今月も終わり

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今月は、ジムに24日間通い、ロードワークを14日間行った。
 
雨の日が多く、満足にロードワークが出来なかった。試合を控えたボクサーや意志の強い者なら、フードでも被って毎日の様に走るかもしれないが、楽な方へ流れてしまう。
反省だ。
 
プロではないが、少しでも強くなりたい。
 
プロ選手はすごい。
前日運動のしすぎで変な咳をしている者や、スパーリングで倒れそうになっていたのに、次の日はケロリとして普通に練習に来ている。
すごい回復力と生命力だ。
 
8月はもっと暑くなるが、頑張ろう。
 
写真は本文とは関係ないが、インドの写真。
 
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暑さとの闘い

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今日は、8時頃から1時間走り、腕立て90×3、懸垂18、18、10、10、18の5セット、シャドー10分、朝のロードワークを行う。
 
夕方ジムへ行き、縄跳び1R、鏡の前のシャドー2R、リングの上のシャドー2R、ミット打ち3R、サンドバック6R、ダブル1R、シングル1R、リングの上のシャドー2R、縄跳び1Rの計19Rと、
腕立て90×3、腹筋40×3、鉄アレイを使った筋トレを2セット行う。
 
もう33歳だ。ボクシングのプロ試験は誕生日を迎える33歳までとなっている。物質的にボクシングの夢は絶たれた。裸眼の視力は0.1と極端に悪い為に、どっちみち無理だったが。
前回からの旅から戻って、自分なりに練習はして来た。たとえ外面の資格がなくても、これからもボクシングの練習は続ける。最後は、自分の心にあり、強い男を目指す。
 
「基本はばっちりだ、後は実戦と年齢だけだった」と言われる様にもっと上手くなりたいものだ。写真とボクシングの二つを自分なりの強みにしていきたい。いい写真のセオリーは自分なりにあり、
写真もボクシングもトレーナーの様に人に語ったり教えるぐらいにまではなりたいものだ。どんな道が成功を手に入れるかは分からない、ひょんなことが上手くマッチングしたりする、仕事として写真とボクシングの融合だって有り得る。
 
続けているとさらなる欲が出て来る。プロボクサーを見ていると、自分も毎日体重計に乗り、もっと自己管理をしたいと思う様になる。最初は分からなかったジムに置いてある天秤の様な体重計も
分かる様になった。今日の練習後で、58・3キロだった。そんな気はなかったが、結果として自分なりのダイエット法は、運動と、間食はしない、おかずは別としてご飯は茶碗一杯である。
 
夏の1時間のランニングは、地獄である。ペットボトルを持って走るわけにもいかないし、1時間給水無しである。これもインド圏の旅のトレーニングにもなる。筋力的にはランニングの方がきついが、灼熱の移動中のジェットコースターの様に揺れるローカルバスであったり、埃や人いきれの中を何時間も歩いて写真を撮るきつさとトータル的な体力精神的なきつさは変わらない。何ヶ月も続けていると、旅の方がきつい。日本のトレーニングだと、運動後にその気になれば冷房もあるし、シャワーはもちろん、自由に冷たい物が飲める。これだけでも救われる。そうなると、日本にいる間は、トレーニングを続けないと上手くバランスが保てない。
 
暑さ、寒さ、埃、汚さ、簡素な食事、貧しさ、第三世界に行けば、昔の様な基本的な自然などとの闘いになって来る。こちらが年を重ねて行く内に、どう乗り切るかだ。
若い頃は全然平気だったが、鍛錬を続けていないと誰でも年齢には勝てない。好きだけでは続けられない。と言いながら、気楽に続けられればいいと思っている。
 
写真は夏関連。インドの海。
 

アジアと東京の温度差

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最近、また年を取って33歳になった。30代の1年1年は、妙に重みがある。
「写真家としてまだ何もしていない」、後悔ばっかりだ。
 
