巨匠

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スマップの「世界に一つだけの花」という歌がある。正確には槙原敬之が作った歌らしいが。
 
槙原敬之の詩は繊細で歌唱力もいいと思う。
 
「世界に一つだけの花」もいいのだが、疑問がある。
 
詩の深い意味は分からないけれど、個性を伸ばすということなのか、平均点のままでいいということなのか。「あなたは普通らしくていい」と「あなたはあなたらしくていい」は違う。
 
スマップは言うまでもなく、芸能界のトップランナーを走る。メンバーのそれぞれがオンリーワンではなくて、ナンバーワンであり、これからもナンバーワンを目指していくように感じてしまう。一流芸能人が、この歌を歌うと、一般の人にとっては何か上からものを言われているような。どこか矛盾を感じてしまうのである。
 
昨日テレビを見ていたら、木村伊兵衛特集をやっていた。土門拳と並ぶ写真界の巨匠である。
 
130000コマということは、約3600本。野球で言うなら、3600安打と言う感じか。
 
コンタクトは写真家の目であり、足跡であり、思想であり、生き様である。
 
巨匠でも、より撮らなければはっきりとは分からないのだろう。本能や計算や感や運は人の何倍もあると思うが。
 
例えば、コントラストがつかないように曇りや斜光の時を選んだり。
例えば、納得の場面が得られるように秋田や下町に何度も通ったり。
例えば、ストーリーを感じさせる二人の動きを見て、どちらでも対処できるように二人の中間に立ったり。
例えば、絵のある交番の交差点で待っていたり。
例えば、背景と通り過ぎる被写体の関係性を考え、馬を待っていたり。
 
待っていて、作者の読み通り被写体が寄って来るのも、巨匠の見えない運というか、チャンスを逃さない観察力というか、瞬時にスナップする技術力というか。
でもそれ以上にあれだけの巨匠でさえも、写真に対する努力や情熱があるからだろう。作者の写真家魂を感じた。もちろん経済的にも恵まれていたのだろう。
 
巨匠と言っても、幾ら憧れても、あの人にはなれない。僕は僕自身の道を進めばいい。どこかで巨匠になってやるという野心のような気持ちがないとこの世界では生きていけない。それはインドに行って、より感じるようになった。
 
モノクロとカラーを合わせて。今までの僕の撮影したフィルムは、約1500本。
 
日本以外のアジアでは約1000本、日本では正確には数えていないけれど、1000本はいっていない、たぶん500ぐらいだろう。
 
怠けて、モノクロは現像だけでコンタクトさえ取っていない。モノクロはモノクロの味があるし、ポジでいっぱいいっぱいのこれからの課題だろう。昔よりもカメラや写真は溢れ、あの時の木村伊兵衛よりも経済的には豊かではない。その時々の経済的困難はあるが、逆に何でも表現できるというチャンスを考えるべきだろう。
 
自分でいうのも可笑しいが、今までの足跡は間違いなく時代を切り取っていると思う。何年後かに生きてくる。埋もれる可能性もあるが、例えば自分が死んだらフィルムは膨大な遺書である。死んだ後で、信頼のできる編集者が発掘してくれればいい。
そうならない為にも、できるだけ自分でまとめたいものである。
 
昭和の懐かしい風景は、少し前のアジアである(今のアジアの首都は変わりつつある)。もしくは今のアジアの田舎である。バングラデシュやインドは広いからインドのある街や。
 
市場の働く親と子がいて、向こうからリクシャーの男が来る、その中間に立ったり、物を乞う人がいて、少し先に祈る人がいて、その中間に立つ。
シャッターチャンスが来たら、近付き離れるのは、写真を撮る者にとっては欠かせない。
 
ずっと生きて(すぐには死なないで)、生涯2000本、3000本・・・5000本というように写真を撮りたいものである。
 
写真を記録として見ても、作品として見ても、撮らなければしょうがないのである。

漂流スル

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大学生の頃、旅の資金を貯める為にアルバイトをしていた。ただアジア放浪をする為だけに。
 
下落合にある内外学生センターという所、今でもあるのだろうか。
 
学生なら登録でき、一日だけのアルバイトがすぐに見つかる。壁一面にずらっと求人の紙が貼られ、同じ様な学生が吟味をして、窓口に列を作る。時間があれば、集中的にアルバイトをしたものだった。
 
着ぐるみ、交通量調査、引越し、事務所移転、美術の搬出搬入、試験の監督、ポステイング、和菓子の販売、100円ショップの品出し、パソコンの入力、チケットのもぎり、競技場の案内、コンサートの誘導、噴水の掃除、蛍光灯の掃除、床の掃除、土方、その他忘れたものも多くあるが、様々な仕事をやったと思う。
 
