俺の肺よ、持ってくれ

コメントをどうぞ

今日もジムへ。全部で18R,筋トレ腕立て110×3、腹筋50×3を行う。
 
朝晩急に寒くなって来た。体調を壊さない様に気を付けたい。寒い気候で乾燥している地域に菌は潜伏する。人の免疫力が落ちた所にすっと入り込む。
 
ミット打ちをしながら、咳き込みそうになる。「ああまた、再発したか?、いや運動によるものだ」心の中で叫びながら、多少抑える自分が心苦しい。
 
きちんと半年間抗生物質を飲み続けた。普通に考えれば多少無理をしても大丈夫だ。60歳以上ならともかく、まだ32歳だ。自分の肉体はこんな所でくたばるわけがない、自分を信じるように言い聞かせる。
「俺の肺よ、持ってくれ!」
 
もう10月も終わり。今年はあっという間だ。
今月は20日間、ジムに通うことができた。
バイト20日間、ボクシング20日間、お金は稼げていないけれど、やっと体力は戻ったかそれ以上になったと思う。一度病気に罹ると、慎重になる。今は栄養や睡眠を削っても何かに没頭することはできない。運動様々だ。去年よりは間違いなくボクシングが上達しているし、強くなっている、こういう年があってもいい。また来年以降に挽回する。
 
 
 
 
広告

小説家と写真家

コメントをどうぞ

今日もジムへ。全部で20R、筋トレ腕立て110×3、腹筋50×3を行う。
 
最近図書館で借りた浅田次郎の「歴史・小説・人生」を読む。対談形式で面白く、スラスラと読めてしまう。
北方謙三との対談での結核の件が印象深い。北方さんも結核に罹ったことがあったのか。
柔道をやっていたらしいが、集中力が続かず最後は押さえ込まれて終わるとか言っていた。
 
僕はボクシングを続けているが、インドの撮影旅から戻って、さあ、これから頑張ろうと思った矢先、肉体労働を続けながらボクシングをやったりしてなおかつ写真をまとめたり持ち込みをしていたら体調が悪化してしまった。たぶん工場での雑誌の仕分けの時の粉塵が発症した原因の一つだと思う。
 
この病気を聞くと引いたり心配する方も多いと思うが、今でも良く分からない。最初は動揺したが。時間が経つに連れて冷静になり、誰でも何らかの菌は持っていることが分かった。。飛沫検査では異常が見られず、人に移るほどひどくはないし、隔離入院の必要はなかった。ただ痰検査で培養した結果、肺のどこかで隠れた悪性の菌が見つかってしまった。昔の医療では通り過ぎたものが、最新の医療では見つかってしまった。
 
その後半年間専門の薬を飲み続けたが。それが今年の2月からで、もう完治していると思う。お蔭で今年一年間どこにも撮影旅に行けず棒に振ってしまった。振り返ると、最悪のピーク時は死ぬかと思った。血痰こそ出ないが、運動の持続力がなく、すぐ咳が出るし痰は出るしゼエゼエ言ってしまう。ボクシングをやっていても持続力がない。司馬遼太郎は新撰組の沖田総司の件の中で、「蝶がぱたぱたとする様な妙な咳をする」と言っていた。そう、空咳なのである。
 
薬を飲み続けながらも医者には内緒でボクシングは続けていた(お蔭で今は体力も付いたと思うし、もっと逞しくなった?)。北方さんの柔道で例えるなら、ボクシングだと本気で動いて集中して、2R(6分)は持つ。最悪の時もトレーナーの激しいミット打ちには付いていけた。途中で「止めます」なんて言ったことはない。ただそれが10R、20Rの練習を続けると、集中も体力も極端になくなる。たぶん本当の試合なら2Rまでで一発が当たればKO勝ちになると思うし、それ以上だと相手にボコボコにされると思う。
 
お蔭でもっと沖田総司の気持ちが手に取る様に分かった。真剣なら10分以内で勝負が決まる。沖田総司は技術と反射神経と集中力で短時間で相手を倒したと思うし、長期戦になればどこかで横になったり体を休めていたと思う、そして次の戦いに備える。短期戦では強く、自分の死を悟り、妙に明るい青年であったという記述も納得いく。
 
