走ること

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しばらく走っていなかった。病が完治して2週間が経ち、ジムに通いながら経過を見ていた。肺に爆弾を抱えている様で、無理をしたらいつまた再発するか心配だった。32歳を向かえ、以前の様に体力に自信があるとは言い切れない。
 
今日久しぶりに走ってみた。肺の調子もいい。ボクシングの練習で縄跳びは基本。体を温めたり、リズム感やふくらはぎの筋肉を鍛えられると思うが、要領を覚えるとそんなに疲れを感じない。縄跳びだけでは肺を酷使した感じはしないが、走ると肺に来る。縄跳びは縦の動きだが、走ると前に蹴り出す力が強く別の筋肉を使っている様だ。特に太ももが痛くなる。ボクシングのジムワークとも使う部分が違う。
 
体の状態も良好だし、もっと体力を付ける為にもっと積極的にロードワークをしたい。
 
プロボクサーは減量中に抵抗力を落として風邪を引いたりする。昨年の教訓だが、次回の撮影旅の資金を貯めようと食費を削っていたら体を壊してしまった。年齢や病には勝てないし、免疫力を落とさない様に栄養は必須だ。毎日ヨーグルトや牛乳は欠かせない。そう言えば、アジアでもインドだったらチャイは飲んでいるし、パキスタンの山奥でも砂糖ではなく塩入のチャイをもてなされたことがある。写真家としての考えはアスリートと一緒だし、フィールドにしているアジアにも今思えば役に立つ教訓があった気がする。ミルクはたんぱく質やカルシウムが豊富であり、糖分や塩分は疲れを和らげる。
 
写真代を削る所と言ったら、交際費や食費だが、極端に食費は削らない様にする。健康あっての写真人生だし、なかなか今の収入だとすぐには撮影には行けないが、いずれチャンスや頃合いは来ると思うし、気持ちでは焦ってもなるべく冷静に保ちたい。
 
次回行くとしたら、パキスタンか、バングラデシュか、インドやカンボジアも捨てがたい。以前は全く思わなかったのだが、一度病にかかると、確かに日本の様にきれいとは言い難い。埃も多いし、過酷な風土だし、人も車も混沌としている。そこが魅力でもあるし、呼吸器を完全にし、次回行くことを楽しみにしている。
 
一度病に罹ったからと言って、あきらめない。夢や希望は持ち続ける。
 
写真は2005年10月インドのアーグラー
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アフガニスタンでまた日本人が亡くなった。
悲しい気持ちや無念や無力感を感じる。
アフガンはアジアの一つであるし、人事とは思えない。
 
普通の旅行者とは訳が違う。
NGO関係者で現地に溶け込み、言葉が話せるのに殺されたのである。
相当今のアフガンは危険だと思う。
 
よほど恨みや怒りがなければ、たとえ外国人であっても善意のある人間を安易に殺さない。
西洋に関するあらゆるものを否定し、その人の性格や人間性や思想や目的にはいっさい関係なく、
外国人というだけで殺してしまう。
鎖国状態で、昔の日本の様だ。こちらが善意と言ったって、相手には通じない。
 
何かかが違うと思ってしまう。911のことが頭から離れない。ビルに突っ込むのも分からないし、
その後アメリカが(関係ない者も犠牲にしてまで)空爆してアフガンを支配したのも分からないし、中途半端に放棄して滅茶苦茶になったのも分からない。
2004年頃にマスコミが一斉にアフガンへ入り(それは安全だったから?)、危険になった途端日本人ジャーナリストは入らない。
現地の状況は闇のままだ。何も分からない。やはり何かが違うと思ってしまう。
 
旅人の視点から言えば、自由に旅ができて写真を撮れることが世界平和だ。
パキスタンやバングラデシュやインドやカンボジアは90%以上生きて戻って来られる。
今のアフガンは50%、生きるか死ぬかのどちらかだ。アフガンが欠けている限り、世界平和には程遠い。
 
