AIRPORT

1件のコメント

旅をしないで、東京で半年も生活していると、時々息が苦しくなる。
 
東京という所は、何をしなくても時間は早く流れて行く。
 
エスカレーターのような時間に流されて心地良い部分と自分の顔が見えなくなりそうで恐い部分がある。「生きている」という実感が失う時さえある。
 
旅の妄想に耽る。
 
飛行機は嫌いだけれど、空港での匂い・触感が甦ってくる。
 
僕にとっての、アジアを旅する場合、まずは自分にとってのハブ空港であるドンムアン空港(バンコク)に降り立つ。
 
「ムアッ」とした空気が体を包み込み、物腰の柔らかいタイ語やどこか愛嬌のあるタイ人が見え隠れする。
 
熱帯特有の空気に包まれるのは、不快ではない。むしろ快感で「生きている」という実感がある。タイ人が見え隠れするのは、インド人のようにおしつけがましくなく、バングラデシュ人のように好奇心旺盛でもなく、パキスタン人のように冷やかでもない。非常に中立的な立場で、旅の初段階にとっては、大変有り難い存在なのである。
 
重いバックパックやカメラを持ち、待合ロビーを抜けた時から、僕の旅は始まる。
 
「さあ、旅をするぞ」と、「さあ、写真を撮るぞ」と。
 
基本的には変わらないが、写真を本格的にやるようになって、バックパッカーの頃と多少違う所も出てくる。最近は特に。
 
行きはバンコクには降り立たないで、目的地に直行する。帰りになって、休養も兼ねて降り立つ。
 
バンコクだと撮れる写真がある程度予測され、写真的に見れば満足できない部分もあるからだ。生活しやすい場所と自分にとっての良い写真が撮れることは比例しない。
 
自分にとっての未知の地に降り立ち、考えて悩んで写真を撮っていく。
 
パキスタンのカラチの空港や、バングラデシュのダッカの空港に降り立つことの不安と侘びしさ。「自分には写真があるから」と乗り越えて行ける。そう考えれば、完全には不安は消えないけれど、刺激的というか喜びでもある。
 
写真をやるようになって、旅をするのも写真を撮るのもいつも一人だ。
 
一人でしかできない旅がある、孤独でしか撮れない写真がある。
 
異国の地で一人でいると、自分の無力や、両親やもう会えない人達や平和の有り難さが身に染みて分かる。
 
弱さを知った上で、少しは強くなれる。なれるのだと思う。
 
広告

ワールドカップ

コメントをどうぞ

大学時代にサッカーを、会社員時代にフットサルを少しやっていたので、4年に1度のワールドカップはやはり気になる。
 
南米サッカーが一番面白い。そして強い。決勝はアルゼンチンとブラジルの対戦で、優勝はブラジルと見ている。面白くて強いサッカーを見せてくれて、それで負けても納得がいく。サッカーに関しては、ブラジルには運もある。
 
少しは期待していたのだが、日本は負けた。世界との実力を見せつけられた形となった。
 
本当の実力もないのに、マスコミがあおる指導者や選手は信用できないというのが本音だ。
 
本当の実力のある選手とは、影ながらでも努力し、基礎がしっかりとして、怪我をしないもしくはしてもすぐに直す、大舞台に強く運を持っている。ロナウジーニョやロナウドは置いといて、一見地味でいぶし銀の存在である。例えば、ポルトガルのデコやイングランドのベッカムを除く中盤や名も知らないメキシコの選手である。
 
日本だと小笠原や加地や小野や遠藤。監督だと岡田や山本。
 
ジーコの采配は言うに及ばず、そもそも果たして年齢のいく中田や本調子でない中村を連続で起用したのが良かったのかと疑問が残る。プロの世界はそんなに甘くない。プロという勝負にこだわるなら、中田や中田と相性のいい中村よりも、小笠原や小笠原と相性のいい運もある小野を見たかった。
 
マスコミ全体で持ち上げて、中田や中村を先発で起用しなければならないという風潮があったように思う。マスコミというのは、ある時急に持ち上げたかと思うと、ある時急に落とす。完全には信用できない。
 
本当に実力のある選手が、マスコミに流されて、出場機会も与えられず、廃れてしまうのは残念でならない。
 
よい仕事、よい結果を残すことではなく。
 
より知名度を上げること、より金銭を稼ぐことがプロ選手であると言うならば、世の中がそういう風潮であるならば、そもそもプロとは何なのかと思いたくなる。
 
仕事とはいったい何なのだろうか。
 
自分自身に置き換えても、自問自答は続く。
 
自分自身と他者と運とのバランスだと思うが、結局はまずは自分自身を信じるしかないのである。
 
だからどんなにワールドカップが有名な大会でも、たとえ日本が勝ち進んでいても、応援することはあっても自分自身をないがしろにして熱狂することはない。
 
国民が一致団結するような時は、冷静な目も必要なのである。
 
自分自身が表現者という立場に立たなければならないのである。

五感

コメントをどうぞ

ジムへ行く。
 
縄跳び3R、シャドー5R、サンドバック5R、パンチンググローブ2R、筋トレをする。トレーニングをした後は、ヘトヘトになる。
 
激しい運動をしている時、毛穴が開いているのが分かる。
 
外国を旅する時も、日本で生活している時の2倍は毛穴が開く。
 
旅先で、半径1キロメートル以内に同じ日本人を見かけないような所、例えばマイナーな国やアジアの奥地では、毛穴が3倍以上は開く。
 
リスクはあるが、旅に出ると、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感が研ぎ澄まされる。
 
旅に出なければならない。
 
旅に出たいという想いが募る。

手紙

コメントをどうぞ

東京で暮らして10年になる。
 
社会人(かなり不安定なフリー)になってからも、しばしば実家の母親から小包が届く。
 
先日、手作りの肉じゃがやハンバーグや野菜やヨーグルトや添えられた手紙を受け取る。
 
受け取る度に、感謝しても感謝しきれない感情が込み上げる。食生活を気遣ってくれている母の気持ちと、その負担を補っている父の面影と、とても有り難い。
 
旅行会社を辞めて、写真をやっていた頃は、親にはあまり相談していない。写真で少し結果が出た時から、少しずつ認めてくれるようになり、今では応援してくれていると思う。もちろん親の立場から見たら、どうしようもなく頼りないことは自分でも分かっている。実際に、まだまだ写真だけでは生活することは難しい。「こうなりたい」という希望(夢)はあっても、すぐにはどうにもできないジレンマで揺れている。こうなるともう、耐えたり、信じるしかないのである。
 
全くそっぽを向かれるよりも、親という支えられた存在があることで、かなり救われている。
 
ただ問題なのは、会社員として安定した生活を送り、金銭を稼ぎ、結婚して、孫の顔の一つでも見せることが親孝行ならば、世間がそうならば、親がそう思うならば、僕は自虐的に陥るしかない。
 
子供は母親の分身であり、少しでも(自分の道を含め)幸せになることが親の幸せにもつながっていると信じたい。
 
もう逃げたくないから、自分の為でもあり、親の為でもあり、頑張るしかない。