旅の察知法

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外務省に旅の危険情報がある。
渡航延期なら4で、退避勧告なら5というものだ。
これは、あてはまることもあるし、あてはまらないこともある。
当たり前のことだが、個人によって、感じ方が異なるからである。
旅行者のいない所でも、良い現地の人と巡り会えれば、印象はがらりと変わる。
旅には、運もある。
 
国には完全に頼らない、個人の旅の察知法がある。
僕なりの意見では、9月11日の大規模テロから、時代の流れは変化している。
どこにいても、何らかの危険はつきまとう。物が豊かになればなるほど、それを好ましく思わない人もいるということだろう。
 
日本の地方にいたら、個人的危険度はゼロに近い。東京にいたら、0.5に上がる。
東京にいながら、朝夕の通勤ラッシュ時や新宿の歌舞伎町、渋谷のスクランブル交差点など人込みの多い所は1に上がる。
 
アジアの旅に出る。タイはもう何度も行っているが、それでも2。一歩日本を出れば、心のどこかで緊張状態を保たなければならない。だらける所はだらけ、締める所は締めないといけないのだろう。カンボジアやベトナムやラオスの周辺諸国だと2.5。
 
もっと日本から離れたインドだと3になる。インドは、東南アジアよりも不測事態が起こりやすい。時に面白く、時に苛立ちを隠せない、それが旅の醍醐味だと言ってしまえばそれまでだが、何か起こってしまうのである。鉄道は遅れるし、押しの強い人も多く感じる。カレー中心という食文化の違いと、宗教的な複雑さ、日本人には馴染みの薄い目鼻のきりりとしたどちらかと言えば欧米に近い顔立ちも、常に3状態を保っている理由である。
 
不測事態が起これば、3から跳ね上がる。
カメラをぶら下げて、何かを撮ろうと内なる秘めたテンションを持っていると、けっこうな確率で犬に目をつけられる。間合いを空けたり、現地人のように素知らぬフリをして、犬も無視したり、向こうへ行ってしまえば、何も変わらない。
何かの琴線にふれ、吠えられると、4に上がっていく。吠えられても、上手く難を逃れられれば、3に戻っていく。
一度は、ジョードプルで起こったことだが、朝写真を撮る為にフラフラしていた。狭い路地で、犬との間合いも空けられず、通り過ぎる手前で吠えられた。その犬は、目もうつろで毛も抜け落ちていた。犬にも賢い犬と賢くない犬がいる。一目見て、「狂犬病持っていそう・・」と閃いた。その狂犬病を持っていそうな犬と、他の2,3匹の犬が吠えながらジリジリと滲み寄ってくる。その時は、「やばい!」と感じたので、危険度は4に跳ね上がり、近くの石を拾って、投げつけるしかなかった。
 
後は、思いつくだけでも、長距離の移動で肉体的にも精神的にもクタクタになって来ると、意地の防衛反応から、4に近くなってくるし、深夜に知らない街に到着したり、日が暮れても宿が決まっていない状態、事故が起きそうな一瞬、デモ、暴動に遭遇したら、4に近い。
 
5というのは、よほどのことがない限りないと思うが、死に近い状態である。僕は今までの旅の経験上、経験したことがない。たぶん暴行を受けたり、テロが起こったり、飛行機が不時着したり、バスや鉄道が事故ったり、犬に噛まれたりすることだろう。
 
5を越えたら、死しかない。
もうこうなってしまったら、旅の判断というよりも、運が悪かったとして諦めるしかない。
 
でもそう簡単には人間は死なないと思っているし、信じている。
そこまで人間は落ちぶれていない。
どんなに事故が起きそうなインドのバスもさらりとかわすし、どんなに騙そうとする悪人も理性を持っている。
 
死は、死を恐れている人の前には絶対にやって来ない。好きな人がいたり、夢を追う者には、必ず運命が見守ってくれている。恐怖を失った時、生きる気力をなくした時、それでもなかなか死なないが、不意に訪れるものである。
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様々な想いを胸に

