理想を求める日々

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今日は、写真を整理して、夕方からジムへ。ストレッチをして、縄跳び2Rから始め、縄跳び2Rで終わり、ミット打ちなど全部で20R。その後、筋トレ腕立て60×3、腹筋40×3、腹に重いボールをあてたり、鉄アレイをしたり。完全燃焼、汗が滝のように流れる。
 
金は稼げていないけれど、いい仕事をした感じがする。
 
理想を求める日々は続く。平凡で地味な時間の繰り返しだ。ダイエットでも、野球やピアノが上手くなりたいでも、自分なりの理想を求め続けるには、必ず壁にぶちあたる。
 
ボクシングが上手くなりたいでもそう、少しでも強い心と体を手に入れたいでもそう、いい写真を撮りたい残したいでもそう、高い壁にぶつかりあきらめるか、乗り越えようと努力するか。
 
あきらめるのは簡単だけれど、必ず年を取ってから後悔する。後悔するなら、今は孤独でも悲しくても寂しくても貧しくても、求め続けた方がいい。
 
一人一人の時間は平等であり、限られている。限られた中で、いかに希望を持ち、夢を少しでも叶えようとし、いいものを残せるかだ。

焦るな、腐るな。

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今日は、9時から17時までバイト。その後、ジムへ行き、トレーニングする。縄跳びから始めてミット打ちなど、全部で18R、筋トレ腕立て60×2、腹筋40×2。
 
バイトの後のトレーニングはけっこうしんどい。蒸し返ったジム内にいるだけで、汗が吹き出る。動いた後は、汗が尋常じゃない。4月の暑期のタイや、じめじめとした9月のインドを思い出す。
 
何でボクシングをやっているのだろう?思い思いに動けばいい。体全体を使い、そこに自由を感じるからだ。自分との闘いであるし、自分のペースを守ればいい。とは言っても、周りはたぶん僕よりも若い。いい刺激を受け、どうしてもオーバーワークになる。他人から見たら、もがいているだけかもしれないな。
 
間違いなく体はきついのに、何で飛び込むのだろう?高校生の頃の授業の後の野球部を思い出す。あの頃はユニフォームも泥だらけになりながら、白球を追っていた。サードを守っていたが、今思えばノックはいい経験だった。取れなさそうな所にダイビングキャッチして取れた時は本当に最高だ。今でもノックを受けたいと思う時がある。
 
ボクシングもつらいのではない、いい経験をしていると思えばいい。臭い言い方かもしれないが、何歳になっても、夢や青春というものはいいものだ。三十路だが、そんなこと関係ない。70歳でも、エベレストに挑戦したりする人だっている。
 
どんな状況でも、焦るな、腐るな。自分の道を歩く者は、腐ったら負けなのだ。
 
自分のペースは守る。今日は、久しぶりにビールを飲んだ。一缶だけだけれど。父親がつい最近上京した時に、缶ビールを2本置いていった。ここしばらくは、旅でも、旅先がインドだからということもあるが、日本に戻っても、あまり飲んだ記憶がない。
 
大学生の頃や、旅行会社にいた時は、けっこう飲んだけれど。写真をやるようになって、飲まなくなったな、しかし。
 
まあ、プロボクサーじゃないし、減量もないし、その点はストイックになる必要はない。その分、体を動かそう。週末は休み、ジムへ通い詰めて、トレーニングをする予定。
 
いい感じで疲れがたまり、今日は、熟睡できそう。

作家活動

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今日は9時から19時30分までバイト。同じ流れ作業をしていると、時に絶望を感じる。楽天主義で生きていたり、鈍感になればいいのだが、敏感に感じてしまう。旅で培った用心深さが、邪魔をしている。
 
何でこんなに神経質っぽくなったのかと言えば、写真を続けているからだ。あのまま旅行会社にいたら、こんな道を歩まなかっただろう。希望のないバイトをする、バイトについていけない体だったら、とっくに自殺していても可笑しくない。体力と精神力は関係すると思っていたから、やはりボクシングを続けていて良かった。
 
写真には答えがないから、いろいろと考えてしまう。フィルム、現像、プリント、お金もかかる。アジアを旅して写真を撮るということは、世界を伝えたり知ると同時に、自己内面を見つめる作業でもある。ファインダーを見つめて、世界を切り取るわけであるから、作者の存在もないがしろにはできない。
 
