作家像

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今月ももう終わり。
今月は、ロードワーク21日間と、16日間のボクシングジム通いを行う。
ロードワークは、全部で216キロを走った。
年始からの運動は遅かったが、上出来だと思う。
忙しくなると、朝走って、夕方や夜のジムのサイクルはしんどくなって来る。
両方を経験していくと、将来どちらか一方の運動だけになっても、
肉体の感覚で覚えているし、決して無駄ではない。
 
ブログは日記だから、「あの時どんな所を旅していたのか、どんな動きをしていたのか、
どんなことを考えていたのか」が分かればいい。
 
バガボンドを少し読んでから、吉川英治の「宮本武蔵」全集にはまっている。
自分なりの「宮本武蔵」像はそれなりにあったが、断片的なもので、
久しぶりに昔の作家さんの大作を読むとまた新しい発見がある。
 
宮本武蔵から、作家の吉川英治さんにも興味が出てくる。
昔の作家さんは今よりももっと苦労している。「様々な職を転々として」と
あったし、経験は絶対に作家活動に生かされている。よほど精神的にも強かったと思う。
作家本人を、「宮本武蔵」に投影させている部分も多いにある。
 
じゃあ、自分は?と聞かれたら、自分は自分でしかない。誰も変わりに生きていくことはできない。
 
旅や写真を続けていくには、今もそうだが、これからも職を転々としていかないといけない。
学生の頃から数えていっても、一日だけのバイトを含めたら数え切れない
 
吉川英治さんが小説の道、宮本武蔵が剣の道、御坊さんは禅の道、ボクサーは拳闘の道、
同じ様に、写真家も写真の道だ。
 
今は戦国~明治、古き良き昭和の様な時代ではない、日本諸国を渡り歩いてもいい写真は撮れない、
世界を渡り歩くことだ、どんなに進歩しても良さが依然として残っている地域もある。
日本でも、戦国の世にタイムスリップしたら、それこそ写真冥利に尽きる、
しかし物理上不可能だ、写真家が飛行機で飛んで実際に歩くしかない。
 
今のアフガンでも、今という時代でさえも戦国の世の様な印象を受ける、
実際にすぐ行くというわけではないが、遠い将来に渡っても1つの希望でもある。
カメラで斬っていく、写真で写し撮っていく、のは写真家の1つの思想であり、仕事である。
何もかもに進歩していって、情報が増えて行き、大多数に流されていくと、
昔からの写真家の基本や希望を忘れそうになる。
 
「俺は写真家版、宮本武蔵」だと思えばいい。
昔の武士の様な気持ちになれば、強くなれる。
 
悩んで悩んで、トレーニングや様々な職も経験していって、旅や写真を撮り続け、
60歳ぐらいでも、五輪書の様な写真集や写真詩集が出来ればいい。
 
こんな不安定な生活を続けていったら、60歳ぐらいで何かを悟れる。
それまでにきっと「これをまとめろ!」と神からの直感の様なものも閃くに違いない。
 
剣も強くて、芸術もできる、やはり宮本武蔵はかっこいい。
まさしく、作家そのものだ。
そんな人間に憧れる。
 
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今週のトレーニング

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今週は、朝6日間のロードワークと、夕方5日間のジム通いを行う。
 
今週だけで、66キロは走った。
1週間で70キロを走ろうと思ったら、けっこうしんどく思えて来る。
世の中にはランニングのつわものも多いと思うし、
まだまだ及ばない。
 
トレーニングを続けていると、もっともっと臆病かつ大胆になる。
 
ボクシングに必要なのは、重いバーベルを上げる筋肉よりも、
むしろ体幹の方だろう。
ゴルファー、野球のピッチャーが放つボールの様に、
強い体幹から繰り出すパンチは、強く重くなる計算だ。
無駄な筋肉はかえって邪魔になるし、
体全体のバネを使っている。
 
やはり一番いいのは、まずは走ること。
懸垂、腕立てをすることだ。
とてもそこまで追い込めないが、神社の階段を駆け上がったり、
時間がないからできないが、登山も有効だと思う。
 
お金や、異性、写真の審査までも時に裏切られるが、
トレーニングは裏切らない。
何よりも自分の肉体と精神のことだし、
頑張ればその分力が付くし、怠ければその様になる、
自業自得である。
もちろんあくまでも自己満足の部分は消えないし、
そこから何かしらの表現をしていかないといけない。
ただ自分を知ることは、知らないよりも遥かにいい。
 