今月も終わり。今月は16日間ジムへ通う。
プロボクサーはほぼ毎日の様にジムへ通う。体を動かさない(鍛えていない)と不安だからだ。
プロではないが、様々な不安が消え去ることはなく、練習はきついが自然と足を運んでしまう。
 
2004年9月、パキスタンのクエッタのイスラム宿にいた。上空をトムキャットの様な軍機が爆音を響かせて宿の上空を飛んで行く。
こんなに不安な、誰も頼れず、印象に残る日々を過ごしたことはなかった。
4年経った今になっても、複雑な思いは消えない。
 
写真は2006年11月インドのバンガロールにて。
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肉体的芸術

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昨日もジムへ。全部で17R、筋トレ腕立て90×3、腹筋45×3を行う。そして、今日も夕方ジムへ行く予定。
 
オリンピックやスポーツを見ていると、続けている競技によって体つきが変わって来る。体操や水泳やボクサーの肉体は芸術だと思う。見せない筋肉だが、しっかりと筋肉は詰まっている。ボディービルやパワーリフティングの選手は筋肉が付き過ぎていて、少し劣っていると感じる。体操も水泳もボクシングも、基本的には抵抗の少ない所で体をとことん動かす。体操やボクシングは空気であったり、水泳は水の中であったり。筋肉が削ぎ済まされて、個人的にはいい筋肉と思うものが付いて行く。プロボクサーの特に試合前の肉体は本当に芸術的で美しい。
 
あらかじめ言っておくが、僕にそっちの趣味はない。ただ32歳になってこれから中年の40へと向かっていく中で、アスリートの肉体を見ていると憧れに近いものを感じる。男なら誰もが超人の様な体力や肉体が欲しいものである。旅や写真を続けていなかったらボクシングをやろうとも思わなかったし、フリーの様な形態でいなかったら己の肉体を少しでも鍛えようとも思わなかった。
 
写真家ということは、一応何らかの作家活動である。時には上段に構えたりするが、「じゃあ、あなたはそんなことを言うほど自分を鍛えているか?」「世界の痛みや悲しみを少しでも理解しているか?」と問われた時に何も言えなかったのではやはり恥ずかしい。知識で頭でっかちにするのではなく、肉体で理解しておきたい。知識や口の巧さで世の中を渡っていくのは政治家や芸能人だけで十分だろう。
 
肉体的な(男らしい)作家に憧れる。三島由紀夫や開高健や沢木耕太郎さんや藤原新也さんだ。写真で言えば、野町和嘉さんや鬼海弘雄さんだ。
開高さんはバックペインで水泳をやっていたそうだが、見た感じはそんなに運動が得意という感じではない。
 
三島由紀夫だろう。金閣寺や潮騒や剣、好きな作品の一つ。細江英公さんが撮った三島由紀夫像や作品を見ていると、実に肉体的だ。経歴を見ていても、剣道やボディービルをやっている。ボクシングは本格的にやっていないと思うが、かじったぐらいはしていると思う。たぶん30ぐらいから始めたと思うが、これから己の肉体が衰える中で自分で納得できないものがあり、やり出し続けたのだと思う。
 
旅に出ている空白時間はあるにせよ、ボクシングを4年も続けていると、肩回りの筋肉が付いてきた気がする。服を着ていると分からないし、地味な筋肉だが。年齢もあると思うが、腹筋だけはどうしようもなくみっともなく感じる。練習後は腹が引っ込むが、食事をするとまたすぐ戻ってしまう。とても六つに割れた腹筋とまでには程遠い。たぶん減量をしたらなりそうな感じがするが、プロではないし、難しい所だ。本当の芸術的な肉体を持ったら、カメラも売り払うし、写真を辞めている気がする。肉体も未熟だし、写真も未熟だから、続けていられるのである。
 
写真はシーク教徒の男。彼らは現代の武士だ。青装束などに身を包み、シーク教徒の総本山ゴールデンテンプルを参拝する。何故あんなに迷いがなく、顔も雰囲気もいいのか。後ろに宗教があるからなのか。あんな風に強くなりたいと思った。
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グローバリゼーション

