写真家寿命

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スポーツ選手の現役寿命は、競技種目によって一概には言えないけれど、30~35歳ぐらいだと思う。
 
現役を退いたら、残された道は解説者か、評論家か、指導者か。現役の活動場所に固執するならそれらで、固執しないならまた違う道を進むのだろう。現役寿命は決して長くはないのに、その道に進むのはまた違う欲が働いているのだろうが、自分にはないからやはりすごい。
 
スポーツは数字として競う、写真はその点非常に曖昧である。
 
写真は数字として競うのではなくて、(他者の承認もどこかで意識しながら)、自分の理想にできるだけ近付ける。写真という土俵に上がるという意味では、現役寿命は長い。
 
寿命が長いということは救いでもあり、逆の恐さでもある。希望でもあり絶望でもあり、栄光でもあり挫折でもある。
 
今、肉体的なアルバイトをしながらでも写真にすがり付いているのは、挫折と同時に希望への架け橋の修行の場所だと思う。写真家寿命が長いなら、まだ体力的に動ける今、底辺というか挫折をより多く経験した方がいい。修行が長いなら長いでそれでいい。自分の理想で生活していけるほど、世の中は甘くない。もっと恵まれていない人はいる。比較している時点で何だか卑しいが、僕はまだまだ恵まれている。
 
長く写真と向き合っていきたいと思うのもまた憧れ。不安な社会や、東京よりも何が起こるか分からない旅先でいついなくなるのかも分からない。写真を撮る為の旅先でいなくなったら、悲しいけれど、恐れおののくけれど、本望でもある。日本で安定した職業で長く暮らすよりも自分には合っている。
 
「死ぬ」という感覚はどこか内の中にある。何歳まで生きるのか、どのくらいの理想に近付けて死ぬのか、心に残る作品を残せるのか、やりたいことをやるのか。
 
高価な品物を買ったり、ゲームやギャンブルに興じたり、行楽地やカラオケで楽しんだり、素敵な恋人を見つけたり、幸せな家庭を築いたり、欲のベクトルが違うだけで、写真さえも欲は欲で変わらない。ただ自分はそのような道を選んだにすぎない。人それぞれだと思う。これといった答えはない、ただ生き方の多様性はあった方がいい。
 
死んでからのことは誰も何も分からない。ただ自分や時代を見つめていく上で、100%の生き方という理想に少しでも近付けば、死の恐怖や不安を多少でも減らすことはできる。
 
死そのものよりも、死ぬまでの本質というか真理を少しでも理解したい。
 
写真を簡単には手放したくない理由である。弱いから、少しでも強くしてくれる。
 
まだまだ経験は浅い。満足のいく、真理を得ている、確信のある、もっと繊細なもっと大胆なもっと自分や時代をえぐる、感動するさせる、自他とも承認できる写真は撮れていない、残せていない。
 
課題は一生ついてまわる。悩みもついてまわる。
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荷車操業

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音楽や小説やお笑いのことはそちら側に立っていないから詳しくは分からない。
 
似ている部分もあると思う。
 
少なくとも写真、こちら側に立っている者の一人としては、最後に頼れるのは自分自身しかいない。
 
大切な出会いや良い巡り合わせはあるけれど、いざとなったら、頼れる人はいない。
 
写真はチームプレーというより、個人プレーである。
 
もしこの道を進もうとしている学生がいたら、建て前では「頑張ってね」と言うかもしれないが、本音では「辞めた方がいい」、もしくは「覚悟した方がいい」と思うだろう。どんなにその人に頑張って欲しくても、その人のことを考えたら、気の毒に思う。
 
精神的にも、体力的にも、かなりやばい時がある。
 
チームプレーや、会社に勤めながらなら、自動車操業、バイク操業、少なくとも自転車操業で行けそうだけれど。
 
今は肉体的なバイトをしながらだから、車は車でも、より人力的な荷車操業状態。写真は金銭のかかるもので、どこかで写真の為の金銭を捻出しなければならないのだけれど、上手く回っていない。肉体を酷使してコツコツと貯め、肉体も精神もすり減らして、時間をかけ写真に回すという現実。
 
