ヤング・ポートフォリオ展開催のお知らせ

2件のコメント

作品展(グループ展)のお知らせです。
 
2005年度ヤング・ポートフォリオ展
 
期間 2006年2月25日(土)~6月18日(日)
※休館日 毎週火曜日(祝日は開館)
 
場所 清里フォトアートミュージアム
 
 
詳細はこちらまで http://www.kmopa.com/
 
 
紹介させて頂きますと、35歳までの作家の作品を審査の結果、清里フォトアートミュージアムが購入して永久収蔵するという企画です。
今回は2005年度版の収蔵作品の展示となります。
 
若手写真家にとっては、なかなか発表機会が少ない中、大変有り難いものです。
 
今年は、68名(国内44名・海外24名)の作品が収蔵され、全部で287枚となります。
 
僕は、2003年(12枚)、2004年(7枚)と参加させて頂き、今年は8枚の参加となります。
 
カンボジアとバングラデシュとパキスタンで撮られた作品です。このプログでアップした写真も入っています。
 
もし時間がありましたら、足を運んで下さいませ。
 
よろしくお願いします。
広告

写真家の未来③

コメントをどうぞ

作品としての写真が世の中にもっと広まって欲しいとまずは思う。
 
デジタルやケータイで安易に撮られる写真ばかりでなく、芸術的(アート)なものや、報道的(ドキュメンタリー)なものや。外国でも国内で撮られたものに関わらず。作者の身や時や金を削った上での、写真に込められたもの。人生の大部分を写真に賭けているのに、賭けようと思っているのに、世の中に認められないのではあまりにも悲しい。認められるということは、どこかで商業ベースに乗らなければ発表さえもできないわけだから、悩む所ではあるが。神経質な作家にとっては、人間関係も馴染めないし、どこかで他人を蹴落とすという写真の中での競争社会もしっくりこないのは事実である。
 
でもそのまま埋没するよりかは、写真家のプライド(誇り・意地)を出した方がいい。どんなに嫌でも、写真家としての仕事はあるわけだし、社会に揉まれなきゃいけないこともある。どんなに社会に関わりたくても、なかなか社会が振り向いてくれないのは、自分の力がまだまだ足りないから。僕自身にまずは言い聞かせて。
 
もう亡くなられた中でも、まだ生きている中でも、様々な写真家がいた、そしている。
 
知らないだけで、様々なタイプの写真家がいる。言ってみれば、同業者なのだが、雑誌を見たり、個展を見たり、何かのタイミングで初めて気付く写真家も多い。同業者でも知らない写真家はいるのだから、一般の方はもっと多いはずだ。逆から見たら、僕もその内の一人だろう。
 
個展から出たり、公募から出たり、写真集や雑誌という紙面から出たり、広告から出たり、きっかけさえも様々な写真家がいる。
 
僕は賞上がりの写真家だと思っている。写真を世の中に少しでも出してもらうには、発表の場が少ない写真界は特に、公募(コンテスト)に応募するしか方法がなかった。まして写真の学校も出ていない、何のコネクションもない者にとっては。ただアジアの旅を繰り返した中での自分の中での考えは持っているつもりだった。予想外に頂いた賞に背中を押されている気がする。
 
第4回上野彦馬賞という賞を頂いたことがある。その時はまだ写真の現像所で働きながらだった。表彰式に参加した時に、有名な写真家の審査員方々が、賞賛のコメントをして下さるのである。「時代を反映している」とか、その時はイラク戦争が注目される時で写真が勝手に一人歩きしているのを今でも覚えている。思ってもみなかったプラスに働いたコメントもあった。
 
賞の冠の名が付いている上野彦馬は坂本竜馬を撮ったことで有名である。と言いながら、応募した本人も坂本竜馬の写真は教科書で見たことがあるから知っていたが、撮った人物までは知らなかった。応募のパンフレットを見ながら、上野彦馬と言う写真家の顔を知ったのである。
 
考えすぎかもしれないし、その人の取り方一つによるかもしれないが、僕の背中にはどこかで上野彦馬がいるのである。そして賞に入った写真はカンボジアの写真で、シェムリアップで墓参りをした一ノ瀬泰造がいるのである。せっかく賞を頂いたのに、まずは写真を続けなければ、どこかで悪い気がして、時には写真という責任さえも感じてしまうのである。写真を背負っている気がしてしまう。
 