今まで全く誰にも認められず無視されていたら、気楽に写真を続けていたと思う。一度個展をやったり、何かしらの賞を頂くと、もっとよりよくしたいという欲が生まれる。人間や表現者としては当然だと思うが、上手くいかないことがほとんどだし、時に神経質になってしまう。
 
写真を続けていて、「闘っている」という気がする。
 
自分や社会に対して。金銭を捻出する為のバイトでは社会と闘っていると思うし、旅や写真に対しては孤独の自分と闘っている。写真家は、チームプレーではない個人プレーだ。
 
自分なりのドキュメンタリーというのは、発表の媒体が少ない。先入観も含めて少ないということは、あらゆる会社に持ち込む前から過小評価してしまい、どうせ相手にされないだろうと思ってしまい、撮るまではいいが、見せるまでのやる気が薄れてしまう。ドキュメンタリー写真家はマイノリティーな存在であり、社会に対しても「闘っている」と思うのである。表現者の端くれとしてはより多くの人に認められたいが、認められないのである。そのジレンマと葛藤なのである。
 
サルガドやナクトウェイやスティーブマッカリーはあくまでも欧米の写真家だ。欧米の写真事情は分からない。だが、ドキュメンタリー写真家も写真家として生きていける土台や文化があるに違いない。大御所もバイトをしていたら、笑えるけれど。
日本で海外のドキュメンタリー写真家一本でやっている人は、野町和嘉さんぐらいしか知らない。定期的に撮り続け、作品を発表している。尊敬に値する。
 
写真家、特にドキュメンタリー写真家で生きていくのは、ますます肩身が狭くなりそう。
 
水が出るか分からない井戸を掘っているようなものだ。一ノ瀬泰造やアンリカルティエブレッソンのように、亡くなられてから、一部の人だけでなく、より多くの人に浸透する。でも、結局は忘れ去られてしまう。いいものを残しているのに、廃れてしまう、写真を含めてそんな無常のようなものが悲しいのだ。
 
どんどん細い道を行こうとしている。でも、そういう覚悟が必要だ。後のことは考えない、いかにいい写真を撮り、残せるかだ。自分が消えても、写真が一人歩きすれば、そんな文化ができれば、それはそれでいいのかもしれないな。
 
明日もバイト。憂鬱だが、絶望を希望に変える。

ストレート

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今日は、9時から17時までバイト。
 
旅に出れば、いろいろなことが起こる。いろいろなことに感動したり、恐れたりする。
 
子供の笑顔だって、スーッと心に入ってくる。
 
本当はまっすぐに生きていくのがいいことだ。まっすぐとは、悩みながらも自分の決めた道を進むこと。
 
東京にいると、自分で動かないとどんどん早く時間が過ぎていく。気付いたら、60歳ということにもなりかねない。
 
周りの目や、邪念を振り払うように、夢(理想)に向かえばいいのだ。
 
明日もバイト。たぶん残業だろうが、前向きに頑張る。
 
 

憂鬱

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今日もジムへ行く。全部で20R、筋トレ腕立て60×3、腹筋40×3。ジム内は蒸し暑くて、バテながら乗り切る。腕力は間違いなく上がっている。旅に出たら、移動の繰り返しだし、フィルムの詰まったバックパックを背負い、重いカメラバックも運ばなきゃならないし、年は取っていくが、体力はそのまま維持するか上げていかないと・・。
 
明日からまたバイト。週の初めは、かなり憂鬱だ。引きこもりにもなりたくなるが、ホームレスにならない為に、前向きに頑張る。

トレーニング

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今日はずっと写真の整理をして、夕方からジムへ行く。縄跳びから始めて、トレーナーのミットへパンチを打ち込んだり、20R、筋トレ60×3、腹筋40×3、全部で約2時間、完全燃焼、動いた後のシャワーは気持ちがいい。
 
30歳だから、疲れれば足がふらつく。耐えてサンドバックを叩く。ジャブ、フック、ストレート、アッパー、コンビネーション、続けてきてスムーズに出るようになってきた。何でも我慢して、続けるべきだ。頑張って成果が出れば、もっと上手くなりたいとやる気も出てくる。後は、防御したり、よけたり、タイミングを計ったり、フットワークだ。プロとアマチュアは、このフットワークで差がつくとみている。
 
