今月終了

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今日は夕方ジムへ行き、夜ロードワークをする。全部で19Rの内3Rを飯田トレーナーから声をかけてもらいマスボクシングをする。
 
リングの全体を使うマスは頻繁には行えないが、最近は1週間に一度は行っている。より実戦的な練習が出来るので、有り難い。
飯田さんは超人の様な40歳であり、トレーナーの鏡だ。マスでも、最後の方はガードを固め、打たせてくれる。ただこちらのガードが甘くなると、容赦なくカウンターが入る。
中途半端な気持ちだと怪我をするので、歯を食いしばって連打をしたり、マスとは言え本気だ。マスだから助かったものの、強烈なボディーをもらった。
ある程度勢いを付けない(インパクトの瞬間に止めるのが理想だが)と逆にもらうので、その勢いのまま顔に何発も入ってしまった。
ボクシングはスポーツ中のスポーツだ。
 
ブログはあくまで日記である。2,3年経った時に「ああ、自分はあんな動きをしていて、あんなことに熱中していたのか」ということが分かる。文章の練習にもなる。
記録でもいいから、メモしておきたいものだ。
 
今月はジムへ23日通い、ロードワークを18日行い、21日バイトをする。晴れたり、曇りや降るか降らないかの雨だったら走っていた。梅雨ということもあり、ロードワークは減ってしまった。
梅雨が明けたらもっとロードワークを増やしていきたいし、今月はバイトよりもボクシング中心の生活を送っていたことが分かる。
 
しばらくは同じ様な生活を続けたい。もっと金銭的に余裕があった時は、「あそこの個展に出して、あそこの賞に出して、あそこの出版会社に作品を送ったり、持ち込んだり」と2,3に分身させる感じで写真をまとめられた。一写真家でも、今の時代は同じ様な不況の波を感じているし、もっと耐えている感じがする。
一つの所にせっかくまとめた作品を審査の為に送っても、その結果を待つしかない。かなりの非効率で、時間もかかり過ぎることも分かっている。今は指を加えて待つしかない。
「動かなければ何も始まらない」という思いもあるし、「果報は寝て待て」という思いもある。上手くバランスを取って進んでいけばいい。
まずは気持ちの問題だ。
 
空いている間は、ボクシングのトレーニングを行い、次の撮影旅に(いつ出るかは今の所はっきりしないが・・)備えたり、もっと強くなりたいものだ。
 
最後は写真だが、35過ぎくらいからでもいける。ボクシングは肉体だけが勝負だから、後2,3年がピークだろう。経験するのも悪くない。
何でも趣味を延長させて仕事にすると、いろいろな悩みが出てくる。旅や写真をずっと続けているが、やはり悩みも出て来る。
最初の方は良かったが、写真にも限界があるのが分かってくる。そこをどう乗り越えるかも課題だが、写真は作者の気持ちが先行しても、運や出会いが左右して、結果に結びつかない時がある。
頑張りが足りないと言えばその通りだが、どんなに頑張っても報われない時期もある。社会や時代の流れも影響している。他者(見る人、評価する人)がいなければ事は進展していかないから、
他者の思考や時代的な感覚も影響する。一写真家の作品は、誰でも同じだと思うが、どっかで同じ空気が流れているのも確かだ。だから、最初は新鮮でも、後に飽きられ空白時間が必ず出て来る。そこを耐えて、夢を描き、作者は続けていくのだが・・・・。
 
写真ははっきり言って他力本願の要素も強い。年齢もあるし、今は写真だけでは満足できない。もっと自力本願的なものに惹かれてしまうのだ。ボクシングはもっと自力本願で、頑張れば頑張るほど、いい動きが出来たり、身になり強くなっていく(それでも影の努力は必要だが)。
 
後は、特に梅雨時になるとますます感じるのだが、写真はしょせん消費物でもある(その人の生き様でもあり、芸術でもあるが)。昔撮り貯めたポジを入れたシートに黴が付いたりすると、
憂鬱な気持ちになる。どんなに朽ち果てても、旅をするだけよりも、写真は撮った方がいいとは思うが。
写真は簡単には捨てたくないし、諦めたくはないが、一番永遠のものは、肉体に直結する魂(精神)ではないかとも思ったりする。
今は混乱しそうだが、ボクシング(格闘技など、写真から離れたもの)は自分の人生において欠かせない存在にはなりそうだ。
何よりもかっこいい、男らしい生き方をしたいものだ。
 