旅に出て写真を撮ること、日本でまとめること発表すること、東京で生活すること、自分の肉体と精神を鍛えること(トレーニングをすること)、
写真家としての4本柱を上手く回さないといけない。一般的な幸せなんて30代でまず無理だ。
 
旅も写真もボクシングも麻薬と一緒だ。無謀な闘いであるのに、病み付きになる。違法性はないし、実に健全だ、しかし、大多数の他人からは飽きられる。
邪念を振り払って、自分の心に素直に向かい合って、進むのである。「もう世間体なんていらない」、と言いながら30代になると気になる比率が高くなっていく。
どう割り切っていくか、中年への課題だ。
 
旅から戻って東京で生活していると、だんだんと鈍感になっていく。アジアと東京の温度差だ。
旅に出ると、自我が出る。「自我に目覚めて、自我に恥じる」のである。
東京だともやもやとなって、変に規則や社会に雁字搦めになり、自分の顔が見えなくなる時がある。
表はきれいだが裏では汚い排水が流れている様に、表は一見平和で平穏だが裏では幸せではないのではないか。
政治家を見てても、一目瞭然だ。
「自分も日本の社会もどこへ向かっている」、妙な感覚だ。
 
近所で盆祭りをやっていた。美味しそうな物をぺちゃくちゃやっているだけで、アジアの祭りとは比べものにならない。
 
日本人が少ない所を旅する時、景色が違って見えて来る。自然も人間も荘厳だ。
 
東京でボクシングを続けているのは、心の旅をしているのかもしれない。普段目にする東京の景色に憧れはない、
と思う時、自分の内面に向かってしまう。
 
「少年よ、強くなるのだ!」
 
1馬力で、4本柱は回せない。極端な話し、足が片方折れても、写真をまとめたり、何とか東京で生活も出来る。
アジアに写真を撮りに行ったり、ボクシングはできない。自然と強迫観念の様に足を運んでいるが、人間の欲求原則に習っている。
30代でもより若い内に、五体満足であり体が動く内に、フットワークが軽い内に、どこで次のステップに移るのかの見極めも大切だが、
優先順位はおのずと出て来る。
 
 

肉体の貯金

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記録にもなるし、今日のトレーニングの内容を細かく書きたいと思う。
 
朝、1時間ランニング、2,300メートルダッシュ4本、シャドー10分、筋トレ腕立て90×3、懸垂15×4、全部で1時間40分ぐらい。
 
夕方ジム、縄跳び1R、シャドー鏡の前2R、シャドーリングの上3R、ミット打ち2R、サンドバック7R、シングルボール1R、ダブルボール1R、シャドーリングの上2R、縄跳び1R、
筋トレ腕立て90×3、腹筋40×3、鉄アレイを使って2R、全部で2時間ぐらい。
 
今日はバイトが休みだったので、時間に余裕がある。仕事がある時は、朝は1時間が限度で、夜も遅い時間になりR数が減ることもある。
満足にトレーニングは出来ないし、プロだったら、とても勝てない。ただ自分のペースで健康維持、肉体を作ること、強くなることが目的だ。
こんな暑さでもまずは継続的に通うことが大切だから、時間を作って、こまめに(週5,6)で通う様にしている。
週3と週6ではえらい違いで、日数が多ければ多いほど体が自然と慣れて来る。
夜の時間帯はプロの方も多いから、とてもいい刺激を受ける、自然とオーバーペースになる。
「そんな強い肉体精神を手に入れたい」「究極のダイエット」は、理想の選手(プロの方)と同じ時間に動くこと、見ることだ。
スパーリングやプロのトレーニングを見るだけでも、脳が活性化され、気持ちも頑張れるし、どこかで覚えている。
 
