今月も終わり

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今日は夕方ジムへ。全部で20R練習をする。
 
今月も終わり。今月は朝に21日間のロードワークと、夕方・夜に21日間のジム通いをこなす。
こなすと言っても決してスマートな感じではなく、時折しんどくなりながら続ける。
 
最近は定期的にマスボクシングを行っている。あてないボクシングだが、激しくなると、勢いであたったりする。
唇が少し切れたり、鼻血が出たり、夢中になって気付いたら口の中が血の味ということもある。
でも、基本的にはマスだから、血の味がするほど外傷はほぼない。
次の日には、自然に治っている。ただより実戦になると、より体力を使ったり、急に方向転換したり、より相手にパンチをあてたり届かせようと肩を消耗する。
次の日に思わぬ所が、痛くなったりする。
 
そう考えると、プロが行うガチのスパーリングや、本番の試合の次の日のダメージは想像を遥かに超えると思う。
 
3月中旬に前回の旅から戻って、トレーニングを開始して、予定通りまずは半年間みっちり練習をすることが出来た。
肩回りの地味な筋肉がだいぶ付いて来た。
 
続けていると、まだまだ納得できていない。
明日からも引き続き頑張りたいと思う。
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自分の中の勝利

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今日は半日バイト。バイト先でも仕事を分担させる方針なのか、仕事の量が景気がいい頃より減っている為にまずはアルバイト形態者の働く時間数を減らす為なのか、
最近は半日勤務ということもある。こういう会社は他にけっこうあると思うし、不況ならではの社会全体の流れかもしれない。
 
写真家と言えども、まずそれだけでは生活できない。たいていの人は何らかの他の仕事をしている。純粋に自分の作品だけで食べていける人は、ほんの一握りである。
プラスに考えれば、逆に自分の置かれている状況が有り難いと思うし、アルバイトで社会の状況が少しは分かる。苦労すれば苦労するほどいつかは報われる。
 
もし半日勤務が続けば別にその流れをあまり逆らおうとせず、残りの半日で未来に生きるトレーニングや、頃合いを見計らって写真の持ち込みをすればいい。
一人暮らしだともっとギリギリの生活になるが、不安との闘いだ。そこで諦めて正社員になれば、一定の収入は増えるが、写真家の夢は絶たれる。
今日はジムも祝日時間帯だったが、駆け込みで行くことが出来た。全部で19R、その内の3R、ミット打ちを行う。
半年分のトレーニングの疲れが夏を越えて今頃になってじわじわ来ている。左足のふくらはぎと、右足の裏が少し違和感を感じる。
やっぱり33歳とそんなに若くはないなと思う。でも、まだまだ動くし、ここも乗り越えれば、もっと強くなれる。
 
沢木耕太郎さんという作家や、山野井さんというクライマーに惹かれるのは、自分の中の勝利を信じているからだ。
流行というよりも、「自分がいいと思ったものはいい、感動したものはいい」、男の美学と言うか、愚直さがあるからだ。
 
山野井さんは、自分が登りたいという山(壁)に登る。世界で何番目に高い山だとか、誰よりも速くとかは、誰でも完全にないと言ったら嘘になると思うが、
あまり考えていない。アルバイトもしていると書いてあったし、スポンサーがあまり付いていない登山家だと思うし、
それでいてクライマーとしての技術がすごい・・・沢木さんでも同じ感じだし、いぶし銀の様な作家でもアスリートでも、そういう人達はとても惹かれる。
 
写真家でも、そういう人になりたい。ドキュメンタリーでも、デジタルカメラを持って速報命のカメラマンではない。
アフガニスタンはアジアの中の一つであるしいつかは行きたいが、別にイラクとかイスラエルとか、戦場に行って他の人と競い合う様な写真は撮りたくない。
人生は一度きりだしどこまでやれるか少しは経験してみたいという欲もあるが(そうなってもいい様にボクシングのトレーニングを続けているし)、一生撮り続けるなら、自分のスタイルではない。
 