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北京オリンピックを見ていると、グローバリゼーションという言葉が思い浮かぶ。
利害関係が極度に働き、豊かな者や権力のある者が社会を思う様に操り、貧しい者がますます置き去りにされている。
 
野球ではプロが自由に参加でき、サッカーでは一部のプロが参加でき、ボクシングは完全にプロが参加できない。陸上や体操や水泳は個人で各スポンサーと契約していたりするから、プロなのか、アマチュアなのか線引きさえ難しい状況だ。
見ている側はより困惑するし、不思議に感じる。競技種目によって力のある国や協会の利害関係が働いているのだろう。ルールや判定の曖昧さも目に余る。
 
オリンピックにおけるボクシングの扱いもひどい。視聴率を稼げないからかテレビでは放送されないし、日本人は2階級の2人しか参加していないという理由も分からないし、野球ではプロが参加できるのに、(アマチュアリズムはとっくに廃頽していると思うのに)ボクシングでは依然プロが参加できないという意味も分からない。
 
選手は一人では闘えない。現代のオリンピックでは、世界の頂点を目指すには、様々な協力が必要だ。
選手がより競技に集中したり、より強くなる為には、家族や知り合いの支えであったり、スポンサーを獲得しなければならない。
当然だが普通に残業して働いていたら、練習なんかできない。肉体や精神を鍛えたり、テクニックを磨いたり、十分な練習をするには、十分な休息も必要だし、整った環境が大切だ。
 
少し言いすぎだが、写真家とダブる所もある。一生普通に働いていたら、写真は撮ることができなくなる。旅をして写真を撮るには、最低でも1ヵ月は必要だし、2、3ヶ月は欲しい所。日本で普通に(正社員として)働いて毎年1ヵ月もまとめて休みが取れる所なんてまずない。逆に社長だったら、そんな者なんか首にする。定期的に働いて、時間を優先する。フリーターを選択せざるをえない。景気が不安定だから、アルバイトの身でも社員と同じ様な仕事をこなし、時間やストレスに晒される。出版業界も不景気だから発表の場は少なくなる。実際に次の撮影旅に出かける前に、かなりのエネルギーや神経を使う。生活面や金銭面の影響からか、年々撮影本数が少なくなっていく。
 
写真家もグローバリゼーションを無視することはできない。オリンピックを見ながら、何か不安でもあり、何か寂しい感じもした。何とかやりくりして、続けていかなければならないし、最後は気持ちの問題だ。
 
写真はインドの路上のスナップ。今のインドもグローバリゼーションをモロに受けているが、古い所や生活・習慣・宗教は依然として残り写真的にはまだまだ面白い所である。
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悲しみを知る

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今日もジムへ。全部で19R、筋トレ腕立て90×3、腹筋45×3を行う。
最近はだいぶ涼しくなった。夏の猛烈な暑さを乗り越えたからか、体も動くし、のどもあまり渇かなくなった。
 
仕事を終えた後ジムへ行くまでは何だかだるい感じがするが、いったん練習に入りリングの上ではあまり疲れを感じなくなった。体がボクシングの動きに慣れつつある証拠だろう。
 
薬を飲まなくなっても肺の状態はいい。練習のピーク時になると、激しい動きから肺が締め付けられるような感覚になるが、上手く呼吸でき肺が機能している。変な咳も出ない。悪い菌は完全になくなったとは言い難いが、だいぶなくなった様だ。次大きな病気に罹ったら、実家に帰るつもりで、状態を見ながら練習量を増やしたりして自分を追い込みたい。
 
2Rをトレーナーとマスを行うが、実践は難しい。実践になれば当たり前だがサンドバックを叩いているだけとは違って向こうからパンチが飛んでくるが、防御が難しい。防御から一歩踏み込んでパンチを放つタイミングと距離感も難しい。
 
左フックと見せかけて、ジャブだったり右ストレートや右フックだったり、ボディーへのジャブと見せかけて、上へのジャブだったり、ボクシングにも様々なフェイントがあり、ますます奥が深い。大学の時はサッカーをやっていたが、ロナウドを真似てまたぎのフェイントを練習したのを思い出す。
 