体重は58~60をキープしている。昨年の年始は70キロまで行ったから、実に10キロ以上のダイエットだ。
特にダイエットとかは意識していなかった。プロの近くで揉まれると、自然と食事も制限するし、軽くなればフットワークも付くし(その分強くなれる)、
自然の結果だ。強い気持ちは持っている、「孤独に耐えるなら、男なら、強くなることだ!」ずっと天の声が聞こえている。
疲れれば、孤独も、不安も飛んで行ってしまう。
「ただ前を向くこと」、旅や写真だけだと孤独に陥るが、格闘技で吹っ切れる。やはり体を動かすことは、つらいけれど、素晴らしい。
そう言えば人生を振り返っても、何らかのスポーツでずっと助けられて来たと思う。
写真家も、アスリートと一緒だ。
 
お金の貯金は当然だし、知識の貯金もあるが、肉体の貯金も絶対にある。40歳まではそういう時期だと思う。
写真家(特に旅をする写真家、報道写真家、スポーツ写真家、登山冒険写真家など)であり続けるならば、肉体の貯金は必要不可欠で、優先順位は高い。
 
ボクシングはあくまでも趣味だが、続けていると欲が出るもので、もっとプレッシャーのかかる試合を一度でもいいからやってみたいと思うこともある。
年齢もあるし、辞める前でも、おやじファイトみたいなものでもいいから、今までの頑張った成果といい経験を作りたいものでもある。
話のネタにもなるし。
 
沢木耕太郎さんの深夜特急でも、藤原新也さんのインド放浪、メメントモリという旅人にとっての名作でも、作者が実際に書いた年齢はそんなに若くないことが分かる。
目方だが、35~40以降の作品ではないだろうか。旅をしたのは20代でも、形にするには時間差があり、さらなる年月がかかる。でも、若い時の経験は無駄ではない。
つまり、20代やそこらの若造では経験も時間や金銭的な余裕もなく、いい編集者との出会いもない。
お笑い芸人を見てても分かることだが、芸の道は深いもので、売れて若手でも30代は行っている。
30~40というのは、その道を究める者にとっては、いい経験をすることが大切だ。経験をすれば、積もったものが何かの拍子に実になり、花となる。
後は、信じる力と、運だ。
 
写真は2007年のインド、砂漠の男。
 

アーティストや本当の強さとは?

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今週は週6日間のボクシングジムワークと、朝4日間のロードワークを行う。
日曜日はトレーニングをしない日。銭湯に行って1週間分の疲れを取る。銭湯から出たら、美しい虹がかかっていた。
6時半頃だと思うが、人生で一番美しく完璧な虹だった。
パキスタンやネパールの6000メートル級の山々や星空、インドのガンジス、アジア(特に砂漠地帯)の美しい夕陽を経験すると、
日本の景色にはほぼ感動しなくなったが、今日は違った。しかも近所で。
雨が降った後の晴れ空、見る位置、ほんの一瞬、様々な要因が重ならないと虹は見られない。夕陽などとは希少価値が異なり、純粋に感動する。
縁起も担いでしまう。
 
ブログに書いていることは基本的に変わらない。今、熱中していることで、ボクシングや写真関係。
最近ずっと、アーティストや本当の強さとは何かを自問自答している。写真家の端くれであるならば、作品としての写真を撮り続けている写真家も立派なアーティストだ。
遠く及ばないが、肉体で表現しているボクサーも立派なアーティストだ。
 
どんな分野でもアーティスト(アスリート)と呼ばれる人達は、自分の限界にチャレンジし、本当の強さを得たいと願っている。世界チャンピオンの内藤大助さんは、
子供の頃いじめられっ子でボクシングを始めたが、世界を獲った今、本当の強さとは自分の精神的な強さと語っている。
 
長渕剛さんも昔に比べて、かなりの筋肉質になっているし、ミュージシャン、俳優、小説家、純粋にアーティストと呼ばれる人達も、体を鍛えている人は多い。
ずっと通っている下北のジムでも、場所柄そういう人達が多いし、満足して去って行く人もいるし、ずっと続けている人もいる。
 
