アイアムボクサー

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今日もジムへ行く。今月は19日間通うことが出来た。
 
ボクシングを始めて(撮影旅に出ている空白の2,3ヶ月間を含め)4年目になる。特に今年はもっと上手くなりたいと思ったり、体を動かしたい欲求が芽生え、1月から月18日前後で打ち込んで来た。
 
自分のペースでできるのはボクシングの魅力だし、自分なりの動きが出来たり、いいパンチが入った時はうれしい。肉体面、精神面とだんだんと鍛えられていくのは達成感がある。
 
やはりハードなスポーツだ。1Rの3分間さえも追い込めば追い込むほど死ぬほど苦しくなる。
 
達成感もあるが、限界も感じている。31歳の僕にとっては、疲れてくれば足がもつれて来るし、勢いのあるパンチも打てなくなる。何よりも筋肉の回復は遅いし、スタミナも低下している。プロの方を見ていると自分の練習量はまだまだ甘いと思ってしまう。プロには減量もあるし、フルコンタクトのスパーリングもある。同じ様な動きをすれば、間違いなくもっと体を壊すだろう。
 
実家の名古屋から用事があって出て来た父親と最近会った。「鍛える年齢はもう終わりなんじゃない?」というニュアンスの言葉が引っかかっている。確かに肉体的に鍛えるというよりも調整する年齢に差し掛かっているかもしれない。年齢には勝てない。
 
ロッカールームで日本フライ級チャンピオン清水智信さんと会った。7月30日の内藤さんとの世界タイトルマッチの調印式を終えて、ちょうど練習を終えていた。
 
いい顔をしていた。ボクシングをかじっている者としては、二人とも雲の上の存在の様な人達。特に清水さんは、同じ所属の金子ジムのエースであり、一番強い人。知っている人が世界へ挑戦するだけでも自分のことの様にどきどきする。是非とも勝って欲しいものである。勝負の世界はシビアだが。正統派の清水さんが勝つか、トリッキーな内藤さんが勝つか。内藤さんの動きに惑わされなければ、十分に清水さんが勝てる。清水さんのスピードやフットワークは本当にすごい。
 
だんだんとボクシングの写真を撮りたいという欲求が生まれつつある。写真家にとって写真のテーマは大切。旅から戻って、いまいち日本では撮るものに希望が見出せないでいたが。ボクシングという趣味の延長として身近にある。ずっと撮りたいと思って来たが、4年も掛かってしまった。撮るからにはまずは練習を、より上手くとずっと思って来たが。機は熟したかもしれない。ボクサーは憧れの人として本能的に撮りたいと思うものがある。ボクシングをやっている者が撮れるものがあるに違いない。あいかわらず銀塩カメラとフィルムで、速報性はないが、やるからにはかっこいい芸術的な写真を撮りたいものだ。もちろんボクサーにも喜ばれる。
 
「アイアムボクサー」一ノ瀬泰造が学生時代撮っていたボクシングの写真のタイトル。ボクシングの写真というと、真っ先に一ノ瀬泰造の写真を思い出す。同じ道を歩み、供養もできそうだ。
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パスポート更新

6件のコメント

重い腰を上げて、申請していた新パスポートを取りに行く。あっさり取れる。さすが日本である。これがインドだったら、何らかのトラブルが起きるだろう。
 
10年のものは、1万6千円。今の生活からは痛い出費だが、5年よりもいいし、海外に出れば命の次に大切と言われる国際身分証明書を得られると思えば高くはない。
 
ICチップ導入というのはどうだろうか。日本やアメリカなどの先進国ならば、出入国の手間も省けるし、犯罪者やカウンターをすり抜ける旅行者防止には役に立つが。長期旅行者や、インドやイスラム諸国などの発展途上国に行くには足元を見られる気がする。短期旅行やきれいな国に行けばパスポートが折れたり、汚れたりする心配はないが。インドやトレッキングや冒険旅や長期旅行になると、折れる可能性はけっこうある。何にも持っていない様に見せる内ポケットに入れるのが一番いいから、旅が長引けば自然と汗などで汚れる。インドなどで、「汚れていてICチップが読めない、どうするんだ?賄賂をよこせ!」とか言われそうで怖い。今までの経験だと、国境で賄賂を払ったこともあるし、いったん海外に出れば、とことん理不尽な言いがかりもつけられるし、日本の常識や価値観が全く通じない国や場所もある。だからあまりマイナス要因になりそうな、しかも一番大切なパスポートには落ち度がない様にして欲しいものである。まだ使っていないので先走り、何とも言えないが・・。
 
