明日、アムリトサルへ

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明日、鉄道でアムリトサルへ向かいたいと思う。
 
右の肺もだいぶ良くなったと思う。一時は右ボディーブローを食らった感じだった。特に高度の高い場所へ行ったわけではないし、インド薬の影響か。休み、休み、旅を続けたい。
 
地方で写真を撮り、デリーで休養する感じになるだろう。デリーは行ったり、来たり。
 
メインバザールで爆弾テロや地震という最悪の場合がなければ、けっこう快適。住めば都になる。宿でまず何を求めるかといったら、ホットシャワーもしくはホットウォーター。下の蛇口からでも熱いお湯が出てくれば大変有り難い。今のホテルは1泊RS350で熱々のお湯を得ることができる。地方に行くと、水シャワーだけだったり、生ぬるいお湯だったり、湯を得るのにとても時間がかかったりする。
 
西洋人旅行者はあいかわらず多い。日本人旅行者は少ない気がする。個人というよりも集団意識が高いのだろう。いい所もあるし、足元をすくわれる形になる場合もある。世間体を気にしすぎて、何もかも自由にできなかったら、何だか寂しい。
 
写真家でも、欧米の写真家は、時に死を恐れないと言うか、現状を楽しんでいると言うか、チャレンジスピリット旺盛である。見習う点も多い。
 
今回行くアムリトサル。普通に考えれば、インドでテロの確率が高い所は、大都市か、宗教的聖地。ムンバイー、デリー、バラナシ、ハイダラーバード、アジメール、アムリトサルも挙げられる。
 
多少の危険は上がっても、行く価値はある。インドの幾つもある不思議の一つ。アムリトサルはシーク教徒の聖地。パキスタンとの国境という、国の要であるはずなのに、大部分を占めるヒンドゥーではなくて、シーク。シーク教徒と言えば、ターバンと恰幅のいい体格が印象的だが、機転が利くというか、頭の回転が速いという印象もある。競争率の激しいインドという国で、ずっと生き残っている誇り高い民族という感じもする。今の時代には、必要な存在なのである。
 
幾つかの命題を出し、実際に行くことで、少しぐらいは何かが見えてくるかもしれないし。
 
とにかく明日行きたいと思っている。7,8日間ぐらいして、デリーには戻ってくるつもり。

旅の様子

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今もデリーのメインバザールにいる。ネット環境はタイに比べたら遅いが、日本語ができるだけでも有り難い。
 
観光の拠点となるデリーに来れば、外国人観光客はけっこういる。日本人はもちろん。
 
地方に行けば、ぐっと少なくなる。一日全く会わないという事もある。
 
全体的に見れば、観光客は減っているのではないかという印象を受ける。バックパックスタイルの長期の旅行者も少ない気がする。
 
行きのエアインディアはがら空きだった。席をベッドの様に使っている人が多かった。
 
最近のミャンマーやインド、パキスタンの爆弾テロ、アジア情勢が関係していると思う。
 
実際にインドに来て見れば、普通に生活していて特に危険という感じはしない。写真を撮る時はけっこう神経を使うが・・・・。
 
どこでもそうだが完全に安全な場所などない。インドにいると、当然だがインド、パキスタンのニュースを毎日の様に放送する。日本よりも遥かにテロの可能性が高いことを知る。この前もアムリトサルの手前の駅でテロがあったらしいし。パキスタンのカラチでもあった。
 
結局は旅行者の判断になるが。
 
世界情勢が今よりももっと危険な状態になって、全く旅が出来なくなるというのが一番怖い。旅は自由だと思う。
 
東京でもますます生きにくい世の中であるが、日本は安全だと思う。誇れる所である。
 
旅をしているということは、不安定な状態にさらされているわけで、ある程度は緊張感を保ちながら、時にリラックスをして旅を続けたい。

デリーに戻る

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今日、リシケシュ・ハルドワール方面からデリーに戻って来た。メインバザールに来れば、食事が豊富なので、ほっと一息。と言っても日本食は食べられないが・・・タイ料理、西洋、中華、選択肢が増えるだけでも有難い。
 