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アジアの人達や風景をよりよく写したい。
アジアの魅力を光も影も含めて伝えたい。
これらの想いが前提としてある。
 
ただ写真を続けるにあたって、時に混乱することがある。
学生やバックパッカーの頃は、今とは違い、かなり気楽だった。
 
まだまだ写真だけでは生活できないけれど、写真を仕事として見る。自分の好きなことを職業として叶えようとする。大金持ちには決してなれなくても、最低限の自分の生活はかかっているし、現実にアジアの写真を見せることで何らかの報酬を得る。
「それが仕事というものだ!」だけでは単純に割り切れない複雑な気持ちがある。
 
どうしても自分自身をないがしろにはできない。写真を続けると、カメラのファインダーのこちら側、作者の視点、意図、思考、感情などあらゆる要素が絡んでくる。ガチガチのフォトジャーナリストの方向には行くのを躊躇ってしまう理由である。NGOや新聞社の中のカメラマンならば、報道写真家としての存在は団体の中で溶け込み、時にバックアップにもなる。個人の報道写真家となると、全ての責任は写真家自身にかかっている。悲惨な状況をとらえ、それを発表となると、かなり悩んでしまう。報道がありのままの現実を伝えるということならば、写真を撮り、編集するという時点で、ありのままという定義は難しい。
 
イラクやアフガニスタンではなく、足がインドへ行くのは、ありのままという外面だけでなく、自分自身の内面をも見つめたいからである。そうすると、カメラを介す、表現する写真家としての存在が成立する。
写真というものは、自分を見つめざるをえない。極端な報道写真家ではなく、極端なバックパッカーではなく、二つの中間を行き来する、ジャーナリストと旅人の視点を持つ写真家になりたいものである。
 
今回行くインドさえも、この前ムンバイで爆弾テロが起こったし、不安要素は増すばかり。生活している東京も同じことだと思う。今の世の中は政治も経済も何もかもが不透明なのである。
バックパッカーのような動きをしている人はたぶん誰でも感じることだろう。東京で生活していると、ある一定期間を過ぎると、僕の場合は半年~一年ぐらいだけれど、時にとても息苦しくなる時がある。正社員となって生涯の報酬が決められる生き方か、フリーターとなって報酬を犠牲にして自由を多少得る生き方か、ニートとなって親の脛をかじる生き方の、三者択一の生き方しかないように感じてしまう。
 
そうなると、自分や他者の顔さえも見えにくくなり、生と死は完全に見えない。
人の無力感を感じ、ニヒリズムに陥る。
 
ニヒリズムは、生き方を暗くし、そうなり続けないように、旅に出、写真を撮ることによって、脱却しようと努める。
世の中に敏感に反応し、自分自身が腐ってはいけない。どこかに希望の出口があるはずだ。
金(ギャンブル、物)に溺れないこと、酒に溺れないこと、女性に溺れないこと、煙草、薬に溺れないこと。
 
気持ちを高く持てば、夢は必ず叶う。

新たな旅路(インドへ)

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来月、再びインドへ旅&撮影に行くことになりそうだ。
 
もう航空券は抑えてあり、一部入金も済ませている。
 
完全に決まったら、
 
正式なルート等を記したいと思う。
 
ルートと言っても、いつもはINとOUTを決めるだけで
 
中味はかなり大まかである。
 
今の所、10月13日に発って、年内(12月22日)には戻ってくると思う。
 
カルカッタから入って、南インドを回り、ムンバイから出る予定。
これで昨年のムンバイ→西、北インド→カルカッタと合わせて、インドを一周したことになる。
 
よほど後悔が残っていたら、帰国を延ばす可能性があるが、今の生活だとこれが精一杯の抵抗だ。
 
実際に年内中の旅も見切り発車の感は強い。金銭的にも精神的にもギリギリのラインである。いや正確に言うと、現実的(金銭的も含め)なプレッシャーが精神的なものへもダメージを与える。そうしてギリギリまで追い込まれてしまう。
 