何はともあれ申請したし、物質的にはいつでも旅に出られる。後は、お金と気持ちの問題だけだ。
 
昔のパスポートも戻ってくる。もっとがちゃがちゃと穴が開けられるかと思ったら、目立たない。ビザも出入国のスタンプもいい状態で残っている。ここ10年、旅を繰り返していたなあと思う。落ち込んだら見れば、確実に足跡が残っているし、気持ちが高ぶり臭い言い方だが青春の思い出が蘇って来そうだ。自分にとっての一つの勲章だと思う。
 
石油も高騰しているし、環境や体調の変化もあるし、だんだんと旅がしにくい世の中になりつつある予感がするが。もう10年、同じ様な動きが出来るか分からないが、半分は意地で旅を続けるつもり。

サドゥーな生活

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いまいちやる気が出ない。五月病か。唯一、ジム通いだけは続けているが。
 
いろいろと考えすぎかもしれない。アジアの旅と東京の生活を繰り返していると、日本に戻って来てしばらく経つと、日本の嫌な部分が見えてしまう。妙に固苦しかったり、変に秩序立って規則にがんじがらめになる。戻ってすぐは有り難味も感じるが、どっぷりつかると少し疲れてくる。
 
年を取れば妥協を重ね、住みにくさも住みやすさに変えて幸せを感じて生きていくのだが、感受性の問題か。違和感がある。
 
アジアの旅をし始めた頃はあれだけ楽しかったのに。写真で何かの形を作ったり、残そうとすると、より難しくなる。自分なりの写真を発表しようとすると、発表媒体は少ない。出版業界も不況だと思う。写真家にもデジタル格差が出ている。じゃあ、すぐにデジタルに移行すると言うほど単純な流れじゃない。
 
写真はプリントで楽しむものだとずっと思って来た。今も揺らぎない。しかし。フィルムは減少を辿り、デジタルはフィルムを大きく上回っているという。ネガ、デジタルからのプリントを問わず、プリント自体をしない人も多くなったらしい。
 
写真家として、人生を占めるバックボーンの生活環境の変化に多少なりとも影響を受け、いまいちやる気が起こらない。
 
自分の中での問題だけで、猪の様に突き進んで行けばいいのだが、そんなに鈍感ではいられない。
 
時間が解決すると思うしかない。まずは旅を続けて写真を撮りためるだけだ。発表のことは考えたらきりがない。以前は写真家は写真の本数で勝負だと思っていたが、写真家は数ではない。どれだけ満足する地を歩き、どれだけ考え、満足するイメージをとらえ、満足するものを残せるか。極端に言えば、一年全く写真を撮らない者も写真家と言える。ある編集者とバナラシで話したことがあるが、「写真は写真にしようとすると写真でなくなる」。目で見たもの、頭のイメージがそのままフレーミングされ、印画紙に焼き付けられれば、一番最高の状態なのである。当然無理だから、カメラでごちゃごちゃするわけであるが。
 
この際、インドのサドゥーの様に、仙人な生活というか、少し堂々として東京でも生きられないかと思ってしまう。今の日本にとって、サドゥーの様な生き方は一つの幸せのあり方として模範になる。サドゥーほど強気な人間というか、動物的な人間を見たことがない。男らしい。日本の価値観からすると、ホームレスか放浪者の様な線引きが難しい者。インドの様に宗教を大切にしている国だから成り立っていける。
 
サドゥーでも、自給自足で生きていくことは難しい。誰かからの布施や寄付や施しで生きていける。こんな所でも人間は一人では生きていけないと悟ってしまう。ヒンドゥー教に徹したインド版聖者、すなわちサドゥーが、インドのマイノリティーのシーク教徒の運営するアシュラムで施しを受ける。シーク教徒のアシュラムは意外に多い。懐の深いシーク教徒とはいったい何者なのかと思うと同時に、インドの多様性もそんな所で感じてしまう。
 
今の日本とインドを足して2で割ったぐらいの国が僕にとっては暮らしやすいと思うが。昔の日本に憧れてしまう。

エゴイズム

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毎月一度通院。今日はその日だった。いつもの様に血を取り、レントゲンを撮り、1か月分の大量の薬を処方してもらう。驚いたのは最初の2ヶ月ぐらいで、もうだいぶ慣れて来た。体を壊しても、壊したでいろいろと悟るようだ。人生初の病気と言える病気だが、悲観的にはなりたくもない。
 