とっくに卒業して、あれから6~8年。
 
卒業後に就職した旅行会社も辞め、写真の現像所、警備員と転々として、今でもあの時の学生のように同じことをしている。
 
今の僕にはカメラと写真があると断言できるが、その思いは意地という名のいつでも消えてしまう儚さの中にある。
 
あの頃の一緒にアルバイトや旅をした友人は故郷に帰ったり、一つの会社に落ち着いたり、連絡を取らなくなったり。
 
自分だけが取り残されたような感覚を誰もいない部屋や眠る前にふと感じることがある。
 
旅をするアジアでも、今このプログを書いている東京のアパートでも。
 
「何も変わっていない」
 
自分がまるで他人の誰かのように思え、笑えてしまう。
 
写真で生きていくとある意味開き直っているので、その笑いはもう傷付けない。
 
後10年は漂流スル。
 
もうこうなったら、自分に勝つか負けるか。
 
漂流スル、生きているアカシである。
 
プライドを見せよ。

手ブレ、脳ブレ、心ブレ

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カメラの手ブレ補正機能の重要性が分からない。
 
手ブレをしても、それはそれでいいのではないかと思ってしまう。
 
手ブレをすることで生じる偶然性も写真の良さなのだろう。
 
デジタルカメラは持っていないが、一見失敗したと思われるコマを削除するのは抵抗がある。
 
報道写真や抽象的写真でピントのぼけた写真を見かける。編集作業以外での、撮る段階での偶然か計算かは作者に聞いてみなければ分からない。手ブレによって、報道はその瞬間の臨場感やカメラマンの困難的状況を、抽象はこの世の不思議感や作者の不安や苦悩を示している。
 
代表的なのは、上陸する兵士で思いっきりぼけている作者のロバート・キャパだろう。足場の安定しない、何が起こるか予想できない、戦場カメラマンにはピンぼけもしょうがないのである。過酷な時、場所に作者が写真を撮っているというだけでもすごい。ロバート・キャパが意図的に手ブレを起こしたというよりも、体当たりでぶつかっていって結果的に手ブレになり、編集の段階で臨場感と作者の内面をより表しているということで手ブレのコマを選んだのだろう。
 
戦場のような過酷すぎる場所へは行かない臆病な写真家の自分としても。多少暗かったり、瞬間の絵が欲しかったり、舟に乗っていたり足場が悪かったら、必ず手ブレのコマは出てくるのである。
今は下手と思われたくないし、がっちりと撮りたい気持ちだから、なるべく手ブレには気をつけたいし、編集の作業でも手ブレのコマは選ばないが。
時が流れて、自分の内面も変化する時、手ブレのコマを選ぶ日も来るのだろう。
その時後悔しないために、手ブレの削除や修正はしたくないのである。何よりも手ブレでも旅をした足跡が確実に残っている。証なのである。
 
流れ作業的アルバイトは働いているというよりも、働かされているという感じがする。仕事だし、迷惑もかけられないし、生活もかかっているからしょうがないけれど。仕事が終わった後は、達成感というよりも脱力感の方が強い。何だか脳がフワフワとする。
教習所と一緒で、車の運転のように、1ヶ月も2ヶ月もすれば、同じ作業は慣れてくる。
恐いのは、アルバイトに慣れそこに埋没することだ。慣れれば、リスクのない安易な道を進みたくなるのが人の心という奴だろう。
フリーでいれば、体もきついアルバイトがリスク高くなり、アルバイトに慣れれば、写真家でいることがリスク高くなってしまう。
自分は写真しかないから、いざとなればアルバイトは辞める。
初心は忘れたくない、「ちょっと心ブレ」。

ココロ

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インドを旅すれば、インド人の個性にぶつかる。
 
インド人の堂々さに、日本人の自分が物怖じしてしまう。
 
「この人は、引いたり、何かを恐れたりすることがあるのだろうか?」と思うほどに。それだけ日本人の感覚で危険だと感じる瞬間を、あるインド人は表情の一つも変えずに事を行う。
 
例えば、猛スピードで走り抜ける自動車やバスやバイクやリクシャーの道路を絶妙のタイミングで渡る。
例えば、そこそこのスピードで走っているバスに躊躇なく飛び乗る。
例えば、舗装されていない凸凹道を裸足や薄っぺらなサンダルで歩く。
例えば、自動車で運ぶような重い荷物を荷車などの人力で運ぶ。
例えば、3,4時間以上も遅れてくるような鉄道を平気で待つ。
例えば、火葬場で焼かれる屍を当然のように眺める。
 