写真家でも基本的に同じだ。写真(様々な分野)で表現しようと思ったら、自分の肉体と精神に行き着く。肉体と精神から、そこからの経験から表現が生まれている。
自分が経験しなかったら、説得力が出ない。
 
本当の強さとは最後は自分の精神(魂)と呼べるものだが、本当の魂を手に入れるには、肉体的にも鍛えなければならないという思想に行き着く。
肉体を鍛えて、精神も徐々に鍛えられていく。物書きなら肉体がなければ物は書けないし、精神力もなければ書けない、用は両者のバランスだと思う。
旅をしなくて写真から離れても、思想は写真家(特に男なら)も一緒。
 
究極は小説家の三島由紀夫だが、体を鍛えて、45歳で自決をしてしまった。常人の域を超えすぎて、頭が良すぎるのも判断を誤らせる。
頭は普通で良かったと思うと同時に(普通ならどこかで逃げ場所を作る)、表現者の端くれであるならば、三島由紀夫も見習わないといけない部分もある。あれだけストイックな人はいない。
 
本当の精神の強さとは何かも一生考えるだろう。タイ、カンボジア、バングラ、インド、パキスタン、どこでも物を乞う人達はいる。日本と決定的に違う所は、子供の物乞いがいることだ。
僕のその国の貧しさの目安は、数字で表すGNPなどではなく、実際に自分が生でその街や駅や通りを歩いていてどれだけの物乞いがいるか、そして子供の物乞いがいるかである。
国によっても、街が変わればほとんど物乞いがいないこともあるし溢れていることもあるし、年が経てば変わるし、そもそも流動的であるが、まずは自分の感覚が正しいと思うし、基本的にずれていないと思う。東南アジアであれば、タイやベトナムは少なく、カンボジアは多い。インド、パキスタン、バングラはそんなに変わらないが、昔ながらの習慣(カースト制度)や貧富の格差、人口の多さ、宗教的なこと(ヒンドゥーよりもイスラムの方が厳格だ)、物乞いを職業とする集団、インドの子供の物乞いは多い。日本は不況、不況と言っているが、戦後の写真の様に物乞いの子供達を一人でも見るようになったら、本当の危機的な状況だろう、まだまだ平和であり、豊かな国だ。
 
専門的な解釈は学者やジャーナリストに任せるとして、ここで言いたいことは、貧しい物乞いの子供達は、本当の精神的な強さを子供ながらにして持っている。どんな強い大人のプロボクサーも、
著名な小説家も敵わない。貧しいという過酷な状況が、精神的に強い者を育てていく。
 
少年少女の存在を知ったという大義名分もあるし、自分の為でもあるし、トレーニングは欠かせない。
 
ボクシングを続けていると分かるが、ボクシングは自分とも社会とも闘っている。自分や社会に負けない肉体と精神を信じるのである。
 
肺の状態もいいし、続けているとさらなる欲も出てくるし、後悔したくないし満足したいし、今までの人生の悲しみも積もって来るし、5年目にして一番の夏の練習量になりそうだ。
 
今までプロテインなんて使ったことなかったが、とうとう買ってしまった。一番オーソドックスで、安いものだが・・・のめり込んだら、性格上、勉強しそうだ。
一流のトップアスリートはほぼ何かしらのプロテインやサプリを飲んでいる。
週、5,6にトレーニングを増やすと、普通の食事じゃ足りなくなる。夏になって、自然と体が欲してくる。
 
今年の夏は闘える肉体と精神作り、写真家から反れるが、まずはそこから始まる。また明日から走ろう。
 
写真は2005年と2007年のインド。
 

様々なスタイル

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今日、明日はバイト休み。
午前10時から1時間走り、20分筋トレ、シャドーをする。
夕方ジムへ行き、全部で19R、筋トレをする。
 