強いと思ったら、ボクシングなんて習っていない。弱いからこそ、コンプレックスの塊だからこそ、習っている。写真家というのは、マイノリティーな職業だ。ただでさえ貧乏生活なのに、世間に流され、自分を強く持たなければ、コントロールできなくなるし、潰れてしまう。自分の匙加減だが、少しでも強くなりたいから、格闘技系を学ぶ必要があった。やってみて、本当にボクシングは奥が深いし、ハングリー精神も養えるし、マイノリティースポーツだから、写真家と気持ちが通じるものがある。合わなければとっくに辞めているし、ピンと来るからこそ、続けている。
 
ジムに冷房はない。今日は特に暑かったが、汗が尋常じゃない。水泳、野球、サッカー、スポーツはいろいろとやってきたが、フットサルで激しく動き回るぐらいハードだ。動かなければそんなに疲れないし、本当に匙加減、少しでも強くなりたいと思ったら、ちゃんとトレーニングするしかないか。
 
練習した後は、確かに疲れているはずなのに、五感が冴えてくる。その頭と心で、今までの写真を部屋に全部広げて、整理してみる。「この写真も案外捨てたもんじゃない」と新たな発見も出てくる。写真には計算のような確かな答えがないから、とても悩むし、孤独だし、難しい所だ。
 
 
 
 

だんだんと慣れていく

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今日も9時から18時30までバイト。残業も含め、今週はけっこう働いた。フリーの形態でやれば、集中して働いて、写真をまとめたり、応募したり、持ち込んだり。集中して旅をしたり、写真を撮ったりするしかない。気長な作業だ。
 
頭というよりも、本当に体力勝負だ。まだ30歳だからいいけれど、どこまで持つことやら。でも、だんだんと慣れていく。ひょっとしたら、一時は体を壊すかもしれないし、そしたら休んで、また回復してという繰り返しだな、たぶん。そして、だんだんと鍛えられていく。
 
今週もずっと流れ作業のバイトをして、今週の僕の人生は何だったんだろうと考える。どこかで抜ける決断をしなければ、一週間、1ヶ月、一年と続いていく。同じ作業をして毎月一定の給料も入るしそれで満足のいく人もいれば、満足できない人もいる。夢や目標がなくて、だらだらと居座ることは苦痛だ。一度きりの人生がもったいなさすぎる。本音はそうだが、僕の夢は旅と写真の中にあるので、現実を捻出する為には、何ヶ月もかかってしまうが・・・。あくまでも、夢は心の中に持ち続けている。周りのフリーターが同じだからと言って、同化してしまうのは何だか違う気がする。フリーターから脱却するのは、容易ではないし、それこそ運やタイミングもあるし、行ったり来たりするのは、とてもエネルギーがいる。でも、あきらめてはいけない。心の中の火を消してしまったら、死ぬだけさ。
 
明日、あさっては、バイトは休み。写真を整理したり、ジムへ行って、トレーニングをしたいと思う。
 
ボクシングは仕事の一つだと思っているが、人から見れば、自由や趣味や遊びとも言える。仕事に追われ、自分の自由な時間がない方だっているだろうし。結局はないものねだりだが(その分、全然稼げていないし、将来も不安)、自分の人生を羨ましいと思うべきだ。
 
時には自虐的にも陥るが、まずは肯定して、希望を見出すべきだ。
 
 
 

励み

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今日は、9時から18時30までバイト。残業があれば積極的にやるようにしている。予定を立てた次回の旅の10月まで。今までの経験から、逆算しても、やはり厳しい。でも、やるしかない。まずはやるだけやってみる。明日もバイト。少し憂鬱だが、頑張る。
 
採用されなかった持ち込みアルバムが返却される。
 
打たれ強くなければ、この世界では生きていけない。まだまだへこむうちに入らない。
 
ざっと返却された写真群を見てみる。自分の写真だが、励みになるのは確かだ。今までの時間を無駄に過ごしてきたわけではないし。かなり遠回りしているけれど、もっと遠回りしたっていいか。自分の写真だけで食べていこうなんて、考えが甘すぎるのだろう。
 
自分の道を信じて、どこまでも。

泣きたくても、泣けない

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今日は、9時から16時までバイト。予定よりも早く終わってしまった。新宿のシグマラボでプリントを引き取る。家に戻り、筋トレ腕立て50×3、腹筋30×3。明日もバイト、さらに憂鬱になるが、頑張る。
 