45歳までに自分の描いた写真人生を歩みたいと思う。まずは35歳で、次に45歳で、その後は生きているか分からない。
 
そうなると、やはり体力と精神力と経験が命になって来る。感性と言うかセンスは必要だが、カメラの性能や写真の技術はその後の後だ。
どんな状況でも、たとえ一時は離れても一生は離れない、写真を考えたり根気良く続けることも、写真家の能力だ。
 
いい意味で、自分の人生を開き直っていなければならない。最後の一人でも、応援してくれたり背中を押してくれる人が完全にいなくなっても、孤独で闘えるかどうか。
そういう者が、自分の中の勝利を獲得することが出来る。超越的自我を乗り越え、時代や社会性をも獲得することが出来る。
ボクサーなら4回戦ボクサーから、日本ランカー、日本チャンピオン、東洋太平洋を越えて、世界チャンピオンだ。
自分の中の勝利から、運も味方に付けて結果的に世界の頂点に立てる。
 
もう流行とかは別にいい。音楽とかも携帯とかもかなり前から乗り遅れている。でも、自分がいいと思ったものはいい。
 
長渕剛の様な強い音楽もいいし、キロロや小田和正や竹内まりやの様なやさしい音楽も感動する。
僕がもしボクシングの試合で入場曲を選ぶなら、長渕剛の「ガンジス」か、キロロの「未来へ」を選ぶ。
 
自分には、誰でもそうだと思うが、二面性を持っている。
それが強ければ強いほど、写真家には生きて来る。会社員としては、マイナスだろう。

涼しい風

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銭湯の帰り道はいいものだ。涼しい風が吹き、鈴虫が鳴いている。どこか切なく、心がきゅんと縮まる様で寂しくなる。
そんな時は、ふと「旅に出たい」と思う。日本ではない、どこか遠い所へ。
 
病気だったら旅の思いは半減するが、完治してから自分の体調と向き合っていつでもGOサインが出せそうな時に、旅独特の緊張感や刺激は欲しい。
体力も精神力も大丈夫だ、時間もどうにかなる・・・後は金だけ・・・・これは人から見れば羨ましい悩みかもしれない。
 
写真家としての壁はぶつかりまくりだ。本気で写真を捨てようと思ったら、放浪の様な旅をする。
カメラや大量のフィルムや未来の写真がなければ、もっとフットワークの軽い旅が出来る。税関や盗難や写真を完成するまでに纏わり付く
神経も回避出来る。
 
33歳になると、現実がある程度分かって来る。気ままな放浪の様な旅も永遠には続かない。その時は楽でも、また旅に出ようと思ったら、
つらい会社生活やバイトをしなければならない。そして何も残らない。記憶だけだが、記憶なんてすぐに薄れてしまう。
写真を捨てられないのも、どこかで社会と折り合いを付けたいからだ。旅人では職業にならないが、写真家は職業になる。
 
沢木耕太郎の「凍」を読んだ。久しぶりに感動する本だった。
登場人物の山野井さんはクライマー。名前は知っていたが、壮絶な登攀文章を見せ付けられると、世の中にはすごい人がいるものだ。
山野井さんの生き方にも説得力があるし、それを掬い上げた沢木さんの感性や文章能力にも説得力がある。
緻密だし、何よりも文章が分かりやすい。
 
今まで知らなかったクライミング用語も分かりやすい。山野井さんはアルパイン(ほぼ単独登攀、(もう1つに集団で協力し合う包囲法がある))で登っている。
写真家の生き方とクロスさせると、映画や映像と違い、何でも自分でやらなければならない写真はアルパインだ。
 
本格的に山に登るといい写真は撮れないが、登山家の生き方はもっと死のリスクがあるし、今の自分にはないから尊敬に値する。
 
雑誌を読んでいたら、トレイルランナーというのもいる。自然の中を何時間もかけて走ったり川に飛び込んだりレースするのである。
 
登山家とトレイルランナー。
 
最近はこれらに付いてももっと調べたくなった。

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朝晩はだいぶ涼しくなった。半袖で窓を開けっぱなしにして眠ると、寒く感じるほどだ。
 
