでも、アナログは完全にはなくならないと思うが。
時間が解決してもっと見直されることを
期待するしかない。
 
写真家という存在も個人商店と同じだ。
チェーン店や大手だけが生き残り、様々な職業や、フリー、個人商店、中小企業などが
どんどんなくなっていく社会であってはならない。不景気になると、末端から潰れて行く。
多様性のある社会になって欲しい。希望なのは、一人、家族、仲間という少人数なら
舵取りが利く。一番つらいのは専門分野もあると思うが、中小企業だろう。
 
アジアに行くとその街や村のバザールには必ず行く。旧市街には惹かれる。
 
バザールでの人間模様が奥深い。今の時代の東京だと祭りになればまだましだが、もう見られない。
 
物売り・物乞い・肉体労働者・大道芸者・旅人・脇を固める様々な個人商店は言うに及ばず、
よく考えればほぼ個人商店で成り立っている。
 
個人商店のパワーと魅力である。

悲観的楽観論

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「後、何日生きられるのか?」時にそんなことを考えてしまう。
なるべく楽観的に物事を考える様に努めるが、今の世の中を交錯させると、悲観的になったりする。
 
アジアに惹かれ旅を繰り返しているが、仮にラテン系の国々に惹かれていたら、もっと楽観的になっていたと思う。
アジアは常に影も付き纏う。リゾートではなくて四季があったり、冬は寒い地域であったり、
イスラムの国々へ訪れると、もっと感じる。
 
譲れないがかろうじて写真を続けていることも何だか背中に写真という使命を背負っている感じがするし、
旅に出て12年になるが、10年間以上同じことを繰り返すと、いろいろな壁にぶち当たり楽観的ばかりでいられない。
これが後20年も続ければ、もっと開き直れると思う。
今が踏ん張り時だ。
 
ボクシングは6年間続けているが、何でしぶとく続けているのかと考えたら、トレーニングにもなるし、
ボクサーと写真家は似ているし、本能的にいいと感じるし、
いろいろな理由がある。
理由の小さな一つの中に、どうしても理解したいというか、引っかかっていることがある。
一ノ瀬泰造と三島由紀夫の劇的な死に方だ。不謹慎かもしれないが、男はどこかでそういう潔い死に方に(臆病で出来なくても)
憧れはあるし、ほぼまっすぐに何で死を選んだのかが少しは分かりたい。
 
一ノ瀬泰造さんは、若気の至りというか、若すぎた。26,7、8歳の時というのは、時に無謀なことをする。
自分を振り返ると、28歳の時にアフガンのタリバンが支配している地域へ入ろうとした。結果的には思い止まって回避したが
上手く説明できないが、どうしてもその年は入りたかったし、挫折したら一生後悔する気がした。今思えばあの時の選択は間違っていない。
結果的には死に至ったとして第3者がそれを否定することはできないし、一ノ瀬泰造さんがプロボクシングのライセンスを取って、
その時辞めなくて何試合でも経験していったら、恐らく踏みとどまっていたに違いない。ライセンスを取ったばかりの人で数試合しか経験していない人は、
自分の力を過信する場合もある。長くボクシングを続けてもっと強い人がいることを知ると、自分は臆病だと気付く。
 
三島由紀夫さんは、頭が良すぎた。東大まで出る人は、社会に貢献したりいい方向に行けばいいが、突き抜けて稀に間違った方向に
行く場合もある。肉体派の作家だが、恐らくボクシングはそんなに続けていないと思う。ボディービルがメインだと思うが、
ボディービルは相手がいない為に、極端なナルシストに陥る場合がある。切腹なんてした比較的新しい作家なんていないと思うが、
何で腹に突き刺したのかと言ったら、「自分を神」まで高めたのだと思う。国のことも考えていたと思うが、突き抜けて
自分が一番強いと思想を支配したのだと思う。
もし、ボクシングなど、相手がいる格闘技などで練習を続けて自分の肉体や精神の衰えをもっと感じ自分の弱さや臆病をもっと知り、
もっと強い人はこの世にたくさんいると知っていたら、恐らく踏みとどまっていたと思う。
 
人には、生き急ぐ人と、一生安定した生活を送りたい人がいる。
どちらも人それぞれだし、否定は出来ない。
 
じゃあ、自分は?と考えたら、何とも言えない。
どちらかと言ったらもう普通の生活には戻れないし、今のままだと生き急ぐ方だし、年齢もあると思う。
それまでの境遇や、その人の年齢によって、運命やタイミングも絡み、
結果的にそうなることもあるし、今は何とも言えない。
 
ただ悲観的になりながらも、楽観的に生きたいと思っている。
 
今日はジムへ行って、全部で20R、その内3Rマスボクシングを行う。
強くなると思ったら、数年前よりも技術は上がっていると思うが、
だんだんと臆病になっている。
 

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