インドに来ると自然とべジタリアンになる。滞在する街が肉類を扱っていないからしょうがない。ハルドワールの様な聖地になると、卵料理も嫌う。どこのレストランもピュアベジタリアン中心のメニューとなる。
 
そういう街に何日間もいれば、肉を食べるということを忘れる。デリーに戻って来ても、肉料理は高いし、体が慣れているので食べようとあまり思わなくなる。
 
インド料理に飽きて来たら、よく食べるメニューがスパゲティー類やポテト類。バナナはどこでも売っているし、安いので、よく食べる。よく考えたら、ボクサー並みの食事である。意図的にそうしているというよりも、旅に出るとそうなってしまう。
 
ハルドワールはインドの中でも面白い街。昔ながらのいい所も残っているし、混沌や宗教や人間や、インドの多様性が凝縮されている。その分、食事の選択肢は少ないし、ホテル代は高いし、いろいろと面倒なこともあるが、引いても見る価値はある。
 
日本でのバイトが影響しているのか、連続でインドを旅しているのか、今回は特に体調が優れない。思い切り咳き込むと、右肺が痛くなる。旅をしていてこんなことは初めて。日常生活に支障は無いし、良くなった方だし、せっかくインドに来たのだからこのまま帰れない。もちろんよほどひどくなったら、早めに帰るが、しばらくは旅を続けたい。まだ大丈夫だと判断している。
 
少しして、アムリトサルへ向かいたい。  
 

明日リシケシュヘ

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今もデリーにいる。朝晩は涼しく、昼間は暑いぐらい。12月に向かって、だんだんと寒くなると思われる。今の時期、北インドは雨もほとんど降らないし、旅には最適。
 
カメラや写真がなかったら、もう旅には出ていないだろう。いい写真を求めるあまり、旅自体が楽しめなかったら、何だか寂しい。自分の匙加減だが、難しい所。幾らかは初心に戻って、旅をするという行為をまずは楽しみたいものだ。
 
スナップの名手、アンリカルティエブレッソン。写真はまぐれじゃない。長く滞在するということ。いい瞬間に巡り会えるかどうか、視点を養うことでも大切である。経歴を見たら、アジアに3,4ヶ月も一度に滞在している。
 
1,2週間の旅じゃ、焦って写真を撮ってしまう。じっくり腰を据えて撮りたいもの。
 
撮れる日もあれば、全く撮れない日もある。
 
写真は面白いし、難しい。
 
明日は鉄道でリシケシュ方面へ向かいたいと思う。
 

メインバザール滞在中

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現在、デリーのメインバザールにいる。常宿としているアヌープホテルに泊まっている。
 

空港からの移動もスムーズにいった。インドに来て見れば、インド時間が流れている。
 
のどは少し痛いが、ひどくはない。あまり無理をせず、徐々に旅の生活に合わせていきたい。
 
いつもの様にある程度体も鍛えられてくるし、慣れて来るだろう。
 
もう少しして、ハルドワール、リシケシュ方面へ行きたい。
 
デリーは普通の人と商売絡みの騙して来ようとする悪人を上手く判断すれば、
こんなに便利な街はない。
 
メインバザールは駅に近いし、宿も食などにも困らない。
 
比較的ましなネット屋も見つけたし、ここで書いている。
 
残り2ヶ月もあるので、このまま旅を続けたい。

いよいよ出発。

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もう明日の朝、自宅を離れ出発である。いい写真を撮るというプレッシャーは一つの職業病だろう。
 
正直な所、気管支がいまいち調子が悪い。どうしてもテンションが高くなるが、息を大きく吸い込むとたまに喘息みたいに咳が出る。たぶん雑誌の仕分けのアルバイトが原因だろう。ボクシングのトレーニングは関係ないと思うが、気管支までは鍛えられない。
 