写真はアジアの雨②
 
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梅雨空

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今は雨がしとしとと降っている。梅雨の真っ只中という感じだ。
 
日曜日は基本的にボクシングやロードワークなどの運動をしない休体日と決めている。日曜日にバイトがあれば出ているので、今月は何かしら動いていた。
久しぶりの日曜日の休みで(平日が休みだと調子に乗って運動量が増える)、図書館や本屋に行ってゆっくり出来た。
 
写真家という職業柄、写真にまず目が行く。図書館が好きなのも、写真で溢れているし、しかも無料で借りられる。
 
写真集のコーナーは必ずチェックするが、ずっとレパートリーが変わらない。それだけ写真集の流通が滞り、作品としての写真集は出すのもリスクがあるし、売れないし、
大衆の支持を獲得していなくて、かなりのマイノリティーな存在だ。売れないのが芸術だと言ってしまえばそれまでだが、何百年後には写真の時代が来るのか、
何とか乗り越えて欲しいし、永遠の課題である。
 
僕の目から見たいい写真というのは、そんなに巷に溢れていない。図書館で見ることの出来るいい写真は、写真家で言えば、野町さんや藤原新也さんの写真ぐらいしかない。
意外な所では、世界の民族という大判に載っている昔に撮られたモノクロの写真や、昭和の子供の写真もいい。
写真は別に質だけではなく、匂いや感動や失われた光景が写っていればいいわけで(きれい、美しい写真だけは論外)、記録で見てもいい写真はいい。
 
近くに高級住宅街があるが、そこの駅の一番でかい本屋に行って写真集のコーナーを見たら愕然とした。何も心に残る写真集なんて置いてなかった。
それが一般的な感覚であって、放浪の様な旅を頻繁にする者とは、何もかもがずれている。正解はないし、別にこちらが直す必要はなく、信じる道を進めばいい、
自分は自分だ。
 
日本に戻ってバイトを再開して、初めは逆に新鮮に思えるが、何ヶ月もすると精神の置き所がやばい時がある。ボクシングや体を動かすことによって、解消されるが、
自分の今まで旅をして来た、撮って来た写真を見直しても、けっこう勇気付けられる。他人にとってはゴミかもしれないが、思い出や苦労が積み重なり、
早足で駆け抜けた自分の人生の大部分が残っている。
 
アジアの旅に出れば、喜びや悲しみもあるし、表も裏も、人であれば何もかもを撮りたいという気持ちがあった。旅をする者にとっても、その日その日や、時間ごとに感情や気持ちが違う。
その時いいと思うものを撮っている。報道写真家の様に苦しい表情だけを追い求めているわけではないし、よくある笑顔だけの写真でもない。(誰でもそうかもしれないが)撮る時は結局は両方撮っている。喜びも苦しみも惹かれるのである。その時撮った例えば子供の表情や、年老いた物乞いが、実は撮る者(自分)の今の感情を反映している。他者は自分でもある。
 
これもからくりだが、写真家というのはけっこうな量を撮っていて、まとめる時に、大部分のコマからチョイスをして、笑顔なら笑顔の子供の写真、報道の様な厳しい雑誌、写真集などが出来上がるのである。それも結局はこうありたいという写真家の夢や今の気持ちである。写真家は、誰もが将来変わるかもしれないし、そのまま行く場合もある。
誰もが光も影も持っているし、そんな単純なものじゃない。
 
ボクサーでも、ただ練習に励んでいるだけでは自己満足に終わり(まずはそこから始まる)、試合をすることによって他者の評価や社会との結びつきを感じる(まずは精神的なもので、物質的な結果も得られるかもしれないし、永遠に得られないかもしれない)。
 
写真家でも、ただ撮っているだけではなく、どこかで試合の様なものをしなければいけない。
 
プロボクサーでもプロ資格を取ってから1年滲む様な練習をして、やっと試合に望める人もいる。試合の間隔は裏の努力がかなり必要で、タフで運がいいボクサーでも一年に3回の試合が限度だ。ボクサーは所属のジムがあり、頑張っていれば強くなれればマッチメイキングをしてくれる。
 
境遇は似ているが、写真家は何もかもを自分で判断しなければならないし、お金も時間も倍以上かかる。気の遠くなる様な生き方だ。
 
踏まえ、まずは自分に満足できるかが大切だと思うし、地味に頑張りたいと思う。
 
写真は梅雨ということもあり、アジアの雨。

最も暑い日

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今日は朝1時間15分ロードワークをして、夕方ジムへ行く。
 
