もぐら生活は続く

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今日は、バイトもなく、ジムへ行く。ちょうど今から、梅雨までぐらいの日本の気候は気持ちいい。日本よりも暑いアジアの涼しい日を思わせる。4月上旬だと、時に寒い日もあるし、冬のコートはしまえない。中旬ぐらいからだと、薄手の上着になるし、気候も暖かく、行き交う人達の表情も豊かな気がする。
 
写真家という存在は、惨めなもので、幸せそうなカップルを見ても、はしゃぐ学生と電車で一緒になっても、心の底から笑えない。持ち込みをしようと連絡しても、巷は、都知事選が終わり、次に地方選、そして、GWと、世の中の大多数の流れは、少数派からは程遠い。写真の影響力なんて、皆無なのである。
 
写真を見せて、どんなことを言われようが、けなされようが、覚悟はできている。自分なりに普通の生活を削っても、真剣に旅をして、撮っているし。ただ写真を見せる前に、直接会うこともできず、土俵に上がれないと、とても悔しいのである。知らない方と会うのは、特にいろいろと考えてそうな編集者は、苦手だけれど、「写真を見せる」という名目なら、乗り越えなきゃいけない壁だと思っている。写真家一人の力量なんてたかが知れているし、いい編集者と出会うということも、写真家が育つには大切なことだと思う。「写真を見せる」というのは、緊張するし、勇気がいるものなのである。まだまだ自分の写真に満足できていないし、上手くなかったり、雑な所もあるし、いいまとめ方やプリントだとも完全に思えない。はっきりとした答えがないから、いろいろと迷うのである。
 
今の写真の流れは、ありきたりの美しい風景写真は根強い人気があり、デジタルや、少しポップでかわいかったり、人があまり撮っていない撮り方であったり、奇抜な感じであったり、暗さを吹き飛ばすような面白い写真であり。写真家の主張なんて皆無。プリントで言ったら、淡いか、逆に度派手な色の、女の子受けしそうな写真が好まれる。ドキュメンタリーの写真は、写真の中でも、さらに少数派なのである。さらに、微妙な濃淡を表現してくれる(僕的には、暗さのある濃さに惹かれているのだけれど)ポジフィルムは、価格とあいまって、ますます肩身の狭い存在になりつつある。
 
かと言って、デジタルに移るとかいう簡単なものではない。こうなったら、生産が中止されるまで、意地でもフィルムで続けようと考えている。ラスト・サムライならぬ、ラスト・フォトグラファーである。
 
そして、無理して、社会に合わせなくていい気がする。何でも、運やタイミングはあるし。自分のペースで、旅を続け、写真が撮れさえすれば。長期の旅をするだけでも、難しい社会ではあるけれど。生活の為のバイトは、ずっと続きそうだ。旅や写真がなかったら、やらなかっただろうボクシングも続けるつもり。ロクに人とも話さない工場での流れ作業や、サンドバックやトレーナーと格闘するジムという、埃や熱気や臭気の場所での、もぐら生活は続く。後は、しばらく御無沙汰だった、本を読もうと思っている。ますますもぐら生活である。
 
10年くらい続くかもしれないし、死ぬまで続くかもしれないが、気長に待とう。写真家なんて、地上にも出れないもぐらであり、たとえ空を飛ぶ鷹になれないとしても、せめて、飼い犬にはなれなくてもいいから、地上にいる野良犬ぐらいには、なりたいものである。
 

いらないものは、いらない

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今日は9時から16時30分までバイトをする。その日の流れ作業によって、残業がある日と、今日のように少し短くなる時がある。体は少し楽になっても、一日の収入分は減る。流れ作業的仕事は、体を酷使した分、収入が増え、体を楽にしたら、収入が減るという、かなり現実的なシビアな世界なのである。増えるといっても、1時間約千円という決して多くはない金額。下で働いている者は、その日残業があるとか、短くなるとか分からないから、フリーター的生活でも、けっこう不安定な生活を送っている。
 
話は変わるが、スイカとか、パスモとかって、あまりいらない気がする。仕組みもいまいち分かっていないけれど、電子マネーでしょ。カードに、お金を振り込んで使うという。あれ、落としたら、どうなるんだろうとすごい疑問である。クレジット機能まで付いたら、なおさらやっかいだと思う。パスモ使う為に、並んでいるの見たことあるけれど、あれだったら、普通に切符買うとか、定期使った方が、楽じゃん。便利というのも、いまいち理解できないし、安全性も心配だし、機械が誤作動しないとは限らないし。
 