朝、1時間走り、懸垂20~25を4セット、腕立て100×2、シャドーを10分ほど行う。
夕方、ジムに行き、全部で20R、その内トレーナーと3Rのマスボクシングを行い、筋トレ腕立て100×3、腹筋120×3を行う。
 
ボクシングをやっていると、自己管理に厳しくなるし(酒、煙草はやらない、なるべく睡眠時間を多めに取る様にする)、自分の体重にも気を使う。
今日だと運動前に60キロだったのが、運動後には59キロ少し手前になっている。夏だと同じ様に食べて運動すると、1.5~2キロぐらいは落ちていた。
涼しくなり、汗をあまりかかなくなり、0.5キロ単位で体重が減らなくなる。
別にプロではないがプロ意識を持てるし、ボクシングを続けていて些細なことでも気付くと有り難いし、いい経験になる。
酒を飲んだり、睡眠時間を削ると、次の日の練習に響く。
納得できる動きが出来たり、ボクシングの練習は楽なものではない。
 
1,2年で辞めなくて本当に良かったと思っている。やっと今になって、パーリーやダッキング、ウェービングと言った避ける技術、防御全般のコツが
だいぶ分かって来たし、スムーズになって来た。
ボクシングで難しいのは、防御である。付け加えるなら、攻撃と防御のバランスだ。
普段は小さいグローブを付けてサンドバックを叩いたり、ミット打ちをしたりするが、マスやスパーリングになるとでかいグローブを付ける。
まだマスしかやったことはないが、でかいグローブを付けて、相手のパンチを弾いたり、がちっと防御して痛みを抑えた時の衝撃は忘れられない。
でかいグローブが、思っていた以上に自分の顔を守ってくれる。
プロだと、芸術に近く巧みである。
 
ボクサーの様に自己管理能力を覚えて行くと、どんな仕事にも生きて来る様に思えるのだ。
他人からは奇妙だと思われるかもしれないが、自分をある程度律しながら自分のリズムで生きることが、簡単な様でいて非常に難しい。
ボクサーの様な生き方をすれば、少なくとも違法な薬に走ることはないし、逆に自分を見失い自分に自信がなくなって自殺に走る様なことはしない。
子供の頃の問題児がボクシングによって救われ、けっこうある話だと思うし、実際に続けていると、
ボクシングは実に健全なスポーツだ。プロまで行くと、すごい危険なスポーツでもあるが・・・。
 
最近は自分なりにトレーニング方法と栄養学を学んでいる。
芸術家タイプには、ほとんど食べなかったり睡眠まで削って、作品作りに打ち込んでいる人もいる。
実際に昔は、食費を削って、体を壊した経験もある。
結果的には、規則正しい生活をして、作品作りをした方が、長続きする。
金銭的にも、食費を極端に削りその代償に大きな病気に罹り直すまでの通院費と、多少お金は罹るがきちんと栄養をとり続け病気知らずの者と
トータル的にはあまり変わらない気がする。
第一線で活躍している人は、意外と自分なりの生活リズムを持っていたり、ある程度規則正しい生活をしている。
アスリートなら、規則正しい生活をしていない人は致命傷だ。
芸術家もアスリートと一緒だ。
 
33歳で年も年だし、今までの経験から、栄養は切っても切り離せない。
例えば、インドやバングラデシュに長期の撮影旅に行っても、栄養学を学んでいれば、
数少ない選択肢の中でも、いいチョイスが出来る。
 
栄養に関する本を読んでいるが、だいだい自分なりに努力して食べているものと、
そんなに外れはない。
昔を思うと若さで片付けられるがかなり無謀だったし、今はやはりボクシングのトレーニングと近くにいるプロボクサーの
ウェイトコントロールを含めての生き方のお蔭かもしれない。

リングの上は一人だけ

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年齢的にも極端に目が悪く物質的にもプロボクサーの夢は途絶えているが、コンタクトレンズをしながらもボクシングの練習を続けていると、
つくづく「33歳のやるスポーツじゃないな」「運動量が半端じゃない」と思う時がある。
週3ぐらいなら健康的にもいいと思うが、朝のロードワークを加えて週に5,6のペースで続けていると、一握りのプロボクサーは本当にすごいと思う。
持久力も反射神経も何もかもが、豆に通っていても、普通の練習生とはレベルが違う。
 
