コントロール

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今日はバイトの後、ジムへ行く。縄跳びから始めて、全部で18R練習する 。バイトは立ちっぱなしだし、ボクシングも動くから、さずがに足にくる。31歳(ついこの間31歳になってしまった)になって、20代よりもどこが体の異変を感じるかと言ったら、足腰の踏ん張りだ。
 
トレーナーへのミット打ちを行う。トレーナーの要求が激しければ、こちらも倍動き、パンチを繰り出す。本来ならストレートは軸足の踏ん張りを利かせて、強いパンチを打たなければならないのだが、体力が消耗してくると、いまいち踏ん張りが利かない。日々の鍛錬と年齢的な限界も感じてしまう。
 
安定しない生活をしていると、よほど自分を強く持たなければいけない。精神的なものから体力的なものまで。医者でもそう、会社員でもそう、フリーターでもそう、写真家でもそう、結局は体力勝負だと思っている。まずは基礎体力ありきで、そこから様々な可能性が広がっていく。
 
自分をコントロールするということは難しく、難しいだけとても重要なことである。酒に溺れてはいけないし、自虐的になりすぎてもいけないし、かと言って傲慢になりすぎてもいけない。どこかで謙虚さ、純粋さ、やさしさは持っていたいもの。
 
今のような流れの速い東京で生活をしていると自分を見失いそうになるが。何でも信じることだ。不安や孤独は消えないが、そう言い聞かせている。

一つの夢

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今日は、午後からジムへ行く。全部で20R、練習する。その内の3Rをトレーナーとマスボクシングをする。コンタクトが2回も取れて、目が悪いと本当に厄介だ。相手がいると、間合いや防御が難しい。懐に飛び込もうとすると、パンチを受ける。かと言って、攻撃しなければ成り立たない。その中でもジャブを上下に分けたり、バックステップは使える。いい経験だし、勉強になる。
 
新潟地震の影響が心配だ。テレビを見て、震災の様子を見ると、深刻になる。柏崎には祖母がいるし、長岡には親戚がいる。子供の頃よく行った柏崎の夏の海はいい思い出がある。
 
祖父は96歳で亡くなられたが、家にはアトリエがあった。長年学校の先生をしていたが、絵画を趣味としていた。新潟の風景、自然をよく描いていたようである。油絵で、素人の目から見たら、プロ級の腕前だ。一枚の油絵。農村の風景で、瓦葺の家と、前に牛が描かれている。平和的な光景で、その絵は今も忘れていない。
 
フランスへ行きたかったのだと、直接ではないが、聞いたことがある。想像を膨らませる。絵描きにとって、フランスというのは、一つの夢で憧れではなかったのだろうか。ひょっとしたら、若い時は、(食っていったり家族を養うには先生だが)フランスへ留学して本気で絵描きを目指していたかもしれないし。
 
僕が写真家になろうと決めた時には、もう祖父はまともに話せる状態ではなく、ぼけてもいた。90歳以上であったし、仕方ないが。今も悩んでいるが、こんな時には祖父に絵のこととか夢のこととかいろいろと話したいと思う時がある。実際に写真家という状態でなければ、まして小さい頃では、そんな話は聞くことを考えてもいなかった。
 
一つの夢がある。写真でフランスへ行くことだ。ただの遊びや旅行ではなくて、写真が絡んで欲しい。いつか写真で認められて、フランスへ行くことが理想だ。何かの賞に入ったり、展示会をしたり、はっきりとは分からない。
 
それを果たすということは、亡き祖父の夢でもある。

運命には逆らえない

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 昨日は、バイトの後ジムへ行く。腕力を使うバイトと、ボクシングをしていると、僧坊筋近辺と、肩の関節が軽く痛いというか、だるくなる。ひどく筋肉痛になるということはもうなくなったが、練習を終えた次の日は体が100%ではない。
 