今年に入って初めて30度を越えたらしい。ボクシングをしていると、まさにその通りだと実感する。
今日はとにかく暑かった。16時頃練習を始めたのだが、プロの方もいるので、窓は閉め切られている。
サウナ状態。室内に取り付けられている温度計が30度を指しているが、風がない為に、体感気温35度以上には感じられる。
 
19Rの内、飯田トレーナーと3Rのマスボクシングを行う。だいぶ形になってきたが、疲れてくるとガードが下がる為に、余分なパンチももらう。
トレーナーと向かうと、手は抜けられないし、全力を出し切る様に心がけている。
その後サンドバックを叩き、この暑さだったからかなりしんどかったが、乗り切った。
また暑い季節がやって来た。毎年経験しているが、夏のボクシングは半端じゃない。
でも、乗り越えると、9,10月の涼しくなった時に、かなり成長している。
 
ボクシングの最高潮は、肺がしんどくなって、水の中で溺れた様に息苦しくなる。インターバルで大きく深呼吸をして、態勢を整えながら、次のラウンドに向かうのである。
小学生の頃水泳を習っていて、選手育成コースの手前まで行ったが、かなり泳いだ時の苦しさに似ている。野球のベースランニングや、サッカーやフットサルで走り回った後の疲れにも似ている。じわじわと来る地味な筋肉も使うし、それだけ運動量は半端じゃない。
 
とても32歳のおっさんがやるスポーツを越えているが、若い時のスポーツの苦しさと反面の喜びを、今も味わうことが出来るのは、最後にはボクシングを続けていて良かったと思う。
いい汗をかいているし、青春は続いていると思ってしまう。今はつらいが、いろんな意味で40歳ぐらいで笑う日がきっと来るはずだ。その為には、体力と精神力をもっと成長しなければならない。
安定した地位に就き、いい賃金をもらい、レールに乗って冷房の効いたオフィスでぬくぬくと年を重ねている(今は不況だからそんな会社は少ないと思うが・・・)だけの者を追い抜くという現象が起きることもありうる。
お金や地位というものは、紙一重である。旅でもそうだし、ずっと楽は続かないし、楽して何でも成功はしない。苦労すればするほど、いつか恵まれるし、神様が見てくれている(と思えばいい)。
 
体重は58.5キロぐらいにまで落ちた。自分の中では、53~55キロぐらいまでは落せる(もしプロだったら)計算だ。腹筋も知らない間に、少しは割れて来たが、プロの方の6つに割れた芸術の様な腹筋には程遠い。でも、古代のギリシャの彫刻の様な肉体を一度でいいから経験したいものでもある。
 
お金もないから、ボクサーが良く使うプロテインやサプリは一度も使ったことはないが(使ったら、もっと見栄えのする筋肉が付くとは思うが・・・)、乳製品、大豆、野菜中心の食事は摂る様にしている。ヨーグルト、牛乳は毎日欠かせず、自然のプロテインである。炭酸類はずっと飲んでいないし(コーラなんて、腹が膨れゲップが出て病み付きになるだけで体には良くない)、最近はジュースもあまり飲んでいなくて、やかんで沸騰させた水をペットボトルに入れて冷やしたものが僕の水分の大部分である。それでも、日本のまだきれいな水道水と、好きな時に冷えた物が飲める冷蔵庫だけでもとても有り難い。
 
ずっと旅を続けていたり、インドのサドゥーや様々な国の物乞いなどを見て来ると、節制を心がけあまり贅沢はしない様に自然と身に付いて来る。
自分の中の価値観や問題や気持ちの整理だが、億万長者になったり、ぶくぶくに太ったら何だか悪い。
インドのサドゥーにプロテインなんてないし、チャイだけだが、すごい肉体を持っている。そういうのも影響を受けている。
あまり栄養を摂らなかったり、免疫力が落ちると、前の様に肺の病が再発してしまうから、そこら辺のバランスも大切。
上手くいけば、結果オーライである。
 
写真は2005年のインド。こんな暑い日だから、少しは涼しげのありそうな写真を載せてみた。
 
 

真っ向勝負

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日曜日は仕事に出たし、シフト上の関係から、今日と明日は久しぶりの連休だ。旅から戻って、バイトを再開して週2日の休みはあるが、飛び飛びだった。次の日バイトがあると、気持ちが落ち着かない。生活に追われている。写真家としての仕事をするなら、最低でも週3日の自分の時間が欲しい所だが、最低限の生活費は稼がなければならないから、背に腹は変えられない。
 