70歳ぐらいまでは、その人自身のかなり遅いペースであってもトレーニングできる計算だ。
 
実際に74歳ぐらいでエベレストに登った人もいる。
 
世の中にはすごい人がたくさんいる。
 
ボクシングジムでも、猛者がたくさんいるから、隠れてしまうが・・・・
銭湯に行ったら、筋肉質の人がよく出る様に、腕の所に知らない間に血管が浮き出ているから、
びっくりする。数年前は確かに出ていなかった気がする。
腹筋も今の様に少しも割れていなかった。
 
何でも地道な努力だと思う。

恐怖に打ち勝ちたい

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今日は、朝11キロのロードワーク、夕方ジムへ行き、全部で20R練習をする。
その内の6Rをマスボクシングとミット打ちを行う。
 
マスと言っても、飛んで来るパンチが怖くないと言ったら嘘になる。
衝撃や多少の痛みでも、誰でも嫌なものだ。
 
旅だけをしていた頃、写真をやり始めた頃、26,7、8の時は、痛みや、飢え、汚さ、貧しさ、世間からの評価、
あらゆる恐怖にもっと耐えていた気がする。
 
「何故なんだろう?」と考えると、今よりも若さからの体力があったし、若さゆえの無知もあった。
写真という守りたいものが出て来てしまったこともあるかもしれない。
 
アジアの1つの国だけではなくて、様々な地域を歩き、写真を撮ることで、世界の価値基準、
自分の存在がもっと知る様になったからだろう。無知ではいられなくなったと同時に、
守りに入りすぎるのも視野を狭くする。
 
パキスタンへ写真を撮りに行ったことが大きい。
厳格なイスラムの国では、カメラを首にぶら下げているだけで、「俺は何をしているのか、
恥ずかしい、何て俗な人間なんだ」上手く表現できないが、後ろめたさや自我を出し表現することの恐怖、
様々な気持ちが交錯する。インドから東のアジアの国々の写真の撮り方と全く違う。
日本人の常識が通用しないことだってある。
もちろん初めてのパキスタンということもあっただろうが・・・・。何もかもに負けていた。
 
一番いいのは、カメラなんて構えないで、目で焼き付けそれをそのまま写真にすることだ。
物理的に不可能なので、写真家は、カメラとフィルムの恩恵を受けている。写真家なんて、
カメラがなければ、何にも表現できない。無力感さえ感じる。
 
東京に戻って来ても、ランニングしていると、高級な一眼レフをぶら下げて野鳥を探してウロウロしているカメラマンがいる。
写真家もカメラマンも被写体が何であるかで、たいした違いはないと思う。突き詰めたら、何でも矛盾にぶち当たる。
ただ、こっちは肉体を使って運動をして健全な汗を流しているのに、あちらは無駄な汗を流すと言うか遠回りしすぎている。
これを厳格なイスラムの世界にはめると、あの時の自分が同じ様な滑稽さで映ってしまうのだ。
上手くバランスが保てない時がある。
 
写真を撮る姿なんて、人にはあまり見せたくない、俯瞰的に見ると、けっこう不様な感じもする。
 
いろんなことを踏まえて、何でも続けていると、悩みにぶち当たる。
無神経ではいられない。
日本は日本で、いろんな制約が多くなって、写真に関する様々な自由度が薄れていっている印象もある。
 
じゃあ、自分はどうすれば・・・と考えたら、旅をして写真を撮り続けるしかない。
パキスタンでもどこでも、写真家の端くれだし、やはり後ろめたさを感じながらも、結局は撮るしかない。
旅先では、カメラや写真は切っても切り離せない。自分の存在意義を失われかねない。
命の次に大切なものとまで追い込むことが出来るし、大義名分もある。
 
経験し続けて行く上で、ずっと写真に付いて回る恐怖は簡単には消え去りそうにない。
恐怖には打ち勝ちたいものだ。
 
まずは、昔のハングリー精神を呼び覚まさないといけない。
ロードワークや、ボクシングは、1つのきっかけになる。
 
ただでさえ収入が低いのに、
のほほんと過ごしていたり、楽ばかりだと、上手くバランスが保てない。
そんなに深く考えないで、自分らしく生きていけばいいだけの話だと思うが・・・・
そうもいられない時もある、自分だけでなくて、助けてもらっている人にも全然恩返しをしていない。
自分のふがいなさでかなり落ち込む時もある。
まあ、めげずに頑張ろう。

