2005

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今日から暫らく帰省したいと思います。帰省先の父のパソコンが動いたかどうか…。今年ももう終わろうとしている。個人的にはインドへ行けて、無事に戻って来られて、感謝をしている。インドへは行ける人と行けない人がいる。29歳で行けたということが自分にとっての何かの分岐点になるのだと信じている。運命には逆らえないと言うけれど。少しの考えや行動で運命の歯車を少しは良くできるのだと思う。来年はより良い年でありますように。良いお年をお迎え下さい。
 
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TIMEISBEAUTIFUL

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時間を得ようと思ったら金銭が足りなくなり、金銭を得ようと思ったら時間が足りなくなる。人って本当に上手くできていない。どちらを重視するか?人それぞれだと思うが。これからますます時と金のバランスを考える流れが来るのだろう。有り余るほどの金を持っていても、時間がなければただの紙切れだし。有り余るほどの時間を持っていても、金がなければ何も行動できない。会社員になれば流離うほどの自由な時間を求めたい、フリーになれば一定の収入と安定を求めたい、ないものねだりでごく個人的な体験だ。僕は時間を金銭よりも重視している。そうでなければ旅をしたり、写真を撮り続けようとは思わない。経済的な流れを基準にしてしまったら、とても非生産的な行為。それでもやり続けようと思っている。写真を続けるようになって時間の大切さを実感している。人生はたかが長くても100年。たった100年ですよ。人生という砂時計はあまりにも短すぎる。先にはよく分からない死がある。永遠の命があるならば、普通に暮らしていけるのだろう。大きな死を考える時、人は循環しているとさえ思ってしまう。過去の人達にはよりリスペクトしたい。例えば住居やテレビや暖房という恩恵を授かっている。自分だったらカメラ、フィルムという大切な物を。自分の身さえも、過去の人達のDNAや魂を抱えているのではないか。父や母や祖父や祖母やその前の顔も知らなくて申し訳ない先祖達や。そう言いながら忙しさと面倒臭さに怠けて墓参りもロクにできていないという反省と矛盾を抱えている。2005年が終わろうとしている。1945年の終戦から50年。アメリカに負けて原爆も落とされ言いようもない怒りや悲しみの被害者の部分もある。一方でアジアでは自国を誇張する余りの逃れなれない悲惨な加害者の部分もある。どちらも非人道的だ。今では政府軍と反政府軍の関係がある。今でも知っているだけでイラクが戦争をしている。何で人が人を殺したのだろう、殺すのだろう。これじゃ共食いだ。愚かすぎる。1603年からの江戸時代、1868年からの明治時代。明治時代の前には同じように同じ民族で戦争をしていた。たった約140年前の出来事。そんなに長い年月ではない。そう考えると2000年という歳月さえあまりにも哀しみの連続で個人的には短い時間と思ってしまう。一方で今のこの国は今の自分は恵まれているのだろう。競争社会やストレス社会や情報細分化社会や人的機械的誤作動社会や人災天災可能性社会や不透明社会な部分もあるが。不安な部分もあるが。嘆くよりも哀しみをふまえチャンスととらえたい。人生たかが100年。「何ができるのだろう」「何を残せるのだろう」。どのくらい生きたかというよりもどのように生きたかということが大切だ。限られた個々の時間は貴重だ。限られた時間の中での想像は重要だ。想像の中での表現は大切だ。TIME IS BEAUTIFUL、イマジン IS BEAUTIFUL、表現 IS BEAUTIFUL。こう書くと偽善者にもなり、宗教家にもなり、難しい所だが。想っているのは事実だ。世界が平和でありますように、日本が平和でありますように、自分が平和でありますように。何もかもが全て上手くいきますように、幸せになれますように。求める人間と桃源郷(故郷)。

