今日は、ジムはGWで休み。昼頃から、御徒町、上野へ写真を撮りに行く。前回の旅から戻って、久しぶりにカメラバックからカメラを取り出した。ニコンF100、2台あるうちの1台は、レンズのズームの回転がおかしいし、黴も生えている。メンテナンスに出さないといけないのだが、お金がなくて、出せていない。
 
もう一台は、インド帰りだが、旅の後半になって使い始めたので、まだまだ大丈夫。基本的にレンズなんて交換しない。一台のカメラに一つのレンズで十分。インドのように埃っぽい所で、人が予測不可能に動いていると、おちおちレンズなんて交換できやしない。交換すれば、埃は入ってくるし、人が覗き込んでくるだろうし、行き交う人や動物にもぶつかる。何よりも交換している間に、魅力的な人や景色や瞬間を逃してしまう。
 
三脚や、高くて重い望遠レンズを持っている方をよく見かけるが、機動性はないし、大変だなあと思ってしまう。大きなカメラバックだって、撮っている間は、持ち歩かない。異国という旅の中で、街から街へ、宿と宿を渡り歩く為の、クッションバックだ。いったん宿で荷を降ろしたら、小型のバックにカメラ一台とフィルムと予備の電池をしのばせて、出かける。今の小型バックだって、カメラバックではない。昔、マウンテンバイクをやっていた頃の、ハンドル前に使っていたサイクルフロントバックだ。もうだいぶ使ってきたので、汚れも目立ってきたし、もうそろそろ買い替えだろうけれど。
 
用は、道具から入ったり(最低限の質は必要だ)、高いカメラやレンズを何台も持っていたり、いかにもカメラマン風なベストを着ていたり、そんな感じでは、いい写真を撮るのは難しい。もちろん、ニコンF100は優秀なカメラで、もう一つ下のニコンF80や昔のF60とは、大違いだ。フィルムにも特性はある。最低限の質とは、そんな所だろう。デジタル一眼は一度も使ったことがないので、分からない。
 
お台場や表参道に行ったって、街の様子はたかが知れているし、求めている写真なんて撮れやしない。まだアメ横や上野公園なら望みはあるからと街に繰り出したのはいいものの、なかなか写真にならない。求めているのは、街や路上や人や景色や瞬間の多様性なのである。多様性のあるインドを見てしまうと、均一的だ。
12時から5時間ほど、途中で休みつつ、ひたすら歩いたり、立って待っていたり。今日は日差しも強かったが、夏のように日は高くないから、そんなに苦にならない。撮ろうと撮ろうと思ってしまうと、なかなか撮れないから、散歩気分も忘れない。カメラをぶら下げて歩いたのは久しぶりだったし。本当のベストは、朝か夕だ。
 
5時間で、フィルム2本は撮ったが、少し強引だ。撮りたいものが100なら、50ぐらいでもシャッターを押している。インドの面白い街なら、3時間で5、6本は撮れることもあるし、かと言って撮れない日もあるから、一概には言えないか。
 
撮るということは、釣り(経験はあんまりないけれど)や狩り(想像で)に似ている。人は殺さないし、もっとやさしいものだ。だが場所によっては、特に殺伐と混沌としていたり、価値観の違う所では、時にカメラを向けるということが日本の感覚ではすまないことがある。そこのバランスが難しい所だ。
 
撮ろうとしても、その時はいいが、宿や部屋に戻ると、反省ばかりしている。やっぱり無理して日本で撮ることもないか。あくまでも感を鈍らせない為。かなりカメラが、ミュージシャンのギターや、小説家のペンのようなもので、肉体の一部になりつつある。指が繊細に動くし、撮る時の感覚が、仕上がりに近くなっている。写真の悲しいことは、一発で決まらないことで、何回もシャッターを切ることだ。
 
年を取るとともに、撮る写真も変わってくるだろうし、自分(内)に向かうか、世界(外)に向かうかでも、年や時間によって違う。
 
自分(内)に向かうかなら、写真と一見関係ない体を鍛えたり、ボクシングをしたり、バイトをしたり、本を読んだり、貧しさと向き合ったり、ただ旅をすることでも、プラスになる。30歳の今は、内に向いている。
 
無理して、意地を張って、写真を撮るということに悩んでいる。小説家のように、文章を書くという技術や、構成をする論理的な頭があれば、やってみないこともありえない。そうなったら、人の何倍も本を読まないといけないかなあと思っている。
 
映画は金銭的にも技術的にも無理だし、絵画は本能でなら書けるかもしれないが(小さい頃は絵は得意だった)技術的には無理だ。写真を除けば、後は文章しか残っていないのである。
 
奥は深いが、写真について少しは分かってきたし、そう簡単にあきらめる必要はないか。
 
今日の上野公園には、大道芸人が何人もいた。もっと若い時には、写真がもっと下手にも関わらず、旅の写真を井の頭公園やフリーマーケットで売っていたこともある。今となっては、恥も少し感じるし、かと言って否定はできないし、いいか悪いか良くは分からないが、一つの思い出だ。
 
一つ言えることは、写真家なんて、大道芸人と同じくピエロのようなものだ。立場なんてありゃしない。