自死の道の一つも脳裏に浮かび上がるというものだ。
 
何で今の状態に陥っているのかと考えたら、自分で今の道を選んでいるという心理がどこかであると思う。そうじゃなかったら、もっと安易な方法を取るはずである。
 
それでも生きようともがくのは、どこかで運や何よりも自分を信じているからだと思う。かすかな希望は失われていないからだと思う。小さな希望は儚いけれど、まだ残っている。
 
しばらくは、長いしばらくかもしれないが、荷車操業状態は続きそうだ。
 
引いている荷車の荷台には、夢と現実。夢の中身の大部分は写真、現実の中身の大部分は生活。
 
生活の中身はふがいないも、自分でいっぱいいっぱい。男性という人間として当然ながら、パートナーや家庭というもう一つの幸せもやはりいらないとは言えない。人としてそういう葛藤はあるけれど、荷台に乗せたら、共倒れになってしまう。
 
苦しみは一人だけでいい。
 
 
 

メモリバイト

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もうたぶん会社員へは戻れない。写真の道を切り開くか、バイトで終わるか。
 
意識の問題だと思う。
 
学生の頃の、そして今までのアジアへの旅を忘れることはできない。
 
時には忘れたいこともあるけれど、記憶喪失にならない限り、頭から離れない。
 
今ではなんでもないアジアへの旅が、白紙の頃に比べたら、よく言うカルチャーショックが蓄積された。自分の意識を超えた部分でも。光の部分も影の部分も。
 
スラムやゴミの山や国境やたまに爆弾テロのある街や混沌や逆の平穏な田舎の光景や、貧しい子供や家族の為に体を売る娼婦や騙そうとする輩や疑うことを知らないようなおじいさんおばあさんやまっすぐな瞳の少年少女や過酷な労働でも生きることに前向きな同年代や絆で溢れている家族や。
 
実家の名古屋とはまた微妙に違うけれど、東京という街とアジアの街は上手く結びつかないことがある。時間の流れが違い、無理して付いて行こうとすると悲鳴を上げる自分がいる。写真を仕事として考えるならば多少無理をしてでも付いて行こうとする自分もいる。
 
このたとえは可笑しいかもしれないが、戦場に行った兵士、もしくは逆の島という平穏な場所で暮らす旅人が今までの生活に戻り社会復帰できない場合もあるように、大小の違いはあるにせよ、自分も同じ様な感覚がどこかである。
 
身近にいた者が亡くなり、会社で一生を働くことの意味に疑問を感じ、ある日突然辞めてしまうケースも似ている。
 
今の生活とは違う、東京とは違う、様々な世界や人と出会い別れて来た。知らなければ、そのままレールに乗って進むのだろうが、知ってしまったという現実がある。知った方が良かったのか知らない方が良かったのか、知った方が良かったと思い違う道を進むしかない。そうしなければ、今の自分の立場さえ危うくなる。
 
本当なら学校を卒業し、新卒と同時に、会社に溶け込み或いは恋人を見つけ或いは家庭を築き、解決したり妥協したりして生きていくのだろうが。
 
自分はもう戻れない。
 
会社員としてずっとやっている同年代の者よりも、アジアの旅や不安定な東京での生活を繰り返すことで、会社員として必要ない世界を知りすぎた。
 
何よりも旅と生活を繰り返すことで、世の中から消えてなくなりそうな恐怖を人一倍感じる。
 
生きる意味と、その過程での無力感も同じ様に感じる。
 
写真と文がかろうじて存在意味を示してくれる。
 
アジアの旅と東京での生活と、写真と文を悩みながらも続けていくしかないのである。
 
夢と現実に揉まれながら。
 
写真と文が出来なくなったら、もうその時は自殺しかない。成長過程の写真でも、駄文でも、表現できるだけ救いである。限界を感じての自殺はここではしないと言っておきたい。
 
デジタルの格差がデジバイトなら、メモリーの格差はそこからの意識はメモリバイトと言うのだろう。

言葉の壁

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最悪の体調からは脱却した。性格も見据えた上で、大小の波を繰り返しながら、心身ともに歩いて行くのだと思う。
 