こんな時、もう三十路なんだなあと感じてしまう。体力には自信がある方だったが、だんだんと疲れやすくなる。23、4、5の時は、大きなコートでサッカーをやって、DFをやることが多かったが、前に上がって攻撃に参加してすぐ戻っても息がそんなに上がらなかったし、小さなコートのフットサルで何十分も動き回っていてもけっこういけた。
 
写真でも、28ぐらいまでは良かったが、ここ1,2年は、写真の撮り方も変わってきている。時間を気にせずとにかく1日中歩き回るということは少なくなった。それだと、2,3ヶ月の長期の旅に耐えられなくなる。ただの移動や水シャワーだけの宿で滞在するだけでも体力を消耗する。その日の天候や、時間帯や、光の様子や、街の状況、人の流れを考慮に入れ、経験でだいたい分かってくる。光のいい曇りか、朝、夕方の斜光での、数時間が勝負だ。後は、撮れるか撮れないかは、流れや出会いが関わってくる。自分なりに神経は使う。撮れない日があっても、仕方ない。トータルで写真という結果を残せばいいのである。
 
年齢的な体力はもちろん、写真をやっていると、「運命には逆らえない」と思う。力ずくで何かを変えたいと思っていたが、30歳になると、そんなことは無理だと分かってくるし、諦観も生まれる。流れに任せて生きていってもいいと思う。まだまだもがいているが、「もう限界かも」と何度も思う。就職という二文字もちらつく。旅や写真は、アイデンティティーの側面もあったが、生きていく手段を考える時、絶対的なものでなくなる。写真はそう簡単には捨てられないが、最近は撮れていない。
 
今日はジムは休み。図書館へ行く。美術書をめくったり、格闘技本を読んだり、写真集を見たり、飽きない。ボクシングで体を左右に振ることをダッキングと呼ぶことを知ったりする。
 
藤田嗣治「異邦人の生涯」を読む。関連して、エコールドパリの画家の作品などをチェックする。モディリアー二の自画像、スーチンの肖像、その他の作品にかなり惹かれる。ルオーの見習い職人(自画像)、夜の風景を見て、泣きそうになる。暗いが、人や世の中の悲しさを閉じ込めている。絵でも、明るいだけが全てじゃない。
 
前のロマン主義のドラクロアの作品は、色も題材もかっこいい。ドラクロア本人の自画像もかっこよく、作者と作品が直結している。
 
藤田の猫(争闘)、ノワイユの肖像に特に惹かれる。
 
絵画は、写真の勉強になる。絵は足すのに比べて、写真は引き算だ。絵は想像と技術で完成するが、写真は被写体そのものがないと完成しない。猫(争闘)の生き物の激しさ、逞しさ、躍動感。写真ではほぼ無理だ。
 
少なくとも、均一化されている今の東京では不可能に近い。何もかもを作り出すしかない。どこかでリアリズムは欲しい所だ。まださらけ出しているインドや第三世界では、可能性がある。
 
インドはこちらが動かなくても、(その分の障害は出てくるが)、向こう側から運や出会いがやって来る時がある。
 
理想の写真を求めていくには、容易ではない。

憂鬱は消えない

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 9時から17時までバイト。
 
憂鬱は消えない。何でだろう、ゆとりがないからだ。鈍感になればいいが、旅を繰り返していると、繊細になる。無理に流れに合わせようとすると、アップアップする。社会という海で泳いでいるが、呼吸が苦しくなる。
 
バイトはバイト。誰にでもできるし、雇う側も使い捨てと思っているし、雇われる側のことなんか考えていない。そんな余裕も感情もない。今の社会にはたくさんの派遣会社がある。同じ様な仕事が無数にあるかと思うと、ぞっとする。会社があり、理不尽な環境の下で働く人達がいる。やさしくない会社がやさしくない人を育て、子供や社会的弱者や他人には目がいかない。自分のことでいっぱいいっぱいになる。経済を優先にするということは、人をロボット化する。会社や仕事に魂は生まれない。
 