土から土へ

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「そんなに写真を撮って疲れないですか?」「そりゃ、少しは疲れるけれど。。。」楽しみと疲れのバランスは微妙だ。やりがいや楽しみが延長してしまうと疲労感になることもある。人って本当に上手くできていない。「土からうまれて土へかえる」というものがある。大きな意味で人の理想形なのだろう。タイでもカンボジアでもラオスでもベトナムでもバングラデシュでもパキスタンでもインドでもネパールでも田舎の人達は表情が豊かだ。農業に携わっている人が多いと思うが。都会育ちの者にとって、「これが幸せって奴か」と思うこともある。貯金(お金)があるかと言えばそうではない。自給自足がほとんどだと思うが、食べる眠るという基本的生活の有り難さ、労働の喜び、家族の大切さ、生きることの幸せを感じているのだろう。もちろん人はないものねだりの生き物だから、田舎の人でも都会に憧れる人はいるだろう。日本という都会育ちの自分が田舎で暮らせるかと言ったらなかなか難しい。都会の快適さも知っているから。これは知っているか知っていないかの問題だと思う。一生農業に従事し、何も知らないで別に知ろうともせず、自然に土にかえれば幸せなのだろう。じゃあ、自分は?と言われたら難しい。快適さと同時に都会の見えない恐怖や旅行会社の忙しさや違うものを求めて長旅をするバックパッカーやアジアの光と影、田舎で生活する人達やゴミの山で生活している人達や宗教を自分の上に置く人やしょうがなく物乞いをしている人などを知っているから、知ってしまったから。写真家として何ができるかと言えば、そんなに大きなことはできないけれど。伝えるというか、知らせるというか、表現することが大切なのだと思う。とりあえずやってみるということ。これから30、40、50、60代となっていくに従って考えも価値観も変わる可能性はある。どんな時でも常に今の自分を出しきりたいものだ。都会の生活や写真の世界もまた厳しい。ある程度は社会に揉まれ、人の渦に流され。時には逃げたり、闘わなければ(暴力ではなくて表現で)ならないだろう。今思うのは、都会の生活は何もしなければ自然と流れて行く。じっとしていて幸せに過ぎて行けばもちろんそれが理想形だ。今の世の中はもうそういう流れではない。じっとしていたいのに、ひょんなことから被害が出ることが嫌な思いをすることがあるから。大学を卒業して、会社に入り、恋愛やぎくしゃくとした人間関係やリストラや旅先でのテロや事故の恐怖などを知っている者の一人として。人生のどん底を何度か経験している者の一人として。もうじっとしているのは嫌だ、とりあえず動くしかない。そして度々思うのは、人はたくさん集まると舵が取れない。個人個人は良い人ばかりなのに、組織(集団)になると悪い方向に向かってしまうことがありうる。一部の国や一部の会社の不祥事や一部の集団心理の行方は。顔が見えない組織の落とし穴だと思っている。個人なら悪い方向に行ったら、すぐに修正ができる。小さな舟は臨機応変にケースバイケースに動くことができる。「土から土へ」は旅をした自分の教訓である。結局はそれが理想形なのだろう。とりあえず35歳まで写真で頑張るようにして。どこかで見切りをつけたら、例えば60ぐらいまで生きられることができたとしたら。家族もいなくて、自分だけしかいなくて、時や運や金のタイミングが合えば。その時は田舎へ行こうか。まずは体が動くうちに何でも見たいものだ。吸収できるものは吸収する。最後は「土から土へ」

