元気でやっています。

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どうもこのブログは、変わってから、使い勝手が悪くなった。

新規に書き込むにも、分かりにくい。

恐らく、マイクロソフトから引き継がれて、

日本語のできるスタッフが少なくなったのかもしれない。

利点と言えば、英語で書かれているものが

多いから海外に長期で滞在するには、

良さそうだ。

2,3ヶ月も空くと、全て削除されるかもしれないし、

気が向いたら、更新したい。

日本にいる間は、

写真紹介先ブログに日々の日記も書いています。

よろしくお願いします。

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ボクシングジム通いを再開

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今日は7月から休部していた下北沢の金子ジムへ練習を再開しに行って来た。全部で17R練習し、久しぶりの飯田トレーナーのミット打ちとその後のサンドバックはしんどかった。充実感はある。旅先では大量のフィルムを担いでいるし、9月下旬に日本へ戻ってからお金のかからないロードワーク、懸垂は続けていたので、筋肉・体力的にはまだ大丈夫だった。ミット打ちの久しぶりの無酸素運動はきついが。

毎年2,3ヶ月アジアの撮影旅に出て、残りの約10ヶ月は日本でロードワークをしたり、ジムに通ったりしている。

これを6年間繰り返している。カメラマンや写真家としては、異色かもしれない。

一応自分なりの考えがあって、写真家は写真を撮っているだけでなく、様々な経験が必要だ。カメラの性能云々ではなく、まずは肉体と心というハードを維持したり、磨くことが大切だ。そこから、写真が生まれる。

弱そうに見えて実は腕っ節が強かったり、旅を続けていると本当の強さを手に入れたいと思う様になる。今まで見て来た負の光景のバランスも保てる。アジアの貧しい人の気持ちも忘れない様にしたいし、いつもいつも旅先にいて「今度も日本へ無事に戻ったら、またトレーニングをしよう」と思ってしまう。

なかなか生活は安定しないが、動くことで自分をコントロールできるし、いつか必ず生きて来ると信じている。写真を撮ることは運動だが、写真をまとめたり・考えたりするのはインドア作業だ、東京へ戻ってそれだけだと鬱になる。何か運動しないと・・・。自分が良かれと思って撮り続けている写真でも、大衆の人気を得られるとは限らないし、もう1つの強みは必ずいる。

また定期的に通えたら、通いたいものだ。

年相応のもの

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たいてい今頃は長期の撮影旅に出ていたので、この時期に日本にいると新鮮である。7月~9月の雨季のインドはもっときつかったが、早めに行って良かったと思う。旅に出ている毎年2,3ヶ月間の日本の情報は12年間空白である。たまに~年の~月の音楽ランキングを見るが、たまに浦島太郎状態になる。

この時期に日本にいたお蔭で、中日の日本シリーズ進出がテレビで見れた。最近はプロ野球はあまり見なくなったが、野球もサッカーも地元チームを影ながら応援している。立浪、パウエル、落合、山崎の時代も最高だった。今のチームは知らない人もいるが、落合は監督だし、堂上は昔の堂上選手の息子さんだし、時代の巡り合わせを感じる。是非、日本シリーズでも勝って欲しいものだ。

最近気になっている人は、戦場カメラマンの渡部陽一さんだ。とにかく最近良くテレビで見る。旅に出る前は顔ぐらいだけだったが、戻って来てわずか2,3ヶ月間でブレイクしている。今年一番のブレイクした人だと思う。

今日、「ウチくる」を見たが、もっと濃い内容で素直に面白かった。もっと好感が持てた。気を使ったり、物腰が柔らかかったり、腰が低い人は好きだ。部類は違うけれど、同じ写真に人生を賭けている者にとっては、(賛否両論もあるだろうが、)僕の場合は多様性のある生き方があればいいと思うので、有りだと思う。