走ること

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今日は朝15キロ走り、懸垂を4セット、
午後ジムへ行き、全部で19R練習をする。
 
ランニングも徐々に距離を伸ばして行くと、奥が深い。
野球、サッカーは学生の頃やっていたが、走る専門教育なんて受けたことがない。
30代になって来ると、足腰のバネが落ちて来る。
それでも、短距離には向かない体型になって来るが、長距離は日々の鍛錬だと思う。
選手でも、マラソンランナーは年配の人も多い。
 
今は、いつもの川沿いを3周、約11キロを45分で調子がいい時は走られる。
悪くても50分ぐらいでいける。
最近は、抜くことはあっても、抜かれることはほとんどなくなった。
たまにマラソンランナーみたいな人がいるが、ああいう人には追い付けないし、
そもそも走り方が違う。
 
それでも、走り方は独学だし、4000円のシューズでこれだけ走れれば、
走る筋肉も、心肺機能も付いて来たと思う。
ボクシングもやっていると、本当に足を酷使した感じになるし、
右の膝の裏のバネの様な所が少し違和感が出て来てしまった。
 
何でも続ければ鍛えられて行くと思うし、
明日からも頑張りたい。
 
決して美しいフォームとは言えないが、
走るのは、スポーツの基本であると実感している。
 
別に争うだけではなくても、
ランニングも、ボクシングも自分の中の理想があるし、
まずはマイペースで続けることに意義がある。

本当のもの

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今日は、朝11キロ走り、夕方ジムへ、全部で21R練習をする。
その内トレーナーと6R、マスボクシングとミット打ちを行う。
両方やるとミット打ちの最後の方、その後のサンドバック、
かなりしんどくなる。
 
写真家、ボクサー、フリーター、人生で3つも貴重な疑似体験していると思えばいい。
残業が続く会社員や、フリーターだけだと、一定の収入は得られるが、
人生がもったいない。確かに撮影旅でも、最低限の生活でも、お金はなくてはならないものだし、
その有り難味や働いたりお金を稼ぐことの大変さや大切さは分かっているが(貧しい地域を旅したり、時給制で体力勝負のバイトを続けるとより分かる)、
お金だけでは得られないものも絶対にある。
 
写真家は表現者の端くれであり、表現者にとっては、本当の人間とは何なのか、
人間の本性、生きるとは何か、肉体と魂とは、生と死などの普遍的なものを追求するのが、
最終目標である。
 
まだまだまだ程遠い、と言うか、写真の技術的なものもあるし、なるべくなら加工しないで写真は非演出のスナップという
古い考えもまだあるし、写真は被写体、他者がいなければ写らないし表現にならないし、
自分の性格上、引いてしまったり譲ったりする鬼になれない部分もある。
もっと若い時は多少横着に撮っていたが、年を重ねて行くとだんだんと行儀良くなって来る。
自分だけというよりも、人間一般に言えることで、人は老いには勝てなくて、
世間の目がもっと気になったり、ある程度の安定した居場所を求めたいし、
できれば痛いのも恐怖も嫌だし長く生きたいから、もっと守りに入ってしまう。
体力的な衰えや病気も1つの要因だと思う。
 
それらを踏まえた上で、トレーニングを続けていくことで体力を維持し、
旅や写真は続けたいと思っている。
自分の撮りたいものは、旅を続けていく内にだんだんと決まって来る。
旅や写真は足と目がなければ始まらない。
自分の理想を求めるのが完全に無理だと判断したり、
足が動かなかったり、目が見えなくなったら、写真とはおさらばしたい、
と言うか必然的にドクターストップになっている。
写真ではなくて、創造の絵なら気持ちのバランスを保てる部分はあるし、
寝床でも出来る。その時は絵に走るかもしれない。
祖父は絵をやっていたし、DNAは流れている。
 
