週刊朝日2/10増大号、写真掲載のお知らせ

3件のコメント

先程のコンテストとは別件になります。
 
週刊朝日2月10日増大号に8ページ、写真と文が掲載されています。
 
タイトルは天竺繚乱。南アジアの人達の写真になります。
 
本日もしくは明日、販売店に並んでいます。
 
こちらも時間がありましたら、御覧下さい.。
 
よろしくお願いします。
広告

海外部門特別賞受賞のお知らせ

コメントをどうぞ

第9回ナショナルジオグラフィック日本版「写真コンテスト2005」で海外部門特別賞を受賞しました。
 
ナショナルジオグラフィック日本版2006年2月号に結果発表及び受賞作品が掲載されております。
 
時間がありましたら、御覧下さい。

経験の大切さ

コメントをどうぞ

父親を含めた60代の人達には学ぶべきことが多い。
 
様々な分野に進んでいる人達。
 
名誉や権力や地位や金銭だけじゃない、それぞれの生き方。
 
戦後の混乱の中から、時には汗を流して、時には知恵を絞って生きてきたのだと思う。
 
僕は希望を信じたいけれど、基本的に生きることは苦だと思っている。
(とりあえず29歳の今は)
 
60まで生きることがどんなに大変かが少しは理解できる。
 
年齢が増すにつれ、豊かになる経験が大切なのだろう。
 
たぶん問題を起こした有名IT企業社長はその経験が足りなかったのだろう。
 
20代後半から30代前半の経験値。
 
自分は一応写真家として生きているつもりだけれど。
 
経験から見たら、60代の写真家から見れば、「御子様」にすぎないと思う。
 
何度も考え、何度も動き、何度も金銭を捻出し、何度も写真という結果を残さなければならないのだろう。そうやって少しずつ自分の世界を作ることはもちろん、様々な方に認められていくのだろう。(必ずしも認められるとは限らないが)
 
鬼海弘雄さんという写真家がいる。
 
すごいと思う写真家の一人である。父親と同じくらいの年配の方。
 
カメラマンというよりも写真作家の存在で、かなりいぶし銀と言うか、玄人向けと言うか。
 
たぶん写真を始めたのも遅く、今では有名だけれど、遅咲きの写真家なのだと思う。
 
今日、図書館で昔の写真集を見た。タイトルは「INDIA」、モノクロ写真である。
 
昔も見たことはあったのだけれど、今見ると特に感慨深かった。自分の中の写真に対する意識も変わったのだろう。
 
どれもシャッターチャンスが上手いのだが、特に1982年のバナーラスで撮られたものが今でも記憶に残っている。
 
1999年と2005年にバナーラスを旅したのだが、1982年とあまり変わらないのにまず驚いた。インド゙という奥深い土地だからだろう。
 
その時にあのガートを巡り、写真を撮っていたということに二重の驚きだ。藤原新也さんでも沢木耕太郎さんでも小林紀晴さんでもバナーラスという地は旅人や写真家や表現者にとってピンと来る地なのだろう。
 