埃の多いインド、しかもいきなり悪名高い首都デリーとなると、少々不安である。
 
ただ1998年から毎年の様にアジア旅を行って来ているし、その都度旅は完結しているし、旅に出るといろいろな面で鍛えられる。気合いで乗り切れる所は乗り切りたい。
 
今回もまずは自分自身の生命力と言うか、底力を信じたいものです。
 
いい写真を撮れる様に頑張ります。
 
今回も出発の運びとなりましたし、支えて頂いた方、どうも有難うございます。
 
とりあえず気をつけて行って来ます。
 
今回はデリーを拠点とするので、ネット屋はたくさんあるし、更新できたら更新したい。

今回の旅の日程

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写真のことから頭を離れて、純粋に旅をするだけなら、たとえインドでもプレッシャーは軽減される。写真が肩の上に圧し掛かって来る。写真はその場所に行かなければ撮れない。文章や絵画やCGなら、頭をフルに使ったり、技術力や閃きでカバー出来る。写真は人間や街も含めていい瞬間に出会わなければ、いい作品を残すことが難しくなる。経験や読みは一応あるが、「今回はいい瞬間に会えるだろうか?」いい写真を撮ろうとすることが自分を追い詰める。
 
今回の旅の日程。
 
一昨年は西インドから北インドを周って、東インドまで。昨年は東インドから南インドを周って、西インドへ。昨年までで、インドを大まかに一周した感じになり、インドの一通りの街を歩いて写真を撮って来たつもり。
 
今回は、デリー出発帰国の航空券を買っており、もっと細かい所を見たいと考えている。本来は90日間のオープンチケットだが、金銭もギリギリで、約60日間で帰国するつもり。毎度のことながら、詳細な日程はない。インドの鉄道を制する者が、インド旅を制す。インド鉄道時刻表は自宅にもあるが保存版にしており、着いたら急いで新しいものを買いたいと思っている。意外な路線が混み合っていたり、予約するのも移動するのもインドはエネルギーがいる。予約時にキャンセル待ちでも、PNRさえもらえば、出発当日にガタッと減る。ある路線ではW/T100ぐらいでも、当日に紙が張り出されて、コーチとベッドが確保できていた。いざとなれば、TATKAL リザベーション(緊急発券)がある。始発と終着駅で、数日前から予約可能、料金増しになるが、必ず乗らなければならないという時は、けっこう役に立つ。
 
見たい、写真を撮りたい場所は幾つかある。インド鉄道の状況を見ながら、優先順位が決まりそうだ。どこもデリーからそんなに離れていない。
 
一通り見た感じでは、西や北インドに写真的な魅力が詰まっている。パキスタンとインドの国境の街、アムリトサルは一度見てみたい。ハルドワール、リシケシュはもう一度行きたいし、もっと北の街も見てみたい。アジメールやプシュカルもゆっくりと滞在したい。祭りにも合わせたい。アラハバード、バナラシも何度も行きたいが今回は無理かも・・・。バナラシはインドの中でも独特の街。次行くなら、最低でも2,3週間はいる。
 
とにかくデリーを拠点に、変則的に旅をし、写真を撮りたいと思う。
 
今回(2007年)は154本。今までに比べたら、遥かに少ない。
 
本格的に撮影旅を行って来てから、2003年は380本、2004年は300本、2005年も300本、2006年は226本、そして今回の154本である。
 
フィルム380本の重さを経験していると、今回の荷物を背負ってみると、まだ軽い。隙間もある。
 
フィルムが多いと写真をものにする確率は高いが、自分の首を絞める。貯金がたくさんあったり、若い時はいいが、考え時かもしれない。写真という表現方法の限界も正直な所、感じ来ている。まだ絶望というよりも、希望は残っている。
 
今回の本数は自然とそうなってしまった。でも、150本以上はある。せわしなく動くというよりも、一瞬のチャンスをものにするという感じで、旅にもゆとりを持ちたい。どこかでゆっくりと滞在しながら、状況をよく判断して、写真も撮りたいと思っている。
 
銀塩写真の魅力は原板にもある。何故そんなに重くてかさばるフィルムを持ち歩いているのかと言えば、原版という形に残るからでもある。ポジフィルムの原版を残すと、安心する。クライアントのある仕事や速報性重視ならデジタルかもしれないが、趣味の延長の期限のない仕事ならやはりフィルムを選択する。
 