また、今日から

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下北のボクシングジムへ行ってきた。複々線になって、味のある商店街も潰されるのだろうか。どこか寂しい。約4ヶ月ぶりのトレーニング。まだ一年ほどと経験も浅くどこかぎこちないけれど、暫らくは続けたい。旅に出ると、体力も使うし、筋力も使う。日本で怠けると絶対にツケがまわってくる。フィットネスクラブも当初考えたが、何かしっくりこない。だったら近くに遊歩道があるし、そこを走った方が良い。ランニングマシーンもネズミのように見え、走らされている気がして合わない。実践が一番。防衛にもなるし、独学では型は身につかない。ボクシングは奥が深い。プロボクサーは天国と地獄、栄光と挫折、人生のプラスとマイナスを知っている。幸せだけじゃない、笑いだけじゃない。悲しみを知りながらの喜びがある。忘れたい過去やどこにぶつけて良いのか分からない怒りや泣いてしまうほどの感動や苦痛が消えないほどの不安や一寸先は闇の恐怖や夜も眠れないほどの孤独もあるだろう。全く一緒ではないが、共感できる。様々な出会いは貴重だ、感謝だ。だが頼りすぎることもできない。時に自分を追いつめ、結果を残せたことの喜び。社会と少しでも交錯できたことの、できるのだという感無量。誰からも愛されていないのではない。コツコツと努力して、一日一日を大切に生きていくのだ。また一から鍛えたい。少なくとも半年は海外撮影のメドはないが。いざという時はあるかもしれないし。その間に東京でも撮ることはできるし。これも全ては写真につながっているのだと信じている。あくまでも写真中心だが。静かにサンドバックを叩く。機を伺いたい。

心と体

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心は前に向かっているのに、体が付いて行かないことはありませんか?高校は野球をやっていて、大学は少しサッカーをやっていた。旅行会社にいた時もフットサルに参加していた。普通の人よりも体力には自信があった。しかし、体力の安全神話崩壊である。26、27歳の時は良かった。28、29歳とここ最近、衰えを感じる。20分間楽々走れたのに、10分で息が切れる。運動した翌日の回復が完全ではない。所々に筋肉痛さえ感じる。心のあり様も微妙だ。何て言ったら良いのか、出るのはため息ばかり。不安と焦燥と希望のバランスが複雑だ。29歳と言う年齢が絶対に関係している。青年でもなく、これから中年期へと差し掛かる時期。もちろん30代と言ったら人によってはまだまだ若いけれど。社会的な地位とか貢献とか将来とか自分自身とかをどうしても考えてしまう。知り合いで二人の29歳に会ったことがあった。2,3年前よりも疲れていたことを覚えている。今の自分に会う方がいたら、前よりもきっと疲れているのだろうと想像できる。たぶん、来年になれば30になれば、ある種の開き直りが出てくると思っている。「今の自分は何がしたいか」「今の自分には何ができるのだろう」は常に思っている。ただ年と体力には勝てないから、ある程度は妥協に妥協を重ねてしまうのだろう。少しはもがいてみたいとも思っている。ここ3年間は集中して海外撮影を行っている。後これを5年間、10年間続けたら本物だ。意地はあるけれど、続けて行ける自信も保証もないと言えばない。2003年のゴミの山や2004年のバングラデシュや今回のインドやどちらかと言えば汚い所に足を運んできた。自分の中で汚(一見マイナス)の中の美(プラス)を求めていたからしょうがないのだが。たぶん気管、肺系統はそんなに良くない(ひどくはない、煙草は吸わないからこれでゼロかも)に違いない。病院は信じていないし、今の所行く気はない。倒れそうになったら行く。旅先で何が起きるかは分からない。動物写真家が動物で亡くなられるように、報道写真家が報道で亡くなられるように、アジアの写真家がアジアで亡くなることはあると思う。事故やテロや人災や天災で。東京にいても不安なのに、海外に出ればなおさらだ。今の時代は2001年以前と違う。不安が何重も重なる世の中だけれど。僕はこう思っている。人災や天災という運で死んだのなら後悔はあるが諦めがつく。ただそういう死に方の前に頭と体と心は使いたい。魂は浮遊するが、体は借り物かもしれない。誰の体なのか?と。せっかくの頂いた体。鍛えて死にたいというものだ。自分を出しきりたいというものだ。僕は五体満足で生きている。感謝しなければならない。いわゆる作家というもので体が満足しないあまり自殺に走ることは少なくない。心と体はどこかで直結しているのである。もうそろそろ再びボクシングジムに通おうかと思っている。いつ死んでもいいように(自殺以外)、今までの写真もまとめなければ。凡人だから上手くまとめられるか分からないけれど。とりあえず自分の想いを伝えなければ。ここで死んだら生き急いだということになるかもしれないが。ここで死んだらあまりにも悲しすぎる。成仏できない。自分でまとめて自分が生きている限りで社会的評価も受けたいものだ。運からしたら、悪いもがきである。