とは言え、まだまだ33歳で若い。
足も動ける。
何とか限界まで、満足がいくまで旅や写真は続けたい。
 
個展は今の所、見限っている。
少なくても1年以内はなさそうだ。それ以降は分からない。
期間も短いし、こんな忙しい中足を運ぶ人もそんなにいない。
自分の写真は企業向けではないし、
発表の限界もある。時代が、社会全体がドキュメンタリーと言うよりも、
ファインアート、心象風景に傾きつつある。遠い将来は分からないが。
規制も強くなりつつあるし、日本での自由なスナップは失いつつある。
ドキュメンタリー的な写真の表現には向いていない。
10年前は良くても、とりあえず今は厳しいと言わざるをえない。
 
体を鍛えながら、自分をも見つめながら、
次回の撮影旅に切り替える。
 
もっと最終目標で、人生で一冊でも、
半永久的に残る、足跡を残していたり、時代や社会に斬り込んだりもする、
かっこいい写真集が出来ればいい。
 
本当のもの、最終目標なんて永遠に届かないかもしれないが、
「かっこいい」も僕の中では1つの理想であり、
かなりの誉め言葉だ。
 
写真家であるなら、写真を撮り続けないといけない。
 
時には悩んだり、考えたり、悲しさやつらい思いを感じながら、自分のふがいなさを反省しながらも、
人生は楽しんでいきたいものだ。

また明日から

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今週は、全部で朝60キロのロードワーク、夕方5日間のジム通いを行う。
 
今日は、1000円カットの床屋に行ってサッパリしたし、
夕方銭湯へ行き、1時間ほどのぼせる位までゆっくりする。
湯船に浸かったり、水圧のマッサージで筋肉を休ませる。
 
床屋には、「バガボンド」が置いてあり、漫画は成人になってほとんど読んでいないが、
ここへ来ると必ず読んでいる。間隔が空くので、なかなか進まないが・・・。
学生の頃は、「スラムダンク」にはまったが、
この作者の作品は惹かれるものがある。
 
その後、いろんな人の宮本武蔵像が気になり、
吉川英治の「宮本武蔵」を図書館で借りる。
 
「バガボンド」「宮本武蔵」、だいぶ前の作品だし、
今は龍馬ブームであり、
明らかに時代遅れだが、今流行のものは別に気にならない。
 
遅れてもいいから、自分の生き方と重なり合う様に、
共鳴するもの、自分の気になりだしたものを大切にしていきたい。
 
良く考えれば、今、一昔、いつの時代でも、注目されたり売れているものは何かしらのリメークであると言える。
音楽、文学、漫画、芸術、あらゆる表現の仕方は出尽くしている。
歴史の産物である。時間の問題がある。
「宮本武蔵」だって、五輪書や、様々な書物がなければ、ここまで広がらない。
「坂本龍馬」だって同じ。
 
それらを踏まえて、誰でも自分なりの英雄の像があり、
表現者なら、自分のカラーにあてはめて作品を生み出していく。
「一度どこかで見たか。」回帰現象を感じても、
作者がどこまで突き詰めていくか、突き抜けているか、思い入れがあるか、
馬鹿をしているか、五感を出しているか、己と理想像を感じているか、
願望や夢があるのか、まずは続けているか、
いろんなことで新しい表現に変わり、繋がっていくことも十分ありうる。
 
回帰現象。
写真でも結局は同じ部分もあるし、否定したくても否定できないし、
何かしらの作家には避けて通れない。
様々な観点や視点も大切にしながら、
自分なりの写真家の道を歩みたいものだ。
 
旅でも、写真でも、トレーニングでもまずは1つの積み重ねが大切。
 
一日10キロは走ると決めて、それが出来たら、次に進める、成長できる、底力が付くんだと
思う様にする。
バイトでも、どんなに嫌なバイトでも、神経を使っても、時給が低くても、欠勤や遅刻や早退をしないでなるべく迷惑をかけない様に
決められた時間を仕事する、そしたら次に進めると思う様にする。
ボクシングでも、痛みが伴えば伴うほど強くなれると思う様にする。
写真でも、売れなければ売れない分だけ、強くなれる、きっといつかは報われると思う様にする。
 
どんな道でも楽な道なんてないし、「今がどん底なんだから、絶対に良くなるはずだ」
底力を付けられる様な人になりたい。
 
まず毎日朝走ることのサークルは続けていくと挫折しそうになるが、
また明日から頑張りたい。

写真家の存在意義

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今日は朝11キロのランニング、懸垂35、22、22の3セット、
夕方ジムへ行き、全部で20R練習をする。
 