風があるのが救いだったが、とにかく暑かった。炎天の中を走るのは、だいぶ鍛えられる。暑期のインド圏撮影旅のトレーニングにもなる。
 
19Rの内、3Rトレーナーとマスボクシングを行う。マスも定期的に行うと、自然と体が慣れて来る。まだまだだが、パーリーで相手のパンチを弾いたり、
余分なパンチをもらわなくなり、だいぶ防御が出来てきた。踏み込まないと相手に強めのパンチが届かないし、かと言って防御は疎かに出来ないし、
防御と攻撃の兼ね合いが非常に難しい。やる度に奥が深い。
 
ボクシングを続けていながら、昔のボクサーはあまり知らないけれど、たまたまネットでリカルドロペスの試合を見る。
名前だけは聞いたことがあったが、試合映像は見たことがなかった。
すごい足技で、精密機械と言われるだけあって、的確に強いパンチを打ち込む。
知らないだけで、もっと魅力的なボクサーは多そうだ。
ボクシングも極めれば、芸術と思える。
 
ボクシングを見たり、実際にやっていると、「スタイル」という言葉が浮かぶ。
ファイターがいたり、アウトボクサーがいたり、トリッキーな者がいたり、ガードを固めコツコツと当てていく堅実派がいたり・・・・
その人の性格や生き様も垣間見える。20代はファイターだったのに、30代になって技巧派になる人もいる。
ボクシングは体力と経験が必要だから、30代になって体力が削られた時に、経験重視になるのは当然でもある。
人は年齢(老い)には勝てない。現状を見つめて、今のスタイルを作り出すのである。
 
ボクシングという言葉を、そのまま写真に当てはめてもいい。
ボクシングのスタイル、写真のスタイル。
写真家は、写真人生を歩んでいく中で、自分のスタイルを見つけ、もがき、確立させようとする。
報道写真家から風景だけのファインアート的な写真に転向する者もいる。
ずっと同じ様な写真を撮り続け貫き通す者もいる。どちらも間違ってはいないし、写真家のスタイルであり、生き様なのである。
 
夢を追い続ける者にとっては、スタイルを確立させるのが難しく、スタイルとの闘いであり、葛藤なのである。
スタイルというのは、アイデンティティでもあるのだろう。
 
人は様々なスタイルを獲得させる為に生きていく。
 
まだまだ満足な旅は出来ていないし、写真も撮れていない。
写真は、自分の肉体や精神や思想をカメラや写真に託し、表現していく。
ボクシングも表現と言えば表現であり、肉体で表現している。
 
今は80%でボクシングに打ち込んでいるが、撮影旅に出たり、個展を開いたりすれば逆転する。
金銭や物質的なことも影響するし、上手く行ったり来たりすればいいとも思う。
そうじゃなかったら、一生続かない。
 
表現とは、苦労やつらさや悲しみを乗り越えた上での喜び、生きがいである。
旅や写真やボクシングにのめり込むのも、きっといろんな意味での表現することが好きなのだと思う。
スタイルを確立し、いつか満足する様に(死ぬまで満足しないと思うが・・・)、頑張ろう。
 
写真は、上が2005年、下が2006年のインド。このまま暑い日が続き、梅雨が明けそうなので、雨絡みの写真を載せたいと思う。
どちらも雨期のインドだが、雨が降ると女性の美しいサリーが映えるし、普通の生活が垣間見えるし、
雨期のインドも悪くないと思う。旅は少し過酷になるが、写真では生きて来る。
 

誰にも祝福されない死

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マイケルジャクソンさんの死に対する過剰な報道を見ていると、ひねくれ者なのか、
誰にも祝福されないで亡くなった人達の事を考えてしまう。
 