今日は朝1時間15分みっちりとロードワークをして、夕方ジムへ行く。3R、飯田トレーナーとマスボクシングを行った。今まで当たらなかった右フックなど、何発もいいのが当たった(その分、何発ももらっているが)。防御だけではいけなくて、ある程度カウンターを覚悟で踏み込み振り切ると、いいのが入る。飛んで来るパンチを恐れない勇気というのは、旅や写真でも生きて来る。
 
マスでも、多少勢いで入ったりする。パンチが入って相手の首が後ろにのけぞる様になると、スポーツなのは分かっているが、すごい複雑な感じだ。マスでもそう感じるのに、ボクシングはやはり過酷なスポーツ。昔の武士は真剣で相手を切る時、どんな感じだったのだろう。申し訳ない気持ちというか、自分がやらなければ自分がやられる、時代がそうなっているなど、もっと複雑な心境があったに違いない。1級のプロボクサーは威圧感やオーラがあるが、昔の武士はそれ以上の人を寄せ付けないオーラがあったと思う。ボクシングなどの格闘技は武士には及ばないが、少しの疑似体験は出来る。武士みたいな人を撮りたいという部分もあるから、いい経験になっている。
 
写真家は公務員ではいられない。ちょっと会ったり、名前を聞いた人でも、写真家は日本各地、世界のどこかで移住したり、長期間生活している人が多い。写真は、そこに行って実際に撮らないと何も始まらないから、当然である。想像では写真は成立しない。旅をしているというだけでも、写真家は誰でも自分の写真や、他者(評価する人、社会など)との関わりに悩んでいる証拠でもある。本当に自分の撮りたいものを撮りたいという思いもあるし、写真家は五感が敏感だから、人(社会)が好きで嫌いな部分もある。アジアや第三世界や田舎に足を向かせる理由の一つだ。少なくとも人も街も時間に追われている東京では、写真は撮りにくいし、生きにくい。後はちょっとしたからくりだが、アジアや田舎の方が経済面でも厳しさが多少は和らぐ。浮いた生活費を写真に回せる。
 
じゃあ、自分は?と聞かれたら、ないものねだりで難しい所だ。東京では闘っている感じがするし、写真の為なら東京で耐えていってもいいという思いもある(2,3ヶ月の旅を永遠に繰り返す)。写真が満足に撮れないから、もっとフットワークを軽くしたり実家に戻ったり、もっと半年間以上で世界を旅したり移住したいという思いもある。写真がなかったら、未練はないし、一通り見たし東京にいる意味はないし、即効で帰っていると思う。
 
ボクシングのシャドーをすると、無我夢中で無心になれるが、見えない相手がいる様な華麗なシャドーはまだまだ出来ていない。後、10年はいる。それが出来るようになったら、辺境の地でも、極端な話、刑務所の様な所でも(昔ハリケーンという映画があったが)、後は自分の精神的なもので、どこにいても自分が揺らぐことはないと信じている。
 
今日始めて知ったのだが、ミニチュアの様に撮れるデジタルカメラがあるらしい。写真は目の錯覚やぱっと見もあるから、そういう風に苦労して撮り続けた写真家が、10年先にはカメラや技術の進歩に負けてしまうこともありうる。最近だと、デジタル加工で、景色を鏡の様に合わせて見せる写真も頻繁に見る様になった。最初の先駆者は持ち上げられるが、テクニックに走りすぎる写真家だと、2,30年先には長続きしない。
 
やはり最後には被写体命になる。昔の土門拳のリアリズムは今の時代、なかな難しいが、真っ向勝負、懐古主義の写真は、長いスパンで考えれば廃れない。写真の正攻法である。写真を技術に頼りすぎるのではなく(最低限の物で)、最後には魂や気持ちや思想や自分の生き様で撮るのだ。今の時代、誰でも不安にさらされ(政治家でも迷っているのだから当然)、どの様に生きていいのか迷ってしまう。
 
明治前の動乱期と思えばいい。写真家でも然り、誰でもチャンスはある。自分を写真家の志士の一人だと思えばいい、新撰組の本を見ると励みになるし、別に夢半ばで散ってしまっても、何でも乗り越えられそうな気がする。ボクシングのトレーニングには励んでいるが、まだまだ自分を追い込んでいない。心のどこかで、「また肺の病が再発したらどうしよう?」と、練習を妥協したり、急に抑えてしまう自分もいる。大丈夫なのに、少なくともそう信じているのに・・・。老いと病は人間の永遠の課題だが、どう向き合うかも大切だ。同じ様な病気を経験すると、沖田総司や、昔の人の気持ちも手に取る様に分かる。弱いからこそ、人の有り難味も分かるもので、そういう意味ではいい経験だったし、いい経験をしている。
 