何で危険を察する感覚が鈍いのかと考えたら、インド人の死生観にあると思う。
 
日本に比べたら、死がどこにでもあり、死ぬことをそんなに恐れていない気がする。
 
ガンジス河の流れのように、ヒンドゥー教の輪廻転生のように、身は滅びても魂は滅びない。
生も、その逆の死も、当然のように受け入れている。理屈では分かっているが、東京で生活していると、上手く理解できない部分もあるが。
 
最近、深層心理の本を読んだのだが、人には自我の上に超越的自我というものがあるらしい。超越的自我とは、自己の心を超えて、宇宙生命まで想いが至るという。たぶんインド人の大部分は、宗教を背景に、超越的自我に近い所まで達しているのではないか。自我なら死に対して恐れるが、超越的自我なら死に対して恐れない。
 
冒険家や登山家や戦場カメラマンや危険なスポーツ選手や神経をすり減らす作家などは、時に一般的な人間からは想像もつかない行動をする。欲のベクトルが違う方向に行っており、何かしらの深層心理が働いているように思う。
 
深層心理の本を読んで勝手に解釈したのだが、今の自分は深層心理でいう強迫ということをしている。自分に対しての強迫。「旅を続けなければならない」「写真を続けなければならない」と自分に言い聞かせている。様々なプロ選手、特にイチローや松井の一流選手、日本代表のサッカー選手、亀田兄弟のボクサーが強迫の度合いが強いのだろう。時に自分を追い込み、ストイックになる。
 
僕はまだまだ強迫の度合いは弱いのかもしれないが、プロの意識は芽生え、どこかでプロ意識を強く持ちたいものだ。
 
自我に目覚めても、死ぬことは恐いし、弱者であるがゆえ、超越的自我に達することは非常に難しい。

世界の厳しさ

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登録制のアルバイトの一つに工場での書籍の仕分けがある。
 
ベルトコンベアーに乗って流れてくる雑誌や漫画本をひたすら仕分けていくのである。
 
立ち仕事で、いったん流れ出したら、休む間もない。
 
そんな単純作業を繰り返している内に、体は動かしながら、頭はふと考える。
 
実働約8時間で約7000円のアルバイト、流れてくる雑誌の中の原稿料は1ページでその数倍の値になる。どちらも経験していることから得る奇妙な感覚は消えない。
 
写真を撮る者にとって、写真を撮ることの時間や労力や金銭の苦悩と大切さを知っているから、その値に否定はしないし、疑問もない。自分もそれらの恩恵を受けたことのある身。
アルバイトが良くて、写真家が悪くて、と言うことでもないし、もちろんその逆でもない。
 
ただ流通の過程で、一つの大きな流れの中で、幾つもの小さな流れがあるのだなあと思う。例えば、一つの雑誌を制作して、世の中に出るには、文字通りの汗を流す仕事をしている人がいる。
 
フリーになって、どんな世界も厳しいとますます実感する。その厳しさを実感した上でもっと頑張らなきゃと思ってしまう。
 
写真家にとって、何でも表と裏の社会を知ることは、大切だと思う。
 
アルバイトをしながらでも、もし写真を続けていたら、もし生きていたら、将来の写真に深みや説得力が出ると信じたい。
 
もしもの話しはないが、もし売れっ子の作家になっても、悩んだり、苦労している下積みの記憶は忘れたくない。
 
もう10年は、この世界の厳しさに身を委ねる覚語だ。自分の為だけでなく、写真で恩返しもしたいから。
 
今までの出会った人達はどこにいますか?
頑張っていますか?

境の地へ

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例えば、プロラボにプリントをお願いする。

例えば、何かの公募展に作品を応募する。

例えば、どこかの出版会社に作品の持ち込みをする。

 

結果が出るまでに、ワンクッションある。そのワンクッションは、長い時で半年以上もかかる。

生身の人間ではなくて、写真(カメラ)の力を借りているから、当然だと思う。

 

それらの空白の時間に、また写真を撮ったりまとめたり、本を読んだり、ボクシングをしたり、アルバイトをしたりする。

アルバイトを3月に入って集中的にしている。

 

