今日はジムへ行く。縄跳び始まり2R、終わり2R、シャドー5R、ミット打ち3R、サンドバック4R、パンチンググローブ2Rの計18R、筋トレ腕立て50×3、腹筋30×3を行う。
 
いつもは、15Rぐらいで終わるが、今日は少し多め。写真の仕事もしていないし、世間はGWに入るし、言葉で言うのは難しいが、自分への情けなさや怒りや鬱憤やストレスや不安を抱えながら、動いていたので、自然と運動量も増えてしまった。もっと自由に旅をして、写真も発表したいが、何もかもにタイミングはあるし、理想には程遠い現実、ジムで動き紛らわすのである。不安をはねのけ、自信をつけたいということもある。
 
ボクシングを始めたのも、強くなりたいと思うと同時に、自分の居場所を探している。故郷の名古屋が居場所でもないし(次男にとってはいろいろと考えてしまうのである)、旅先のアジアの街もそうではないし(本当にそうだと思うなら日本を捨ててでも移住している)、まして10年ほど住んでいる東京が本当の居場所とも思えない(夢を追うだけならいいが、生活するとなると困難を極める)。
 
まだまだ漂流している感じで、一つの場所に落ち着けていない。本当の居場所を見つけたいのである。何だかんだ言って、もう30歳になるし、大学の時の友人や旅行会社にいた時の知り合いは、もう家庭も持っている方もいるだろうし、かなりの責任のある役職に就いている方もいるだろう。
 
こんな生活をしていたら、子供ができるどころか、結婚もできやしない、もう一つの幸せというのはやはり憧れるのであるし、それを思う時、とても惨めで情けなくなる時がある。「二つの幸せというのは、叶えられないのか?」 一つの幸せの夢でさえ、いっぱいいっぱいである今の自分。
 
まだまだ30歳であるし、これでいいのであるという逃げ場所や大義名分を作る。まだまだこれからなのだ。愚直なまでに旅(写真)という一つの夢を追いかけ、たとえ認められなくても、幸せを得られなくても、続けたという過程は、報われる。誰かが見ているのである。
 
社会の裏を知ってしまったり、年をとると守りに入るし、子供の時よりもかなりの打算や計算や要領の良さを覚えてしまう。本当は、給料や名誉や地位と関係なく、たとえ社会に認められなくても、自分の道を信じて愚直なまでに生き続けていくのが、人としての理想なのである。高校の時は野球をやっていたが、別に給料もないし、多くの人から誉められることもないが、自分やチームの為に頑張るという高校球児はやはり素晴らしい。あの時、普通の弱い市立高校にいたが、もっと真剣に野球をやっていればという後悔もいまだにある。プロ野球なんて、高校野球に比べたら、面白くない。
 
多くの人との出会いと別れもあったし、水泳や受験勉強や野球やサッカーや途中であきらめたことがほとんどだが、ボクシングは一つの力として、旅や写真は僕にっての生命線であるし、たとえ一時は離れても、遠回りをしてでも、愚直なまでに続けたい。旅や写真に対する覚悟も決意も違う。一生、孤独でもいいのだ。
 
明日からまたバイトだが、これらを胸に地味に働く。