デジタルはデータという印象がある。原版にも起こせるかもしれないが、二度手間だし、質も悪くなる。怖いのは、データはすぐ消えるということ。旅のフィルムをスキャンしてパソコンに取り込むこともあるが、誤って上書きしてしまうと、せっかくスキャンしたものが一瞬の内に消えてしまう。フィルムならまたファイルから出して、スキャンすればいいが、これが最初からデジタルだと原版らしきものが一瞬でこの世からなくなることになる。
 
写真家としては、原版が命であり、怖いことだ。
 
もしデジタルカメラで苦労して撮った旅の写真が、日本に戻ってから、何らかの過ちで消去してしまう。旅の思い出が一瞬でパーだ。泣くに泣けない。
 
様々なものにバックアップする手間を考えると、重いフィルムを持ち歩いた労力とそんなに変わらない気がする。
 
フィルムの原版は、自宅が火事や地震でなくならない限り、半永久的に残る。
 
長くなってしまったが、まだデジタルは信用できなく、しつこくフィルムを使い続けている理由の幾つか。
今回も本数は少なくなったが、依然としてフィルムである。
 

今回の旅の準備

2件のコメント

時間が経つのが早い。気付いたら、もう少しで出発だ。宿では後ろを振り返ることはあっても、いったん出発をして移動中だったら、とにかく前を向くしかない。アジアへはもう何度も通っているし、インドへは4度目だが、出発前は独特の緊張感がある。インドという国柄がそうさせているのかもしれない。
 
今回の旅の準備。
 
準備は一日あれば出来る。今回持って行くもの。『ニコンF100、2台、それに付けている28~200ミリのレンズ、2つ。ポジフィルム154本、電池42本』、小さい懐中電灯、レンズクリーナー(液と紙)、予備眼鏡1つ、正露丸、オロナイン軟膏、旅日記、名刺、ガイドブック、シャープペン2本、ボールペン1本、サインペン1本、チェーン鍵1つ(前々回のインド旅で買ったもの)、南京錠2つ。これらを(フィルム30/154本含む)カメラバックに。カメラバックに南京錠の内の1つを付ける。
 
残りのフィルム124/154本、下着、Tシャツ、靴下1つずつ、軽い素材のパーカーとナイロンパンツ、サンダル、トイレットペーパー1ロール、カミソリ、歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸。これらをバックパックに。
 
後は貴重品類でパスポート、保険付帯のクレジットカード、出発後の航空券(出発前は航空券引換え証)、現金。これらを腹巻式のポケットに。
 
当日履いていくポケットの多いズボンに、財布、小型のメモ帳、ペン1つ、バンダナを忍ばせておく。以上である。
 
最低でも『』の撮影機材と貴重品類を持っていけばいい。後はおまけみたいなもの。カメラもレンズもフィルムもまず買えないし、電池も高い。何よりも質が悪い。他は現地でも買えるし、薬もひどくなったら現地で処方してもらって買った方が本当は一番利く。正露丸等は軽い症状の時で気休め程度。
 
現金は2つに分けておく。今回の所持金は15~18万を予定している。基本的に安宿に泊まり、疲れたら安宿の中でも少しいい部屋に泊まりながら(自分の体調を見ながら)、なるべく節約しながら、旅を続けていく。現像、プリント代や、日本に戻ってからの生活費にあてないと・・。そんなに余裕はなく、常にギリギリの生活である。
 
ここ数年はT/Cを使わず、全て現金(ドルと円)にしている。例えば15万なら、10万を日本であらかじめドルに変えておき腹巻に、残りの5万を円のまま財布にといった感じ。T/Cは大きな街のトーマスクックや、パパールガンジー(デリー)、サダル(コルカタ)ストリートなどの外国人旅行者の多い両替商でしか取り扱ってもらえないという印象がある。T/Cはいざ盗難に遭った時に便利だが、盗難以外はあまり使えない。かさばるし、サインもしてと、意外に面倒でもある。インドは盗難が心配だが、今まで盗難に遭ったことはない。常に携帯している腹巻き式の中の現金が奪われる時は、自分の身に危険が及ぶ時。シャワーを浴びる時でも腹巻は持っていく。寝る時でも、暑くて外す時は、枕の下に敷いて寝る。それだけ外国に出たら、パスポートと航空券と現金は大切。
 
