ジムへ行く。縄跳び3R、シャドー5R、ミット打ち3R、サンドバック2R、パンチンググローブ2R、筋トレを行う。冷房は効いていないので、午後のジムの中は、サウナ状態になる。
意識朦朧とした中で、サンドバックを叩く。自問自答し、一時でも、ハングリー精神を感じる。
子供の時は、何不自由なく過ごせた。アジアには未だに貧しい生活を余儀なくされる子供がいて。その子供達に比べたら、僕の子供時代は天国のようだと思う。両親には、感謝をしなければならない。真面目な(本人はマイペースな)父と頭の回転が速い母と。子供の頃は、習い事にも通わせてもらったし、塾にも行ったし、勉強の為の文房具や本は自由に買ってもらうことができた。大学に通いながら、アジアへも通う中で、アジアの影の部分も知り、自分の子供の頃の裕福な記憶が逆に引け目に感じたりしたこともあった。裕福だと思う生活は、今の日本では当然かもしれないし、その時代はバブルというタイミングもあった。それらを引いて考えても、僕の子供の頃の生活は豊かだった。
大学まで行かせてくれたのに、写真の為とはいえ、まだフラフラしている自分のふがいなさはもちろん感じる。両親には申し訳ないとも思っている。
でも、バイトをすることはあっても、会社に就職する気持ちはない。
子供の頃は、ハングリーではなかったけれど、今がハングリーだ。旅行会社を辞めて、写真を本格的にやるようになって、30歳を向かえた今も続いている。
来月の家賃が払えるかどうかはもちろんのこと、今の自宅のテレビが故障してそれを修理に出すか出さないかに迷い、クリーニングに出すか出さないかで迷い、冷房は入れないで窓を開け、ジュースは飲まないで水を飲み、バイト先ではジュースを飲むこともあるが、110円よりもたった40円の為に70円のカップのジュースを選び、下北で買った4個で158円のコロッケと4個で115円の豆腐がほぼ毎日のように夕食となる、そして体を壊したことがあり、もうそれは辞めにした・・ケチケチ、節約生活を送っている。
貧乏生活は書いていても惨めになるが、今はこれでいいと思っている。今の自分の生活が、今の自分の才能だと思うし、写真だけで食べていくには、フリーで食べていくには、自分の技術で食べていくには、自分の世界で食べていくには、夢を叶えていくには、そんなに簡単ではない。どんな世界もそうだが、夢の世界は厳しいのだ。社会はそう簡単には受け入れてくれない。この道で続けている誰もが、厳しい下積み生活を送ってきたはずだ。送っているはずだ。
少しでも節約をして、写真に、次回の旅と撮影資金にあてるのだ。体が壊れたら、またその時考える。今は体が自由に動く。30歳というのは、今しかない。旅を続け、写真を撮り続けることが大切なのだと思う。アジアの人間や光景に時に救われることがある。旅や写真に時に救われることがある。
子供の頃の豊かな生活、それを償うように今のハングリー生活という、旅という、写真の修行という運命を与えられた。そう考えている。ハングリー生活がずっと続くならそれはそれで構わない、そういう覚悟はできている。自分なりのドキュメンタリー写真をどこまでも追い求めていく。社会の扉が開かないなら、開くまでとことん待つ。
テロの為に、今の社会の為に、会社を辞めざるをえなかったとどこかで考えている。僕も社会の被害者なのである。30歳を向かえた今、たやすく会社員に戻っては、逃げたことになる。テロや社会と、時には逃げながら、闘うのである。自分一人の弱い抵抗である。
こんなハングリー生活を送っているから、パートナーはいない、本当の友人も少ない、真の一馬力。
悩んだら、とことんだめになる。孤独や不安にどこまでも耐えるしかない。
開き直り人生、まっしぐらである。
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