メリットデメリット

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今日も9時から17時までアルバイトをする。もうちょっと若かったら何も問題ないと思うのだが、29歳になるとそんなに楽ではない。ずっと立ちっぱなしだし、完全な流れ作業なので、いったん始まったら休憩以外は休む間もない。もっと要領を掴んだら、少しは楽になると思うのだが。どちらにしても誰でもできる仕事だと思う。短期や長期間も含めて、工場で働く人達は多い。学生風や年齢不詳の人や何か他のこともやっているんだろうと思われる人、想像するのも悪くない。
 
写真以外のアルバイトはメリットもデメリットもある。メリットは写真から一時でも離れることである。今まで撮ったものでも、最新のものでも、自分の中のテンションで良い写真か悪い写真かを判断してしまうことがある。少し離れることで、客観視できる。後は、工場のような所で働くことで今の自分のポジションを認識できる。何もやりたいことがなくてただ働いている人を見ると、写真というやりたいものがある自分は恵まれているとさえ思う。さらに、働いている人を観察できる。よく作家でありえる傾向だが、その作家の部屋や殻に閉じこもってしまう。僕は下流層で生きていると認めた上で、こういっては失礼かもしれないが、世間で言う下流社会の仕事内容や雰囲気を知るのはこれからに生きてくる。僕は文章を本業としていないが、文章を書く作家にとっては、今の雇用形態や流れを知ったことにこしたことはない。
デメリットは、メリットの逆の写真から一時でも離れることでもある。一時離れたのはいいが、一生離れてしまっては意味がない。後は、コツコツと稼がなければならないことだろう。頭よりも体力を使わなければならないことだろう。
 
たとえ写真関係じゃなくても、どこかに身を委ねることで、間違ってもいいから、自分の目利きというか物差しを作ることが大切だと思う。
専属カメラマンになったら、作者→広告(依頼主)→写真となる。少なくとも今は作者→写真と直結する。「写真で金銭を稼ぐ」と割り切れれば専属カメラマンもいいと思う。今の僕は割り切れない。(確かに金銭は必要だけれど、)自分の心と直結する写真を残したいのである。たぶん、僕は写真学校から写真に入ったのではなくて、旅から写真に入ったからだと思う。
 
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魂まで売らない

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貯金がけっこうやばくなってきた。
 
というのも、ある公募に応募する為のプリントを大量にしたからだ。
 
写真をやっていると、出ていく一方の時がある、というかほとんど。
 
将来、今までの出ていったものが返ってくるとは限らない。
 
たとえ見返りが保証されなくても、やりたいからやる、表現したいから表現する。写真で裕福になろうとは考えていないから、写真が本当にやりたいものなのだろう。もう最近は結果は後でついてこればいいと思っている。結果を出すようにベストをつくすが、もちろん結果が出なくても構わない。
 
このままだと来月には貯金がマイナスになってしまうので、集中してアルバイトをすることにする。実際に今日も工場の仕分けのアルバイトをしていたのだが。
 
せめて家賃代や現像、プリント代ぐらいは確保しておかなければ。
 
一線を越えたくない気持ちはある。フリーターでも週5,6入れば、金銭的にはそこそこ稼げるかもしれない。でも疲れがたまり、残りの日を無駄に過ごすことが目に見えている。ボーっとテレビを見たりする光景が浮かんでしまう。
 
写真を撮るのも、まとめるのも、けっこうエネルギーがいる。
 
フリーターと写真家の境界はあいまいだが、自分なりの写真家としてのプライドがある。
 
現在のそのプライドは崩れ易く強さと逆の弱さも内在している。これから先、5年、10年とずっと続ければプライドは強固になるのだろう。やはり簡単には諦めたくない。
 
フリーになって、まだ年は浅い。なかなかその道だけで生活していくのは厳しい。会社でも何でもどんな世界も平坦な道はない。
 
写真と関係ないアルバイトをしても、魂までは売らないつもりである。

ドラマ

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今日も下北のジムへ行く。
縄跳び2R×2、シャドー4R、ミット打ち2R、サンドバック4R、パンチングボール2R、腕立て50×3、腹筋30×3。
汗を流すとその一時の不安は解消されすがすがしい。
 
下北は演劇の街でもある。
テレビのドラマはあまり見ない。ただ最近だと「功名が辻」とこのまえ終わった「白夜行」は見ていた。
上川隆也は演技が上手い。不器用だけれど、一途な男を演じたら、本当にはまり役だと思う。
 
1つ前の「源義経」は主役がいまいちで、全く見なかった。
2つ前の「新撰組」は良かった。
堺雅人と藤原竜也の演技力には惹かれた。特に堺演じるヤマナミが自殺するシーンは泣けた。その場面を放映する時は、カンボジアのプノンペンの安宿で見ていた。偶然にも部屋にNHK衛星の見られるテレビがあったのである。外国にいたから、余計に感動したのかもしれない。
 