この病気は抗生物質を飲まなければ悪化を辿っていく。晩年の沖田は床に臥せたままだった。自分に置き換えると、現代の医療で大切な命を拾うことが出来た。
 
体がだるく気持ちも後ろ向きになるのが特長で、旅の計画を立てたり、写真を長期で撮ろうとしたり、思想を練ったり、自分の中で何らかのテンションを上げようとしても変な咳が出てしまった。何も考えず社会に同調して、大部分をおとなしく寝るのが最良の治療薬である。今では旅の計画を立てようとしても咳は出ないから、調子はいい。
 
小説家は短編と長編の両方が出来れば素晴らしいと言う。写真家なら短編が1枚写真や5枚程度の組み写真だと思う。長編なら30、40枚程度の個展やもっと多い写真集だと思う。5枚程度の組み写真なら得意だが、個展となるとやはり難しい。アイデアはたくさんあるのだが、どれもちぐはぐな気がする。リスク(お金など)を賭けてまでもまとめようと今は思えない。健康なら撮ることを優先するし、まとめるのはもっと病んでからでもいい。写真家はまず撮ることが先決だ。
 
小説家の生き方は写真家に通じるものがある。小説家ならまとめる前にまずは行動して取材して自分の目で確かめることが先決だろう。想像は経験したことからしか生まれない。 
 

揺ぎ無き自信が欲しい

コメントをどうぞ

今日もジムへ。全部で19R,筋トレ腕立て110×3、腹筋50×3を行う。
やはりボクシングは奥が深い。ジャブ、アッパー、フック、ストレートを左右で8通り、上下で16通り。ダッキングやウィービングやスウェー、バックステップやワンツー、4連打、8連打、様々なコンビネーション、フェイントやタイミングをずらしたり、それらの組み合わせは天文学的な数字になるはずだ。たぶん基本は一緒でもそれぞれのジムによって特性があると思うから、知らないだけで変わった技もあるに違いない。
 
練習を続けていて、心底プロボクサーを尊敬する。肉体と心と技の勝負で、強いものが生き残る。かなりのシビアな世界だ。
 
判定にもつれ込めば、審査や運も左右する。写真はもっと曖昧だが、写真の世界に通じるものがある。数字や理論や明確な答えがないから、ボクシングも旅も写真も自由を感じ、やりがいがあり続けられるのかもしれない。
 
新撰組や、最近では宮本武蔵にはまっている。ボクサーでもそうだし、旅で出会うサドゥーや頑なに宗教を信じたり、肉体労働に費やしたり、時代錯誤の男達に惹かれるのかもしれない。時代の流れを考えれば、(想像したり計算したかもしれないが)結果的にはどう見ても分がないのに、その道を進む。
 
ITや情報社会が進み、カメラでもデジタルが当たり前になって来ている。今はラボで働いているが、半分以上はデジタルの注文だ。でも、未だに自分はフィルムを使っている。基本スタイルは35で旅に出て、ポートレートも含めて世界を掬い取るスナップの形式だ。4×5や中判、三脚を立てて質感を際立たせたり、ファインアートではない。
 
旅には移動が付き物で、フットワークを大事にしたい。続けていると限界も感じるが、その道を進んでいる。大部分の写真家も様々な特性や弱みがあって、悩みを抱えながらも、進んでいる。時代錯誤の一人だし、テレビがメインを占める中にあって、写真家も新撰組や宮本武蔵やプロボクサーと似ている。
 
悩みながらも揺ぎ無き自信が欲しい。
10
 
 

焦りの衝動

コメントをどうぞ

今日もジムへ。全部で20R、筋トレ腕立て110×3、腹筋50×3を行う。
 
不安は完全には消えなく、サンドバックを打つ力も入りすぎるし、自然といつもよりも多く練習してしまう。
写真家なのに・・・2ヶ月は全く写真を撮っていない。写真の限界を止せばいいのに想像してしまうし、定職にも就かずこんなことを続けていていいのかという思いや、写真を撮る為に歩き続けてもものになるのはほんの一握りであって、ボクシングを続けたり筋トレをすればその分力になるのに比べて写真の筋肉を得るのにはかなりの年月がいる。普段は楽観的な方だが、旅に出て夜安宿の部屋で眠る時にじわじわと襲ってくる自由と引き換えのとてつもない孤独や不安に似たものが、日本(東京)にいる時も感じる時があって悲観的になる。
 
悲観的なものをさらに楽観的に変えようと努力するが。人生は無駄なことが大部分だ。
写真を撮るには時間や金銭や数や技術も大切だが、さらに自分の肉体や気持ちが大切である。続けていると、どうしても写真を始めた頃の初心を忘れてしまう。だからたぶん意識のどこかでカメラを遠ざけている。でも、続けなきゃいけないことには自然と焦りが出てくるし、たとえいい結果が出るという保証はなくても、いずれはカメラを握る。と思う。
 