バイトをしていると、体力勝負だと痛感する。写真とバイトという二足のわらじさえも、体を壊せば両立なんてできない。
 
今までできていた流れ作業の仕事さえも、風邪の頂点の時にはしんどい。でも、会社から見たらその人の体調なんて関係ない。仕事ができなくなったら、容赦なく切り捨てるだけだ。
 
よく行くバイト先の一人の上司の言葉が引っかかる。中年の女性なのだが。その人の放つデリカシーのない言葉の一つ一つに、それが僕に対してであっても他人であっても、傷付ける。言いたいことをズバズバ言うだけでは教えたことにならない。上に立つというか、教える側は、もっと言葉を選んだ方がいい。どこでも主のような人がいるが、それはただそこに長くいて慣れているからに過ぎない。場所や人が変われば環境も変わる。蜘蛛の糸のように人生の道も複雑である。謙虚さを失う主のような人は、たぶんどこかで痛い目を見る。
 
その人が当然のように良かれと言った言葉でも、ある人にとっては悪い印象を与える。言葉の恐さだと思う。
 
今まで気を付けていることは、たとえ社会全体を皮肉ることはあっても、特定の個人には悪い印象を与えたくない。でも様々な人がいるから、写真をやる者にとっては、難しい所だと思う。
 
もし写真家として世の中で生きて行くのが、もし会社員として社会で生きて行くのが、そんなことにいちいち神経なんて使ってられないと言うならば、そもそも社会人として失格かもしれない。無神経でも、神経質すぎても、社会人失格となるのだろう。
 

小さく逃げて、大きく逃げない

1件のコメント

プロラボにプリントをお願いした後、ジムへ行く。
 
下北沢に着いた後、体調があまりすぐれず帰ろうかと思ったけれど、行くことにする。
 
写真をやるようになってから、特に感じるようになったのだが、何でも怠れば必ずそのツケが回ってくる。ちょっとしんどい時も、その一時期を乗り越えれば、ストックというか財産になる。写真もそうだし、自分の体力もそうだと思う。全てができているかと言ったら、疑わしいが、できればそのようにしたい。
 
縄跳び3R、シャドー5R、ミット2R、サンドバック3R、パンチンググローブ2Rをして、筋トレはしないでシャワーを浴びて帰る。
 
昨年と同じように、5月が近付いてくると、今年中に海外撮影ができるかを考えてしまう。こればかりはタイミングがあり、難しい所だが、2006年は一度しかなくできれば10,11,12月をメドに行きたいものだ。それか2007年の1,2,3月辺りで行くか。今は生活することでいっぱいいっぱいで、とても旅ができる状態ではないという現実がある。何とか金銭の捻出も含めて解決したい。
 
少しいじめられた時期があった中学生の時も、忙しい旅行会社にいた時も、今までの考えがある。どんなに嫌でも、どんなに逃げたくても、完全に辞めるという形をとるまでは、とりあえず行くということだ。どんなにその時悩んでいても、行けば何とかなる。自分の気持ちとは裏腹に、時間は良い方へ流れて行く。もちろん悪い方へ流れていくというリスクもあるが、たいていは上手く流れて行く。
 
見守ってくれる人はいるのである。
 
何度でも小さくは逃げる。でも大きくは逃げない。
 
大きく逃げなければ、きっと報われる日は来る。
 
明日から、またしばらくバイトをする。
 
行きたくないという気持ちもあるけれど、未来を思えば行くしかない。
 
しばらく続けるしかないのである。

コンディション

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今年に入って、だいぶ悪いコンディションだと思う。
 
ただ昨日よりはいい。のどの痛みが少しやわらぎ、鼻の方へ上がり、鼻水が出るようになった。時折、鼻が詰まるような感じではなく、スーとすることもある。
 
体調が悪い時は、二つある。完全に休むか、逆に運動するか。
 
前日よりも少し良くなったと感じる時は、逆に動くことはよくある。アジアを旅している時でも、体調が悪くなる時は何度かある。完全には直っていないけれど、少し良くなった頃に移動すると、完全に直ってしまう経験は多い。少し過酷な運動する移動という行為と、移動の際の気持ちの高ぶりや緊張感が、ちょっとした下痢・風邪などを吹き飛ばしてくれるのだ。もちろんこれは肝炎、コレラ、マラリアなどのもっと重い病気には(自分がかかったことがないので分からないが)、当てはまらないと思う。
 