YESのない答え

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写真をどうまとめるかが難しい。最初は旅人だった。撮ることしか知らなかった。アジアに通い、写真を撮り続けるうちに、写真を学ぶうちに、まとめることの重要さを思う。自分の引き出しに入れたままでは社会性はない。「どうやったら少しは幸せになるのだろう」「どうやったらアジアの良し悪しを知ってもらえるのだろう」「どうやったら自分の世界観を少しでも理解してもらえるのだろう」「どうやったら時代性を獲得できるのだろう」と様々な思いが交錯する。写真で社会に認められたくても認められないことはある。こればかりはしょうがない。いろんな出会いや運や時の流れがある。ある一時は認められてもすぐに忘れ去られてしまうことがほとんどだ。たぶん僕みたいな中途半端な位置の写真家は多いに違いない。何でもそうだと思うが、自分の道を信じるしかないと思う。やってみてダメなら仕方ない。後悔するよりはましだ。とりあえず35歳まではあきらめず続けていきたい。旅行会社も辞め、恋愛もできず、もう逃げたくない。写真からは逃げたくないのである。まとめることははっきりとした答えはない。写真と文章で複雑なパズルと一緒だ。でもYESのない答えが写真の魅力なのだろう。醍醐味なのだろう。答えは人それぞれにある。悩んでいても、何かの拍子にひらめくことがあるし、不思議なものだ。今回の写真はとりあえず4通りのまとめ方を考えている。写真を組んでいって自分の中での完全形を求めたい。社会に認められるか認められないかは知らないけれど。勝ち負けのない勝算はある。信じるしかないのだ。

顔INDIA

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インドの写真を見ていると、魂が揺さぶられる。インドと日本には温度差がある。インドが剛で熱くものごとが進んで行くなら、日本は柔で少し冷めた感じで進んで行く。東京に住んで10年目、アジアを旅して8年目になろうとしている。人はないものねだりの生き物で自分もまた同じだと思っている。どちらも好きで嫌いだし、東京にずっといると新鮮な呼吸を求めてアジアへ行きたくなる。アジアに長くいると日本を恋しいと思う。僕は日本で産まれ、日本で育ち、日本で生活している。そしてこれからもここで生きたいと願う。僕に祖国を悪く言う資格も身分もない。ただ子供の時の幸福感は今はない。時折少年時代(小学生まで)に戻りたいと思うことがある。両親とも共働きだったけれど、ずっと平和が続くような安心感があった。少年ゆえの無知はあるが。東京へ出て来て地方者ゆえのコンプレックスもある。未だに馴染めない部分もある。インドの印象は強烈だ。何でインド人は哲学者的な顔をするのだろう、何でインド街は劇場と化すのだろう。ある写真家がインドは何でも絵になると言ったが、間違っていない。インドの過酷な風土が人も街も個性的にさせるのだろう。何度も帰りたいと思うことはあったし、日本人のプライバシーに入られるとカチンとくることもある。旅自体(滞在型ではなく移動型の旅)は過酷だが、写真は生きてくるのである。撮影者が厳しい状況であればこそ、写真に力が出るという考えは正しいように思う。アジアの一般的に貧しい人達の表情は豊かだ。目が生きている。僕は日本では低所得者だが、アジアでは恵まれてしまうという矛盾や複雑な気持ちはいつも感じる。でもいわゆるお金持ちには撮れない写真があると思っている。僕は野良犬の目になり、物乞いの指となる。プラスの部分もマイナスの部分も写真を撮る者としての本能で写したいものだ。自分をないがしろにしたボランテイア精神はないと思うが、まずは自分の土台をしっかりとさせて、ゆくゆくは何らかのフィードバックをしたいものだ。非国民の罪悪感は消えないが、写真という形で社会にも認められたいし貢献したい。賛同と批評の目と。あきらめず写真を続けるしかないのだろう。今の気持ちは暫らくはアジアよりも日本にいたい。

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