人生たかが80年で、一人の写真家の力なんてたかが知れている。
 
僕がこの世からいなくなっても、次の、そして次の写真家が出てくればいいとも時に思う。そうやって100年も、200年も、それ以上も経って、写真家の地位や写真の認知度がもっと広まってくれればいい。
 
死ぬまでに、写真家の一人の自分自身はできる限り頑張りたいと思う。
 
こう書くと、何かイラクやアフガニスタンに行ったりしそうだが、特に危険な地域に行くつもりは今の所ない。アフガニスタンへは遠い将来、もっと状況が安定したら、行きたいが。
 
格別に危険だと思われる地域に行かなくても、旅や写真の恐さはある。
 
東南アジアや南アジアでも、日本よりは遥かに予想外のことが起こってしまう。日本よりはやはりリスクがあり、危険なのである。日本よりも死を意識することは多い。
 
かと言って、止まるわけにもいかない。写真を背負って、アジアの旅を繰り返し、前へ進まなければならない。
 
少なくとも一年に一度旅をするとして、後何年旅を続けられるだろう。写真を残せるだろう。
 
判断やタイミングが悪ければ、死ぬことだってあるから。
 
多少は死ぬ危険があっても、写真は残したい気持ちはある。
 
人はなかなか死なないものだと信じることが希望ではあるが。
 
フリーになって2年目、フリーの写真家の厳しさに直面しているこの頃。
 
旅資金も貯めながら、ある種の開き直りも見せながら、体当たりで(時には逃げ)頑張るしかない。
 

写真家の未来②

コメントをどうぞ

当然のことだが、テレビがあるから、芸人や俳優という職業は成り立つ。
江戸時代や明治時代という昔は、俳優という名称はもちろん、芸をする者の地位さえもそんなに確立されていないように思う。
テレビもラジオもCDもインターネットもない時代。
昔から今の不思議な時代の流れを感じてしまう。ひょっとしたら、何かの運命の糸のようなズレで俳優がマイナーな職業で、占い師がメジャーになることもありえたのだ。武士が平成にも出現することはありえたのだ。
 
カメラがなくては、写真家という職業は存在しない。僕はまさしくカメラの恩恵を授かっているので、そこでも見えない縁を感じてしまう。
これからも写真の道をできる限り進もうと決めているので、現在から未来への写真の認知度や写真家の存在を想像する。未来は現在よりも写真は普及しているのだろうか?写真家という職業は生き残っているのだろうか?
 
想像はするが、ほぼ予測不可能。それだけこの世の中は複雑過ぎ、不安過ぎる。デジタルがより広まり、フィルムがなくなる可能性はある。かと言って、なくなっても、デジタルではない銀塩カメラ、フィルムブームが来る可能性もある。人はしょせんないものねだりだから。インターネットだけで、雑誌がなくなり、仕事がなくなる可能性もあるが、そこは大多数が安易な道を選ばないことを願うしかない。インターネットの恩恵を受けながら、それが仇となっては皮肉で何とも悲しい。
 
(僕だけじゃなく)写真家という職業の認知度がもっと上がって欲しいという希望はある。テレビではなく、写真で見せるということだけで、困難な希望ではあるが。たぶん世間一般の大多数は、自分や家族や記録以外の写真はなくても生きて行け、個展に足を運ぶことも、こんな写真があることも、こんな写真があんな写真家に撮られたこともあまり関係ない気がする。趣味が多様化する現在だから当たり前だし、年齢や何かの出会いによって趣味は移ろいやすい。僕だって写真以外には旅やボクシングやサッカーや音楽や映画やテレビぐらいしか興味ないし。ショッピングやゲームや車のことは分からない。
 
贅沢を言えば、趣味の延長が職業であるならば。経済だけではなく、多様性のある文化の発展を願いたいのである。会社員だけでなく、様々な職業が存在し、実際に成り立つ社会。インターネットという内に広がっていく、開かれたのか閉ざされたのか微妙な関係ばかりでなく。規制だけでなく、路上の画家や大道芸人やストリート系が平日も巷に溢れてもいい気がする。見せる、見る人、売る、買う人の関係が成り立ってもいい気がする。
 