人は群がる習性を持つから、「あの人が評価しているから、私もしよう」とか、「多ければ多いほどその人に価値観がある」とか、
情報が誇大化していって、左右されることも否めない。他の人に流されないで、自分なりの価値観を持つことは忘れたくないものだ。
まずは、「自分がいいと思ったものはいい」のである。
非難を覚悟で言えば、そんなにマイケルジャクソンがいいとは思わない。と言うか、熱狂するほどのマイケル世代ではない。
バラードには素晴らしいものがあるが、「何であんなに過剰的に整形手術をするのか?」など、
音楽性以外の外面の痛々しい印象が真っ先に来てしまう。
死はその人を神聖化するし、偉大なのは分かっているが、マスコミは持ち上げすぎだろうとも思う。
 
下川裕治さんの「香田証生さんはなぜ殺されたのか」を読む。
時間がある時に、またゆっくりと整理して取り上げたいが・・・
下川さんとは面識があり、パキスタンを旅していた時に、下川さんの出ているラジオに少し出させてもらったこともある。
近くの図書館で偶然見つけたものであるが(そういう時に限って意外なシンパシーが出ているものだ)、マイケルジャクソンの死に対極する
感じも受けた。
 
下川さんの文章はとても読みやすいし、分かりやすい。下手な文章家よりも断然巧い。
香田さんはバックパッカーであり、ジャーナリストや写真家でもないが、旅人は誰でもそこから始まる。
殺される者が悪いのではなく、まずは殺す者が悪いのである。誰でも無惨な死を迎える筋合いはない。
平和な世界であったら、起こらなかったことだ。
香田さんの死は、今の不安定な社会情勢もあるし、世界(アジア)を旅したり写真を撮ったりする者にとっても誰にでも降りかかる危険性はある。
紙一重である。全然違うケースであるが、いわゆる辺境の地で、交通事故に遭ったり、病気で亡くなったりする者も意外に多い。
 
忘れもしない2004年だ。アフガン行きを断念して、パキスタン全土を回って、バングラに着いた。しばらくしてバングラのダッカの宿のテレビで香田さんの
誘拐のニュースが流れていた。誰でも自分に置き換えるが、「あの時もしアフガン(カンダハル)に入っていたら、香田さんは自分だったかも?」
と衝撃的だったのを覚えている。
 
旅の鉄則は「郷に入っては郷に従え」である。着いたその日は無理だとしても、特に厳格なイスラムの国で、Tシャツに短パンは確かにまずいとは思う。
パキスタンでも民族服を着ていたが、リスクのある国へは外見からでも準備する必要がある。
後気になったのは、香田さんがボクシングをやっていたことだ。自分とも重ねてしまうが、ボクシングというのは、続ければ続けるほど、自分の弱さを知りより慎重になるスポーツだ。
始めるだけとっかかりは似ている所があると思うし、ただ経歴を見ていると、高校の少しの期間しか続けていなかったと思うし、
やりたいことをコロコロ変えず、諦めずもっと続けていればという想いも消えない。
 
当時はかなりのパッシングを受けたと思うし、誰にも祝福されないで、しかも考えるだけで眠れない殺され方をしたと思うと、上手く言えないが、もっと平等な死があってもいいと思う。
今振り返っても、彼の死は報われないし、頭から離れない。
 
今日は朝ロードワークをして、夕方ジムへ行く。
ジムでは、トレーナーと3Rのマスボクシングをした。まだまだ防御が難しいが、だいぶ形になってきたと思う。
「三角筋が付いてきた・・・頑張れ!」とトレーナーから励ましの言葉も貰う。筋肉について誉められたことなんか一度もなかったが、とてもうれしいものだ。
ここ三ヶ月は、毎日の様に腕立ては200回以上をこなして来た。その成果もうれしいし、次の3ヶ月は腹筋の強化にも努めたい。
 
旅や写真を撮ることの鉄則は、最後は何もかもを自分で判断をすることである。
この先どうなるかは分からないが、何か格闘技を続けていれば、何かしらのプラスにはなる。
この考えは、5年間ずっと変わっていない。
 
写真は2004年、雨期のカンボジア。
 
 
 
 
 
 

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