電車は、切符を買って乗る、これが鉄則だ。便利だから、流行だからと言って、一時は良くても、問題があったら、廃止されるのは、目に見えている。普通に切符を買うにしても、必ずお釣りは確認している。機械がお釣りを間違えることだって、十分にありえるし。
 
日本を離れて、旅に出ると、まずは現地の通貨に換えることから旅が始まる。現地のバスや電車に乗り、水やせっけんやお菓子やトイレットペーパーや、長く旅を続けるに従って、あらゆる現地の物を通貨で買い、物価を覚えていく。生のお金というものは、大切なのである。日本のように、便利だからと言って、何でもクレジットで買うというのは、物価の感覚を麻痺させると思うし、それが広まったら、未来の子供にも良くない。実際のお金ではないのに、あると勘違いしてしまうクレジット機能は、世界で見たら、日本という安全な国のほんの一部分にすぎないのである。これがインドとかだったら、日本と同じ感覚でカードを使ったら、絶対に騙されたりする。
 
旅を続け、写真家の職業病かもしれないが、最近は特にひどくなっているが、すごい確認をしてしまう。インドを初めて訪れた時は、お釣りや両替が少なかったり、大きな被害はなかったものの、いろいろと経験した。あらゆる旅の通過儀礼を経て、今があるのである。
 
電車や、スーパーで買うお釣りは必ず確認するし、家の電気、ガス、戸締りは、もちろん。特に家の鍵は、閉まっているのにも関わらず、「ガタ、ガタ、ガタ」と扉が開かないか動かさないと気が済まない。
 
これは、旅をしていただけでは、そんなにひどくなかった。写真をやるようになって、「ここだ!」と思ったら、何コマも撮る。構図や色や瞬間に気を使う。実際に撮ったものを見る段階では、一つ一つルーペで見て、人の動きや表情など、間違い探しをしているような作業なのである。それでも、まだ僕の場合は、大雑把だけれど。でも、明らかに、写真をやっていなかった時と、やっている時では、観察力と神経質の大きさは違う。おかげで、旅から戻って、ずっと住んでいる最寄り駅の風景も、ちょっとした看板が変わったとかいうものが、気付くようになった。
 
ホント、間違い探しをしているようである。いち早く、長所と短所を見抜くことである。
 

身の回りで

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今日は、残業をして、9時から19時までバイトをする。13日の金曜日なんて、そんなこと信じないけれど、身の回りで嫌なことが起こる。
 
帰りの満員電車の中で、斜め右に立っていた男性が突然倒れる。サーと周りにいた乗客が離れる。倒れた男性は、白目を剥いていたし、誰も声をかける人がいないという薄情さも何だかむかついたし、下手に動かすのは禁物だけれど、とりあえず意識を失いかけた人には声をかけるというのが鉄則だ。「大丈夫ですか?」と声をかけたら、反応したので、地べたに横たわっていたのを、席を空けさせ座らせる。その後は、駅に止まり、男性も降りたが、駅の係員が応対していた。タンカーで運ばれ、駅の事務室へ行ったようだ。
 
警備員のバイトをして、駅のホームで働いていたこともあったので、少しは経験が生かせたかもしれない。男性は、酔っ払いではない。180センチぐらいの大きい方で、年齢は、僕と近い30ぐらい。これはあくまでも推測と妄想だが、途中から乗り込んできた倒れる前の男性は、「細身だけれど、がたいがいいなあ」と思っていた。大きなスポーツバックを持っていて、下はスーツズボンなのに、上はジャージを着ていた。たぶん、仕事帰りで、ジムか何かに通っていたんだろうと思う。会社のストレスと、競争社会に打ち勝つ為にジム通いを続けていて、過度の働きすぎでめまいか貧血で倒れてしまった。
 
そして、その後、最寄駅で降り、普通に帰宅路を歩き、アパートの前まで来たら、パトカーが止まっている。アパートの敷地に入り、部屋へ向かおうとしたら、警察官が二人敷地内にいた。僕の部屋は1階だが、2階へと続く階段を、あるいはアパートの標識を撮っていたのかもしれないが、一人の若い方がポラロイドカメラを使っていた。思わず、警察官とすれ違い様に、「何かあったんですか?」と問いかける。そしたら、警官はニコニコと笑って、「何でもないですよ。」と言う。明らかにポラロイド使ってたじゃん。たぶん空き巣か何かだと思うのだけれど、何でもないと言っていたし、警官のニコニコ顔と重なって、よく分からない出来事だった。少し不気味な感じもする。
 