荒療治でジムへ行く。縄跳び3R、シャドー5R、ミット2R、サンドバック5R、パンチンググローブ2R、腕立て50×3、腹筋30×3をする。途中オーバーワークかと思ったけれど、シャワーを浴びて、今これを書いていると、やっぱり間違っていないのだと思う。
 
風邪気味になると、急に食事に気を使う。葱とリンゴと緑茶という食事療法である。普通に食べた上で、自分の中の防衛反応が働き、3つをどうしても買い求めてしまう。調理方法は気にしない、葱は炒め、リンゴはカットして、緑茶は普通に飲む。薬はできるだけあまり飲まない。
これで29年間、風邪らしい風邪はしてこなかった。体質からなのか、風邪を引いても、だるさはあっても、どんなにのどが痛くても、何故か熱は出ない。だから、熱が出るという風邪らしい風邪を引いてこなかったせいで、学校は休めなかった。
 
今までは良かったけれど、これから年を重ねていく上でははっきりとは分からないとふまえた上で、しばらく様子を見たい。
 
自分の体のことは自分が一番よく分かっている。人間ドックにも行ったことなんてないけれど、やっぱり不安や心配はあるけれど、できれば病院のお世話にはなりたくない。最後の最後になったら、本当にやばくなったら、行く。
 
職業上、しょうがない部分もある。

9とゼロ

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何でも何かを始め、続けるということは楽ではない。
 
写真もそうだが、アルバイトも同じ。
 
周期的に何かしらの洗礼を受けることになる。
 
雑誌の仕分けをする工場に派遣されて1ヶ月ほどになる。
 
写真の現像所で働いていたこともあるのだが、作業場というのは空気が悪い。空気というのは人間関係を意味する雰囲気という暗喩ではなくて、文字通りの空気である。目に見えない塵や埃が無数に舞っていると思う。
 
何だかのどの調子が悪い。ここ数日間続いている。
 
そういう現場には慣れているつもりなので、いや慣れていると思っているからこそ、妙に落ち込む。
 
アジアに行けば、道が舗装されていない場所は多い。カンボジアのストゥンミンチェンというゴミの集積場は、今の工場の何十倍もの凄まじさだと思う。
 
なのに体調が悪くなるのは、生活(東京)の場所のギャップと何より年齢だと思う。
 
アパートと買い物や普通に生活する場所はきれい。アルバイトをする工場は汚い。そのギャップに体がすぐに付いて行かない。これは一般的にきれいと言われる日本と汚いと言われる東南アジアの構図の縮図でもある。きれいと汚いとでは言葉の弊害があるが、それは表面的なことで、自分の心を探ってみれば、きれいさが嫌悪になることもあるし、汚いが何だか心地良くなることもある。
 
だから無数にあるバイトの中で、わざわざ工場を選ぶという深層心理も働いているわけだが、今の現実を思えばのどが痛い。
 
すぐに様々なギャップには慣れると自負していたのに、慣れないのはここ1,2年だと思う。27歳はまだ良かった。28歳ぐらいからだろう。たぶん人という男の生理的なものもあると思う。心は前へ行っても、体がいまいちついていかない。心の影響が体にも出てくる。
 
今は29歳だけれど、30歳になれば気持ちもそこからの体も変わると思う。実際に30を約三ヶ月後に控え、焦りがないと言ったら嘘になるが、徐々に焦りが少なくなる気がする。
 
9と0の、妙な因果や先入観や溢れる情報だと思う。
 
実際は最後と思われる9が来てしまっても、次にはゼロに戻るのである。それの繰り返しだ。
 
体調を戻し、生活に慣れ、写真と関係ないバイトをすることで、自分の写真を含めた写真を少し引いた冷めた視点で見て行けたらと思う。
 
なんだかんだ言っても、人はどんな状況でも結局は慣れるようにできている。そして生きていける。

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