明日、実家へ

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9時から17時までバイト。風邪ではないのに、マスクの上から咳が出る。職業病で、職場アレルギーかもしれない。家やジムではたいしたことないのに、工場に入ると調子が悪い。写真以外のバイト探しで無駄な労力を使いたくないし、ギリギリまで耐える。来年から考え時かもしれない。
 
明日から年始まで実家の名古屋に帰省したい。毎年、ずっとバスで帰っている。安いし、6時間もあれば到着する。インド・パキスタンのバスに比べたら、お子様の様なもの。インド・パキは、ジェットコースターに乗っている感じ。道は凸凹だし、車、他のバス、トラック、リクシャー、歩行者、動物、様々なものを蹴散らす感覚で突き進んでいく。「PLEASE HORN」が基本。バスの存在を示す為に、ホーンを鳴らしながら進んでいく。跳ねるし、うるさいし、乾季だったら暑いし、何度も対向車線の車とぶつかる恐怖を味わうし、とにかく凄まじいのである。
 
日本の全然揺れないバスに乗ると感動する。運転手が「運転手の・・・と申します。安全に努めます」などのアナウンスを聞くと二重で感動する。ファーストフード屋の必要以上の笑顔は薄気味悪いが、日本のサービスの質はすごいと思う。ほっとする。当然だが、日本のバスは、「お客様に乗ってもらう」という感覚。インドは、「客を乗せてやる」という感覚で、サービスも何もあったものじゃない。目的地まで無事に着けばいいのである。バスなんか、客がいても止まらない、客がスピードを落としたバスに飛び乗らないといけないし。
 
ブット元首相が暗殺されたというニュースを聞く。パキスタン情勢はやばい。最近のアジア情勢は不安定だし、インドを旅することもできない日が来るかもしれない。パキスタンに行ったのは2004年だが、あの時一度行って良かったと思う。今だったら、考えられない。
 
今年ももうすぐで終わり。全然余裕がない一年だった。体力ばかり使った。苦労の一年だった。はっきり言って写真の仕事はほぼしていない。こういう年はこれからも何度もあると思うし。今は写真家受難の時代だと思うし。いい経験になった。自力でバイトして、生活と撮影旅の資金をなるべく捻出できたし(両親と三原さんにはあらためて感謝したい)、それと引き換えにのどと腕の筋肉は常に痛かったけれど。
 
多少強引でも、年内にインドへ撮影旅に行けて良かった。お金は稼げていないけれど、自分の中では仕事をしてきたつもり。悩んで写真も撮れて帰って来れたし。自分なりの視点や、社会的なもっと大きな視点でも撮っているけれど、果たして認められるかどうか。写真は撮らなければ始まらない。少しでも未来に繋がったと思う。マイナスではない。
 
来年はどうなるか分からないけれど、自分なりに頑張りたい。
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仕事納め

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9時から17時までバイト。家に戻り、ロードワーク(走り、筋トレ、シャドー)を行う。
 
立ちっぱなしのバイトやジム内のトレーニングと、走るのとでは使う筋肉が違う。昨日走った影響か、太ももの下の方が少し筋肉痛だった。情けない。定期的にこなしていけば、最初は違和感があっても慣れていく。ロードワークをするボクサーは強いし、なるべく足腰強化につとめたい。
 
明日もバイト。仕事納めになる。それにしても、東京は例年よりも寒くなった気がする。朝の冷え込みが厳しい。実家の名古屋の方が寒いが、これなら東京も名古屋もあまり変わらないだろう。

 

あまり年末という実感が起きない。今年は特に早く過ぎた感じがする。

ロードワーク

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9時から17時30分までバイト。定時は17時で、残業を希望するとほぼ2.5時間の19時30分までとなる。極端すぎる。今までは耐えてきたし、平気だったし、それが生活の一番の糧になっていたからしょうがないけれど、考え時だ。2.5時間をやると、咳き込み、吐きそうになる。足の裏がべっとり地に付く感じで、体に変な型ができる気がする。今日は一つのラインが残業30分だけだったから希望した。自分の体の内部を思う時、長い残業はしばらく避けたいもの。金銭的に厳しくなるが、体には変えられない。
 
家に戻り、久しぶりにロードワークを行う。バイトと、ロードワークだけでも、31歳のおっさんの運動量じゃない気がする。内藤さんや確か川嶋さんだったか、32、3歳の世界チャンピオンがいるし、金子ジムにも33歳でプロライセンスを取った方がいる。30代で肉体的に極めている人を見ると、安心する。
 