例えば新卒の新入社員。本当にいい会社に就職できたのはほんの一握りだろう。会社というのは入ってみなければ真実は分からない。会社説明会でも、面接でも、会社のいい所しか見せていない。何でも長所もあれば、その分の短所もある。でも、会社側はきれいな部分しか見せない、汚い部分は隠そうとする。
 
まだ30歳でこういう世界を経験できるのはいい。ずっと会社員をしていて、50や60でリストラされて、体力だけが勝負の末端の作業場へ行くと、かなり落ち込むだろう。下手をしたら、自殺を考える人だっているかもしれない。
 
流れ作業というのが限界かなあ・・。やらされる仕事よりもやっていく仕事の方がいい。本当に好きなものだったら、旅や写真でも、ボクシングでも、つらくてもそこに自由を感じるし、続けようとする。
 
仕事の定義は難しい。必ずしも、仕事をしてそれに見合うだけの報酬を得るということだけではない。報酬というのはあくまでも結果の一つにすぎないのであって、それが全てじゃない気もするし。
 
好きなことで食べていくのは難しい。明日もバイト。憂鬱だが、今の立場じゃしょうがない。
 
 

病は気から

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今日もジムへ行く。ストレッチ、縄跳びから始めて全部で20R。その後、筋トレ腕立て60×3、腹筋40×3、鉄アレイ。
 
ボクシングはやはり奥深い。続けていくと、自然に体が動いて、フットワークもスムーズにいくようになってきた。
 
昨日ののどの痛みは消える。荒治療だが、激しい運動や一瞬の緊張状態にさらされると、体の不具合がよくなることはある。旅でも、いまいち体の調子が悪くても、緊張状態にさらされる移動をすると(予約していた鉄道の切符を持っていていやいや移動しなければならないこともけっこうある)、いつのまにか直っている。
 
無理は禁物だし、「疲れたら休む」は旅の鉄則だが、「病は気から」の言葉もあながち嘘ではない。
 
東京だとホットシャワーもあるし、食に不自由しないし、静かだし、旅に出るよりも何倍も快適だ。ただ物価は高いし、生活と次回の旅と撮影のことを考えると、質素な暮らしをせざるをえないことは、時にこたえる。
 
明日からバイト。憂鬱だが、乗りきろう。

リング

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昨日まで6日連続でバイトをする。慣れても同じ作業が続くと、気が変になりそうだ。マスクを二重にしているが、少しのどが痛い。
 
今日は、ジムへ行く。縄跳びから始めて全部で19R。その内の2R、マスボクシング(あてないボクシング)を行う。トレーナーへのミット打ちの後、疲れていたが、相手から「やりますか?」「お願いします」と言われたら、断る気はしない。
 
その方は、身長が178cmぐらい。僕は168ぐらいだから、10cmの差というのは明らかに不利。頭へは届きそうにない。ボディーばかりを狙う。あてなくても、トレーナではない相手がいると、間合いや防御が難しい。思いがけない所からパンチが来ると目をつむりそうになるし。倍以上は疲れるし。何でも経験だから、いい経験になる。本番だったら、頭に何度かパンチも受けたが、ボディーへのストレートとフックでいいのが入った気がする。
 
あてないと言っても、フットワークや勢いで軽くあたったり、かすったりはする。軽くあたり、左目のコンタクトが取れてしまった。中断して急いで付け直して、再開する。裸眼の視力が悪いというのは、悲しいものだ。野球やサッカーなら問題ないと思うが、ボクシングは大有り。
 
サッカーでダービッツという選手がいるが、彼は目の保護の為にゴーグルをしている。ボクシングでも、公認とか何かで専用のゴーグルができて欲しいなあと思ったりもする。そうすれば目が悪くても、おじさんでも、練習次第で憧れのリングに立てる。
 
 