だめだ、持ち込みが上手くいかない。一つ見込みがないと、次にまた連絡を取って、見せに行くのが億劫になる。まとめ方や運やタイミングもあるが、小手先じゃないよ。
 
「認めてもらうまで撮り続けるしかないか」、こういう結論に達する。次の撮影旅の予定目標は10月。はっきり言って、このままだと現実的には厳しいが。撮影旅は、普通のバックパッカー旅よりもコストがかかる。航空代金、現地の滞在費用に加えて、カメラメンテナンス代、フィルム代、これから後は日本に帰国後でもできるが、現像代、プリント代。僕の場合は、東京での空家賃を支払わなければならなくて、これが一番のネックだ。
 
原稿料が入ってこれば、体力的精神的な負担は軽減されるが、当分見込みがない。
 
ということは、体に鞭を打って、働くしかない。行きたくても、行けないと思う時、それまでのしなければならないことを思う時、泣きたくなりそうになる。写真は行かないと撮れない。行けば、常に不安はつきものだが、撮る自信はある。
 
孤独も悩みも苦労も、全て自分が選んだ道だ。平坦な道なら、茨の道を。このままでは、掛け持ちのバイトでもするか。僕はこんな境遇に生まれてきたのだ。でも、楽しもう。下積生活は、長い方がいいよ。人間として大きくなれる。もしも、未来の子供がいたら、語れることができるかもしれないし。金持ちになることだけが全てじゃない。
 

マイペース

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今日はジムへ行く。縄跳び、シャドー、ミット打ち、サンドバックなど・・20R練習。筋トレ、腕立て50×3、腹筋40×3、完全燃焼。明日からバイト、憂鬱だけれど、頑張る。
 
村上隆の「芸術起業論」を読む。芸術家はお金がなくてはやっていけない。当然だと思うこともあるが、別に億単位の大金持ちにならなくてもいい。現代美術作家や、漫画家と、写真家は微妙に異なっている。写真家は、撮る撮られるという関係性がある、愛するべき追い続けたいと思う被写体がなければ、写真家が成立しないことだけは確かだ。幸せな瞬間だけを撮っていては、偽善者になるし、かと言って作家性を前面に出せば独りよがりになる。何でも左と右の関係性はあるが、何でもバランスというのは難しい所だ。
 
ナクトウェイの「戦場のフォトグラファー」を見たことがあるが、あれだけ有名な人でも発表の段階で悩んでいる。発表するということは、多くの人に見られることであり、責任感が出てしまう。「戦場や貧困を撮って、それを生活の糧にしている、罪悪感がある、でも撮るしかない」、こんな内容だったと思う。
 
ピリッツァー賞を撮った「ハゲタカと飢餓の子供」の写真も、結局写真家は自殺した。恋愛の問題ともあるし、発表した後で、「何で助けなかったんだ」という批判に耐えきれなかったとも言う。でも、あの写真は望遠レンズを使っているし、かなり距離を縮めているように見せている。自殺することでもないが、写真家は撮る発表するということで命取りになるという一例なのだろう。
 
フォトジャーナリストの道へは行けない理由である。写真家以上に、大きな矛盾が出てきてしまう。
 
雑誌「PEN」で、アンリ・カルティエ=ブレッソン特集を見る。かなり引き込まれた。フランスのスナップばかりと思っていたら、アジアにも長く滞在していて、いい写真をたくさん残している。かなり冷静で、知的な視点だ。写真を一つの絵のように撮っていて、構図はばっちり。この雑誌で、始めて見たものもあるが、勉強になる。
 
何でも、自信と謙虚さだ。マイカーやマイホームを持ってまで、アジアの写真を撮り続けたいとは思わない。そんな抵抗が、自分の未熟さや不器用さにあいまって、30歳にもなって、フリーターを抜けきれない理由の一つかもしれぬ。最低限の生活ができて、毎年一回長期の撮影旅に出られれば、それで十分である。30歳になると、最低限の生活でさえも、限界を感じているが、まだ体は壊れていないし、まだ耐えられる。
 
こっちもギリギリの生活をしている、だからアジアの人間や風景の写真を撮って、作品として残してもいいのではないかと。旅が好きなのである、写真が好きなのである、アジアが好きなのである、かと言って、何でも続けていると、嫌いになりそうで、逃げたくなりそうで怖い。
 
僕の写真はどちらかと言うと、玄人向きかもしれない。社会は写真を知らない人達多数で成り立っているのに。ますますその道だけでは、食べていけなくなりそうだ。でも、全ては時が解決してくれる。そう信じるしかない。

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