インドで右肺が痛くなったことが尾を引いている。ずっと理由を考えている。日本での長時間の工場でのバイトは理由の一つだと思うが、30代にしては、肺のキャパシティが小さすぎる。最初に降り立ったインドのデリーでのどの痛みがひどくなった。しばらくしてリシケシュに移動して、のどの痛みが治まらないから、インドの薬を街の薬局で処方してもらって買って飲んだ。今まで極度の下痢、腹痛、吐き気、ダウン寸前の時は、現地のインド薬にお世話になり直った経験があった。今回特に信用できないなと思った。のどの痛みは直ったが、何だか体がだるくなり、そこから右肺が痛くなった。たぶん、副作用だと思う。
 
インド薬の副作用だと思うようにしている。日本の薬だって、風邪を引いて飲んでも、すぐに直ったためしがない。薬のおかげか分からないまま、だんだんと自然に治っていくのである。薬という安心感を求めているだけかもしれない。インドだと特にびびってしまうが、薬には極力頼らない様に今後はしたい。
 
少々荒療治だが、しっかり栄養を取って、体を鍛えるという方法もある。肺を大きくするのである。肺が痛くなって悔しかったので、肺を鍛える様にする。肺を鍛えるには、水泳か、走ることだと思う。自転車も効果的だと思うが、何よりも普通に走るのが一番だろう。足腰の筋肉もつくし、運動には欠かせない。
 
なるべくロードワークをする様に心がけたい。明日もバイト。年末に実家に帰ったら、たぶん少し太る。浴槽につかれるのは有り難く、とても楽しみである。

東京で出来ること

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今日はある出版会社の人と話しをする。インドへ行く前に送ったファイルを見て頂き、好感は持って頂いた。ただ、出版には遠く、すぐ形にはならない。でも、話をすることによって、勉強になった。たぶん向こうも同じだろう。最良の結果を得られなくても、少しでも前進することが大切かもしれない。
 
何度も実家の名古屋に帰りたいと思っているが、帰ったら、たぶん落ち着く。東京は名古屋の比ではなく、ギャラリーも、出版会社も多い。会社も人も何もかもが多い。写真家として続けていくには、東京しかないかな。それか、フランスなどのヨーロッパだ。知識や言語の問題を考えると、削れる。
 
今までは、焦ってバイトをして来た。残業もほぼして来た。当たり前だ、働かなければ来月の家賃も払えないし、旅と写真にはお金がかかる。その分、営業を疎かにして来た。難しい所だ。フリーターはフリーターのままで永遠に脱却できない。働いても働いても、その日暮らしである。
 
多少賭けになっても、借金をする覚悟で、バイトを減らしてもいいかもしれない。一人の力には限界があるが、少しでも写真をまとめたり、持ち込んだり、少なくてもいいから定期的に人と会うことに費やさないと東京にいる意味がない。今までロクに恋愛もせず、5年間は自分なりに本格的に写真を撮って来た。未熟な所はたくさんあるが、やるだけやったし自信がないわけではない。まだまだ短いが、いったん一区切りである。
 
なるようにしかならない部分もあるので、焦りは禁物だが。最低限度のバイトをする。その分を、写真とボクシングに費やす。バイトは未来の自分の為にならないが、写真もボクシングも未来の為になる。
 
と言うのも、ずっと続けている工場のバイトだと、右肺が再発するのが怖い(今の所続けるしかないが)。9時から17時ならまだ大丈夫だが、残業をすると、かなりつらい。マスクをしていても、咳が出て、気持ち悪くなる。今までなら平気だったが、これから先が心配だ。
 
助かるのは、ここが日本だということ。病院は信じないが、インドの病院よりは遥かに信じられる。金銭的にはきついが、いつ体を壊しても大丈夫だという安心感がある。
 
インドを旅している間は、様々なものに神経を使う。体を壊したら、せっかく来たのに写真が撮れないから。飲み物はチャイか、ペットボトルの水。ラッシー、炭酸系は絶対に飲まない。飲んだのは、シャタボディーEXP(食事が含まれる)で出だされたマンゴージュースとカップのアイスぐらい。
 
写真をやるようになってから、日本に戻っても、炭酸は飲まなくなった。特にコーラ、腹だけがいっぱいになって、栄養も何もない、ただ病みつきになる、変わった飲み物である。後は、ファーストフードはあまり食べたくない。
 
明日から、3日間バイト。その後で、実家に帰省する。
 

インド三部作

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今日も2000円を払って金子ジムへ行く。全部で19R、筋トレ腕立て70×3、腹筋40×3、鉄アレイのトレーニングを行う。
 