上川隆也は劇団キャラメルボックス出身で(学生の頃2、3度公演を見たことがある)、堺雅人も藤原竜也も演劇からテレビの世界にも入ったと思う。
テレビが明なら、演劇はどこか暗の雰囲気があり、そこで着実に演技力を磨いた俳優はやはり演じるということに説得力があり、味がある。演劇主体でやるということは、よほど俳優が演じるということにやりがいを感じているのだろう。
 
劇団員はたぶん貧しいと思う。新人からの下積み生活も長いに違いない。今までの生活の苦労が、人生の浮き沈みを含めた深みが演技にプラスになって出てくるのがよく分かる。華やかなのは一部分で大部分は地味で、ある意味職人と一緒のようなものだろう。写真にも似たような所があり、何らかの作り手も、その他にも多いと思う。
 
裕福だけでは、芸に磨きはかけられない。何らかのハングリー精神が必要なのだろう。
 
 
「追いかけ人闘い人」
ボクサーは美しい、物乞い人も美しい。
時には悩みながら、時には闘いながら。
夢を追いかけると同時に、自分と向き合いながら、
お金を追いかける人間は美しいのかもしれぬ。

質素な生活

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今日の午後、下北沢のジムへ行く。
 
最近は、週二日のペースで通っている。
 
縄跳び2R×2、シャドー4R、サンドバック5R等、腕立て50×3、腹筋30×3の筋トレもする。
 
29歳のおっちゃんだから、若い人の動きには叶わない。でも一応集中して体を動かす。怠れば、必ずつけが回ってくる。
 
行く前は、何だか憂鬱だが、終わった後は、風さえもすがすがしい。
 
馴染みの精肉屋で4個158円のコロッケを買う、八百屋で1個95円のキャベツと4個115円の豆腐と2個105円の納豆を買う。ここら辺の感覚は主婦感覚、下北は何でも安いから便利。
 
僕には食に対する欲があまりない。たくさん食べたいけれど、高くて美味しいものを食べたいとは思わない。質よりも量、価格と味のバランス、できるなら食費を抑えてでも、写真費にまわす。外食はしないで、ほぼ自炊。
 
写真関係以外は服や物もあまり買わないし、普通の人から見たら、質素なのだろう。
 
本当にやりたいものがあるから、耐えることができる。
 
でも、なかなか次回の撮影旅の資金を貯める所までいかない。
 
住宅費が一番のネックだし、生活するのでいっぱいいっぱいである。
 
どうしてもアジアと比較してしまい、東京の物価の高さを痛感させられる。

リセットと妥協と

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高校でいきなり硬式野球をやったり、大学で突然一人旅をしたり、旅行会社を辞めて旅に出たり、写真の現像所のアルバイトを辞めて撮影旅に出たり、警備員のアルバイトを辞めてインドへ行ったり、ボクシングをやったり。
 
今までを振り返れば、リセット人生だと思う。
 
二つのことを同時にこなせる人と、僕のように一度リセットしてまた一つのことを考える人がいる。
例えば、転職だったら今の会社に在籍しながら、別の会社を探す人と、一度今の会社を辞めて、一度白紙に戻して、別を探す人。
どちらが良くて悪くてということじゃなくて、産まれた育てられた環境や出会いやその人の生き方や、本当に人それぞれだと思う。たぶん僕は不器用だから後者を選んでいるのだろうし、散り際の潔さを求めているのだろうし。二つのことは同時に集中できない体質なのである。音楽を聞きながら本も読めないし、話しをしながら仕事もできないし、電話をしながら別のこともできない。
 
ただそれもありかなと思っている。そんなこと直せるわけでもないし、逆に直そうと思ったら、自分を痛みつける。
 
大切だと思うのは自分の気持ちに素直になることだ。やりたいことならやった方がいいし、行きたい所なら行った方がいい。法律やモラルやルールはある程度必要かもしれないが。時には世間の目なんて気にしない方がいいのだろう。将来「あの時やっておけば・・」と後悔するぐらいなら、今やった方がいい。時間は間違いなく流れて行く。
 
結果なんて誰も分からない、今までの自分は打算や結果なんて気にせずに、旅をしてきたではないか。
 
30歳を目前にして、守りに入ろうとしている自分が情けない。20代前半や中盤にはなかったリセットをした後の恐怖も考えてしまうのだ。
心は前に行っても、体がついていかない、たぶんこの年を経験する誰もが通る道なのだろう。
30、40、50と年齢を重ねていくうちに、妥協に妥協を重ねていくのだろう。
 
