今日は、朝11キロ走り、夕方ジムへ、全部で21R練習をする。
その内トレーナーと6R、マスボクシングとミット打ちを行う。
両方やるとミット打ちの最後の方、その後のサンドバック、
かなりしんどくなる。
 
写真家、ボクサー、フリーター、人生で3つも貴重な疑似体験していると思えばいい。
残業が続く会社員や、フリーターだけだと、一定の収入は得られるが、
人生がもったいない。確かに撮影旅でも、最低限の生活でも、お金はなくてはならないものだし、
その有り難味や働いたりお金を稼ぐことの大変さや大切さは分かっているが(貧しい地域を旅したり、時給制で体力勝負のバイトを続けるとより分かる)、
お金だけでは得られないものも絶対にある。
 
写真家は表現者の端くれであり、表現者にとっては、本当の人間とは何なのか、
人間の本性、生きるとは何か、肉体と魂とは、生と死などの普遍的なものを追求するのが、
最終目標である。
 
まだまだまだ程遠い、と言うか、写真の技術的なものもあるし、なるべくなら加工しないで写真は非演出のスナップという
古い考えもまだあるし、写真は被写体、他者がいなければ写らないし表現にならないし、
自分の性格上、引いてしまったり譲ったりする鬼になれない部分もある。
もっと若い時は多少横着に撮っていたが、年を重ねて行くとだんだんと行儀良くなって来る。
自分だけというよりも、人間一般に言えることで、人は老いには勝てなくて、
世間の目がもっと気になったり、ある程度の安定した居場所を求めたいし、
できれば痛いのも恐怖も嫌だし長く生きたいから、もっと守りに入ってしまう。
体力的な衰えや病気も1つの要因だと思う。
 
それらを踏まえた上で、トレーニングを続けていくことで体力を維持し、
旅や写真は続けたいと思っている。
自分の撮りたいものは、旅を続けていく内にだんだんと決まって来る。
旅や写真は足と目がなければ始まらない。
自分の理想を求めるのが完全に無理だと判断したり、
足が動かなかったり、目が見えなくなったら、写真とはおさらばしたい、
と言うか必然的にドクターストップになっている。
写真ではなくて、創造の絵なら気持ちのバランスを保てる部分はあるし、
寝床でも出来る。その時は絵に走るかもしれない。
祖父は絵をやっていたし、DNAは流れている。
 
とは言え、まだまだ33歳で若い。
足も動ける。
何とか限界まで、満足がいくまで旅や写真は続けたい。
 
個展は今の所、見限っている。
少なくても1年以内はなさそうだ。それ以降は分からない。
期間も短いし、こんな忙しい中足を運ぶ人もそんなにいない。
自分の写真は企業向けではないし、
発表の限界もある。時代が、社会全体がドキュメンタリーと言うよりも、
ファインアート、心象風景に傾きつつある。遠い将来は分からないが。
規制も強くなりつつあるし、日本での自由なスナップは失いつつある。
ドキュメンタリー的な写真の表現には向いていない。
10年前は良くても、とりあえず今は厳しいと言わざるをえない。
 
体を鍛えながら、自分をも見つめながら、
次回の撮影旅に切り替える。
 
もっと最終目標で、人生で一冊でも、
半永久的に残る、足跡を残していたり、時代や社会に斬り込んだりもする、
かっこいい写真集が出来ればいい。
 
本当のもの、最終目標なんて永遠に届かないかもしれないが、
「かっこいい」も僕の中では1つの理想であり、
かなりの誉め言葉だ。
 
写真家であるなら、写真を撮り続けないといけない。
 
時には悩んだり、考えたり、悲しさやつらい思いを感じながら、自分のふがいなさを反省しながらも、
人生は楽しんでいきたいものだ。