電車内でも、アパートでも、同一日に短時間のうちに起こった身の回りの出来事だが。今の日本という社会を象徴している気もする。
 
 
 

のんびりと

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今日も、9時から17時までバイトをする。いまいち刺激がないなら、刺激がないで、上手くいかないなら、上手くいかないで、のんびりとすることにする。
 
何もかもに運やタイミングはあるし、忙しい時もあるし、次回旅や写真を撮りに出かけたら、慌しくなるし、今は充電期間と思うようにする。
 
写真を本格的にやらないで、旅を純粋に楽しんでいた頃は、気楽だった気がする。写真というものが、背中に乗っかって来て、頭に入り込むと、かなりややこしく、つらい。誰にも悩みを話せないし、自分との闘いでもあるし、自分の匙加減でもあるし、つらくても乗り越えたい。
 
今は、ため息も多く、悲観的に考えることもあるけれど、何もかもに前向きだった昔のような初心の気持ちも忘れないでおきたいものだ。

刺激のない生活

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今日も、9時から17時までバイトをする。前回の旅から戻って、バイトばっかりの生活である。まだ30歳だし、下手に体も動くし。不安定な生活だから、体を壊すかなあと思っていたら、だんだん体は丈夫になっていくし。30歳になると、カップ麺やカレーばかりの食は体を壊すのが目に見えているから、食事だけは、一応自分なりに気をつけている。
 
バイトをやり出すと、幾ら不安定とは言え、確実な収入は入ってくるから、どうしても続けてしまう。地方出身者という、まして旅や写真という夢を求め続けている、一人暮らしの悲しい性である。今までのアジアで撮りためた自分の写真を自宅で眺めても、まとめても、パソコンに向かっても、直結する現実的な収入はゼロである。そうなると、やはり、どんなバイトでも8時間ぐらい労働すれば、約7000円は稼ぐことができてしまうから、バイト中心の生活を送ってしまう。でもそれだけでは、本当にワーキングプアで、収入の大部分を家賃で持ってかれて、生活するのでいっぱいいっぱいである。とても、次回の旅や写真の見込みが立たない。どこかで今の生活のリズムを変えて、多少のリスクを背負っても、動くしかないようだ。バイトをして、東京で生活するだけでは、刺激のない、単調な、未来のない生活が続くだけだ。写真家を自称しても、「何やってるんだろう?」と思えてくる。暗さを通り越して、逆に開き直って、笑えてくる。
 
一般的に見れば、僕の写真は、アジアの、ドキュメンタリー色の濃い写真。今という時代の流れもあるし、いざ動こうと思っても、重い腰が上がらないのが、現実である。
 
時代の流れは、常に変わるわけだし、まずは、自分の道を信じることだ。今も社会のどん底、底辺にいる。でも誰だって、暗い時代はある。幸せじゃない日だってある。30歳で、フリーターのような生活を送っても、もう下はない。40、50で急に会社に首を切られないだけでも、ましである。こういう経験は、ずっと続く可能性もあるけれど、その覚悟だし、絶対にいつかのいい経験になる。後は、這い上がるだけか、駄目でも今の状態が続くだけだ。

時間と金とリスク

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旅には、時間と金とリスクがいる。旅人には、体力(体)と精神力(心)と知力(頭)がいる。
 
僕にとっての、旅の哲学である。
 
そして、旅からプラス何かを表現するには、技がいる。技とは、弱さも含めた強みのようなもの。僕にとってのカメラである。フィルム、電池、現像等、細分化を経て、最終的には、写真である。
 
年齢や運やタイミングによって、訪れる場所は様々だが。今の僕は、多少のリスク(覚悟)を背負っても、写真として残る場所へ行きたい気持ちでいっぱいだ。時間(季節)と、金がついて来ない。旅人にとって、お金の力は、否定できない。本音は賛成などしたくないが、今の時代というものをふまえ、しょうがないのである。お金によって、リスクが軽減するケースもあるし。今の社会というものに逃避行する現代版ヒッピーだって、働きたくないニートだって、頑なに人間関係を拒否するホームレスだって、お金の呪縛からは、解き放たれない。人間にとって、一生ついて回る、課題である。お金について、あらゆる角度から分析し、問題を解決し、社会全体が動けば、今という時代の犯罪や病や負について、多少は軽減できるに違いない。金と心は腐れ縁だ。
 