小さな街に行ったら、T/Cはおろか、円の現金も変えられない。ドルの現金は世界共通というか、とても融通が利く。ドルの現金を多めに持っていく理由。
 
写真家にとっては何よりもフィルムである。撮影したフィルムがとても貴重になってくる。今回は154本のみ。今までに比べたら少ない。今回の旅は移動型よりも滞在型にしようと思っている。

告白

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旅に出る前は様々な気持ちが交錯する。
いい写真を撮りたい、残したいという気持ちは写真家として当然の気持ちだ。ポジティブな反面、非常にネガティブな気持ちも合わせ持つ。確か向田邦子さんのエッセーで、乗った飛行機が仮に落ちてもそれはそれでいいと思うというニュアンスの箇所があったと思う。実際に向田さんは飛行機事故で亡くなられたのだが・・・・
 
同じ様な気持ちはある。何を成功と言うのかは分からないが、写真家としての長い長い道のりを思う時、海外で写真を撮る者の一人としては、志半ばで飛行機事故などで仮に命を絶ったとしても、それはそれでしょうがないと思っている。そうならない為にできるだけ最良の判断をする。ただ自分の力だけではどうにもならないことはあり、そうなれば天命と言うしかない。自分なりのドキュメンタリーだけでは食べて行けなく、自由を感じないフリーターとしての仕事や、夢を追ったり自由を選ぶ代償としての生活的困窮を思う時、「後何十年続くのだろうか、死ぬまで続くのだろうか」「それならばいっそどこかで野たれ死したい」という気持ちもある。それだけ日本はますます生きにくい世の中になりつつある。
 
親には大学まで通わせて頂きました。子は親の宝と言いますが、かなりの親不幸者で、金銭的に見ても僕一人でどれだけかかったのか分かりません。じゃあ、会社員として安定した道を選び、まっとうの道を選べばいいのではないかと言われそうですが、そういうわけでもないのです。自分勝手かもしれませんが、会社員としても生きにくい世の中であり、複雑なものです。不謹慎かもしれませんが、例えば乗った飛行機が墜落したとして、もちろんかなりの恐怖に打ちひしがれるでしょう、ただそこで終わるという証拠が生まれるわけです。どんなに小さな航空会社でも責任を取りせめて葬儀代は出してくれるでしょうし、死亡保険も下りるかもしれません。今まで育てて頂いた親に金銭的に見ても少しは確実にフィードバックできるに違いありません。撮り貯めた写真がより一人歩きする可能性もあります。考えすぎですが、つまり写真を撮り続けるということは、それだけの覚悟が必要かもしれません。
 
「どうやって自分の写真だけで食べ続けて行くのか?」、どう見ても不利な闘いで、一応フリーの若手写真家という立場ですが、今までの写真家さんや同じ様な中堅や若手を見ても、疑問です。最初の頃はより疑問でした。同業者じゃなくても、かなりの疑問でしょうね。実家か一人暮らしかでも、独身か既婚でも、師匠がいるかいないかでも大きく違います。どのホームページを見ても、作品としての結果は載っているけれども、それまでの過程や現在の苦労はあまり載っていないわけです。誰もが苦労しているのだから恥ずかしい話は潔くないと言うのももっともだし、作品だけで勝負するのが当たり前というのももっともだし、逆に今の近況や文章をあまり載せないことで不透明であり、じゃあ、自分自身はどうなのかと思ったり、これから写真家を目指す学生さんなどに下手な選択を選ばせるのではないかというのももっともです。
 
実際に身を投じ身を持って感じます。ただでさえますます生きにくい世の中であるのに、フリーの写真家はかなりの厳しい世界です。前回の撮影旅から戻って、生活をしながら、どうやって1年も経たずに長期の撮影旅に出られるのか?今年は判断して応募したり持ち込んだ作品がことごとく敗れました。ことごとくと言っても、一人の力では何もかもに限界がありそんなに多くはありません。上手くいかないということは、現像・プリント代もかかっているし、マイナスからのスタートです。自分自身の技術・ひらめき・知恵・計算・営業・力不足、ドキュメンタリー要素を含んだ写真の発表媒体の少なさ、同業者競争の激化、銀塩カメラ・フィルムの衰退、時代の流れも影響しています。
 