アジアの旅から東京に戻りしばらくすると、苦しくなる時がある。僕は日本人だし、日本のことを悪く言う資格はない。実際に日本は好きだ。ただ大多数に流されやすく、敏感に感じてしまう。不安な人が多ければ、不安が移ってしまうのである。会社員を辞めてしまってから、どこかで後ろめたく、肩身の狭くなる時もあるが。ますます均一、統一化されるゆとりのない社会になっていくことが疑問に思ってしまう。東京にいるのにあまり誰とも話さない変な孤独や寂しさを感じてしまう。少なくとも東京は閉ざされた社会の印象を受けてしまう。アジアの路上の開放感や市場や屋台の懐かしさや人の多様性、エネルギー、温もりを知っているからだろう。旅に重点を置くか、生活に重点を置くか、旅人故の心地よさがあるのは事実である。でも永遠の旅人にはなれないから、結局はどこかで生活をしなければならないから、悩んでしまう。それが今の所、僕にとっては東京であり、写真なのだろう。
 
記録だけでなく、作品としての写真が広まって欲しいという願いがある。写真家として生きて行くにはどこかで商業ベースに少しは乗らなければならない。ドキュメンタリー写真と商業ベースに乗ることは矛盾も感じる。しかし、矛盾を感じることがまずは大切ではないか、その矛盾をどうすることもできないのだから。日本は資本主義国であり、職業を仕事としてやっていくにはしょうがないのである。もちろん自分だけではどうにもならないこともあるし、とりあえず自分を信じるしかないのだろう。

写真家の未来①

コメントをどうぞ

不安定な生活をしていると自虐的な思いが浮かんでは消える。
写真はなくても生きていけるし、写真家の仕事は曖昧。写真はお金のかかる趣味の延長だし、写真家と名乗ったって、自分の匙加減一つだし。
 
多くいるだろう本人や他人が認める写真家の思いは分からないが、僕は堂々と「写真家だ」と言える威張るような気持ちはない。どこかで抵抗があるのは事実である。
 
ただマイナスの気持ちを出すだけでは、この世の中は生きていけない。SEや様々なアーティストや様々なスポーツ選手や様々な職業が今という時代だからこそ成り立って行けるように、写真家という職業もまた同じなのである。どこかでプライドをも持ちながら仕事をして行くのが職業というものならば、「写真家だ」と胸を張ることも(威張らなくても)時には必要なのである。心は不安や迷いがあっても、堂々とすることは時に必要なのである。
 
写真にも自分をないがしろにしたボランティア精神はないと考えている。どんなに危険をかけて撮った報道写真でも、どこかにカメラを構えた作者の目が存在する。どんな写真も作者の気持ちが少しでも写っていないと、その写真は薄っぺらいものになってしまう。幸せ過ぎる笑顔の写真は、本当ならば笑顔が一番なのだが、世の中は笑顔だけでない。悲しみや怒りもある。笑顔の写真が巷に溢れていないのは、世の中全体が幸せではないし、写真を見る人の目も肥えているからだろう。写真を見て、まずは見る人自身の感情に置きかえる。テレビでも映画でも何でもそうだと思う。
 
良い写真と言うものは、作者の感情も踏まえ(時には創作時に身も心も生活も削り)、作者本人以外の様々な気持ちが少しでも伝わるもの。作者の家族であったり、被写体への想いや喜怒哀楽であったり、世の中の風刺や平和を願うものであったり。奇をてらうものや誰も撮ったことがないものやシャッターチャンスや構図やアングルや光と影や色彩やプリントが抜群であっても良い写真ではあるが。写真は個展やコンテストや紙面で発表すると、作者から離れるから、写真が勝手に想像を膨らませて一人歩きするのが望ましいと思う。
 
 