まだ有り難いのはボクシングを始めたのが28歳の時。どんなにハードなスポーツでも、5年は続けていると、ある程度は体が慣れて来る。
アルバイトで多少疲れて、夜にジムに行って最初はだるいが、リングの上でシャドーをしたりする内に確かに疲れているはずなのに慣れていくというか、
疲れが和らいで来る。ボクシングにおいての体力や、使う筋肉、疲れにくい動きの要領が体で覚えていく。
もし、始めるのが40歳だったら、たぶん続けられていないだろう。ボクシングは本気でやろうと思ったら、20代、30代(前半)のスポーツだと思う。
フリーの写真家で行こうと決めた時から、ちょうどボクシングを始めたのである、最初は直感だがそれが結果的には良かったと思う。
 
ボクサーはリングに上がれば、自分一人だけだ。誰も助けてくれない。プロボクサーなら、家族とか友人とかリングの外では助けてくれたり、応援してくれたりするが、
いったん試合になれば、信じられるのは、自分だけだ。自分の今までの練習や努力や生き様などと、今持っているコンデション、体力、精神力、後は運、トレーナーやマネージャーは見守ってくれているが、最後は何もかも自分で判断しなければならない。
 
こういう生き方は、写真家と非常に近い。アジアや辺境の地や普通のリゾートとは違う第三世界を旅して写真を撮る写真家にはもうそっくりだ。家族だったり知り合いだったり、気にしてくれたり、
助けてくれたり応援してくれたりするのはとても有り難い存在だ。人は一人では生きていけない。
ただいったん日本を離れて、リングという名の旅をしたり写真を撮ったりする地を歩けば、信じたり最後に判断をするのは紛れもない自分一人だけだ。現地の人も助けてくれたり心強い時もあるが、外から見れば日本から来ている旅人であり、根っからの日本人であり、難しい所だが微妙に立場が違うのである。
日本の常識じゃ通用しない所もあるし、全てが善人とは限らない、旅独特の緊張感もあるし、まずは旅に出たら自分の身は自分で守るが鉄則だ。
写真を撮るということは、旅をしながら、写真を撮る為にもっと踏み込むことだ。少し危険な地域に足を踏み入れたり、暗い路地のもっと先に入ったりもする。「どこまで踏み込むか」「どこまで深く旅をし、写真を撮る為に前へ出るか」下手をすれば、戦場の様な所に足を踏み入れ、死ぬことも考えられる。誰もが写真を撮らせてもらえる人とは限らないし、カメラや写真に対する恐怖や嫌悪の先入観もあるし、下手をすれば殴られることもあると思う。撮る前の段階で細心の注意を払っているし、なるべく上手くコミュニケーションを取ろうと思っているし、僕の場合は今まで直接殴られたことはないが、同じ人間だし、その時のモチベーションやコンディションや気負いもあるし、重要な一枚だと感じたら気付かれないでスナップ形式でパッと撮ることも写真家の一つの方法である。運が悪ければ、将来ないとも限らない。
今までは大丈夫だが、年を取ると感も鈍ってくるので、旅や写真に対する恐怖を感じるのである。だから、今は次回の撮影旅に出かける前に、ボクシングの練習をして体を作ることも写真家の仕事の一つだと思っているのである。バックパッカーなら別に体なんて作らなくたっていい、写真家だともっとリスクが上がり、旅をする地がボクシングの試合の様なものだ。
 
最近、沢木耕太郎さんの本を読み返しているが、ボクシングの記述が実に多いことに気付く。
放浪の様な旅を好む者は、ボクシングも好む、これは当てはまるだろう。
旅もボクシングも、生きている証や散り際の潔さや人生の喜びや儚さがある。
 