写真は2007年、インドのプシュカル。

自分の職業

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今日、朝1時間15分ロードワークをして、夕方ジムで2時間ほど汗を流す。一日で3時間もトレーニングにあてれば、普通の練習生以上だと思う。
 
ジムワークでは、全部で19Rの内、飯田トレーナーから声がかかり、3Rマスボクシングを行う。5年前、ジムに入り、基本のジャブから学んだのが飯田トレーナーだった。
ミット打ちでも、マスでも、練習生の今の力のさらに上の力を出し切る様に上手く圧力をかけ指導してくれる。最初の頃はミット打ちでさえもかなりしんどいが、乗り切ると自信になったのを覚えている。
 
元プロボクサーであり、現役のトレーナーはやはりすごい。マスでも、リングの上に立ち向かうと、一回りも大きく見える。疲れてくると体がぶれたり、息が少しは上がるのに、平気そうだ。知っている人の中で、まさしく最強の40歳である。とても僕よりも8年も年上の40歳には思えない。永遠のアマだが、強くなる為には「日々のトレーニングだ」と自信になる。プロを目指す者には多少は厳しいが、飯田トレーナーに頑張って付いて行けば、いい選手が育つと思う。
 
ボクシングは奥が深い。相手がいるだけで、普通と違うし、難しい。打ち込もうと思えば、もらうし、だからと言ってガードを固めるだけでは試合にならない。攻撃と防御のバランスが非常に難しい。
飛んでくるパンチはやはり怖いし、目が離れてしまうこともある。2枚のTシャツは汗でびしょびしょになったし、いい練習が出来た。
 
写真もボクシングも正確な答えがないから面白い。今は他の人の個展を見に行ったり、雑誌もまめにチェックをしていない。そういう時間があったら少しでもロードワークをしたり、ボクシングの為に睡眠を確保したり、休息をしたい所。徹夜なんかしたら、次の日のボクシングワークなんて絶対に出来ない。ボクシングの運動量や疲れは半端じゃない。
 
もちろん遥か未来の写真の為には、反省しているし、今の生活をいつか変えなきゃいけないことも分かっている。何でも自分の気持ちの整理や問題だ。浮き沈みの激しい自分のアイデンティティを維持させるにはボクシングも欠かせない。写真家というのは、五感が敏感で、他の人の写真を見たり影響を受けたりする中で、けっこう流されやすい生き物だ。ボクシングに集中することによって、下手な影響を受けなくて済む、自分のあるがままで生きればいいのであると思い直し、見ていない理由にしている(反省を踏まえた上で)。
 
写真家であっても、ずっと仕事は続けられない世の中だ。ボクシングでは本当の意味でのプロにはなれないし、写真は自分の気持ち次第でプロにもなれる。人は誰でも誰かに認められたい生き物だ。写真なら、少しの結果はあるし、迷いそうになりながらも、ボクシングなどで遠回りをしながらも(いい経験をしながら)、前向きに進みたい。
 
迷ったら、寺山修司が自分の職業は何と聞かれた時に、「寺山修司」であると答えた様に、「武藤弘司」であると思えばいい。
社会でも、会社などでも、自分の顔が見えにくくなったり、個性が押し潰される中で、マイペースや自分の道を貫いたり、いい意味での頑固さやプライドや自分の職業(名前、性格、血)は大切である。
 