最初テレビで見た時や、戦場でのエピソードは、自分と似ている部分もあると思った。とても共感できる所だろう。東南アジアに嵌っていた前まではベレー帽を必ず被って毎年2,3ヶ月の撮影旅に望んでいたし、絵画をやっていた祖父の形見のハンチング帽を被って写真を撮っていたこともある。短期決戦の戦場のことはよく分からないが、長期決戦のアジアの撮影旅では、2,3ヶ月もすると日本から被っていた帽子がすぐに駄目になる。眼鏡などの身に付けるものは1度の旅で黴が生えやすくなる。イスラム圏、シーク圏の街では髪の毛を覆うものは必需品であるが、イスラム帽か、臨機応変にバンダナを身に付けるのがベストだ。目立たなくするなら何も被らないのもいいし、インド圏の人達はとにかくよく気付くし、自然なスナップを狙いたい時は苦労する。毎回長期の撮影旅に出る前は、遺書めいたものを書いている。当時好意を抱いていた人に遺書めいた手紙を送ったこともある。もうそれは戻って来るとかなり恥ずかしいので止めにしているが。

戦場カメラマンと旅を主体とする写真家は素人から見たら同じ様だが、いろいろと違うことも多い。まずは旅の長さとスタイル、考えと求めている被写体、金銭とリスクなどだろう。写真家は、2,3ヶ月の長期の旅を続けて、理想の写真を撮り続けていく。たった2,3週間だと撮りにくい。長期になれば自然とバックッパッカーの様になるし、もっと生活や現地の人の表情に入っていく。構図や色や魅力的な写真に気を付ける。ガイドは付けないし、極力陸路で向かう、基本は一人だ、群れない。自分の理想の行動と写真が撮れない様な戦場なら今は行きたくない。

戦場カメラマン(戦場写真家とまた違うと思うが)だと恐らく数週間だろうし、求めるものももっと激しくニュース性のあるものだ。瞬間の心構えもリスクも上がるし、必要な一日の経費も上がる。コネなども必要だし、時に危険がお金で買えたりする。欧米の戦場カメラマンは選球眼も構図なども上手いが、日本の戦場カメラマン一般はいまいちという印象もある。

戦場カメラマンはその場所に行くだけでも今の自分にないことだし尊敬するが、広いスパンで見れば、あまり変わらない気もする。旅が数ヶ月に及べば本人の心構え次第で、金銭もリスクも覚悟も戦場の様になる。時代や運命によっては、パキスタンなどのその時行った所が戦場の様になる。アフガニスタンは旅の写真家でもいつか避けて通れない道だが、従軍しないと行きにくい現実がある。最近はアメリカ兵しか写っていない写真がほとんどだ。

結局は、撮り手の性格や今の思想やスタイルであって、どんな写真の道があってもいい。自分が納得するかだ。

写真家として冷静に見ると、たとえ戦場カメラマンでも、雑誌媒体は不況で動画やテレビなどの他の媒体に行かないとそれだけでは食っていけないということだ。日本はフリーの形態で得体の知れない者だとあまり好ましく思われたりしないが、何かに所属していると、好転したりするからくりがある。

残念なのは、本人の個性が際立つだけで、写真は広まっていかないという日本の土壌がある。そこら辺が写真家としてはもどかしい。「目立ちたいけれど、目立ちたくない」こういう自分はどうしたらいいか迷ってしまう。

恐らく、年相応のものやその時背負っているものもあると思う。もっと旅や写真を続けていたり、結婚や子供も出来ると、別の世界も考えたりすると思う。結婚や子供を作ると、大衆の人気以外の写真そのものの出来は落ちていくというのは少し持っている。難しい所だ。

もう1つ気がかりなのは、渡部さんの様な戦場カメラマンだと、テレビで写真家として第三者で見ていても、バラエティーと戦場という表と裏の過酷な現場の繰り返しだと、本人がよほどしっかりしていたりコントロールしないと、いつか崩れたり思わぬ落とし穴が潜んでいる気もする。渡部さんがいい人で今頑張っているだけに気がかりなのである。次回の戦場の時に、別の厳しさの反面甘い蜜を吸うと判断が誤ったり、時に命に関わらないか心配なのである。逆に戦場に行きたいという信念がブレないか心配なのである。何か、どうも今の勢いを見ていると、いつか戦場で散ろうという覚悟を感じてしまうのは自分だけか?