心境

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今日は、9時から15時までバイト。その日の流れ作業の影響で、予定よりも早く終わってしまった。時給が減るのは残念だが、少しのどが痛かったので、助かる。休みの日にボクシング通いを続けていると、休んだ気があまりしない。
 
最近は写真そっちのけで週5ペースで働いているが、これなら会社員の方がいいと思う時もある。決まった収入も見込めるし、その分時間は減るかもしれないが、要領を覚えれば、体は今よりも楽に違いない。
 
結局はないものねだりだし、お金を取るか、時間を取るか。会社員になっても、1年も経たずに辞めてしまうのは、やはり気が引ける。旅と撮影には最低でも2ヶ月は欲しい所だ。10ヶ月何とか生活に耐えて、撮影旅資金を何とか捻出して、2ヶ月間旅に出る。
 
自分の写真で食べていくのはかなり単発だし、別の撮影や取材の仕事だって人間関係や出会いや時間などが絡んでくる。知る知らないという問題もあるし、何かのきっかけだと思うが、残念ながらそのきっかけがない。海外旅の写真家で、器用に別の写真の仕事をしている方は案外少ないと思う。海外に長く滞在すればするほど、敬遠されがちだろう。数週間ならともかく、2,3ヶ月となってくると、写真家の存在自体もたぶんそちら方面の人には知られていない。
 
じゃあ、すぐにでも広告のような仕事ができるかと言ったら、何でも経験がいる。自分なりの写真の哲学はあるが、スタジオ経験はないし、旅では三脚は使わないし、これでは頼む方も頼めない。賭けをするようなものだ。でも、太陽の光を使ったポートレートや、普通のスナップなら、広告写真家と旅写真家でも、同じ撮る側なら共通のものがある。一定レベル以上なら撮れる。
 
スタジオでの照明を使ったポートレート等だって、経験だろう。旅を辞めて、数年も経験を積めば、問題はやる気や撮ろうとする意志。インドなどへ行って、写真をものにするという強い気持ちがあれば、何だって乗り越えられる。
 
いったん広告業界に入ったら、もう長旅はできない気がする。自分の作品が撮れないということになる。最後はないものねだりだが、写真でお金を稼ぐか、自分の写真を残すか(自分を表現するか)のどちらを重視するか。
 
コマーシャルフォトを見る。広告業界にも様々な写真家がいる。全員が仕事に溢れてはいない、仕事がない人だっているだろう。ドキュメンタリー写真家も、広告写真家も大差はない。
 
広告写真家は、作品撮りの時間がなくなるという危険性がある。広告の写真でいい写真はたくさんある。でも、たぶん権利や肖像の問題も絡んでくる。クライアントやそれに絡んだ全員の写真であって、撮った本人の写真ではなくなる。
 
他のコンテストや、清里のような収蔵される所に応募したり、将来写真集にしたり、ということが難しくなると思う。
 
まだ30歳。旅は続ける。ということは、派遣のようなバイトでしのぐしかない。どうしても肉体労働系になってしまうが、自分の写真の為には仕方ない。
 
明日もバイト。憂鬱だが、頑張る。
 
 
 

純粋な子供

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今日は、午後からジムへ行く。縄跳びから初めてトレーナーへのミット打ちなど全部で19R。筋トレ腕立て60×3、腹筋40×3、ストレッチをして、ジムのシャワーを浴びて帰る。
 
「大きくなりたい」「剣道が上手くなりたい」昨日スーパーで笹の葉に書かれた夢を思い出す。人の夢をじっと見るのは悪い気がするし、目に付いた一瞬だったが。まっすぐすぎて何だかくすっと笑え、子供は純粋だ。
 
小さい頃の僕の夢は何だったんだろう?幼稚園の頃は「プロ野球選手かサッカー選手」だった気がするし、小学生の頃は生意気にも「弁護士」と文集か何かで書いた気もする。
 
大人になると現実も見えてきて、子供の頃の夢とは遠ざかる。弁護士だって、やっていることは時に犯罪者を弁護する。仕事といえば成立するが、広い世界で見れば、果たしてそれが正しいのか疑問も残る。「弁護士=正義」という図式は程遠い存在となる。
 