旅は奥深い。あらゆる要素が詰まっている。日本のサッカーを極めた中田英寿だって、今、何をやっているかと言えば、旅をしているのである。持っている名声も財産も違うから、一般的な旅人とは違うけれど、旅で何かを悩み、何かを得ようとしているのである。サッカーが第一ステップで、旅が第二ステップで、旅が最終形ではない。不安は常に付きまとうけれど、旅が魅力的なことは確かだ。
 
団塊世代の定年退職者が、会社というものから離れ、次にやりたいことはと言えば、一番は旅だろう。金はあっても、時間がなかった。時間というものを手に入れ、体もまだ動く、後は覚悟次第で、今まで行きたかった世界のどこへでも行ける。テロや自然災害や事故で死ぬ可能性もあるが、よほどのことがない限り、死ぬことはない。旅は最終形ではなく、次にやりたいことのステップアップである。
 
旅が、ステップアップで、やりたいのは写真である。学生の頃、無駄に思えた旅という行動も、今につながっているのである。ただ最近悩んでいるのは、写真家は、写真があれば成立するのである。旅をして、撮っている段階は、生きているという実感が沸く。その後、日本に戻り、しばらく経って、撮った本人という人間の心や体のやり場がないのである。ミュージシャンなら、たとえCDという作品が一人歩きしても、ライブという場で本人が心と体で歌い、発散の場がある。心と体のやり場がある。
 
旅もだけれど、写真も続けていくうちに、悩みも含め奥深さを実感している。たとえどこかで例えば何かの誌面で写真と文を発表できたとしても、心と体のやり場は軽減されるけれども、完全ではない。そうすると、やはり、ボクシングはいいバランスを保っている。生活の為にしている流れ作業のバイトは鬱になるだけだ。
 
そして、もう一度心と体のやり場を回復させるには、生きているという実感を得るには、再び旅に出て、写真を撮ることなのだろう。
 
それらの繰り返しが、僕の人生な気がする。
 
 
 

桜咲き、散り、また咲く

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今日は、知り合いの写真家さんと、上野で桜を見ながら、いろいろと話し合う。同じ様な悩みを抱えており、励まし、励まされる。とてもリラックスできたし、楽しかった。続けていくうちに、テーマや撮り方やカメラや、写真全体について、どうしても乗り越えないといけない壁が出て来てしまう。広告写真をメインとして撮っている人とは、たぶん微妙に違う、ドキュメンタリー、自分の作品として撮っている写真家の悩みというものは誰もが持っているのである。
 
年始に実家から戻って来て、週5日で残業を含めバイトをして、残りの週2、時には3でボクシングジムへ通って来た。バイト先やジム以外では、人ともロクに会っていなかったし、休みの日には遊びに出かけていなかったし、アルコール類も飲んだ記憶がない。引きこもりとも言えるし、ストイックだとも言えるし、病んでいるとも言えるし、修行僧のような生活だとも言えるし、ホームレスのような生活だとも言えるし、体を鍛える生活だとも言えるし、のほほんとした生活だとも言えるし、マイペースな生活だとも言えるし、生き急いでいる生活だとも言えるし、守りに入っている生活だとも言えるし、惨めな生活だとも言えるし、生きがいのある生活だとも言えるし、夢のない生活だとも言えるし、夢を叶える為の準備期間的生活だとも言える。
 
あっという間に気付いたら、もう3ヶ月は経っていた。4月にも入ったし、少しリズムを変えていけたらと思っている。もう今年も9ヶ月で終わり。このままバイトだけでやっていっても、ワーキングプアで、生活するだけでいっぱいいっぱいである。とても次回の旅や写真まで手が回せない。人よりも繊細だと思うし、電話で人と話すのは少し苦手だが、少しずつ写真を発表できるように努力したいと思っている。何もかもに運やタイミングや人との出会いがあるし、上手くいくとは限らないが、捨てる神あれば拾う神ある、上手くいくと信じるようにする。でも心がけているのは、自分の写真で、相手がいろんな意味でハッピー、プラスになることである。そして、自分の視点や写真の道を信じることである。
 
決して金持ちになろうとはありえないし、考えていない。ずっと継続的に旅を続け、写真を撮ること、そしてギリギリでもいいから生活することは、夢の一つである。旅と写真を撮ることは、今の社会の生命線なのである。30歳になり、一年に一回でも、長期的に旅や写真を続けることの厳しさに直面している。
 
夢と現実の狭間で揉まれている、揺れている。桜も人間も同じ様なものだ。
 

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