家に戻って、写真のセレクトを行う。セレクトと言っても、何度も温める。プリントをするものは印をつけるが、すぐにはつけない。まずはざっと何度も見て、同じ場面だったら、「これかなあ・・」と目星をつけておく。最後の段階で良ければ印をつける。迷いは多い。その日の体調によって、微妙に選ぶコマも違う。温めてばかりもおけないので、難しい選択の時は、感覚、勢いに頼る。
 
僕にとってのインドは長かった。いきなり行って写真を撮れるものではない。思い起こせば、1999年が最初だった。旅はデリーから入って、ネパール、南インドを経て、ムンバイから出て、約2ヶ月。かなりの早足だった。その時はコンパクトカメラ、確か12本ぐらいだった。人なんかほとんど撮れなかった。2005年にムンバイから入って、西インド、北インド、ネパールを経て、東のコルカタから出て、約100日間。フィルム約300本。2006年にコルカタから入って、南インドをくまなく周り、西のムンバイから出て、約70日間。フィルム約220本。そして今回の2007年にインドの行きたい場所、主に北インド、ラジャスターン、バラナシで約2ヶ月。フィルム約150本。
 
1999年にインドへ行ったはいいが、ほとんど写真が撮れず(当たり前だ写真のことなんか全然知らない)、2005~2007年がリベンジとも言える。写真家としての意識に目覚め、本格的に写真を撮り、写真として残したかった。1999年の旅をするだけでも感覚的にインドを掴めていたし、長い長いロケハンになっていたかもしれない。何でも線で繋がる。
 
3年間インドを追っていたことになる。今回の現像を見た時、インドは自分の中で完結した(とりあえず今の所は)。撮っていないもの、撮りたいもの、撮ることで満足できるものを足していく作業でもある。インド三部作となった。インドは何もかもがでかく、風土や宗教や貧困や今もあるカースト制度や伝統や習慣や環境問題や急激な経済成長や、立ち向かっていくにはとても一人の写真家としては歯が立たず(踏み込みすぎると、返り血を浴びる)、撮っていないものをあげればきりがないが、気持ちの整理が出来た。インドは強かった。
 
旅人の状態で、路上で目にする光景は上手くすくい取った気がする。ここからさらに発展させるには、インドの山奥や誰も行かない村か、祭りに合わせて行くしかない様に思われる。普通の状態のインドだともう目と感覚が慣れてしまった。街は汚いが、意外にインドは進んでいる。住んでいる人も、すれて来ている。写真家としての目だ。インドは、訪れる写真家もカメラマンも多く、デジタルカメラ自体も普及しているし、快く写真を撮り、撮られることが容易ではない。肉体的にも精神的にもボロボロになる。時にこちらの気持ちが傷付く。仕事だから妥協しているが。
 
次の場所は白紙。貯金もないし、いったん態勢を整える。日本にいても、厳しい闘いは続く。まあ、開き直っているし、そんな状況を楽しんでいるから、いいんだけれどね。時に惨めになる。

旅を振り返る

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現像済みのフィルムを取り寄せていた愛用のシートとファイルケースに入れる。別々のものが、やっと一つになった。バイトがある日はなかなかできなかった。
 
ざっと振り返りながら、シートに移し変えるだけで4時間もかかった。肩の荷がもっと下りる。写真をやっていて良かったと思う。旅の後にもう一度感動が味わえ、旅と写真と二重の喜びである。苦労した甲斐もある。そんなに経っていないが、旅の思い出がよみがえる。ポジの原版を見て触ると安心する、デジタルではたぶん微妙に違う。フィルムでは、旅の最中に振り返ることも撮り直すこともできないが、その分旅をすることと写真を撮るという行為に専念できる。デメリットは、フィルムはかさばり重いことと大量のフィルムを持っていると空港で多少ひっかかること(荷物を全て見せることはあっても没収されることはない)。それぐらいなら乗り越えられる。速報性重視でなく、ネットにアップすることが最終形ではない写真家としての仕事なら、やはりフィルムはなくなって欲しくない。
 
旅や写真を続けていると、けっこうイメージ通りの写真に少なくともポジ原版は仕上がる。こういう光の状態なら、あらかじめ露出をずらしてと経験で分かってくる。露出とは、一般的な露出ではなく、マイ露出である。ずらすと言っても、±0.3~0.7ぐらい。段階露出が出来ればベストだが、被写体が待ってくれないことが多い。露出よりも、表情や瞬間が大事だったりする。撮った時に手応えのあったコマがそのままだと感動する。ネガやデジタルだとたぶん露出にはこだわらない。ポジは、自分にとっての最良の原版をものにすること。
 