お蔭でプロ並みにボクシングジムに通っている。憧れはあるが、もちろんプロボクサーにはなれないことは分かっている。咳が出ると、「ああ、また病気が再発したか!」と激しい運動を抑制してしまうし、運動した分余計に食べてしまう。免疫力が落ちることがとても怖い。減量には耐えられない。若い頃はあまり食べなくても全然平気だったし、どんな旅や移動にも耐えられた。あの頃ボクシングをやっていたら目の手術をしてまでも挑戦したかもしれないが、そしたら写真と出会っていないと思うし、今の自分もない。結局はないものねだりだ。
 
焦りは誰にも必ずある。どんなに強いプロボクサーでも焦りすぎてついオーバーワーク気味になって風邪をこじらせてしまう。焦りは禁物だ。焦りは完全には消えないが、いかに減らすかだ。普段の仕事でも焦れば焦るほどどつぼにはまる。焦った勢いで本能の赴くままに進んでいってもそのままいい方向に転ぶこともあるが、下手したら命取りになる。
 
運命もあるが、写真家だと一ノ瀬泰造さんやロバートキャパ、病気で亡くなられた方、多くのジャーナリスト、冒険家、旅人がいる。先人達がいるから今の自分があると思うし、憧れや尊敬はあるが、もし自分がそうなってしまったら、天国の自分は嘆き悲しみこの世の未練や後悔を永遠に抱えたままになる。人はいつか死ぬし、何を持って人の成功なんか分からないし、本能で生き続けた方が生きがいがあるし、潔いという思いもあるが、一瞬の強い痛みを思う時、弱い自分は逆転してしまう。
 
写真はインドのサドゥー。サドゥーの考えていることは日本の常識では考えられない。神や宇宙や真理や輪廻転生やとても大きいことも一つだろう。全てではないが、彼らに見つめられると、何かを見透かされた様な気持ちになる時がある。強い眼力や表情は、日本人にはいない。勇気付けられることは多々ある。
IMG_0001IMG_0002

少し太る?

コメントをどうぞ

今日もジムへ。全部で20R、筋トレ腕立て110×3、腹筋50×3を行う。
 
持続しているトレーニングのお蔭かだいぶ見えない筋肉が付いて来たと思っていたが、久しぶりに会った知り合い二人から立て続けに「少し太った?」と言われる。
 
そう言われると、運動している分食べているから、より太るのかもしれない。
 
後は普段の仕事だろう。今の写真のラボで働く前は、雑誌の仕分けの仕事をしていて、けっこうな肉体労働だった。日雇いの様な肉体労働とボクシングと写真は両立が難しく、肺の病気にかかってから、肉体労働は辞めた。今のラボも集配で30分に一度店内を頻繁に歩いたりするが、基本的には写真を現像したり、焼いたり、検品したり、軽作業。肉体労働とは違って、だいぶ体の負担が楽になった。その分、多少太ったのかもしれない。
 
太ったということは、体力が順調に回復している証拠だ。また撮影旅に出れば、間違いなく痩せて戻って来る。もうそろそろ次回の撮影旅の予定を大まかでも立てる時期に来ている予兆だ。ボクシングもだいぶ様になったと思う。
 
アメリカ経済は不況だが、何だかんだ言って、ドルは持ち直す。バングラデシュやパキスタンなどの円の両替が難しい所なら、今真っ先に10万円ぐらいドルに替えて置くのだが。自転車操業で、そんな余裕もない。タイやカンボジアなら来年には行けそうだが、もっと遠いインドやバングラデシュやパキスタンなら、かなり厳しい所まで来ている。でも、今行きたいのはバングラデシュだ。このままだと金銭的余裕で渡航先を変更になるのが悔しい。飛行機の燃料代も上がって来ているし、外国へ行く写真家には今が一番きつい時代だ。まあ、信じれば何とかなる。
 
写真はネパールの女性と、インドの男性。
IMG_0001IMG_0002
 
 
 
 
 