医者曰く、病状の回復も順調。普通に仕事は出来るし、ボクシングも出来るし、何の問題もない。あるのは病状のレッテルだけだ。と思うしかない。
 
今週は4日連続でジムに行った。呼吸器系統の調子はいい。少し違和感があるのは、右横腹(たぶん筋肉?)だけだ。右利きの者にとっては、右ストレートを放つ時、腰を大きく左によじる。右横腹がぴんと張る。その影響だろう。内科ではなく、外科。
 
医者曰く、人の大部分が同じ様な悪性の菌を持っている。その10パーセントが免疫力の低下により、発症するらしいが。睡眠と栄養は必須。
 
久しぶりに写真を撮りに行く。浅草の三社祭。どこもいろいろと規制が多い。何だか自由を感じない。インドなどを見てしまうと、いまいちつまらない。なるべく早くボクシングをマスターして満足したら、アジアのどこかの街を旅して写真を撮った方が自由を感じる。日本だととにかく同じ様なカメラマンが多い。もちろん僕も同じだが、自分も同じことをしていると考えると、少し恥ずかしい。自分の撮っている姿はあまり誰かに見られたくない。
 
柔道家のブログを見る。アスリートは究極のエゴイストだ。でも、エゴイストからでも感動をもらえる。下手な政治家、偽善者よりもはるかに清清しい。
 
写真家という存在もどうなんだろう?報道写真家でも、自然動物写真家でも、まずは撮りたいというエゴから来ている。社会の為というのも、しらじらしく感じてしまう。人には本音と建前があり、人は思っている以上に、人の感情は複雑。
 
星野道夫さんだって、自然の一部となり亡くなったとも取れるし、究極のエゴイストとも取れる。受け取るこちら側の感受性の問題だけで、両者は紙一重だと思う。
 
「世界を変える、自分も変わる」「世界の為、自分の為」
 
どちらかが欠けてしまうと違うニュアンスになってしまうし、言葉は難しい。

貯金

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久しぶりに写真を撮りに行こうと思ったが。雨が降っていたので止めにする。
 
ジムに行く。今週5日連続。週3日で通っていた時には考えられないことだったが、体が慣れると難しいことではない。けっこう動ける。見えない疲れがたまってくるので朝起きたり行く前はしんどいが、行ったら行ったで練習モードになる。
 
全部で19R練習をし、その内の3Rをマスボクシングを行う。格上の相手だし、まだまだだが、いいのが入った手ごたえも少しある。疲れが来るとガードが下がったり、反省することの方が多い。少しでも強くなりたいもの。
 
ジムへは月に13000円を払っている。体力がもてば月に何度も通うことができる(プロの方を見てもさすがに20日前後が平均だが)。はっきり言って今の生活レベルだと月に13000円は痛い。本当にその日暮らしの様な生活になる。
 
そのままフィルムや写真代にあてたらと常に考えているが、肉体の強さを少しでも得る為なら惜しくはない。その時のやりたいことや価値観の問題。
 
写真家と言っても写真で発表することがかなり難しい時代である。ジムに行くのを完全に削ったり、日夜を問わず写真に全力で打ち込んだら、まだましな結果があるかもしれない。一時の結果を得られたとしても、ほんのなぐさめごとに過ぎない。
 
いずれにしても長期戦になってしまう。お金の切れ目もそうだが、肉体の切れ目も、写真家を続けられない理由となる。
 
肉体が先か後か、ただそれだけのことで、間違いなく老いていく。
 
普通のお金の貯金もそうだが、肉体の貯金もあるのではないか。芸術家でも何でも最後に生きてくるのは、お金ではない。その人の持つ底力だ。
 
底力は、肉体から来ている。
 
今はお金の貯金なんてない。でも、肉体の貯金は少しずつ増やしている様に思う。
 

チャイ  

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GWが明けて、ジムが通常営業となる。早速、練習に行く。全部で18R、筋トレ腕立て90×3、腹筋45×3を行う。その内の3Rをトレーナーとマスボクシングをする。
 
トレーナーは元プロ選手。パンチのスピードも速いし、フェイントも巧み。強く当たらないと分かっていても、飛んで来るパンチは怖い。コンタクトレンズをしていると言っても、言い訳にはならないだろう。パンチを防御したり、読んだり、間合いを計りながら時には懐に飛び込まなければ強いダメージを与えられない。4年目でもボクシングは難しく奥が深い。通う度に壁にぶつかる。打ち込まれると、目が泳ぐのがどうやら欠点だ。いっそのこと本格的なフルコンタクトのスパーリングを経験して、一度はボコボコにされればパンチの恐怖から多少は逃れられるかもしれないが。目が悪いから難しい。マスでも格上の相手と練習をすれば、度胸が付く。そう思うしかない。
 
