インドへ

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2005年9月2日からインド・ネパールへ。戻ってくるのは、12月中旬頃になるでしょう。約100日間の旅、そして撮影。「何故、インドか」と心に問いかけてみれば。1999年、大学4年生の頃、約2ヶ月間かけてインド・ネパールを旅した。その頃は、コンパクトカメラのみで写真としては残らなかった。でも、記憶として確かに存在する。今度は写真として残したい。表現したい。自分の中での6年越しのリベンジである。正直な所、どうなるかははっきりとは分からない。希望よりも不安の方が大きい。フィルムが盗まれる可能性もあるし、何よりも自分が痛い目に遭うかもしれない。それならそれでしょうがないと思っている。運命というかタイミングというか時の流れというかそういうものには逆らえないと思うから。藤原新也・沢木耕太郎・遠藤周作・横尾忠則・長渕剛。現世に生き様を残す表現者にとって、インドは避けられないと思う。人それぞれインドに呼ばれていると思うタイミングがあるに違いない。刺激があり、生と死があり、俗と神があり、日本ではまかり通らない混沌と非常識があり、人間と街の個性と色がある。日本が正しいのか、インドが正しいのか。視点を変えれば、どちらも正しいと思う。インスピレーションが働く。働くことを願う。僕にとってのインドは今なのだ。ブッダは確か29歳で出家したのではなかったか。詩⑥「ゼロ」インドへ行く、29歳の自分。時には逃げ、時には闘い、時には修行して、どこまでもぶつかっていく。迷いはある、不安はある、それでいいんだ。今までの自分を破壊して、創造と破壊を繰り返す。成長したいと想うココロ、自分は弱い人間だから。カメラというペンという人を殺さない武器の力を借りて、自分と世界の平和を願う。僕のやっていることは弱い人間のもがきかもしれない。それでいいんだ、それでいいと思う。インドへ行く、自分は日本人。日本は好きで嫌い。ゼロに戻る、ゼロから始める。
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29

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29歳になっている自分。29という年を通過する誰もが想っていることだろうか。何か特別な響きを持って聞こえるのだ。そして、実感としてある。そわそわとして落ち着かない時もあるし、心は先に行っても、体がついていかない時もある。僕にとっての29は、僕にとっての分岐点である気がする。詩⑤「MY LIFE」そんなに長く生きられない気がする。公務員ではないから、サラリ-マンではないから。国にも守られていない、会社にも守られていない。恋人もいない、本当の友人も少ない。フリ-の写真家で生きようと決めたから。安定もないし、収入も少ない。30代まで生きられたら、喜ぼう。40代まで生きられたら、喜ぼう。50代まで生きられたら、喜ぼう。もっともっと生きられたら、もっともっと喜ぼう。そんな人生も悪くないネ。一日一日を大切に。一年一年を大切に。そんな人生も悪くないネ。

GOD

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「神=GOD」マイケルジョーダンはバスケット界でそう言われた。長嶋茂雄は天覧試合で神がかりな仕事をした。誰もが皆、少しでも神に近づきたいのではないか。神という名の決して超えられない存在。バスケット選手がバスケットをするのも、野球選手が野球をするのも、ボクサーがボクシングをするのも、ミュージシャンが歌を歌うのも、小説家が文章を書くのも、画家が絵を書くのも、お笑い芸人がお笑いをするのも、俳優が演技をするのも。神というと宗教的な感じになってしまうが、言葉を使うと神という名の死の匂いのする無限な宇宙のような無であるどこまでも大きな運命的存在。言葉があるから言葉を使うわけで、言葉では言い表せない結局ははっきりとは分からないもの。写真家も神がかりな写真を撮りたいと願う。詩④「ミエナイ力」どんなに偉い人でも。天皇でも、大統領でも、大臣でも、芸能人でも、芸術家でも、社長でも。誰にも分からない流れがある。目に見えないチカラ。

弱いと思うココロ

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ある格闘家は言う。「僕は弱いから格闘技をやっているんだ」。ある力士は言う。「土俵に立たなければ始まらない」。そうなんだ。弱いと思うから強くなりたいと願う。ないものへ憧れるんだ。強くなったら、また何か違うないものへ憧れる。上手くできている。決して満足しない。何でもそうかもしれない。貧しかったら、豊かになりたいと願う。豊かになったら、また別のものへ憧れる。僕は弱いと思う。だから写真を撮り続けたいと思う。写真という土俵に立たなければ始まらない。写真家であり続けたいと願う。認められても、認められなくても。詩③「心のくぎ」あの子は僕のことを好きじゃないと分かったから。好きになることはないと思うから。心にくぎを刺した。決して抜けないように。深く、深く、どこまでも深く。