写真家として続けて行くには、よほど気持ちを高くしなければ挫折してしまう。どんな孤独にも耐えるしかないのだ、「これから何度写真を辞めたいと思うのだろうか」という気持ちはあるのは当然だが消し去らなければならないのだ。
 
リセットはしても、妥協はしたくない。
リセットすることはその先がないから勇気がいることだけれど、生きるという意味では大切なことなのだ。
遠いあの人には、僕の言ったことは分かってくれる。
あの時、面と向かって話したように。
 

どこにでも行ける

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今のアルバイトは人材派遣のようなもの。仕事を入れれば、会社の都合で、様々な会社へ。
 
どんなに写真と関係ない仕事でも、結局は写真の為になるに違いない。
 
朝(どんなに仕事が嫌でも)、電車に乗り、自然と目的地に着く。仕事と旅では気持ちが違うけれど、移動の感覚は似ている。
 
その気になれば、どこにでも行けるのである。世界の秘境でも、ヒマラヤでも、北極でも。
 
時と金とリスクが揃えば。
 
最後は時と金とリスクを決断する自分次第なのだろう。
 
どこにでも行けるのだが、世界の隅々や自分自身の隅々を理解することは難しい。
 
少しでも理解する為に人は旅をする。

旅人の耳

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少しでも自由な形態で(バックパッカーなど)外国を旅した人は分かると思う。
 
アメリカ経由の英語は聞き取りにくい。
 
BBC(イギリス発)とCNN(アメリカ発)だったら、BBCの方が圧倒的に聞きやすい。
 
何でだろうと考えたら、アメリカ英語は単語からなる文章を省略するからではないか。ただでさえ暗号に聞こえる英語が、いっそう解読不能に陥る。そうすると英語を母国語としない日本人の一人としては、少しなめているのかと思う時もある。
 
アジアを旅すると世界各国から来た旅人とどこかですれ違う。宿や飯屋や観光地や電車やバスや、積極的に話しかけるタイプではないが、旅の行程を通して全く英語を話さないということはない。何かのタイミングで自然と話したりするのである。
 
話す相手は2タイプいる。英語を母国語としない者に少しでも分かりやすく話してくれる者と、聞き取れない者が悪いとでも言うかのように一方的に話す者。後者は、母国にいるのと同じ様に話す為に、一方的にと思うのも含まれるかもしれないが。
 
英語が上手く話せないからといって、頭の中身は大差ない。明らかに後者のような人間は嫌悪感を覚え、できるなら話をしたくない。フィーリングが合わない人と話せないなら話せないでそれでいい。旅ならそれが許される。
 
言葉を話すってそういうもんでしょ。コミュニケーションの一つとして、英語というお互いのコミュニケーションが成り立たなかったら意味がないから。逆に日本に暮らす日本語が上手く話せない中国人や韓国人やタイ人と話す機会があったら、僕だったら相手に伝わるように時には遅く、時には何度も話すようにしたいもの。聞いている相手が分からないということは、話す自分を責めるべきだ。
 
今までの旅で自分の中での統計ができる。アジアの旅がメインなので、ごく個人的だが。
アジアで出会った旅人と旅人として。
 
北欧や、イギリスや、ドイツや、フランスなどのヨーロッパ圏、名前を忘れてしまったがロシアに近い国、オーストラリア、そして中国や韓国やシンガポールやタイなどのアジア人・・・は英語でコミュニケーションが取れる。
もちろん英語が同じレベルだから分かるということもあるし、相手が気遣ってくれるということもある。アメリカ留学経験のある韓国人(旅人)の英語が聞き取りにくいこともあったし、アメリカの確か田舎の州出身のアメリカ人(旅人)の英語が聞きやすいこともあった。
 
アメリカ、インド、パキスタン、イスラエル人は英語でコミュニケーションが取りにくい。中には英語を話すのが当然と優位に見せびらかす者もいる。これもまたケースバイケースだが、インドだと英語を話すインテリ層に多い気がする。
大国意識が英語にも表れていると思うのは、僕だけだろうか。国に自信があれば、人が操る英語にも自信と余裕が生まれる。
世界の公用語と思われる英語も、イントネーションなどの表現を変えることで、大国の別の英語が出来上がる。こうなったら英語というよりも、その国のその国に暮らす人達だけが分かる暗号と同じ様なものだ。よその者は寄せつけない。アメリカは言葉でも世界の優位に立ちたいと思うのは、思いすぎだろうか。必ずしも学校で教えているであろうアメリカ英語が絶対ではない。タイを旅していたフランス人がアメリカ人の英語が聞き取りにくいようで何度も聞き返していたのを見たこともある。他のケースもある。
 
アメリカや日本ではない他のアジアの地を歩けば分かる。世界は広く、様々な人間が暮らしている。

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