旅もボクシングも漂流する感覚だ。豊かさや貴族的なイメージはない。
人間の泥臭さがある。今人気のゴルフは貴族階級のスポーツのイメージ
があるが、ボクシングは底辺や貧しい人達のイメージがある。
日本ではお洒落なボクサーもいるし、れっきとしたスポーツだ。タイやメキシコも有名な国であり、
タイは何度も旅をしているが、昔は「貧しい男の子供にはムエタイを」という歴史もある。
ムエタイが主流だが、ムエタイのジムでも、普通のボクシングの練習をしているプロボクサーもけっこういる。
 
バングラデシュを旅した時には、ゴルフなどの豊かなスポーツはまず見られないし、庶民的ではない。
驚いたことは、バングラデシュで、バングラデシュの軍隊とたぶん一般のボクシングジムのボクサーだと思われるが、
軍隊対ボクシングジムの交流戦が競技場で一般公開され、自由に見られた。
けっこう楽しめた。軍の出て来るボクサーが決まって強いことが印象的だった。
ボクシングは発展途上の国でも、たまに見られるスポーツだから、アジアを旅する者にとっても、切り離せないスポーツだ。

得るものと失うもの

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ネットの利点は、環境が整えば、世界のどこからでも見れること。
旅人だか、写真家だか、フリーターだか、ボクサーだか、他人からすればよく分からない生活をしている者にとっては、
「ちゃんと生きていますよ」という証拠になる。
 
バイトでも、ちゃんと決められた白いYシャツを着て、もちろん時間やルールは守るし、仕事もする。できれば他人にも迷惑をかけたくないし、
ミスもなるべく少なくはしたい。
外から見れば、普通の会社員にも見える。
ただ深く立場を見ていけば、ボーナスはないし、真っ当な正社員ではない。本当にやりたいことが別にあってアルバイトはアルバイトで割り切っているかはどうであれ、
同じ様な契約社員だか、アルバイトだか、分からない様な人は特に東京だと多いと思う。
逆に他に何か夢を持っている者にとっては、健康じゃなくなったら元も子もないが、今の時代の様な乱世と言うか、先が見えない感じや、
雇用の制度は有り難いと思う。誰にもチャンスがあるということだ。と言うか、そういう風に思うしかやってられない。
 
一年に一度長期の撮影旅に出る者にとっても(今年はもっと長引くかもしれないが・・・)、ブログは有り難い。
下手したら、旅先のどこで死ぬか分からんよ。ずっと続けていると、だんだんと旅や写真の怖さが分かって来る。
旅先のちょっとした文章でも、自分の意志以上に、親や知り合いの気休めになったりする。
全く知らない人がこんな固苦しくて長々とした文章を読んでも疲れるだけだ。
 
最近、立て続けに大学の時の友人からかなり久しぶりにメールを頂いた。4年は続けているので、何かの拍子にこのブログに行き着いて、
はっきりと顔は出していないものの名前も経歴もそのままだから、ふと気付いてもらったりする。
こういうのは、純粋にうれしいものである。
東京での一人暮らしもあるし、「みんな大変だったな」と思うのである。
卒業して、みんな忙しくなるから、疎遠になって8,9年も経って、やっと行方が知れて気付いたらお互いが30代というのも
よく分かる。人生の法則かもしれない。たいてい自分を含めて、無理をして、33歳までにどこか体を壊したりしている。
 
卒業後、ちゃんとした所で働いて(それはそれですごい大変だろうけれど)、結婚して、幸せな家庭を持っている人もけっこういると思う。
33歳にもなって、僕みたいな不安定な生活をしている人は、もう一握りだろう。
 
もし自分が結婚していたり、子供でもいたら、今の生活はありえない。しかし、もう一つの幸せは永遠に追い求めることが出来なくなる。
普通の幸せも立派だし、もう一つの幸せもありだ。
得るものもあれば、失うものもある、人生はそんなに上手く出来ていない。
運や流れやタイミングもある。迷ったら、まずは自分を信じて、その様に思えばいい。
 
今の様な生活を死ぬまで続けようと思ったら、ある程度の覚悟と、ある種の開き直りが必要だ。
後悔しなければいい。

再スタート

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今日は朝1時間のロードワークと夕方ジムへ行く。
3R、トレーナーとマスボクシングを行う。体が軽いと調子に乗り、マスの後の勢いで、サンドバックを叩くラウンドが増えて行く。
全部で21、2R練習したと思う。
 
