今日もジムへ行く。全部で18R練習をする。
 
プロの方には到底及ばないし。疲れてくると、足腰がフラフラして来るし。
 
でも、ボクシングは立派な表現の手段だ。
 
A級選手の華麗なフットワークを見ると、肉体の芸術という言葉さえもあてはまる。
 
決して楽な趣味ではないが、続けていて良かったと思う。いい意味でもストレスの発散になっている。
 
頑張ればしんどいし、いいパンチが入れば気持ちいいし、ストレートに肉体で表現できる。生きているという喜びを味わえる。
 
写真はどうしても差が生まれてしまう。アジアを旅しながら写真を撮っていれば幾らか気を紛らわせるが、日本に戻って来て落ち着くと生きているという喜びを見失いそうになる。
 
写真を撮っている瞬間はいい。撮っているだけでは表現は成立しない。現像したり、プリントしたり、まとめたり、仮にどこかで発表できたとしても、半年や1年先ということはざらだ。不特定多数の誰かに見てもらう時には、その作品は少し過去の気持ちであり、結果である。発表する機会がなければ、悶々と過ごすことになる。自分の存在意識さえも否定しそうになる。とても間接的な表現の仕方ではないかと思う時がある。ストレートにお客さんに伝わらないし、自分の気持ちや肉体もどこか消化不良になる。
 
へミングウェイの「老人と海」を読む。何故、年をとっても、荒々しい海へ行こうとするのか。大きな獲物を仕留めようとするのか。悲しさを踏まえ、生きているという喜びを感じたいからだ。死ねば、何もかもが全て終わる。
 
釣りも狩りもボクシングも、旅をしたり写真を撮るという行為もどこかで同じ感覚を持っている。
 
残念ながら今の社会では写真で表現するということは、かなり間接的な表現に終わっている。でも、一生続けようと決めたからしょうがない。
 
直接的に表現できるボクシングと間接的な写真。
 
上手くバランスを保って続けていきたいものだ。