長期の撮影旅と実社会でもだんだん整理が付かない時があるのは、僕が小さすぎる人間なのか・・・、時が解決してくれると信じるしかない。

着眼点

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「自分の撮った写真は受け入れてもらえるのだろうか?」写真家にとっては、常に降りかかって来る問題だ。写真を歌や演技やスキルなどに置き換えてみても、生きている者にとってはたいてい当てはまる。

舞台やコンサートでも、愛知県民の目は良く肥えていると言われていて、確かにその通りだと思う時がある。

実家は名古屋にあり、20歳ぐらいまで名古屋で暮らして来たし、そういう土壌は自然と身に付いて来たと思う。歌手なら、売れているよりも、歌が上手かったりする方がいい。演技も、劇団上がりのいぶし銀の俳優の方がいい。東京に出て来て14年になるが、ここら辺の着眼点が東京と違うと思う時がある。食文化でも、味は濃い方がいい。見た目は茶色っぽくていまいちでも、味が美味い方がいい。

自分は旅や写真を続けているが、旅ならアジアの様なディープな所がいいし、写真のプリントなら濃い方がいい。絵画も水彩画よりも油絵の方がいい。

ここ数年前から特に写真でも淡いものが気に入られている様だ。写真のインクジェットがいい例だ。もう10年もすれば、濃いものが人気が出て来ると信じているのだが。そうじゃないと、続けていけない。

結果よりもまずは過程が大事

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インドから戻って来て数ヶ月は、神経がそのまま張り詰める時がある。東京の社会のいい所と同時に嫌な所も見えて来てしまう。

元から一度その道のレールを外れた人間には日本社会は厳しい面を持っているが・・・。欧米社会は詳しくは分からないが、様々な経験がマイナスとなったりする。

不況は身近な野菜の高騰でも、派遣業者の現状を見ても、出版業界でも、ますます厳しくなっている。写真家や、長期の旅行者だけでも、恐らく帰国子女の様な人間にも、いったん外の世界に出たら、ますます生きにくい世の中になりつつある。

上に立つ人間の政治家を見れば明らかだが、人の弱い所に付け込んで、さらに弱い人を見つけて、お互いを潰し合っている。人というのは、どこかで弱者を省いたり、目の敵にしたり、自分を優位に立たせる性質があるが、特にここ数年は顕著である。

「何故、全員が幸せになろうとする社会を作ろうとしないのか?」

政治家なら本来、自分の身を削ってでも、時代に生きる様な器のでかい人がいるべきなのだが、何だか自分の身を守ってばかりいる。顔や表情にそれが出ている。

生きにくく思うのは、法律や規則で社会全体が雁字搦めになっている点もだ。何だか社会全体が一見正統的に見える規則を張り詰めているが、結局は、会社が会社自身の首を、社長なら社長自身の首を、社員なら社員自身の首を自分で絞めている。その下で働く、契約社員、派遣社員、パート、アルバイトは、さらに足枷も嵌められている。

直感的にも、何だか日本の社会全体に余裕がない。大きい結果なんてすぐに出るもんじゃない。ノルマだとか、売り上げだとか、目先の利益だとか、大きい結果をあまりにも早く求め過ぎている。本来なら、大きい結果はいうに及ばず小さい結果よりもまずは過程が大事なはずだ。いい写真を撮ること1つにしても、1,2週間じゃすぐ撮れない、最低数ヶ月はいるし、地を這う様な旅をしないといけない。行くまでの準備期間で1年以上はいるし、いい写真を撮って何とか小さい結果は得たとしても、すぐに大きい結果なんて訪れない。それでも、満足行くまでに、過程や小さい結果を何年も続けないといけない。小さい結果だけでは、お金なんて稼げない。死んでから報われるかもしれないし、大きい結果なんて死んでも来ないかもしれない。過程と小さい結果の積み重ねが大事なのは言うまでもない。