マスボクシングも定期的に行っている為、だいぶコツが分かって来た。強く当たらないと分かっていながら(たまに勢いで当たることもあるが・・・)、
最初は飛んで来るパンチは怖い。今でも怖くないと言ったら嘘になるが、目を瞑らない様に、相手の全体の動きを見る様に心がけると、意外にいける。
目が悪いから出来ないと思うが、一度でもガチのスパーリングをやれば、もっと感覚が掴めると思うし、恐怖も和らぐに違いない。
 
ボクシングを開発した人はすごい。右ストレート一つにとっても、足と腰の軸を回転させ、腕を撓らせる様にして、右拳に力を集中させる。
素人のパンチとボクシングジムで教わったパンチは全然違う。普通のジムでは教われないことだし、強くなろうとするならば、格闘技系の利点だ。
ボクシングのルーツは古代ギリシャまで遡れるらしい。「こうやったら、強くて速いパンチが打てるぞ!」とか、昔の人の試行錯誤で今があると思う。
どんな世界に置いても、先人達の努力によって、今がある。そう考えながら練習すると、少しでも感慨深くなる。
 
ボクシングのトレーニングも実に理にかなっている。ストレットの後、最初は縄跳び、シャドー、最後でも同じ事をする。これは有酸素運動だ。
中頃に、スパーリング、マスの実戦や、激しいミット打ちやサンドバックの練習を行う。これは無酸素運動だ。ジムワーク以外に走るメインのロードワークを加えれば、
ダイエットはもちろんのこと、心肺機能を高めたり、締まった筋肉、バランスのいい肉体が出来る。苦しいから、精神的にもレベルアップする。
他の競技のスポーツ選手の他にも、登山家や冒険家、もっとカメラや写真の意識が高くなるが、海外へ行って長期の撮影旅を行う写真家にもとても役に立つトレーニング方法だ。
長期になると、僕は機材は少ない方だが、それでもフィルムを未だに使っている為、非常に嵩張る。「重いからデジタルにしよう」じゃなくて、自分を鍛えればいい。
 
2台のカメラとレンズを修理、オーバーホールに出していた。今日やっと引き取ることが出来た。旅から戻って5ヶ月はかかった。
旅から戻ると、もっといっぱいいっぱいになる。一人暮らしだとまずは生活を安定させたり、態勢をいったん整えないといけない。
地味にアルバイトをしたりする間、「トレーニングを続ける」に切り替えるのである。
まずは自分の肉体と精神だから、基礎体力を伸ばしたり、足元を固めることが大切だ。
続けていたり練習量を増やしているお蔭か、昨年よりも筋肉が締まって来たと言われるし、
だいぶプロボクサーに近い肉体に仕上がって来たと思う。
 
そうは言っても、カメラとフィルムがなければ、写真として表現できない。
「ペンは剣よりも強し」と言うが、同じ様な心境で、カメラや写真は一つの強みや人を殺さない武器の様なものだ。
 
また再スタートといった感じ。2台のオーバーホールなどで、1台そこそこのデジタル一眼が買えたと思う。
今まで共にして来た愛着もあるし、今のカメラやフィルムがある限りは続ける。
問題は、今のカメラはもう製造は中止されているし、まだ先だが現存の部品がなければもう終わりだ。
間隔を短くして撮影旅を続けるか、最初の個展をやってからもうだいぶ経ってしまった。
個展は写真家にとって一つの大切な発表の場だし、今では撮っているだけだし(まずは撮り続けていることが一番だが)、定期的な発表も必要だし、個展を開催出来るように漕ぎ着けるか、
(だけどお金に余裕がない)選択は難しい。
 
考えすぎると策に溺れるし、まずは直感や運で進みたいと思う。
何でも審査や運やタイミングがあるし、自分の力だけではどうすることもできないことは多い。
自分の核は持ちながら、ある程度流されることも大切だ。