写真は撮っていない。フィルムを買う金もない。バイトは最小限に抑えて、今はトレーニングに打ち込んでいる。人よりも海外撮影は多いと思うが、旅や写真を続けていると、様々な邪念にぶつかる。たかが写真、されど写真だが。されど写真、たかが写真ではないかと思う時がある。自分のやっていることが、無意味に思えて来る。写真はどうしても切り取る自分が出てしまう。撮りたいという欲求を満たす部分もあるのだ。ドキュメンタリー、動物、空撮、奇をてらった様々な写真があるが、結局は、自分を強く見せたいのではないか。報道写真の様な写真を撮っていても、いまいち図々しくなれず、悲惨な現状を撮ったり、自己嫌悪に陥る。世の中の為というのが大義名分なら、本当の名分はなんなのだろう?カメラや写真が凶器となることもある。
 
写真を続けていて、写真から一時でも離れて、写真ではない本当の強さが欲しいのである。生身の肉体を鍛えるというか、痛めつけることによって、今まで見て来た弱い人の気持ちも分かる。ボクシングなら写真の様な人を傷付けない。また整理出来たら、写真を撮りたい。
 
ボクシングは栄養が第一だ。一応栄養には気をつけているが、毎日同じ様なものを食べている。納豆と豆腐とヨーグルトと牛乳はほぼ毎日の様に飲食している。これで体を壊したら、しょうがないと諦めている。
 
それにしても、インド人は、毎日カレーだ。カレーを食べないと落ち着かないらしい。あれで日本の何倍も過酷な生活に耐えられるから、世界の不思議の一つだ。チャイは低下層のインド人にとっては欠かせない。チャイがなかったら、生きられない人もいるのではないかと思ってしまう。元はイギリスから来た紅茶を何倍も甘くした、インド版ミルクティーは。脂肪もカルシウムもカロリーも摂れるし、実に合理的な飲み物だ。

パスポート

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1998年に取得した10年パスポートが後3ヶ月で切れる。アジアの大部分の国は。パスポートの残存有効期限が6ヶ月以上を必要とするから、実質的にはどこへも行けないことになる(どちらにしろ金欠なのですぐには行けないが)。
 
パスポートは立派な国際身分証明書。切れる前に更新して、絶えずもって置きたいものだ。GWが明けて、なるべく早めに手続きしよう。免許証やパスポートといった類のものは、どうしてこう過ぎ去るのが早く感じるのか。ちなみに免許証はだいぶ前に取得したものの車に乗らないので、自然とゴールドカードである。
 
10年はあっという間だった。15カ国程度と訪れた国自体は多くはないが。タイやカンボジアやインドなど、気に入った国は何度も訪れている。別に訪れた国の数を競うわけではないから、満足している。
 
新卒で入った旅行会社を皮切りに、あいかわらず職は転々としている。写真家という名のフリーターだ。
 
何でも(仕事でも趣味でも遊びでも)10年は続けば立派。旅というもので一応続いている。立派な勲章だと思う。
 
職業柄、収入なんてほとんどなく、副収入のバイトで補っている有り様だが、各国のビザや、出入国のスタンプで余白もほとんどなくなった10年パスポートを見ると、確かに足跡が残っているし、不安が消え去る様だ。
 
誰もがそうだと思うが、自分の作品(写真)だけで食べて行けるほど世の中は甘くない。逆に言えば、世の中の厳しさも分かるし、お金の有り難さも分かるし、孤独や肉体的なつらさも分かる。恵まれている。
 
今日はジムが休み。20分ほどダッシュを絡めて走ったり、シャドーをしたり、腕立て100×3セットなど。約1時間汗を流す。
 
ジムワークはしていたが、ロードワークはしていなかった。今の病が発覚してからは、極力走るのを避けていた。走ると肺が疼き、変な咳や痰が出ていた。ジムワークの縄跳びやサンドバックなどは長年やっていると、コツが分かってくる。ジムワークで使う筋肉と、走る筋肉は少し違う。
 
薬のおかげで、走ることも問題ない様だ。走ることがこんなに気持ちいいと思ったことはなかった。定期的にロードワークもこなしたい。
 
明日からバイト。お客さんのフィルムやデジタルの現像やプリントなどをしている。