自殺者が年々増えているが、後10年後には、今の社会を修正しないと自殺者10万人になりえる。効率性や利便性や経済を多少犠牲にしても、もっと多様性のある社会にしていけばいいのに、数年前から今向かおうとする将来のゴールはもっと大きく外れている。今のままだと弱肉強食社会になり、思想が偏ると共産主義になってしまうが、理想かもしれないがもっと中立的でバランスのいい社会になるゴールがあるはずだ。

働く人はおろか、生きている日本人の顔が見えなくなっている。芸能人だけ顔が見えて、一般の人は見えにくい。いつでも話せる携帯や、いつでも送れるメールが浸透したものの、なかなか緑のボタンなんて押したくない感覚だ。急がしそうで電話を掛けにくい、遠慮してしまう。会社1つにしてもそうだし、社会全体が余裕がない気がする。都会の孤島であり、世界の辺境を旅していてもあまり変わらない。辺境を旅していた方が、生きている実感が沸く。

芸能人でもたとえ一部は顔が見えたとしても、苦労している人は山ほどいる。韓国でも、日本でも、芸能関係者の自殺があまりにも多い。テレビでは一見明るく見えたゴールデンタイムのお笑い芸人でも、朝の看板アナウンサーでも、言えないだけで、恐らく心の闇を抱えたりする。目に見えないプレッシャーがかなりきついと思う。社会全体がお互いに首を絞め合っていることがさらに思い浮かぶし、旅行会社でもカメラマンでも一見華やかな職業だが、実はかなり地味な職業ではあるが、もっと子供に夢を与えられるテレビを舞台にする表現者なのに、訳分からんと率直に思えて来る。それだけでも社会の見えない爪痕は大きい。

社会の荒波を乗り越えるには、まずは迷ってもいいから自分自身を強く持つのと、家族の絆をあらためて理解することだ。共働きで子供がいる家庭でも、精神的にも経済的にも、おじいちゃん、おばあちゃんの存在はかなり大きい。いなかったら、その家族が経済的破綻、人生破綻に追い込まれることだってある。

自分は一人身だが、まず結婚さえもこのままだと出来ないと思う。一生できない覚悟がないと、この食えない職業は続けていけない。まあ、いいんだけれどね。結婚したり、子供がいると、もっと守りに入ることは確かだし、ある意味自由があると思えばいい。仮に旅先で死んでも、一人なら悲しませなくてすむ。武士の様に死ねる。

理解できる人なんてまずいないだろうし、結婚も何でも運も絡んで来る。お金と異性と芸術家なら大衆の支持や結果は、追いかければ追いかけるほど逃げて行く。

60歳までもがいてもがいて、その時一人身だったり、悟ったり、社会に最後の見切りを付けたら、出家するのも悪くない。日本で居心地が悪かったら、タイやラダックなどのアジアの国でもいい。写真家はたとえ落ち込んでも最後まで続ける覚悟だが、そういう心のエアポケットはいる。

自分の撮った写真が、自分の子供だと思えばいい。自分の仮の子供を食わせていけないのに、結婚なんてできるわけがない。もししとったら、自分がびっくりする。

写真って言ったって、年々古いフィルム原版に黴が生えるのは自然の原理だし、良く持ってもポジフィルムなら200年が限度だろう。どこまで色が出るのか、たぶん今の研究者でも分からないだろう。朽ち果てていくのは、当たり前だが、見ていて苦しくなる時がある。