狙ったものがいまいちで、意外なものが写りこんでいたりするから、写真には答えがなく奥が深い。撮影旅を行う度に勉強になる。250分の1の瞬間でも、撮ろうと思ってシャッターを押すまで微妙なタイムラグがあるから、撮る人は選球眼と、反射神経が大切だと思う。写真学校に行くぐらいなら、写真を撮る練習をするか、写真集や個展を見に行くか、純粋に旅だけをするか、何か運動をした方がいい気がする。
 
旅が過酷なほど、いい写真が撮れる。これは間違いなさそうである。旅がしやすく写真が撮りやすい南インド、ネパールよりも、どちらも手強い北インドの方がいい瞬間やいい表情の人間がいたりする。上野君は知っていると思うが、今回は旅に出る前から体調がいまいちだった。デリーに着いて、旅の前半は右肺も痛かった。でも、不思議だ。体調が悪いまま写真を撮ったものが、体力が有り余って力任せに撮ったものよりも、良かったりする。変に気負いがなく、自分の弱さも知っているから相手の強さも分かるし、被写体のことを考え、被写体が生き生きとしていたりする。
 
体が一時でも悪くなって、ストンと何かが落ちた。いい経験になった。インドも、旅をしている最中はしんどかったり、むかついたり、不安になったり、怖かったり、いろいろとあるけれど、こうして無事に戻って来て、作品を残すことも出来て、感謝の気持ちが起こる。時間が経つにつれて、インド好き>インド嫌いになる。またいつか行きたい(すぐじゃなくていいけれど)と思わせる何かを持っている。
 
インドには行ける人と行けない人がいるし、写真が撮れる人と撮れない人がいる。盗難にあったり、騙されたり、大病になったりする人もいると思うと、恵まれている。かなりの神経は使うが、旅冥利に尽きる。

石の運

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4日間、バイトをする。もう3年目になってしまった雑誌の仕分けの仕事である。はっきり言って楽ではない。雑誌の束を机に運んで紐を切って、ベルトコンベアーでひっきりなしに流れてくる台に指示された冊数を仕分けていく。ひたすらこの繰り返しである。仕事を覚えたのもあるし、年末は忙しいこともあるし、ほぼ忙しい所へ回され、ボクシングのフットワークを使う。
 
仕事内容的にはついていけるが、肺と呼吸器系統がいまいち。工場の空気が体に合わないが(インド帰りだときつい)、マスクをすればまだ大丈夫。近所のランドリー屋で働こうかと思ったが、17時~21時しかないと聞いて断念。時間帯の融通、休みや給料のシステム、時給などを考えると、今の派遣会社の肉体労働に落ち着いてしまう。
 
インドから帰ってきて間もないからきついと思うし、徐々にまた慣れていくだろう。それにしても、年々旅から戻って来て働くのが早。しょうがない。現像をシグマラボで引き取って、ファイルを買ったら、もうきつきつ。来月の家賃もやばい、常にいっぱいいっぱいである。でも、自分のやりたいことだから覚悟はできている。
 
今は、時間を優先する。写真家とフリーターの境界はあいまいだが、フリーの形態が意地でも望ましいと思っている。その分体力勝負だし、いつ体を壊しても可笑しくないが、病院送りになってから考える。幸いにも、まだお世話になっていない。会社員になったら、辞めない限りは写真家活動はできない、自分の作品をまとめたり、撮ったりもできない。お金も、安定も手に入れれば、たぶん普通に落ち着く。フリーの形態のままでも、仕事が常にあるかと言ったらないが、自分の道で食べていくのはどこの世界でも同じことだと思う。芸人ともたぶん似ている。お笑い芸人の方が、長年時間を作っていたのに、仕事がなかった(時間があれば漫才やコントのネタは作れる)、こんな感じだろう。世の中は、自分の実力以上にどう転ぶか分からない。
 
インドからの帰りの飛行機の中で、たまたま日本の週刊誌があった。占いの欄を見る。生年月日を足したり引いたりするもので、石の運。耐えることが多いときた。占いは無難なことが書いてあってあまり信じないが、この時ばかり信じたことはない。「ぴったり」。
 
写真家を続けていると、今の時代にますます離れつつあることも感じるし、「石の上にも3年」どころか、「石の上にも30年」ぐらいになりそうだ。下手したら、死ぬまで芽が出ないかも・・・。
 
マイナスに考える必要はない。とりあえず、目先の日給である。インドには物乞いや、サドゥーや、リクシャワーラーや、様々なその日暮しの人間がいる。そういう世界を一回でも見ると、自分は恵まれているのだと分かる。日本に戻ると、周りの大勢(日本人)は貯金があって、とかく地位や給料で比較しがちである。それも全てが正しいとは思わない。
 
来週もバイトをして、年末には実家に帰りたい。

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