鬼海弘雄さんはほとんど写真だけで見せている。
 
それをずっと続けている。
 
「まずは自分を信じるということ」
 
続けることの勇気と経験の大切さを教えてくれる。
 

ONE DAY

コメントをどうぞ

今日もボクシングジムへ行く。
 
ジムへ入ると、出という判子を押す。
 
1月で15回行ったことになる。
 
9月から12月までインドへ行っていたけれど、
 
その分の遅れは取り戻せているような気はする。
 
29歳になると、週4のトレーニングはけっこうきつい。
 
行くのが嫌な時もあったけれど、今月はそう決めたから。
 
過酷な仕事をやっていたら、ジム通いは少なくなるはずだ。
 
来月は目標が少し変わるだろう。
 
20代前半なら、同時に二つのことはできたけれど、今の年齢では体力がついていかない。自分のふがいなさを思うが、しょうがないのだろうか。
 
それにしてもジムへ通っている他の人達は真面目だ。
 
毎日のように来ている人や、50代の方や、女性の方や、有名なミュージシャン。
 
決してお金の利益にはならないのに、トレーニングをする。
 
プロや自己改善や体力向上や汗を流す喜びやハングリー精神や、人によってボクシングをやる目的は違うけれど。
 
様々なタイプ(お金だけではない)の努力家がいる。
 
不安に陥る自分は叱咤激励になる。
 

ないものねだりの宝

コメントをどうぞ

人はないものねだりの生き物である。
 
限られた生の時間の中であれもこれもという欲が働くからだろう。
 
可笑しいと思うのは、
 
ないものねだりと分かっているのに完全に破壊していることである。
 
なくなった後で、また労力も財産もかけて、再現をして懐かしむ。
 
例えば、お洒落スポットの昭和村のような昔の街を再現した施設。
 
それだったら、完全に破壊する前に昭和の良い所を残して置くべきだったのに。
 
昔と今を共存させて生活していくことが大切ではないかと思ってしまう。
 
結局は破壊と創造の繰り返しになっている。
 
あるものを創って、あるものが廃れて、またある廃れたものを創って・・・・・・・・・・
 
案外何でもそうかもしれない。
 
100年後にはどんな平成ブームが来るだろうか。
 
ブームと言ったら失礼だが、ないものねだりの戦争がないとは限らない。
 
マイナスすぎる(ある人にとってはプラスな)ないものねだりは危険だろう。
 

コメントをどうぞ

有名IT企業社長が逮捕された。世間の注目を浴びる事件。
 
話題が集中している所へはあまり関心はないのだが。
 
できれば大多数よりも少数の方を好む。人が集中している中で少し引いた視線というのは忘れたくないものだ。大勢が右へ行くなら、左へ行ってみる、大勢が左へ行くなら、右へ行ってみる。バランス感覚は持ち続けていたい。
 
また話しがそれたが、まず○○○○○と言うカタカナの文字。
 
昔、そのカタカナの文字を初めて見た時はどこかの新興宗教団体かと思っていた。経済的ニュースに疎い自分が悪いのもあるが、何だか直感でそう感じていた。
 
今日、一番言いたいのはそういうことじゃない。
 
インターネットニュースで見ていたら、ある検察官が当事者に「汗水流して働いている人に悪いでしょう」というニュアンスで言った(らしい)。
 
マネーゲームを放置していれば、たぶん国も経済的には豊かになっていけたはず。もちろん違法行為だったということもあるが。
 
マネーゲームを放置しなかったということは日本人の心というか意識というか常識を忘れてないということでしょうか?
 
本当に信用していいのでしょうか?
 
汗水流して働いている人達が報われる世の中になるのでしょうか?
 
将来、汗水流して働いている人達が国や会社の為に急にどん底に突き落とされることはないのでしょうか?
 
真面目で不器用な者が泣きを見る世の中になりませんように。
 
どんなに経済的には貧しくても真面目なことが一番かもしれませんね。
 

マイノリティー

コメントをどうぞ

コニカミノルタがカメラ事業から撤退する。
 
写真を撮る者にとっては気が気でない。
 
デジタルではなくてアナログだからなおさらである。
 
撤退する予兆はあった。確か2002年だったと思う。
 
コニカ製品のフィルムが量販店で一番安かった。
 
通常は高いポジフィルムさえも10本パックで2100円という激安。
 
「森羅」という名前だったのを記憶している。
 
その当時は安いフィルムを好んで使い写真を勉強していた。
 
在庫処分品だから安いわけで、今日につながる。
 
銀塩カメラ、フィルムを使う人達が減少するのでは会社としては成立しない。
 
会社としては当然の考えなのだが、ユーザーとしては不安や恐怖がある。
 
大袈裟に言えば、大多数か否かに世の中がなってしまうのではないか。
 
デジタル派かアナログ派だったら、デジタル派が大多数の為にアナログ派が自分の意志とは関係なくデジタル派に飲み込まれてしまう。
 
少数派はますます生きていくことが難しくなってしまう。
 
僕自身が使用しているのは、ポジフィルムである。
 
モノクロフィルムも使用しているが、デジタルカメラは使用していない。
 
将来を思えば、「絶対にデジタルは使用しない」とは断言できない。
 
E6現像やダイレクトプリントのできる会社がなくなれば、コストが高くなりすぎれば、自分の意志とは関係なく方向性を変えるかもしれない。
 
やっぱりこだわりは失いたくないのだが。
 
アジアの色、匂い、雰囲気はフィルムの方が感じられる。
 
デジタルはどこか味気なく薄っぺらくもしくは鮮やかすぎる。
 
色の深みも足りないのだろう。
 
自分の歩いた現実のアジアがデジタルだと上手く表現できない気がする。
 
デジタルだと暗部が失われるからだと思う。
 
このプログの写真でも原板の暗部がスキャナーを通すことで失われる。
 
例えば逞しいと思われるベトナムの女性の顔が真っ暗になってしまった。
 
ポジフィルム原版の良さがない。
 
その写真を修正することはまた違うと思うのでそのままにしているが。
 
また話しが大きくなるが、何でも暗部というのは大切だと思う。
 
例えば人間でも、明るいだけが人間じゃない。
 
喜怒哀楽や自分が嫌いなもしくは好きな隠したい部分、暗部があるのだと思う。
 
何でも光と影は大切なのである。
 

Older Entries