今日テレビを見ていたら、内気なボクシングの少年が出ていて、その言動や恥ずかしがり方や純粋さに、かなり好感が持てた。
 
アジアの写真を撮り始めた頃は、子供ばかり撮っていた。やはり子供の何気ない仕草や愛情や喜怒哀楽に純粋にいいなあと思ってしまうのである。2001年、いろんなことに悩んでいて(今も悩みはあるが)、タイ各地を旅して、初めてカンボジアへ行こうと思った。アランヤプラテートからポイペトのルートが一般的であるが、同じ様に陸路で入って、アンコールワットのある街シェムリアップを目指した。その時はかなりの悪路で(最近は分からない)、通り過ぎた旅人から嫌な噂も聞いていたし、初めての国境、国を旅するというのはけっこう緊張する。
 
でも、行かなければ、この先に明るい未来はないとさえ思った。その時は後のことなど考えていないし、行くしかなかった。実際にけっこうな悪路で、ヘトヘトになりながら、夜シェムリアップのゲストハウスに着いた。
 
その後、アンコールワットを見に行った。アンコールワットも鳥肌が出るくらい感動したが、もっと感動したのは、敷地内で物乞いをしている赤ちゃんを抱いている(カンボジアは布で巻きつける横抱っこが主流だ)女の子。悩みなど感じさせない純粋な笑顔に、それまでの自分の全ての悩みが吹き飛んだ。大人が子供に救われると思った。
 
アジアの中でもカンボジアの子供の表情は豊かだ。ネパール、ラオス、バングラデシュもいいが、カンボジアが飛び抜けている。「子供の表情に差はない」と言うかもしれないが、陸路で各国を回っていくと、微妙な違いさえ分かる。
 
今思うと、親や他人の表情も豊かだからだと思う。子は親の表情や目を見て育つ。お金があるとかは関係ない。貧しいが、心の豊かさがある。
 
じゃあ、日本はどうかと言えば。東京では、普通に電車に乗っていても、通りを歩いていても、純粋な子供の表情を見ることは少ない。これだけ競争社会や、忙しい時間に追われては、子供だって身構える。家庭や学校の場では素の表情を見せるが、普通の街では見せることはない。祭りなど特別な日ぐらいだ。
 
果たして幸せな社会なのかという疑問も残る。
 
明日からバイト。憂鬱だが、頑張ろう。
 
 

再認識

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今日は午後から一つ展示を見に行って、夕方からジムへ行く。
 
展示は広尾のエモン・フォトギャラリーでやっている「中藤毅彦・斉藤亮一写真展」。東欧・南米、旧共産圏でまとめた企画展。モノクロに瞬間を閉じ込めている。中藤さんが「動」なら、斉藤さんは「静」の写真を残している。どちらも作者の個性も出している味わい深い作品だ。作家には、マイ被写体や、マイフィルムや、マイプリントがあるが、マイプリントのお手本のような作家。僕は自分でモノクロを焼けないので、勉強になる。
 
お二人とも、写真界で言えば、中堅以上。個展等、確かな実績を残している。斉藤さんとは面識はない(たぶん向こうは覚えていない)。何度か出版物や個展を見たことがあるが、絵画のような美しいプリントが印象的。
 
中藤さんは清里ヤングポートフォリオで長い間活動していた方だ。自分の世界を持っている。粒子の粗い現像とプリントで(どうやったらあんな風にできるんだろう?)、魅力的な路上や人間の息づかいや激しさを上手く表現している。被写体とモノクロプリントとの関係性を上手く理解している。
 