デジタルでも、怖いのは、最後のクリックをしたら、全てが良く分からない3次元の闇に葬り去られることだ。もし3ヶ月の撮影旅に出て、誤作動で全てをなくしたら、自殺もんだと思う。将来、パソコンのウイルスや、ネット社会の戦争みたいなもので、全てのデータが消える可能性はゼロとは言い切れない。自宅が火事になって全焼するのもありえるが、物としてフィルムが見える形で残しておいた方が安心は出来る。

今日は、雨の後、約8キロ走り、懸垂20回、10、20の3種類行い、気休めでシャドーをしたりする。

まずは肉体的にも精神的にも自分が強くならないといけない。まだまだ弱い。

日本に戻って来ても、アルコールはもちろんジュース類は全く飲まないで、牛乳、緑茶、白湯、白湯の後の水しか飲んでない。食べ物も、毎日フライパンで作れる鍋みたいなものと白米、納豆、ヨーグルト、バナナ、ただ微妙に鍋の中身が変わったりするだけだ。野菜だと、今が安いカボチャばかりで、ほうれん草は高くなった、小松菜ばかりだ。それでも、色の濃い栄養のある野菜を選んでいるし、腹に入れば一緒だろ。原理的には、最低限の栄養は取っている、インドにいる時よりもカロリーは高いはず、東京は交通網が発達していて移動の消費カロリーは少ないし。

「贅沢は敵である」写真家であり続けるには変わらない。

もちろん家にいる時は好んで飲まないが、アルコールでも何でも店で出されたものは飲んだり食べたりする。

一部のインド人は徹底しているから、ある意味すごいと思う。

NEVER GIVE UP

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先程見たTBSのドラマ「堀の中の中学校」は良かった。大滝秀治さんの演技は国宝級だった。若い頃はあまり知らないが、主演級というよりは、長年脇役だったと思う。85歳になっても、名脇役を続けられて、芸の深みを感じる。

手錠をかけられながら、合わせた手を顔の横に持って来て、先生役に感謝する最後の場面は、「もうこれが最後の演技だ!」と笑いながらも言っている様だった。人生を賭けた最後の演技に感じられて、不謹慎かもしれないが、何かもうこれで最後な気もしてしまった。それだけ演じることの気迫というか、大切さ、優しさも感じられた。

千原兄弟のお兄ちゃんの演技も良かった。お笑い界ではいぶし銀と言うか、何か気になる存在だが、演じても気になる存在だった。個性的な俳優陣で、全然負けていなかったし、演技もお笑い芸人さんと思えないほどいい味を出していた。今後、演技方面でもっと活躍するかもしれない。ちなみに大学生の頃、東京でもっと売れる前に劇場で千原兄弟の劇場ライブは見たことがある。シュールで二人とも影の実力者みたいな気がした。

お兄ちゃんの役ははまり役だったし、このドラマでは、森山未来さんと同じくらいいいスパイスを与えていた。森山さんも以前に戦争のドラマで主演をしていて、それがとても良かった。人間魚雷で散っていく時に、最後に「家族の為じゃない、自分の為に行くんだ」という様なセリフの演技がとても心に残っている。今回では少しの場面であれだけ見せるのは、演技がかなり上手いと思う。

オダギリジョーさんが演じる主人公の先生の写真家を諦めていく場面は、妙に親近感があった。昔は分からないが、今の時代に写真の賞を取っても、写真家だけでは食べていけないぞ。自宅に父親が単身赴任で泊まりに来る場面は、そっくりだった。布団二つ並べて寝ながらいろいろと話したこともある。

主人公の先生は写真家の道を諦めたかもしれないが(フィクションのドラマであっても)、僕はまだまだ諦めていない。

はっきり言って、ずっとどん底状態は続いている。特に長期の旅から戻って来て数ヶ月はかなり厳しい。とにかくまずは満足行くまで定期的に撮り続けることしか考えていないから、長期の滞在費と航空券代、フィルム代があれば行っている。撮って後からのこと、現像代・プリント代まではすぐに手が回らない。一度個展をやってから次のテーマに移ってこれを5,6回(年)は続けている、出て行く方が圧倒的に大きい。すぐには発表まで手が回らない。いつか報われて欲しいし、報われると信じている。撮っている写真は間違っていないし、機材の盗難にも遭わずよくやり続けていると自分でも誉めたいと思う。

