今日は朝10キロのロードワーク、午後持ち込み、夕方ジムへ。
全部で19R、その内2Rのミット打ちと3Rのマスボクシングを行う。
ミット打ちとマスの流れはかなりきついが、数年前は体力が持たなかったと思うし、
かなりの持久力が付いて来た証拠だと思う。
ただボクシングの体力は付いて来たものの、肉体的なアルバイトを長時間やれば年相応の疲れが出て来るし、
フリーター、写真家、ボクサーを行ったり来たりすると、33歳とそんなに若くはないし(立派な中年層だと思う)、
切り替えるのに、精神的にも体力的にもエネルギーがかなりいる。
ボクシングでも続けている人は分かると思うが、最初はファイティングポーズもジャブを連打するだけでも、
普通の生活では使わない筋肉を使いかなり地獄だが、数年経つとだんだんと筋肉も慣れて来る様になる。
シャドーがヨガの様に(ヨガよりももっと激しいが)、疲れながらも心身とも自由を感じたり、自分を見つめたり、
ストレスを発散出来る。
何でも慣れだと思うし、好きだったらとりあえず続けることの大切さを実感する。
つくづく写真の営業活動は向いていないと思ってしまう、別の意味でつらい。汚れた服装でアジアを旅したり、現場でカメラをぶら下げて写真を
撮った方がつらくても気が楽である。旅行会社にいた時は販売はもちろんしていたが、天職だったら辞めていないと思うし、
写真家には転向していないと思う。どこかに職人気質があるから写真家をやりたかったし、写真家には営業活動は確かに必要だが、向き不向きは誰でも存在するし、
時には無理することもあるが、自分のペースで営業活動をしてもいいのではないかと思う。
数年前は持って行くだけで即いい話になったこともあったが、ここ1~3年はいろんなことが噛み合っていると思うし、
雰囲気はいいのだが、即決断という訳には行かず、恐らく会議や審査や今後の方針などで幾段階のクッションがある。
一番の理由は、(自分の写真の反省をした上で)業界自体の不況だと思う。コストを抑えるならわざわざフリーランスに頼まなくても、
自社の編集者が何でもやれるし、(会社の存続まで危うい場所なら)業績を残すなら長時間も会議を踏まえた上で
もっと実績のある今波に乗っている写真家や有名な写真家を選ぶと思う。
様々な会社があるが、どちらかと言えば暗いドキュメンタリーはもっとハードルが高くなる。
ドキュメンタリーはなくなってはいけないと思う。写真でも多様性のある世の中が一番理想だと思う。
波というのは人の感覚と同じ様に常に変動するし、5年、10年先までは分からないということだ。
写真家はあまり気にしないで自分の信じた道を進めばいいのだと思う。
自分の写真だけで食べていくのはかなり難しい。見方を変えれば、写真家活動はボランティアと思えばいい。
欲が出すぎると何でも逃げて行くし、無欲の勝利もありえる。最初の頃はもっとそうだった気がする。
ただ自分が感動した、いい写真を撮っていた。
写真なんて無報酬同然だと思っていたし、つらくなったらその頃の気持ちを呼び起こして旅や写真を続けたい。
タイプは違うが、昔の戦場カメラマン一ノ瀬泰造さんだって、あれだけ命を賭けながら前後のコマを切り売りして僅か5千円ほどだったと記憶している。
もっともっと恵まれている。
結局は、自分が写真家としてどう生き続けたいか、趣味の延長やボランティアと思えば肩に変な力が入らなくていい。
以前は「自分はプロだプロだ」と思っていたが、実際はどんなに頑張っても自分の力だけではどうにもならないことは多いし、
運やタイミングなど生きている以上いろんなものが絡んで来る。
体を壊してまで長期の撮影旅と肉体労働の連続で獅子奮迅の動きをしたこともあるし、だんだんと悟って来る。
本当にプロボクサーと生き方が似ている。プロボクサーは1試合の重みが違うし、プロテストに受かるだけでも時間はかかるし、かなりつらそうだ。
まずプロテストに受ける前に脱落する人は多いし、頑張ってプロテストに受かっても、1試合もしないで辞めていく人は多いし、年単位で試合を
していないという人もけっこういる。ボクシングだけでは食っていけないし、生活に追われてリングに上がれない人もけっこういる。
その中でもまずは自分を信じて、(家族や周りを少しでも信じて)コツコツと練習に参加して、影で努力をし続けてかつプロモーターという運やタイミングも
かかって初めて試合が出来る。プロは原則週5,6日通うことになっているが、用は技術も体力も精神力も筋肉も磨き続けないといけない。
それだけ頑張ってもファイトマネーは高くはないし、世界チャンピオンまでは遥かなる道のりだ。
プロボクサーは常に陰が付き纏い、陽の目が当たったり大衆の人気を得るのには世界チャンピオンになりなおかつ運も絡んで来る。
それでもプロボクサーは誰が何と言おうが続けるし、別の次元で闘っているし、それが人間の生き方ややりがいに繋がっている。
格闘技をやっている人は見ていると器が大きいし、社会の最悪の状態の時でも、「俺はいいからお前が先に行け」と言いそうな気がする。
まだまだ器は小さいし、そうなりたいものだ。強ければ強い人ほど器がでかい。
写真家に置き換えれば、まずはコツコツと自分の写真を撮り続けることが大切だと思う。
ボクサーも写真家も積み重ねが大事だし、ボクサーの重みのある1試合が、写真家であれば個展や写真集やなにかの賞に当てはまる。
たいてい2,3度ぐらいではすぐ忘れ去られてしまうし、そもそもテレビや映画やゴルフやフィギュアスケートみたいにメジャーな競技ではない。
常に陰が付き纏う。
栄光と挫折を繰り返しながら、一生を通じて
写真の中での(定義がかなり難しいが)世界チャンピオンに繋がる。
たとえ道半ばで破れてしまっても、人生に後悔はないと思う。プロボクサーと一緒だ。
自分の人生を振り返ると、運が悪ければ3度は死んでいたと思うし。
誇れることだが、かなり運がいい方だと思う。
それも肝に銘じていろいろと動き出したいと思っている。