中学で武道が必修化になるそうだが、ボクシングも立派な武道だと思う。己(世界)の弱さを知り、肉体と精神を鍛える。パキスタンのクエッタから一番危険と言われているアフガニスタンのカンダハルへ写真を撮りに入れなかった。結局は怖気づいて逃げてしまったのだが、そこから(2004年)ボクシングを始め出した。何かもう一つ自信となる様な格闘技(武道)をマスターしていたら、後は気持ちの上で入れたかもしれなかった。結局は逃げる勇気も学んだし、命も拾ったし、家族に迷惑もかからなかったし良かったのだが、自分の中で今ひとつ納得できないものがあった。
 
ボクシングを続けたら強くなれるかと思ったら、もっと遥かに強いボクサーがたくさんいるし、自分の弱さをとことんまで思い知らされる羽目になった。より慎重になるし、今のままだったら、まだまだ自分の中でのアフガニスタンへは入れない。
 
そして、暑い時や疲れている時にサンドバックを叩いたりしていると、変な言い方だが今まで通り過ぎた悲しみも知る様な感じがするのである。報道写真家の宿命は見えない声を写真にし、社会的弱者を写真で掬い取ることだ。言葉では簡単だが、実際に写真を撮る側になると複雑な感情が入り(社会の為と言っているが、本当は自分の為ではないか?など)、周りの屈折した見方や時代の流れも多少は影響し、見失いそうになる。
 
写真を撮れないほど悲惨な顔の子供がいたり、上手く説明できないほど過酷な状況の人がいたりする。旅をしていると頭に焼き付いていたりして、夢に出て来たりする。
 
写真はインドの路上の子供。
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天竺路上観察記

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上手く回っていない。写真家は写真で発表しないといけないのに、思う様にいかない。まとめたいものがあるのに金がないし、そのなけなしの金を使ったら次回撮影旅へ行く予定の費用が一気になくなる。写真を撮りに行くことと、写真をまとめること、二つのバランスに悩んでいる。「写真はお金がかかる」、いまさら考える必要もないのだが、自然とため息が出る。
 
東京で暮らす意味も薄らいでいく。いったん実家(名古屋)に戻って、フットワークを軽くして、自由に撮影旅を続けた方が生きがいも感じるし、いい写真が撮れそうだが、勝手なわがままか。
 
東京にいると、下北のジムに通えるし(今はプロ並みの週4,5で通っている)、もう最低2年は続けてできるだけボクシングをマスターしたいものだ。写真だけじゃなくて、本当の強い肉体と精神を持ちたいと思った。やってみると奥が深く、まだまだ未熟で自然と4年目に突入してしまった。今年は写真じゃなくてボクシングに没頭しているから、まあ、写真家失格だろう。
 
たとえ世間に上手く発表できなくても、一生を通じてコツコツと思う様な写真を撮り続ければ、自分の道を貫いた者として、人生においては成功者と言える。本業(写真)ともう一つ没頭できるもの(ボクシング)があれば、最悪の場合をコントロールできる。
 
上手く写真が発表できない→気持ちがもやもやとする、極端に落ち込む。しかし、ジムへ行って鏡の前でシャドーをしたりサンドバックを叩いたりすれば、自信(自分)を取り戻せる。かなりの汗を流しヘトヘトになれば、自殺をしようとする気持ちも起こらない。人生は耐えることの方が多く、鍛えられる。
 
写真はインドのプシュカル。一枚の写真で様々なものが入り込む。多様性のあるインドの路上の魅力である。
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街が動物園

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インドの路上は面白い。
最初訪れた時は、衝撃的だった。
旅を続けていると目も感覚も慣れて来るが、日本に戻って来ると、
「非日常の世界だな」と妙に懐かしく思えて来る。
 
動物も自由だ。
普通に歩いているだけで、野良犬、猿、牛、山羊などの自然な営みを
見ることが出来る。
 
長期滞在するなら、バラナシだろう。
朝、夕、ガートを歩くだけでやたらと気持ちがいい。
ガンジスを眺めていると落ち着く。
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