巨匠
2006年3月19日
漂流スル
2006年3月18日
手ブレ、脳ブレ、心ブレ
2006年3月17日
ココロ
2006年3月12日
世界の厳しさ
2006年3月11日
境の地へ
2006年3月10日
例えば、プロラボにプリントをお願いする。
例えば、何かの公募展に作品を応募する。
例えば、どこかの出版会社に作品の持ち込みをする。
結果が出るまでに、ワンクッションある。そのワンクッションは、長い時で半年以上もかかる。
生身の人間ではなくて、写真(カメラ)の力を借りているから、当然だと思う。
それらの空白の時間に、また写真を撮ったりまとめたり、本を読んだり、ボクシングをしたり、アルバイトをしたりする。
アルバイトを3月に入って集中的にしている。
インターネットで見つけた登録制のアルバイト。仕事をするかしないかは、前日でも問題ない。
全てを見ているわけではないが、今の世の中は人材派遣のような雇用形態が大部分を占めていると思う。正社員ではなくて、より安く、より便利に、より雇用しやすい契約社員やフリーターのように。雇用する側と雇用される側の利害関係が一致しているから、成立しているのだろう。こちらも写真という何かを持つ者にとっては、融通が利く。拘束された時間の中では、時間を守り、きちんと仕事をして、生活と写真の為の金銭として割り切っている。ロボットのような仕事に夢はない。あくまでも仕事の内容という意味であって、働いている者に悪気はない。僕自身も実力と運次第では、ずっと今のままで終わる可能性もあるからだ。終わりたくはないけれど、終わるなら終わったでそれでいい。
派遣される場所は携帯電話や書籍の工場が多い。一日からでもできる質より量の単純作業。
例えば、駅から送迎バスに乗って、川崎の工場へ行く、仕事が終わったら、逆の手順を踏む。
その日の為だけの見知らぬ者同志の何とも奇妙な送迎バスの中という共有する時間。
同じ様な感覚が旅先でもある。国境へと向かう移動であり、移動の手段はバスが多い。
例えば、インドのバナーラスからネパールのスノウリ国境へ。
バナーラスの宿から申し込むツーリストバスで移動するのがポピュラーだが、旅人同志の国境間の移動の為だけの共有する時間。ヒッピー風や小奇麗な若者や趣味も容姿も違う異国の者達。同じ日本人もいて、名前も名乗らない、でも話しをしたりすることもあるが。
アルバイトよりも旅には確かに自由がある。
ただ東京での送迎バスに揺られて鉄の骨組の工場群へ向かう光景と、インドでのツーリストバスに揺られて先の見えにくい国境へ向かう光景と重なって見えた。
希望よりも不安が占める、「どこかへ連れて行かれるのだろうか」「どこへ行くのだろうか」「そもそも自分とは何なのか」という感覚。その感覚から逃げたいという気持ちと、そのまま身を委ねてやろうという気持ちと、不安と逆の快感もある。
希望と絶望は紙一重。
人も物も移ろいやすいのだろう。
道
2006年3月5日