写真は2004年のバングラデシュ。

長い長い道のり

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4週間続けて6日間ジムへ通う。
 
今日はジムの興行の日なので、時間が短縮され行けなかった。
 
本当なら観戦したかったが、とにかくチケット代に回すお金がない。
カメラもレンズもメンテナンスに出したまま。
ボクシングでは通うことでいっぱいいっぱいだ。
 
朝のロードワークをして、前回のバングラの現像済みフィルムの3分の2を撮りに行く。コツコツとバイトをして、2、3ヶ月かかった。
でも、まだ残り30本ある。一人暮らしだと、日本に戻ると生活に追われ、現実の余裕がない。
景気や、会社の低迷、各家庭の消費の落ち込みや、様々なマイナス面もあるのか、自分の精神的なものなのか、今年は昨年以前にも増して苦戦を強いられている。
と言いながら、ボクシングには打ち込んでいるから、自分でたぶんそういう風に追い込んでいる。辞めれば、バイトを掛け持ちしたり、ひょんなことから持ち込みが成功したり、一時の収入は上がる。
でも、自分に納得できていない。まだまだその時期ではない。
10年、20年先を考えれば、バイトを掛け持ちしたり、連載ではない単発の写真の仕事をやってすぐに終わるのではなく、ボクシング(写真以外の強み)や自分の基礎体力や足元や思想を固めて未来に繋げることだ。写真から離れても、少しでも強い人間になることだ。まだまだ生かしきれていないし、生身の人間が強くなければならぬ。
 
今のバイトの収入でも、食費や遊行費を削り、毎月2万貯金すれば、何の病気もせずに、1年間で少なくともアジアのどこかへは行ける。今、カメラとレンズをメンテナンスという人質に出しているから、今年はもっと苦戦を強いられそうだが、何事も前向きに考える。
 
精神的に落ち込みそうになったら、ボクシングでもして、体を動かせばかなり救われている。旅が出来なければ、写真が撮れなければ、ボクシングが上手くなれればいい。自由を感じれればいい。
 
何でも長い長い道のりがかかる。とりあえず、7,8,9(一番暑くてつらい季節)はバイトを続けながら頑張ってハードなトレーニングも続ける。それを乗り越えれば自信になる。
 
10月からどうしようかと考えている。
 
写真は2004年のバングラデシュ。

たんたんと

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先週は、バイトが6日、ジムに6日通う。朝のロードワークは雨ということもあって、3日しか出来なかった。本当のプロを目指す人なら雨でも走らないといけないが、中途半端な位置にいる者にとっては、妥協してしまう。人は怠ける生き物だ。
 
ここ3週間、ずっと6日間ジムに通っている。バイトをしながら、6日というのは、32歳になるとけっこうきつい。1日減らして5日と体の疲労度が全然違う。2,3年前と比べたら断然練習量が多いが、
年齢を考慮すると、だいぶ体が慣れて来ている。どこまで続けられるか、自分との闘いだ。
 
何勝もしているプロの方には頭が上がらない。サンドバックを叩く手数であったり、フットワークを多用したり、追い込み方や、アマとは瞬間の運動量が違う。それでもより強くなったり、上達するコツは、まずは根気良くジムに通い練習量自体を確保することだ。
 
プロの方を見ていても、6日ジムに通っても、毎日追い込んだりはしていない。スパーリングなどの激しいトレーニングを続けた次の日は、少し抑えたり、体調が優れない時は軽く流したりしている。
 
試合を控えている選手を見ていると、人生勉強になる。追い込む練習をしたり、軽く流したり、休む時は休んで、体重を徐々に減らしていって、本番の日に最高の状態に持って行っている。
 
写真家の勉強にもなる。1回長期の撮影旅に出かければ、写真が撮れる日もあれば、撮れない日もある。体を壊す日もある。2,3ヶ月の撮影旅期間で、上手くバランスを取りながら、全てのフィルムを撮り終えれば、盗難にも遭わずに、無事に持って帰ればいいのである。数年前の撮影の時は、かなり追い込んでいたし、たぶんプロボクサーの精神状態と少し似ていたと思う。
 
まずは自己管理から全てが始まるし、ボクサーも写真家も似ている。最初は別に有名になろうと言うのではなくて、毎日トレーニングをして、1試合、1試合、自分や相手との闘いに勝って、積み重ねていくのである。誰が応援しようとなかろうと、稼いでいてもなくても、ボクサーは試合に望むし、別の次元で闘っているし、自分なりのプライドを持っている。
これからの生きるヒントが隠されている。
 
今は不況でも、健康志向や、食品(栄養)に関することは、変わらない。ジムは、不況知らずだ。社会が不安だったり、誰を信じていいか分からない世の中になればなるほど、人は内側や自分の健康に向いて来る。
 
体重は61、2キロを行ったり来たりしている。マックスが69キロだったから、維持している。プロボクサーに混じって、トレーニングに励めば、後は自分次第で自然とそうなって行く。そこからプラス、さらに強くなりたい。
 
たんたんと。虎視眈々でも使うし、淡々という漢字でも使う。何かを狙いながら、常に冷静を保つように心がけながら、上手くバランスを取りながら、明日からも頑張ろう。
 

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