テレビ

コメントをどうぞ

ここ3年は、1年の約4分の1をアジアへ撮影に行っている。撮影と言っても、写真と旅の境界は曖昧だけれど。
 
東京へ戻って来ると、旅に出ていた空白の時間の情報がほぼないことに気付く。アジアでの宿の中で、タイのバンコクや、カンボジアのシェムリアップや、インドのブッダガヤーなどの日本人観光客が比較的多い所はNHKが見られる部屋もある。高級なホテルに泊まれば、衛星の環境はもっと整っているのだろうが。僕の場合は、学生の頃のバックパッカーとあまり変わっていない。非常にしんどい時以外は、ほぼ安宿である。学生の頃と違っているのは、機材の盗難防止の為ドミトリーには泊まらなくなったことと、値段とタイミングでテレビ付きの部屋を選ぶことが多くなったことだ。安宿と言われる宿にも、様々なタイプの部屋がある。1、2ドル上乗せするだけで、独房みたいな部屋からテレビ付きの部屋に滞在できることもあるのである。ただ田舎へ行ったら、テレビなんてない宿は多い。ほとんど運みたいなもので、万一NHKが見られる部屋に滞在しても、情報は大まかなことしか把握できない。旅に出ていれば、日本語が聞けるだけでもうれしいのだけれど、政治や経済が大部分の情報で、お笑いや音楽や芸術などの文化的な情報は皆無なのである。BBCやCNNやジオグラフィックや海外のスポーツ・音楽番組や地元の番組を見た方が遥かに面白いのだが、日本の情報が知りたいのと、日本語に飢えている。繰り返される海外番のNHKの方を見てしまう。情報量はたいして増えないにもかかわらず。
 
東京に戻れば、もちろんテレビはある。基本的に見たくない番組は見ないし、テレビゲームはやらない。だらだらとテレビを見れば、情報に惑わされて、自分をも見失ってしまうことが分かっているからである。旅に出れば、情報に飢え、東京に戻れば、情報に引いてしまうのである。どちらもないものねだりだが。
 
良く見るのは、ダウンタウンが司会や出演している番組であり、生の代表のサッカー中継であり、少しのお笑いと良さそうだと思った旅、ドキュメンタリー番組である。
 
その中でもほぼ欠かさず見ている番組がある。
 
それを自分の中で黄金の日曜日と呼んでいる。
 
6時からの海外ネットワーク、7時からのトップランナー、7時45分からのあの人に会いたい、8時からの大河ドラマ(義経は見なかった、今のは見ている)、10時からのウルルン滞在記(場所と内容が面白そうだったらたまに)、11時からの情熱大陸である。
 
その中でも、トップランナーとあの人に会いたいはすごくはまっている。トップランナーのこれからという人の素顔をみるのは新鮮だ。あの人に会いたいの説得力のある言葉が胸に響くのである。名前だけは知っている偉大な作家さんはあんな表情をしていたのかと驚く。
 
トップランナーと情熱大陸は内容が少し被っている。僕は情熱大陸よりもトップランナーの方が良いと思うのである。最近の情熱大陸に出てくる人は有名過ぎる。想像がある程度できてしまう。世間一般的には認知度が低くても、各分野で活躍されている人を見たいのである。地味でも頑張っている人を見たいのである。今の所、トップランナーは職業というバリエーションさえも豊富である。
 

ドキュメンタリーとお笑い

コメントをどうぞ

写真を考えたり、まとめたり、行き詰まると、お笑いをたまに見る。
 
ドキュメンタリーとお笑いは、似ている所がある。ベクトルの方向が違うだけで、作者の焦燥や思想などが重なる部分もあると思う。良いお笑いを作る作者は良いドキュメンタリーをも作るに違いない。よくテレビ局社員が報道志望なのに、バラエティーに回されてしまったと聞くが、どちらもできることが関係しているのだろう。
 
ダウンタウンが司会をする番組はもう抜群に面白い。ボケの松本人志の発想と話芸は、他の芸人さんを遥かに超えている。
 
確か「絶対にすべらない話し」と言うタイトルだったか。2、3度見たことがある。毎週ではなくて、単発のこの番組がとにかく面白いのである。即興で笑える話を作り、実際に笑える話をする芸人さんを見ていると、純粋にすごいなあと思ってしまうのである。人前ではあがり性で、どちらかと言えば口下手な自分は。だから話すのではなくて写真や文章を選んでいるのだけれど。番組を見ながら、「うわーはったりやん」と思う時もあるのだが、その全てを時に演じる図々しさも含めて笑ってしまうのである。
 