インターネットで見つけた登録制のアルバイト。仕事をするかしないかは、前日でも問題ない。

全てを見ているわけではないが、今の世の中は人材派遣のような雇用形態が大部分を占めていると思う。正社員ではなくて、より安く、より便利に、より雇用しやすい契約社員やフリーターのように。雇用する側と雇用される側の利害関係が一致しているから、成立しているのだろう。こちらも写真という何かを持つ者にとっては、融通が利く。拘束された時間の中では、時間を守り、きちんと仕事をして、生活と写真の為の金銭として割り切っている。ロボットのような仕事に夢はない。あくまでも仕事の内容という意味であって、働いている者に悪気はない。僕自身も実力と運次第では、ずっと今のままで終わる可能性もあるからだ。終わりたくはないけれど、終わるなら終わったでそれでいい。

 

派遣される場所は携帯電話や書籍の工場が多い。一日からでもできる質より量の単純作業。

 

例えば、駅から送迎バスに乗って、川崎の工場へ行く、仕事が終わったら、逆の手順を踏む。

その日の為だけの見知らぬ者同志の何とも奇妙な送迎バスの中という共有する時間。

 

同じ様な感覚が旅先でもある。国境へと向かう移動であり、移動の手段はバスが多い。

 

例えば、インドのバナーラスからネパールのスノウリ国境へ。

バナーラスの宿から申し込むツーリストバスで移動するのがポピュラーだが、旅人同志の国境間の移動の為だけの共有する時間。ヒッピー風や小奇麗な若者や趣味も容姿も違う異国の者達。同じ日本人もいて、名前も名乗らない、でも話しをしたりすることもあるが。

 

アルバイトよりも旅には確かに自由がある。

 

ただ東京での送迎バスに揺られて鉄の骨組の工場群へ向かう光景と、インドでのツーリストバスに揺られて先の見えにくい国境へ向かう光景と重なって見えた。

 

希望よりも不安が占める、「どこかへ連れて行かれるのだろうか」「どこへ行くのだろうか」「そもそも自分とは何なのか」という感覚。その感覚から逃げたいという気持ちと、そのまま身を委ねてやろうという気持ちと、不安と逆の快感もある。

希望と絶望は紙一重。

人も物も移ろいやすいのだろう。

2件のコメント

ポジフィルムの六切りサイズのプリント代が高くなった。
 
昨年に比べて、一枚約500円ほど。
 
写真を撮る者にとってかなり痛い。一つのポートフォリオを作る為に、30、40枚まとめてプリントをお願いすることもあるから。大きく伸ばすのに、慎重にならざるを得ない部分と手抜きもできない部分の葛藤と。こうなると直感や勢いも必要になってくる。迷っているだけでは前へ進まない。
 
当たり前のことだが、写真にはお金がかかる。写真の為の金銭をどうやって捻出するのかが、写真家にとっては、写真の内容と同じくらいに問題だと思う。
 
撮る人それぞれだと思うが、僕は写真とは全く関係ないアルバイトを選んでいる。少なくとも今は。
 
どこかの専属カメラマンをしながら、結婚式のカメラマンをしながら、自分の作品を撮っていくことはなかなか難しい気がする。それだったら、融通の利く登録アルバイトで補いながら、フットワークを生かして、写真に関してはフリーという形をとった方がいい。どちらにしても体力勝負の所はあるから、今は良くても、30代後半からの不安はやはりある。
 
写真家の将来なんて何も保証されてない。ただ少しでも良くなろうと努力して、信じるだけだ。
 
実家暮らしなら、原稿料で少しは持つかもしれないが、一人暮らしだと生活費も大変になる。アルバイトで生活費を稼ぎながら、少しでも生活を切り詰める。残りの金銭を写真に費やせるように。
 
アルバイトは単純な作業が多いから、本当は毎日のようには入れたくない。体が疲れて、頭が働かない、写真に影響が出ることは目に見えている。アルバイトに集中するだけで、写真の土俵から消えていくことが、一番恐れている。ある時は写真に集中して、ある時はアルバイトでしょうがなく生活費を稼ぐというストイックな生活を続けるしかないようだ。
 
どこかでアルバイトから脱却したいという心の奥に持っている悲痛な叫びは常に持ち続けたい。アルバイトだけで終わるのは人生がつまらない。
 
アルバイトの種類がたとえ転々としても、写真という一つの想いに賭けている。自分の写真を撮り、残すことは忘れたくないもの。
 
写真とは関係ないアルバイトでも、どこかで写真に生きてくると信じている。
 
写真(作品)が作者を写す鏡であるならば、今までの、そしてこれからの生き様は関係する。
 
生身の人間で自信があったら、(歌が抜群に上手いとか、俳優のようなスタイルとか、芸人のような面白さとか)写真なんてやっていない。
 
写真は自分の弱い所を少しでも強くしてくれる武器である。
 
人を殺さない、平和的にもなりうる、武器という名の表現の手段である。

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