一人暮らしなので家賃もあるし、ひょっとしたらもっと粘り強く営業を続けていれば、思いがけないチャンスが得られたかもしれません。最低限の生活が成り立たなければ写真家というものは始まらないわけですから、途中から目先の日給、バイト生活に切り替えました。週3,4だったのが、週5,残業といった具合です。今の作品がだめなら、次回の作品、「写真を撮り続けなければならない」2,3年先ではだめです、少なくとも撮り続けるには半年、1年以内が理想と切り替えるわけです。
 
やっと今回の撮影旅にこぎつけたわけですが、普通なら生活だけでもギリギリの月給であるのに、どうやって可能になったのか。フリーターでも真面目に通い続けると言うことと、徹底した節約、親からの援助です。
 
派遣業者のアルバイト仕事ですが、無遅刻無欠席で真面目に働き続ければ会社員に比べれば微々たるものですがボーナスらしきものが出ます。時給は普通ですが、残業をすればまだましです。その分肉体的に疲れます。昼は派遣先から出る340円の弁当と夜は自炊です。特に物欲はないのですが、写真代以外は服もロクに買っていないです。人間関係も狭めるし、会いたい人もいろいろといるのですが(この場を借りて言います、すいません)、交遊費を削っています。本当に限られた人としか会っていないです。今の境遇なら仕方ないです。
 
何よりも自分一人ではないと思うのが、親の有難さです。当たり前ですが、大学を卒業してからは仕送りはもらっていません。ただ母親から何度か御米や野菜や果物や手作りの煮物などをもらっています。それに添えられた心配している手紙を見ると、感謝してしきれません。自分の弱さやふがいなさも恥じます。親は子の状況を分かるものなのでしょうね。今年は特に生活に汲々していました。今回の旅も、全ての日本での生活を終え、航空券代やフィルム代を払い終え、2か月分の空家賃を払い、この前のナショナルジオグラフィック入賞の賞金を足しても、どうしても後10万円が足りなかったです。かなりの節約で撮影旅を行うか、日本に戻ってから通信費・光熱費などを支払おうと考えていましたが、この前現金書留が届きました。決してお金を催促したつもりはありません。母親からでした。中には現金10万円が入っていました。添えられた手紙にはこう書いてありました。「今年は清里に入らなかったことを知りました。こういうこともいずれはあるかと思います。満期になった10万円を送ります・・・・・」
 
母親はインターネットはおろか、パソコンは使えません。どうやら兄のお嫁さんが僕のブログを見て、清里落選を知り、たぶん母親に見せて上げたのでしょう。ただ父親は普通のサラリーマンですし、妹は大学生ですし、家は決して裕福ではないです。バブルの時は建築関係ということもあり、子供の頃は何不自由なく暮らせましたが、今の時代は会社員も厳しい時代です。その中から何とかやりくりして満期とは何が満期なのかははっきりと分かりませんが、家庭の大切なお金を、いざということを察して送ってもらったということになります。
 
母親は昔からやりくりするのが上手く、兄のお嫁さんもしっかりとしていますし、母親と言うか、女性には頭が上がらない思いです。男の人よりも気が利くし、繊細です。
 
一人の力だけで、旅や写真を続けられるわけではありません。今回持っていく10万円は、母親のそして父親のお金であるわけです。さらに言えば、母親や父親を育てたまだ健在である祖母や、もう亡くなった祖父の想いも関係しているのです。
 
どこの国でも親と子の関係性はあり、様々な感謝が詰まっている。写真家としての誇りと供に、多少の恐怖やリスクや孤独や、体の理由の疲労や病気や怪我をするぐらいで写真を撮らないで戻れない。一人ならともかく、心配してくれている人がいるので、簡単には死なない。茨だと思う長い長い道のりも乗り越えていける。そう信じるしかないのです。
 
写真を撮り続け、残そうと思うのです。あらゆるネガティブな気持ちを少しでもポジティブな気持ちに変える。ブッダでも五木寛之さんでも、考えている想いは似ているもので、この世は苦しみの連続です。
 