面白いと思う芸人さんは、ダウンタウンの他に、関根勤、雨上がり決死隊、次長課長、アンガールズ、ヒロシ、笑い飯である。次長課長のボケの河本は今一番の笑いのつぼである。「絶対にすべらない話し」に出てくる人達は今の所全員面白いのだけれど、特に最初から河本のトークのキレが良く、はまって見ていた。詳しくは知らないけれど、推測だけれど、たぶんあの番組を見た関係者が他の番組でも次長課長を引き抜いたのだろう。やっぱり芸人さんは面白い人でかつ頭の回転が速い人が成功する。
 
これもあくまでも独断と偏見だが。お笑い芸人さんで自殺をした人はあまりいない気がする。同じ個人業としての小説家は多い気がするが。お笑いだと他のテレビ関係者やマネージャーと絡む機会が多そうだし、小説家は常に一人だという、比較対称にはならない気もするが。でも舞台に上がる前のプレッシャーやネタを部屋で一人で作る孤独感は、(仕事中とのギャップの大きさと重なって)相当だと思う。背中に付いてまわるプレッシャーと常に闘いながら、何十年も仕事をするのはやっぱすごい。プロ根性というものだろう。それでいて自殺の道を選ばないのは、心がしっかりしているからだと思う。たぶん人にとっての大切な逃げ道というものを作っている。良く言えば、したたかで、悪く言えば、狡賢い。ただ逃げ道を作らなければ、時に自らの命も絶ってしまうだろうから、お笑い芸人さんは人間的なのである。
 
そして、お笑い芸人さんは、真面目だと思う。お笑いに対する真面目さから出たお笑いは確かに面白い。結論は、どんな道も続けようと思ったら、真面目なのが一番なのである。
 
不真面目の中の真面目さもあるし、真面目の中の不真面目さもあるし、そこは人それぞれの個性なのだろう。ここでは頭ガチガチ、勉強ができる、真面目さという意味ではない。
 

フットボール

コメントをどうぞ

フィンランド戦を見た。100点満点中、90点ぐらいの出来だった気がする。
 
小野と小笠原は見ていて安心できる。トラップやパスや体の入れ方やバランスや、サッカーの基本的な動作に長けているからだと思う。何でもまずは基本が大事なのである。小野の吸いつくようなリフティングも、トリックなパスも、小笠原のロングシュートも、基本の正確さから生まれている。基本から芸術なのだろう。
 
中田が戻って来ても居場所はない気がする。サッカーはチームスポーツだから、他の選手と歯車が噛み合わないとまずい。年齢的にもハードなスポーツの28、9歳というのはけっこうきつい。小野と小笠原と中村という年齢的にも脂の乗っている選手を起用した方がいいと思う。小野は華があり、度胸があり、楽しそうにサッカーをする所がいいし、何より結果も残すし。小笠原は地味だが、内に秘めた闘志があり、何かをやってくれそうだし、実際に結果を残すタイプだ。どちらも頼れる感じで、技術的にもワールドクラスだ。怪我をしないことを願いたい。
 
2002年のワールドカップでは日本以外の国だったら、ブラジルを応援していた。ブラジルは楽しんでサッカーをしているし、個性的でクリエイティブでそれでいてチームの歯車が合う、何より強い。決勝の相手がドイツだったのだが、とにかく勝って欲しかった。ドイツのサッカーは強いのだが、機械的で見ていてあまり面白くない。個性的なブラジルが優勝してうれしかったのを覚えている。特にロナウジーニョの個人技と笑いながらすごいプレイをする所と人を欺くような駆け引きが面白くなりそうだ。
 
今年はワールドカップ年。個人的にはワールドカップ時にはアジア旅・撮影は控えたい。少なくとも終わってから、テンションを上げてから、行きたいものだ。2002年は写真の現像所でアルバイトをしながら、日本の祭りなどを撮影していた。充電の時だった。翌年、2003年、2004年、2005年と集中して撮影してきた。2006年は充電時で、2007年、2008年、2009年と撮影しようか。
 
写真家として撮って見たい選手は、小野と小笠原と高原と稲本と大久保と明神である。特に小野はカッコいいし、絵になる。ポートレートで撮ってみたいものだ。

Older Entries