国境線

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人にはそれぞれどうしても言えないことが一つはある。親しい友人にさえも、恋人にさえも、父と母という家族にさえも。自分で処理し解決するしかないのだ。まずは自分の心と頭の中で。次に誰が見ることもない日記の中で。そしてこのプログという見ることがありえるものが存在する。「誰が見るか分からない」ということは正直な所少し不安でもある。本名で作っているし。ただ、全てにおいて透明人間にし、カモフラージュすることの方がとても不安な気がする。どうしても第一線の国境線は書けないかもしれない。でも、できる限り本音を書きたい。自分の想いを自分だけで止めておくのは寂しいものだ。知らない人が見てくれて共感してくれたらうれしい。まして知っている人が見てくれたらなおさらうれしい。詩②「MEMORY」安宿のきしむベッドの上に横たわっている。ミッドナイト。ファンがぎこちなく回る。ヤモリが奇声をあげる。蛾がランプへ。うつろな目で追う。人の顔をした壁が黄金色。もう一時間で本当の闇が支配する。僕は誰かを待っている。誰も来ないと分かっているのに。子供の記憶。父と母の赤い糸。  

表現者

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1998年からアジアへ旅するようになった。それまでは国内。マウンテンバイクにテントを積んで北海道を走ったり、九州の最南端へ電車で行ったり。それらの延長としてアジアがあった。「世界を見てみたいという欲求」「自分は何者なのか」という心の底からの感情はいつもあった。そして、今もある。「自分は何者なのか」という答えは、はっきりとは分からない。だから、今も旅をしている。写真を撮っている。この記事を書いているのも分からないことを少しでも分かることに近づきたいアクションの一つである。 旅にカメラは欠かせない。最初はコンパクトカメラだった。その時はそれで十分だった。「旅に出ているんだという現実、喜びと悲しみを含めて」目の前にある無数の道をどこまでも行けるのだという自由、今の日本に失いつつあるどこか懐かしい風景。旅のおまけのような記録としてカメラは存在した。 旅を繰り返し、日本での生活を繰り返し。写真の現像所でアルバイトをしたり、写真集を見たり、写真展に足を運んだり、写真を独学で学んだ。子供の頃の良かった思い出や逆に嫌な思い出、もう戻らない学生という時間やその頃の友人、会社の束縛した感覚やリストラ、好きな人にフラれたり、恋人のような恋人ではない人との別れ。写真と旅と人生が絡み合い、写真で表現をしたいと思うようになった。ある街を旅する。ある人に出会う。自分のフィルターを通して、世界や己を表現したいのだ。喜びや怒りや哀しみや楽しみ。孤独と不安と希望。 後、数日で29歳を向かえる。本当にやりたいと思える、生き様を示したいと思える、写真で勝負したいのだ。認められても、認められなくても。「今の僕は幸せじゃないと思うから」「今の世の中は幸せじゃないと思うから」僕は幸せになりたい。世の中も幸せになって欲しい。社会貢献をしたい気持ちもある。ただ、自分をないがしろにしたボランティア精神はない。しょうがないのだ。生きる為にはお金や打算が必要で、今の世の中で、日本で生きていく為には仕方のないことなのだろう。だからこう思う。自分も成長して、社会も成長する。人間は欲で生きている生物だから、逃げ場所を作るのだ。でなきゃ死ぬしかない、死んではだめなんだ。生きろ、生きろ、生きまくれ。自殺ではなくて。運命が導くその日を待つまでは。 詩①  「弱者の武器」 自分は弱い人間。ボクサーは素手。打者はバット。狩人は弓矢。武士は刀。スナイパーは銃。小説家はペン。写真家はカメラ。自分は弱い人間。

プログ立ち上げ

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アジアの写真を撮っている武藤弘司と言います。まずは簡単な略歴から。フリ-の写真家をやっています。正直な所、それだけでは生きていくことができません。今は警備員のアルバイトをしながら活動しています。このプログで写真家の活動はもちろん、喜びや悩み、希望や不安を詩を交えながらできるだけ素直に表現したいと思っています。よろしくお願いします。略歴1976年名古屋生まれ 2000年専修大学法学部法律学科卒業 1998年よりアジア各地を旅する 2003年第4回上野彦馬賞受賞http://www.ip.kyusan-u.ac.jp/hikoma/index.html 2004年個展「ストリートで生きる子供たち~Cambodia~」コニカミノルタプラザ東京開催 【コレクション】清里フォトアートミュージアム http://www.kmopa.com/