それを踏まえた上で、悩みながらできるだけ前向きによりよく生きようとするのです。

隣の芝生は青く見える

2件のコメント

昨日でいったんバイトは終了。9時から19時30分まで残業をする。
 
今日から来週の出発までは旅の準備などに追われる。先月は頑張ったと思う。その分、割れるような咳がたまに出る。のどが痛い。今のプレッシャーもある。インドを旅し出したら、体力的にも精神的にもより神経を使う。埃も多いし、悪い人もいるし、人にもみくちゃになるし、ホットシャワーを浴びられない日だってあるし、食もカレー中心だし。何もかもを自分で判断しなければならない。このままの体調ではやばく休養にあてたいと言いたい所だが、やることが多すぎて難しい所だ。出発の当日までに完全なベストの状態に持って行けばいい。
 
フリーターから無職というか、写真家の状態だ。なけなしの貯金を削って、生活をする。逆算をしてギリギリの状態だ。今回の旅の終了までを迎える。毎年のことながら、今日、空家賃の2カ月分12万2千円を大家さんに持って行く。撮影旅に出かけることを伝える。地方出身者の東京在住の空家賃ほど痛いものはない。実家で空家賃がなければ、もう1ヵ月は撮影旅をすることが出来るのに・・・・。大家さんというか今のアパートとは学生の頃からの付き合いだ。個展にも来てくれたし、旅行会社をとっくに辞めたことも細々と写真を続けていることも知っている。支払った中から、1万円を餞別として頂ける。大変うれしく有難く思います。
 
ただ逼迫とした生活は続く。戻って来てからは、毎月の光熱費や通信費が引き落とされ貯金が限りなくゼロに近くなる。安宿や鉄道のノンエアコン車を選びながら、旅も節約しながら、日本に戻ってきてからの生活費にあてるという有様だ。今年は清里に入選しなかったことも大きい。今回の旅の現像、プリント代もある。戻ってきてからすぐにバイトも始めなければならないだろう。今年の年末年始は実家に帰れないかもしれない。
 
それでも、旅をし写真を撮ることを選ぶ。写真家は定期的に写真を撮らなければ成り立たないからだ。アジアの発展は目覚しく、毎年様子が変わる。いつの時代もインドは面白いかもしれないが、新と旧が入り混じり今のインドもやはり面白い。日本では忘れ去られた大切な部分も残っている。人の顔であったり、街の多様さであったり、宗教や生活や生と死であったり。それだけエネルギーはいるが、撮りがいがある。
 
自分の写真イメージを確立するのである。確立するとまではいかないが、何とかいい写真を撮り、残したいのである。結局は死んだら何もかもが終わってしまうと思いながら、今という瞬間を撮りたいのである。
 
広告の写真の仕事等で忙しかったら、お金はあるが、時間が作れない。自分の作品は作れない。お金は常にギリギリの状態だが、もう失うものはないし、時間は作れる。と言っても、前回にもましてひどく今回は2ヶ月間が限度だ。毎年のだいたいの経験から、2ヶ月程度の撮影旅を行うなら、航空券代が約10万円、フィルム代乾電池撮影雑費を含め約10万円、空家賃約10万円、現地滞在費用一日2000円~3000円でも、目安として一度に約40~50万円はいる。銀塩カメラ、フィルムを使う場合で、フィルムの本数や一日をもっと豪華に過ごしたかったりしたらもっといる。バックパッカーの様に一日1000円~1500円ともっと滞在費用を削れることも出来るが、撮影に支障が出る。たぶん熱を出し、体を壊す。それだけ写真を撮るということはエネルギーもいるし、神経も使う。あくまでも撮影旅に出られる計算で、日本に戻ってからの生活代や現像代は考慮していない。
 
隣の芝生は青く見える。ボクサーでも他のジムがいいからと頻繁に移籍していたら、自分の力が付かない。写真家でも同じことだ。周りの写真家はよく見えるが。それぞれに苦労している。結局は同じことなのである。
 
今の環境に耐えながら生活していくしかない。ある程度は楽しむ。自分の力が付いていく証拠でもある。
 
 
 

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