でも行かなければならない、撮らなければならない。別に頼まれる取材やお願いされる旅でもない。
これは、自分に課した半強制的な旅&撮影なのである。
 
2006年はもう残り数ヶ月しかない。アジア(今はインドに集中しているが)を定期的に撮らなければならないという勝手に解釈した使命感と、家族や、今まで出会った友人やもう会えなくなってしまった人達や、様々なものへの感謝の気持ちや、どうしても避けることのできない自分自身そのものへの未来の為に・・・出発前、約1ヶ月というのは以前よりも増して様々な想いが交錯する。そんな気持ちを糧に頑張りたいものだ。
 
1年に一度、旅と撮影に継続的に行くことの難しさに直面している。
 
例えば、ずっと会社員で、そこを計画的に辞めてから長期の旅と撮影に行くことはそんなに難しくない。フリーターをしながら、一応フリーという形態で一度だけでなくそれを続けようとすると難しくなる。だからと言って、正社員になって辞めるの繰り返しでは、写真家としてのバックボーンを築くのが難しくなるし、何よりも社員として期待されているのにすぐ辞めてしまっては会社の方に悪い。自分としては、何だか後ろめたいし、気が引ける。
 
それとバックパッカーという旅だけだと、難しさは緩和される。それにプラス何かをしようと思ったら、自分の場合は写真だけれど、リスクは増す。
旅をしながら、本格的に写真を撮ろうと思ったら、体力的にも精神的にも金銭的にも難しくなる。
 
現実的なものは、目の前に立ち塞がる。それを乗り越えていくのが、生きるということだろう。
 
 

前向きになりたい

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週刊誌で一度写真が掲載されたからと言って、すぐ次はない。
どこの世界も同じく、写真の世界もシビアだ。
 
また自分で持ち込みをしたりなど切り開くか、運のいい巡り合わせを待つしかない。
持ち込みをしても、その時すんなり決まる時もあるし、また出直しの時もあるし、
見向きもされないこともある。
その時持ち込んだ作品が良ければ良い、悪ければ悪いという、率直な結果が待っている。
良い悪いとは、その時の会社の流れや編集方針や、作品の良し悪しはもちろんのことタイミングも
含めた総合的な評価だ。
 
写真家本人にとっては、編集方針など裏事情は分からない。だから自分を信じることはもちろんのこと
どこか天任せの所もある。
大御所と言われる写真家のことは分からない。ただ特にドキュメンタリーの分野の写真を撮っている
誰もが同じハードルに立っていると思う。
 
持ち込んでも見向きもされなかったら、それを反省材料とし、発奮材料とする。
次回の創作意欲の喜びや怒りとする。
 
どんなに挫折をしても、とにかく続けることが大切だと思う。
 
昨日、テレビを見ていたら、ある海洋冒険家が言っていた。
「頭で考えたことよりも、心で感じたことを優先する」という内容だったと受け取った。
これはとても感銘を受けたし、全くその通りだと思う。
写真でも何でもそうだと思うが、何か1つのことを続けようとすると、必ず壁にぶつかる。
考えに考え過ぎると、打算に打算が働いて、恐怖や悩みにがんじがらめになり、
身動きが取れなくなる。
 
デビュー前の写真を撮っている者は、心で感じたことをそのまま実行し、
作品に勢いを持っている。写真家の処女作が、その時の熱を閉じ込めたまま今も輝きを放っているのは、
頭よりも心があるからだと思う。
 
今の世の中は混迷し、すぐ先さえも見えにくいが。
 
こんな時代だからと嘆くよりもそれをチャンスととらえたい。
 
壁にぶつかる度に、頭と心を天秤にかけ、心を優先し、チャンスに繋げたいものだ。

週刊朝日、掲載のお知らせ

2件のコメント

週刊朝日(9月15日号)の巻末グラビアで、
『色彩の王国 インド』

写真と文章を8P掲載しております。

 
インドの抽象・風景写真で構成されています。
 
本日、もしくは明日には、書店等に並ぶと思います。
 
久々の写真の発表となりますが、
もし良かったら、御覧下さい。