写真家は孤独

コメントをどうぞ

今週は5日働いて、5日ジムへ行く。
9時から18時までラボでアルバイト。残業はしない。19時から21時まで約2時間ボクシングジムで練習をする。
今年に入ってからの日課になっているが、ジム通いも週に4、5日と連続で通うとけっこうきつい。それらを月単位で続けていくと、やはり見えない疲労が蓄積されていく様な気もする。逆にストレス発散にもなっているし、不安を追い払ったり、刺激的になっているが。
行く前はきついが、行ったら行ったで体が動く。人間は慣れるし、様々な環境で適応していくものだ。
筋力的には全く問題ないが、肺に多少の問題を抱えている為、呼吸器系的には少しきつい。いつまでボクシングの練習を続けられるか分からないが、
続ければもっと鍛えられると信じて、続けていくしかない。目安は40歳までだ。そこまでは出来る限り続けていく。旅にも写真にも生きてくる。
 
亡くなられた俳優さんや画家や作家や同じ様な写真家さんの遺作集を見ると、泣けてくる。たくさんメディアに露出していたり、かなり有名な表現する者にも到底及びない。誰も分からない死というものが想像を膨らませ、前者から多大な悲しみや感動を受ける。たぶんこちら側も運やタイミングによっては、最悪の場合になる可能性も秘めているからだ。
 
かなり暗くなったが、誰もが孤独。孤独というものにいかに上手く付き合うかだ。売れない写真家を続けていくと、打たれ強くなってくる。まるで4回戦ボクサーの様だ。
 
旅に一人旅はつきもの。旅先で同じ民族衣装を着ていたり、友達同士で楽しそうにしていたり、夫婦で聖地巡礼をしている光景などを見ると、羨ましくもあり、純粋にいいなあと思えて来る。人はないものねだりで、ないものに憧れる。
 
IMG_0001IMG_0002IMG_0003IMG_0004IMG_0005IMG_0006
 

食べる子供

コメントをどうぞ

テレビは見る。美味しい店を紹介したりするのはいい。どうしても納得いかないのは、大食いの番組だ。
気分が悪くなったり、もったいないと思うだけで、あの手の番組を見て面白い人はいるのかなあ。。。
 
純粋にお笑い芸人さんなどのトークだけの番組は見ていて好感がもてる。アーティスト、話芸の達人という感じがする。
今売れている人もたいていの人は苦労をしている。貧しかった頃の話とか、苦労話とか、他人にとっては失礼かもしれないが、そういうのが面白いのである。
30代でも若手である。お笑いは今ブームだからと言って安易に走ったら失敗すると思うし、最後は続けている人の志の高さだ。最後は一人になっても、信じたものだけが生き残れる。志と覚悟だ。
 
ベクトルがお笑いに向かっているか、シリアス(写真)に向かっているかで、写真家も芸人さんに似ている部分がある。ベクトルが己の肉体になれば、プロボクサーや格闘家になり、その道だけで食べていけるのは、それぞれの分野の全人口の1割程度だろう。純粋な写真家だけではまず食べていけない。運やタイミングもあるし、それらを踏まえどう続けていくかだ。たとえ一時は中断していても、全く関係ないアルバイトをしていても、リングに上がっていなければ、一生チャンスは来ない。
 
写真というのも先進国の日本だから成り立つことであって、発展途上国からすればお金のかかる趣味や道楽だ。上手くいかないとどうしても悩んでしまうが、日本人はまだまだ恵まれている。
 
その日に食べる米に困っている子供も世界にはたくさんいる。そう思うことも無責任かもしれないが、まずは考えることだ。実際に生で見ると、僕の今までの旅の通過点であり、人生形成の一部であり、匂いや音や視覚が蘇って来る。「あの時写真を撮って良かったのか?」反省と後悔は消えないが、棺桶に入るのもまた納得できないのは事実だ。
 
ボクシングを続けているが、試合はないし、特に減量はしていない。ただ一人暮らしだし、最低限のもので栄養のあるものしか食べていない。暴飲暴食はしない。毎昼、夕、ごはんは茶碗に一杯しか食べていない。同じメニューがずっと続くこともあるが、昨年は撮影旅資金を貯めるあまり焦りすぎて肉体労働をし、食を削りすぎて肺の病気に罹ったから、なるべく気をつけている。安くてたんぱく質もカルシウムも摂れる牛乳とヨーグルトは毎日欠かせない。
 
同じジムで汗を流すプロボクサーがいい見本になっている。食べるということは人間にとってもっとも基本で大切なことだ。
 
今まで撮って来たゴミの山やインドやバングラデシュの路上の食べる光景もふと思い立ってアルバムから取り出して見ると、言葉にならない思いをする。
IMG_0007IMG_0008IMG_0009IMG_0010IMG_0011IMG_0012
  

Older Entries