生き方に悩みや不安は消えない。たぶん写真だけに集中していたら、余計視野が狭くなるだろう。
写真というものは、内に籠もる傾向がある為に、それだけしか強み(仕事・趣味の延長)がなかったら、
性格がもっと暗くなる。たぶんねちねちとした感じになってしまう。
 
もっと潔く生きたい。写真を撮る時は相手がいたり、体を動かす為に気持ちが前向きになるが、
撮った後でまとめる段階になると体は動かさない。だから、気持ちが後ろ向きになる。
趣味でもいいから、ランニングでも、ボクシングでも体を動かすものを取り入れると、
上手くバランスが保てる。
小説家や、画家や、似たような職業の人でたぶん同じ感覚の人は多いに違いない。
肉体や精神を鍛えれば、生き方としても、作品にも、プラスに働く。
 
写真家は、写真だけではない。撮る、まとめるだけではない。
遠回りするのも多いにけっこうだ。人生は無駄なことが多いし、無駄なことを経験していって、
いい経験に結びつくし、核心にも近付く。
 
2,3ヶ月も旅を続けていくと、宿の部屋の中で考えることが多い。
時には汚かったり、テレビなんてない部屋もあるから、初めての人には監獄の様な気もするに違いない。
必ず旅には日記を持ち歩くことにしていて、時には監獄の様な所で悲しみを感じながら、
文章を書くことで希望を見出し、孤独を紛らわせていく。
それらは20代で、33歳にもなると、だんだんと開き直っていく(それでも不安は消えないが)。
考えることの行き着く先は、生と死に関することが多い。
 
合わせて旅の中でもそうだし、日本に戻っても、
ずっと「写真家とは何なのか?」「写真家の存在意義」も考えている。
写真を撮るという行為で、視点・思想・感情など作者の意志は、どんな写真でも否定できない。
 
写真家なら名前を出してもいいが、ジャーナリストになると、上手くバランスが保てない。
社会貢献だけなら、敢えて名前やクレジットを出さなくても、無記名で写真を見せればいいという
考えも出て来る。
写真家というのも、結局は写真欲という欲は絶えず付いて来る。
生きているのが自分なら、自分をないがしろには出来ない。
自分と他者を考えながら、写真を撮ることは大切になって来る。
別に美味い物を食べたいとも思わないし、大金持ちになりたいも思わないし、
結婚だってしなくたっていい、でも旅や写真は続けたい。
欲を限定することで、上手くバランスが保てる。
 
まずは長期の旅をすることで写真に入ったから、そこが写真学生やジャーナリストとは違う。
写真も独学で学んだ。
期間が短ければジャーナリストの様になっていただろうし、
旅が長いし、いろんなアルバイトも経験しているからか、
迷いも多いし、その中でも少しの答えがないと先へ進めない。
変に論理的に考えしまうのかもしれない。
 
もう10年、悩んで悩んで続けて、45歳ぐらいになれば、もっと明確な答えが出て来るに違いない。
 
結局は、写真家の存在意義は、「(自分を信じて)写真を撮り続けること」に落ち着く。
 
アンリ・カルティエブレッソンの道が、僕の中では今の所上手くバランスが保てる。
(最初はそうだったかもしれないが)ジャーナリストでもないし、ファインアートでもない、
でも、その中間を行っている。
 
今もっとも注目される写真(一枚)は、何と言っても上野彦馬さんが撮った「坂本龍馬」だ。
果たして、あの写真がなかったら、ここまで坂本龍馬が注目されたとは限らない。
地味だが、写真家の功績は大きい。
写真というのは、一人歩きして、想像を掻き立てる。
記録という要素も、写真にはなくてはならない。
運や時代も写真家には切り離せないし、まさしく写真家の存在意義を感じる。
 
写真家上野彦馬の視点から見た、坂本龍馬のドラマでも、小説でもあって欲しい。
 
福山雅治の「坂本龍馬」はあまり見る気がしない。
木村拓哉は何を演じてもキムタクになるし、売れている人というのは一緒だと思う。
視聴率の計算とかが目に見えている。
(時代劇をやるにあたってどこまで体を作り上げているかは興味があるし、
作り上げているというニュースは見たが、それによってはとても評価できると思う。)
 
中井貴一だったら、見たい。
演技も上手いし、どう見ても中井貴一の方が写真的にもそっくりだ。
時代劇は演技が上手い人に限る。

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