どん底にいる時、旅先でも、「NEVER GIVE UP」と心の中でよくつぶやく。

今日は、外を8キロ走り、懸垂などをやり、徐々にロードワークを戻して来た。まだ休部しているボクシングジムには通えていない。

個人的な生の挫折しか、本気でやり続けたいことは生まれない。

8キロ走っても、(最後をつらくしても)心拍数は1分140回前後だ。ラダックの標高3500前後のヒマラヤ地域では、早いペースで登っただけで160回になった。それだけ自然というものは偉大である。なんと人間というものはちっぽけな存在か。

自分で出来る範囲で努力できることは努力したい。まずは体力をもっと付けることも目標としているから、徐々に距離を伸ばして行って、1年後にはフルマラソンを走れるぐらいにはなりたい。1年後どういう状態か分からないが、いつでも写真を撮りに行ける肉体にはしておきたい。

お金は大切だが、お金を稼ぐことが全てじゃない。トレーニングは自分の為でもあるが、走ったり、ボクシングをすることによって、今まで見て来たいろんな国や人達のつらさや悲しみももっと分かる。生きることそのものがもっと分かる。運が悪ければ、今回で言えば洪水で流された可能性もあるし、今までも無事に戻って来てなおかつ写真も残せ続けて運がいい。

戻って来る度に、今の自分に何ができるかをもっと考える。今は直接的な肉体に行っている。戻って来る度に生きることや健康の有り難さや日本の簡単には死ぬことのなさそうな平和、日本にいる安心感(その気になればいつでも行ける優秀な病院・いつでもお湯が出るただそれだけでも)を感じている。

写真紹介ページを移行

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http://ameblo.jp/koujim30/

今まで使っていたこのホットメールからのブログがどうも使い勝手が悪く、写真を載せるのに特に手間がかかるので、上記のブログに写真を移行しました。

上記には写真を中心に、そしてここには今まで通り文章を中心に書いていこうと思います。ホットメールは旅先からも使えるので、将来もっと危険な所へ行った際の安否確認としても使おうと思います。自分が危険ではないと思っていても、人から見れば危険になったりしますし。まずは家族と知り合いの方に伝わればいいと思います。アジア情勢がますます緊迫する可能性があります。政治的事件に巻き込まれたり、ヒマラヤなどの自然環境も変化しつつあります。今まで行けた所が行きにくくなる可能性も出て来ます。日本でも見方を変えれば、サバイバル生活です。10年以上先は誰もはっきりと予測できないと思います。1923年に起こった関東大震災もありますし、そこから100年以内には大きな地震が日本の主要都市中心で起こる可能性はないとは言い切れません。それだけ自然災害というものは恐ろしいものです。

話が変な風になりましたが、突如始めた上記のブログでも、インドなどの発展途上国へ行くと文字化けしたり、たとえ日本で主要なブログと言えども、日本中心だけで回っている気もします。

HP作成も考えてみましたが、基本はアナログ派で、最新のパソコンは持っていないこと、どうせ作るならもっと時間もお金も必要だし、もっと練ったり勉強してから作る必要がありそうです。

「いかに自分が作品と思っている写真が大衆性をも獲得するか?」写真家でも、何かの芸術家活動をしている人には永遠の課題かもしれません。実験的な場でもありますし、やはり写真は質が落ちても多くの人に見せてナンボな気もしています。現状の写真界は間違いなくマイナーな所になりますし、もっと広い世界をたとえ無駄だと分かっていても見たり行き来する必要はありそうです。

やれる所まで続けますが、この先外国へ行って更新できなくなって自然消滅したり、パソコンなどの物質的影響で突如なくなったり、考え方が180度変わる可能性もありますので、よろしくお願いします。

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