中藤さんとは清里で何度かお会いしており、いろいろとお話を伺う。今回の案内状も頂いていた。今日もいらっしゃって、近況などを聞く。
 
でも、やはり現実的なことはいろいろと大変そうだ。当然だが、外国に行くということは、旅費も撮影費もかかる。作家として作品を残す、様々なことを表現する写真家。売れるか売れないかの二者択一で言ったら、売れない。先生と呼ばれる60以上ぐらいにならないと厳しい。写真家というのは、30、40、50、下手をしたら永遠に苦労しそうだ。
 
間違いなく、30~40というのは、正念場で、耐えることが多そうだ。まだ30歳。相当な覚悟が必要だ。
 
その足でジムへ行き、縄跳びから始めてトレーナーへのミット打ちなど20R。筋トレ、腕立て60×3、腹筋40×3、2時間ほど汗を流す。
 
未来の自分なんて、想像できない。旅先でいつくたばるか分からないし。もし最悪のことが起こったとしても、やりがいのあることで散ってもしょうがない。自由と自己責任。
 
でも、少しでも食い止める為に、最後の底力と緊張と経験と読みのアンテナは張っている。ボクシングはつらいけれど、体作りには最適だし、日本にいる間は努力したい。
 
長期の旅には冒険家やマラソン選手のような耐久性が求められると思うし、写真を撮るという行為にはコミュニケーションや瞬発力が求められる。
 
旅とは、「無事に戻ること」。
撮影とは、「撮った写真を持って帰ること」
 
「いい写真を撮って帰ります」、そういう世界だ。
 
僕は弱いから、明日もジムへ行こう。未来の自分を信じるだけだ。
 

引いてしまう時もある。

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今日は、9時から17時までバイト。一日中、お腹が痛かった。ひどくはない、精神系から来るものだろう。本屋へ行くと、急にもよおしたくなる時がある。たぶん似ている。仕事場は雑誌の塵や臭いで充満していて、毎日のようにいると腹がゆるくなる時もある。
 
ひどくはないので、その後、ジムへ行った。縄跳び2Rから始めて、全部で16R。いつもより少ないが、さすがにバテる。特に暑くなってくると、今のバイトとボクシングの両立はけっこうつらい。今日は乗り切る。
 
プロボクサーはやはりすごい。みんな別の仕事を終えて、ハードなトレーニングをこなしている。憧れと羨ましい気持ちで、次々と行われるスパーリングを見ていた。「僕はあちら側には立てない」当たり前だが、何だか相手にされないようで少し寂しい気持ちもする。
 
夏バテ気味かもしれない。写真の方も上手くいかないし、無気力になる時がある。
 
金曜の夜とあって、ジム内には20人以上はいる。気持ちが乗ってる時は、人込みも人いきれもはねのけられる。今日のように体調がすぐれない時は、気が滅入る。そんなに人込みは好きじゃない。闘わなければ、本当は静かな所でゆっくりしたい。
 
写真でも同じことだ。カメラがあるから、インドのような混沌とした所や、バングラデシュのような観光客が少ない所や、パキスタンのようないつテロが起きるか分からない所へ飛び込むことができる。芸人さんがカメラの前だと体を張る感覚に少し似ている気がする。普段は物静かなのに。
 
まだ若いから続けられる。でも、本音は写真から離れて、競争社会から外れて、静かな所で暮らしたい。仙人やずっと旅人という感覚も悪くない。今まで訪れた中で、一生とは言わないまでも、ずっと(しばらく?)いたかったと思う場所。
 
タイのビーチや島、チェンマイ、チェンライ、ラオス、カンボジアのシェムリアップ、パキスタンのフンザ、ネパールのポカラ、北インドのリシケシュ、南インドのカニャークマリ。人が温かかったり、ゆるやかな時間が流れていたり、空気が澄んでいたり、星空がきれいだったり、最高の山の景色や、落ち着かせる海や川に囲まれている。東京という忙しい街に比べると、人や自然が恋しくなる。
 
何だか書いていて、妙に懐かしくなったぞ。懐かしい思い出がよみがえる。

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